天安門事件。chinaにて、民主主義の萌芽が戦車で轢き潰された日。
人民解放「軍」は軍という名こそ冠しているが、共産党の私兵集団だと世界に示された日。
あれから中国はどうなったか。
中国共産党は何をしたか。
日本の民主主義はどうなっているか。
共産主義者が叫ぶ民主主義って、何だ?
六四天安門事件(ろくよんてんあんもんじけん)とは、1989年6月4日に、天安門広場に民主化を求めて集結していた学生を中心とした一般市民のデモ隊に対し、中国人民解放軍が武力弾圧(市民に向けての無差別発砲や装甲車で轢き殺した)し、多数の死傷者を出した事件である。
本日は、天安門事件が起きた、政治的な背景を詳細に説明。
意外に保守が知らない、ペレストロイカからの天安門事件の流れ。
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世界の常識として、自国民を守ることこそが軍の使命に他ならない。
災害派遣はもとより、国民の生命・財産を守る最後の力である。
権力の暴走により、自国民を弾圧する行為を「白色テロ」と呼称する。
あってはならぬことで、独裁政権下において繰り返された行為だ。
しかし、この場合であっても「一般には国権により」という定義が伴うように思う。
私は、中華人民共和国という、彼らが私たちに強いる「謎の尊称」ではなく、
世界標準の、音で定義された「支邦」が正しいように思うが、
それをそのまま使用すると怒られる謎の国、現代日本において政治家を行っているので、
ここは妥協して「CHINA」という英語表記を用いたい。
天安門事件は、CHINAの意思とは言い難い。
CHINAが国家であるとして、CHINAの意思として、国家の統制のもとに自国民を轢き殺したわけではない。
あれは一政党であるはずの、中国共産党の指揮の下になされた暴虐無人の行為である。
当然のこととして最低の人権侵害である、世界中から未だ非難され続けるべき行為だ。
野蛮な国と呼ぶべきで、これは時が経過したとして許されて良い行為ではない。
人民解放「軍」は、軍ではない。
国家の統制のもと、自国民を弾圧・殺戮する行為が白色テロだと考えるが、
すでに白色テロですらない。
一政党、そして「共産主義というイデオロギー」に基づき、
自国民を殺戮したのだ。
人民解放「軍」は、軍ではない。
共産党の私兵集団である、危険な存在だ。
それは人命である。
軍であるならば、まずもって守るべきであった国民の生命であり、財産である。
そして、轢き殺されたのは、CHINAにて産まれつつあった民主主義の萌芽に他ならない。
共産党の私兵集団が轢き殺したのは、民主主義の芽であった。
我が国を振り返ると、同じく共産主義を掲げた政党が「民主主義」を叫ぶ。
共産主義者が叫ぶ民主主義って、何だ?
私には、わからない。
日本共産党は、中国共産党と無関係を装うのだろう。
しかしそれは無理な話だ。
発祥をコミンテルンとしており、コミンテルン日本支部を前身として持つ以上、関係性はある。
wikipediaを読む程度でも理解できる話で、そもそも日本共産党は暴力革命の方針を未だ否定していないではないか。
共産主義を掲げた政党の私兵集団が行った暴虐、
戦車という一般の国民においては抗うことのできない「武器」を用いて、兵器を用いて、轢き殺した。
これを思うに、共産主義者が民主主義を論じることは理解できない。
私は謎の状況、理解に苦しむ状況だと思うのだけれど、
これが一般には、多くは疑問を持たれていない謎の国・日本において政治家をしているのだけれど、
いったい我が国は、「共産主義者が民主主義を叫ぶ」状況を、なぜおかしいと思わないのだろうか。
共産主義者が叫ぶ民主主義って、何だ?
天安門事件だろうか。
つまり武力を用いた、国家に拠らぬ私兵集団を用いての言論弾圧であり、自国民の殺戮なのであろうか。
六四天安門事件の翌日(6月5日)、彼は天安門事件を鎮圧するために現れた59式戦車?の車列の前に立ち、行く手を遮った。
「共産主義 vs 民主主義」に他ならない。
短い動画である、是非ご覧頂きたい。
1989 Tiananmen Square Protests
※ 重要な特記
昨年紹介していた動画は削除されていた。「無名の反逆者」で検索可能な動画のほとんどは、youtubeでは削除済みだ。恐らくこの動画もやがて削除されるだろう。
これが世界であり、そしてこれこそが「共産主義の弾圧」だ。
下記は、”無名の反逆者”のタイトルで検索可能な動画。再生数が500回と少ないことが理由だろう。APIでの他サイト埋め込みを禁止していたことも功を奏したのかも知れない。
これが、弾圧だ。
共産主義者は、我が国で軽々に弾圧と口にするな!
まずは天安門事件を始めとした、CHINAの暴挙に抗議してからにして頂きたい。
六四天安門事件(ろくよんてんあんもんじけん)とは、1989年6月4日に、天安門広場に民主化を求めて集結していた学生を中心とした一般市民のデモ隊に対し、中国人民解放軍が武力弾圧(市民に向けての無差別発砲や装甲車で轢き殺した)し、多数の死傷者を出した事件である。
当時、起きたことを簡単にまとめつつ、私なりの所感を書いた。
流石に長いため折り畳んでおく。
興味がある方はお読みください。
現代の日本においても類似するような動きがある。
ソビエト共産党による一党独裁制が続いた結果、言論の自由への弾圧や思想・良心の自由が阻害されたことや、官僚による腐敗が徐々に進み、硬直化した国家運営の立て直しをはかる目的でペレストロイカを表明。
ここにソビエトの民主化が始まる。
英語圏においては共産主義者を「コミュニスト」と表記するが、共産主義者らは世界同時革命を目指しており「国家の枠組み」で動いていたとは言い難い。
コミンテルンという組織が結成され、日本においてもコミンテルン日本支部が存在した。
いまは日本共産党と称されるが、正しくは共産党・日本支部とすべきだろう。
コミンテルンテーゼという形で指示がなされていた。
ソビエトは、この盟主であったと認識しているが、ここにおける民主化。
CHINAにおいても多大な影響があったことは想像に難くない。
様々な分析があるとは思う。
私は、その時代を直接、生きたわけではないのであくまで後世の政治家としての評価とさせて頂く。
天安門事件とは、ペレストロイカを発端とした民主化運動、これが旧共産圏に伝播していく中での動きなのだと認識している。
類似の政治体制にあった国民が、ソビエトで与えられたものと同様の「少しの自由」を求めたのだ。
これは権力にしがみつく共産党上層部にとって脅威であったということ。
共産主義こそは、一党独裁でありまさに政治権力を必要とする主義だからだ。
ゆえに共産主義者による権力批判は、どことなく恐ろしく感じる。
第3代中国共産党中央委員会主席・初代中国共産党中央委員会総書記。
天安門事件の、直接の引き金と言ってもいいだろう。
・人々は自由を求めた。
コミンテルンの本部、母体とも言えるソビエトにてペレストロイカが表明された。
なんでも言える、つまり言論の自由のような、その路線を「百花斉放・百家争鳴」と呼ぶ。
胡 耀邦(初代中国共産党中央委員会総書記)が政治改革に積極的であったと述べたが、人民はまさにこの路線を求めていたと言えるだろう。
逆に言えば、共産主義下において言論の自由などなかったのだ。
報道の自由も然り。
・反対の動き
鄧小平ら党内の長老グループを中心とした保守派は、「百花斉放・百家争鳴」路線の推進は、中国共産党による一党独裁を揺るがすものであり、ひいては自分たちの地位や利権を損なうものとして反発していた。
天安門事件の前年9月、六中全会にて胡が押し進めようとした政治改革は棚上げされた。逆に保守派主導の「精神文明決議」が採択され、胡 耀邦は失脚。
日本に置き換えれば、安倍首相や麻生政権に置き換えるとわかりやすい。
これが引きずりおろされ、学生たちが不満を貯めていった時代。
・軟禁、そして死去
失脚後も政治局委員の地位にとどまってはいたが、北京市内の自宅で警察の監視のもと外部との接触を断たれるなど事実上の軟禁生活を送っていた。
1989年4月8日の政治局会議に出席中心筋梗塞で倒れ、4月15日に死去した。
1989年、この年に天安門事件は起きる。
ここからデモ等が散発的に発生していく。
胡 耀邦(こ ようほう)の位置づけであるが、ペレストロイカと同等のものを与えてくれたかも知れない存在だったように思う。
CHINAに住む、独裁体制に虐げられてきた者にとって、希望の政治家であったことは疑いない。
政治的に失脚させられたのち、死去。
本当に心筋梗塞であったのかと勘繰る者だって出てきたろう。
そして、この追悼すら許されず、名誉回復を求める発言さえ封じられたのだ。
中川先生を失ってのち、日本のメディアは何をしたのか。
これは直視せざるを得ない、我が国だって危険はある。
天安門事件を「異常な共産党政府の動き」とのみ扱うことは危険だ。日本においても似た事態が発生していた可能性はある。
民が愛した政治家を、共産主義者らは権力をもって抹殺した。
祈る言葉も、労う言葉すらも封じたのだ。
そのとき、民衆はどう動いたか。
学生を主としたもので、「権力にしがみつく共産党(保守派)」と対決することになる。
ここで述べる保守派とは、現状維持みたいな意味あいであって、CHINAにおける共産党の党内構造において、この場合の権力側の老人たちは実際に保守派と称される。
・小さな炎
死去翌日、16日。
中国政法大学を中心とした民主化推進派の学生たちによる胡の追悼集会。
翌々日の17日。
同じく民主化推進派の大学生を中心としたグループが北京市内で民主化を求めた集会。
どちらも小規模なものであった。
さらに18日。
今度は1万人規模。
北京の複数の大学の学生を中心とした1万人程度の学生が北京市内でデモ。
民主化を求めて天安門広場に面する人民大会堂前で座り込みのストライキ。
そして19日。
メディアによる偏向報道。
北京市党委員会の機関紙である『北京日報』が批判的に報じる。
拡大の21日。
夜には10万人を越す学生や市民が天安門広場において民主化を求めるデモを行う。
急激に規模を拡大。
日本における、古くからの左翼が求める姿がまさにここにある。
左派がSEALDSらに見たいであろう幻、まさにここにあるのだが、(日本の)左派はこれをどう思うのだろうか。
これを潰したのは共産主義者であった。
しかも武器を用いて、だ。
CHINAにおけるSEALDS?が対峙したのは、共産党であった。
日本は謎の国である。
実はメディアへの弾圧が、最後の引き金になっていくのだ。
『世界経済導報』という週刊誌があった。
胡耀邦の追悼をテーマとした座談会を開き、参加者が胡の解任を批判したり名誉回復を要求する発言を報じた。
日本で言えば、中川昭一先生の追悼本を出したり(実際、私自身がかつて出したことがある。)名誉回復を求める発言を報じるようなものだろう。
・江沢民
ここで突然、江沢民が出てくる。
当時は、党委員会書記であったのだが、宣伝担当の曽慶紅市党委副書記と陳至立市党委宣伝部長に命じ、問題の箇所を削除するよう命令を出す。
『世界経済導報』の社長はこの要求を拒否、同紙は発行停止となった。
江沢民はこの動きが評価され、党総書記に選ばれる要因となった。
・メディアの悪用
人民日報やテレビなどの国営メディアを使って事態を沈静化するように国民に呼びかけたものの、『世界経済導報』事件などもあって活動は逆に拡大していく。
中国共産党は学生だけでなくジャーナリストの反感をも買った。
・検閲制度を否定
4月29日午後に、共産党幹部とが高校生と会見。
党内に腐敗があることを認めたものの、「大多数の党幹部はすばらしい」と述べた。『世界経済導報』事件があった直後にもかかわらず「検閲制度など無い」と否定。
さらに「デモは一部の黒幕に操られている」と強気の姿勢を続けた。
この模様が夜に放送されると、学生は抗議デモに繰り出した。
SNSがない時代であったが、若者の動きは同じであったと言えるだろう。
この怒り、政権への怒りが抗議デモをより活発化させていく。
例えばアラブの春。
全てを評価する立場にはないが、原風景は、天安門事件の前夜に確かにあったのだ。
中国共産党は、この前に事態を収集させたい。
軟化する方針も見せたのだが、学生らの目標は容認できない内容でもあった。(四・二六社説の撤回)
ハンストは50万人に及び、当時はイギリス領であった香港に飛び火、また国外に留学していた学生たちにも延焼していく。
・対決
民主化運動の指導者は、漢民族出身の大学生である王丹や柴玲、ウイグル族出身のウーアルカイシ(吾爾開希)など。5月18日午前に李鵬、李鉄映、閻明復、陳希同らが彼らと会見した。
李鵬が「会見の目的はハンストを終わらせる方法を考えることだ」と発言すると、ウーアルカイシは「実質的な話し合いをしたい。我々は李鵬を招待したのであって、議題は我々が決める」と反論した。
学生側は「学生運動を愛国的なものとすること」と、「学生と指導者の対話を生放送で放送すること」を要求した。李鵬は「この場で答えることは適当ではないし、2つの条件はハンスト終結と関連付けるべきではない」と話し、会見は物別れに終わった。
李鵬を激しく非難する姿が全世界にテレビにより流されたことで注目を集めることとなった。
・ゴルバチョフ訪中
この最中にゴルバチョフが訪中した。
実は、ソビエトと中国は仲が悪かった。
冷戦時代の1950年代より続いていた中ソ対立の終結を表明するための訪中であり、綿密に準備がなされいた。当初の予定通り北京を公式訪問。
天安門広場周辺は、ご覧の有り様であり中国共産党は恥をさらす結果となった。
正直、ぶちきれたと思う。
・戒厳令布告
ゴルバチョフがCHINAを離れる5月17日までは、中国共産党内は平穏を装った。
学生側に同情的な者もいたし、強行路線の者もいた。
5月17日午後、政治局常務委員会による投票をすることなく、鄧小平は戒厳令の布告を決定した。
・報道管制
これが行われ始めると、多くの場合「最後まで行ってしまう」ように感じる。
戒厳令を受けて厳しい報道管制が敷かれた。日本やイギリス、西ドイツなどの西側諸国のテレビ局による生中継のための回線は中国共産党によって次々と遮断される。
米国のCNN は、依然として世界各国へ向けた生中継を続けていたが、キレた中国は警察官などを派遣、放送を中止するよう要求した。
しかし、まさに生放送中であり、この模様は全世界に報じられることになる。中国が報道管制を行っている事実が報じられた、ということだ。
そして、武力弾圧へ。
地方から続々と人民解放軍の部隊が北京に集結していることが西側のメディアによって報じられたていた。
人民解放軍による武力弾圧が近いとの噂が国内だけでなく外国のメディアによっても報じられるようになる。6月3日の夜遅くには、天安門広場の周辺に人民解放軍の装甲兵員輸送車が集結し始め、完全武装した兵士が配置に着いたことが西側の外交官や報道陣によって確認された。
6月3日の夜中から6月4日未明にかけて、人民解放軍の装甲車を含む完全武装された部隊が民主化要求をする学生を中心とした民衆に対して投入された。一旦は数で勝る民衆によって阻止されたものの、その後これらの部隊は中国共産党首脳部の命令に忠実に、民衆に対して無差別に発砲した。
(参考:wikipedia六四天安門事件)
冒頭の言葉を繰り返させて頂く。
天安門事件。
chinaにて、民主主義の萌芽が戦車で轢き潰された日。
人民解放「軍」は軍という名こそ冠しているが、共産党の私兵集団だと世界に示された日。
あれから中国はどうなったか。
中国共産党は何をしたか。
日本の民主主義はどうなっているか。
共産主義者が叫ぶ民主主義って、何だ?
私には、わからない。
ただし、この六四天安門事件は、伝えられ続けるべきだという立場だ。
我が国が、自由と民主主義を維持していく上で
絶対に忘れてはならぬ、大切なエピソードが満載されていると感じるからだ。
天安門事件を忘れない。
そこで起きたこと、その前夜に何があったのかを伝えていく必要がある。
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共産党は2016年9月13日からの警告を無視し続けましたね。
ならば、下記は決定事項と承諾したものと見做します。
・『テロを利用する共産党』
・『テロリストの味方である共産党』
・『テロに屈する共産党』
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六四天安門事件は1989年ですから、まだ支那事変、大東亜戦争を生き抜いて来た世代が、それなりに存命だった時代の事件でした。
我が国では元号が昭和から平成に移り変わり、消費税の導入、バック・トゥ・ザ・フューチャー PART2や魔女の宅急便が放映され、街角ではTRAIN-TRAIN(THE BLUE HEARTS)、川の流れのように(美空ひばり)、Runner(爆風スランプ)が至る所から聞こえ、池中玄太80キロ・パートIII、はぐれ刑事純情派、八百八町夢日記、ドラゴンボールZが茶の間の娯楽、「♪24時間たたかえますか」のフレーズでおなじみのリゲインのCMがオンエアー、セクシャル・ハラスメントと言う用語が認知され、オバタリアンが流行語、ゲームボーイが発売された年でした。
そうそう、共産党繋がりで言えば、女子高生コンクリート詰め殺人事件の犯人の両親が共産党員で、この事件もこの年に発生した事件でしたね。
当時の平均寿命は日本では概ね75歳前後、中国では65歳前後で、中国では支那事変、大東亜戦争を生き抜いて来た人が既にかなり減りつつある時期でした。
これは見方を変えれば、戦前、戦中の実態を、我々日本人よりも早く忘れ去る事を意味し、中国政府の情報統制も合わさって、中国人は自らの実情を見極める事が極めて困難な状態に陥って居るとも言えます。
この頃中国では一人っ子政策真っ只中で、この頃に育った世代は過度に甘やかされ、小皇帝と揶揄される程に我儘に育ち、精神は子供に近いまま大人に成った結果、現在では子供が子供を育てる様な状況と成ってしまい、熊孩子と呼ばれる問題児が跋扈するに至ってます。
昨今では中国人が外国で迷惑を掛けまくってますが、これは小皇帝や熊孩子と言うアホの子が、比較的自由に中国国外に出る様に成った事に由来します。
勿論、半端無く人口が多いだけに、それなりに外国で覚醒して正気に戻る者も居ますが、そう言った中国人は目立たない為、多くのアホの子が悪目立ちする状況にあります。
これらアホの子は本気で中国が先進国だと思い込まされて、外国で赤っ恥をかいたりする事もある様です。
扨て、現在の中国はと言うと軍拡まっしぐらである事は皆様御存知の通りですが、その軍事技術のベースはロシア由来の技術で構成されて居る為、その性能がロシアのウクライナ侵攻で浮彫に成り、中共は若干狼狽えて居る状況ですので、我が国に対しては中国国内向けのパフォーマンスは怠らないでしょうが、実効的な強気な行動は抑制せざるを得ないのが実情でしょう。
ですがそこで中国が折れるとは考え難く、西側の技術を盗む事に益々躍起に成るに違いありません。
そこで格好の踏台として利用されるのは、何を隠そう平和ボケしきった我が国でしょう。
過去にデンソーに潜入した中国のスパイによって情報が漏洩した事件や、ヤマハ発動機無人ヘリ不正輸出事件などがありましたが、恐らく今現在も同様の工作は盗まれて居る張本人が気付かない形で、我が国を侵食して居る事でしょう。
ある程度西側の技術を盗んで自信を付けてしまうと、アホの子は所詮アホの子ですから、自身を過剰評価し、何時実効的且つ強気な姿勢に踏込むか分かりません。
我が国の経営者はこのあたりの情報には疎いとしか思えない場合が多く、結果的に平和維持を半ば放棄した状態に成って居ると見受けられます。
中国人の覚醒を促す為に、飲食や小売等のサービス業で我が国の文化に触れさせるのは戦略としてはアリでしょうが、ITや工業に関わる技術系の職種等で特亜人を起用するのは、リスク管理が出来て居無いと言っても過言では無いでしょう。
この辺りは行政が主導して改善を図るべきなのでしょうが、省庁自体が平和ボケした人で占められて居る為、早急な対策を打つのも至極困難なのが実情でしょう。
故に啓発活動を進めるにしても中々困難であるこの状況に、如何にして対処して行くかが重要に成って来る事でしょう。
中共の言う
「民主主義」「平和」「人民」「人権」「解放」「友好」・・・・・・・・
どれもが噓くさく、利己的で、その実態は恐ろしく、おぞましいです。
民主主義=中共の言う通りにしろ
平和=抵抗するな 歯向かうな 降伏しろ
解放=侵略 虐殺 略奪
友好=平伏せ
それと同じく
野党の言う
「民主主義」「平和」「人権」も
「パーティー禁止」と同じく嘘くさく、利己的だと私は思っています。
これ程、聞く者を馬鹿にした言葉の使い方は無いと
人間を馬鹿にしていると
言葉に対する冒涜だと
私は思っています。
以上 文責 BLACK
民主の意味には二通り有るそうです。
民が主
民の主
また、民の漢字の意味は奴隷を表す字なのだそうです。
つまり、奴隷を支配する主義があの国の民主主義ですので、奴隷の反乱を制圧する事が主(あるじ)の務めなのでしょう。
有る意味、資本主義も似たようなものですので、武力ではなく金で民を支配するわけです。
エデンのリンゴは金(マネー)なのかも・・・
「総理がぐらぐらしている」初の“天皇中国訪問”の内幕 ”極秘”の外交文書公開 | NHK政治マガジン
https://www.nhk.or.jp/politics/articles/feature/104667.html
天安門事件から35年 香港で4人逮捕 国家安全条例違反疑いなど | NHK | 香港
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20240605/k10014471321000.html
・・・
最近のチャイナは経済が駄目になり、不満が高まっているようです。
中国共産党はデモや反体制に敏感になっているようですが、その対応が更に不満を強めるのかも知れません。
まあ、ワンワールドを目指す方々を見れば、世界の共産党なのかも知れませんし、それに追従する日本の政の軸足は何処に有るのでしょうか?
.
お忙しいと思いますが、更新頻度をもう少し上がられませんか?
私のような所帯持にできることは限られるしれませんが、日本を良くするにはどんなことをしていけば良いか、少しでも探りたく。