【どれほどの快挙か】デニー県政に致命傷。沖縄県議選、自民公認候補全員当選。自公らが過半数となるのは16年ぶり

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議会の過半数がなければ、議案は執行できない。デニー県知事の県政運営はストップした。改選前は1議席差、ごく僅かでオール沖縄が優勢。
自民党は(改選前の18から)20議席に躍進。結果だけ、議会の過半数だけを見る方もいる。それでは本質は見えない。全員が知り合いというわけではないけれど、私が為書きを送り、応援に入った候補は全員が当選した。私的な物言いになるのかもしれないが、素直に嬉しい。ご協力いただいた皆様に心から感謝します。

沖縄県議会の定数は48議席。議長は採決に加わらないため、(議長を選出しての)安定過半数は25議席となる。
オール沖縄は共産・立民・社民・社大などで構成されているが、それぞれ共産が7→4に、立民が4→2に、社民は2議席を維持、社大は1→3に伸ばすも、総数としては25議席を大きく下回った。つまりデニー知事の議案は通らない。

これには普天間の安全性確保、辺野古移設に知事が「反対」していくための議会側の同意が得られることはない。
他県で自民王国とされる選挙区でも敗退が続いていたため、相当に不安を感じる政治関係者も多かった。岸田政権の支持率は高いとはとても言えないが、その中で完全勝利と言っていいほどの数字になっている。

今回の選挙戦を振り返れば、当ブログでも指摘した「オール沖縄による普天間・辺野古隠し」は左派系メディアでも報じられるに至る。議会が改選中の中、突然の知事の給食費のぶち上げ。このあたりは取材に多数の記者を送っていた(なぜか左寄りの)メディアでは詳述されている。残念ながら保守系メディアや識者が完全に立ち遅れた格好。私が赴いている個所が限定的であるにせよ、結論的に言えば行かねば分からないというのが一つの答えになったように思う。

沖縄の選挙は常に何かが生じてきた。重要な選挙の前には米軍機が墜落するなどの事件が起きたり、4年前の県議選はコロナ過であったり、満を持しての先の県知事選は統一教会への糾弾でメディアスクラムが組まれる等、沖縄の地方議員では如何ともしがたい対外的な波乱続きであった。今回も”いわゆる未記載”問題など、県外マターに苦しんだ戦いでもあった。

負けに不思議の負けなしとは言うが、これを奇跡というのは容易い。
振り返れば私が入った沖縄の選挙も恐らく20回ぐらいになる。
そこで見たものは何か。地方には地方の戦いがあった。

 

 

 

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ざざざっと各選挙区ごとのデータ

那覇市・南部離島。私の応援した西銘候補も当選。
定数は11。自民は3議席を獲得。
1位が公明で9000。二位は自民ですが、三位も公明で8600。ある意味で公明の強さを見せつけられたとも。
最大の定数を誇る那覇で、11議席のうち5つを自公が獲得。維新も1議席。

沖縄市 (定員 5立候補者数 7)
自民は2議席を獲得。公明が1。
仲良しの花城県議が当選、嬉しい。

島尻・南城市(定員 4立候補者数 5)
圧巻の結果。定数4に対して、自民が2議席、公明が1。オール沖縄は1議席のみ。
次点で落選は共産。トップ当選はオール沖縄(社会大衆党)で、瑞慶覧長敏の息子さん。
南城の結果、すごいと思う。
応援した座波県議が当選!

うるま市(定員 4立候補者数 7)
定数4に対して自民が2議席獲得。どちらも新人候補。すごいことだと思う。

浦添市(定員 4立候補者数 6)
自民1、公明1。オール沖縄が2議席(うち一人は共産)。
票差はついておりますが、次点は維新でした。

宜野湾市 (定員 3立候補者数 6)
応援に入った又吉先生が当選。定数3に対して自民は2議席を獲得。
凄い。
次点は社民。次々点は立民。

名護市 (定員 2立候補者数 3)
定数2に対して自民は1議席。

豊見城市(定員 2立候補者数 3)
定数2に対し、自民1。そしてオール沖縄の共産党が1.
応援に入った島袋幹事長が当選。

糸満市(定員 2立候補者数 5)
新垣先生が当選。二位は維新。
時点での落選は共産。次々点もオール沖縄系のため敵失の指摘もされるかも。

宮古島市(定員 2立候補者数 3)
自民1、そして反オール沖縄の新人候補が1。
立民現職が落選。

石垣市 定数2 無投票
自民1、オール沖縄1。無投票再選。

中頭郡(定員 5立候補者数 6)
落選は社民のみ。自民は二議席を獲得。
応援に入った中川県連会長が当選。

国頭郡(定員 2立候補者数 3)
自民1、オール沖縄が1。

 

 

かなり余談も含めてですが、敵失の部分も語ってみたい。
それにはオール沖縄の歴史も書いたほうがいいと思った。

 

 

 

沖縄県議選 応援候補

議会日程の都合から、休会日を縫ってもここが限界でした。
三日攻防に入ってから行ってもできることはほぼないのですが、私なりの仁義としてどうしても行きたかったのです。

全員が当選、ほっとしました。
過半数獲得を狙い、アグレッシブに候補を立てていました。
まさか全員が当選するとは、生き残るとは、もはや奇跡とすら思いました。

 

本当はもっと早く行きたかったのだけど、どうしても都合がつかず。
”行っただけ”といっていいと思う。けど喜んでくれたとこもたくさん。

後述しますが、いろんな選挙のお手伝いに入っていたから。
「〇〇の選挙でご一緒させて頂いた●●です!」とか、やはり陣営に詰めるぐらいだから「ファンです」とか。
その後のこと、つまり厳しい選挙で散ったあとのこと、聞かされたりも。

できることは一つだけ。
誉める。

 

その候補がどれだけ素晴らしい人か、一つでもマニアックなエピソードを伝えて誉める。
後援会の人、よろこぶんだ。とっても。私も応援に来てくれた議員がしてくれて嬉しかったことだから。

ただ行って、誉める。それだけ。
少しでもモチベーションあがってくれたら、と。

 

 

 

ちなみに、全候補の事務所に行きました。

(応援した候補)クリックして下さい!
複数の候補が出馬している選挙区もありますが、私が為書きを送った候補リストとして列挙します。

(新人の比嘉候補(前・名護市議)以外は、沖縄県議として私がご厚誼を頂いてきた先生です。)

 

中頭郡選挙区
中川 キョウキ

宜野湾市選挙区
又吉 セイギ

沖縄市選挙区
花城 ダイスケ

那覇市選挙区
ニシメ 啓史郎

島尻・南城市選挙区
ザハ はじめ

糸満市選挙区
新垣 アラタ

豊見城市選挙区
島袋 ダイ

名護市選挙区
比嘉しのぶ

石垣市選挙区(無投票再選)
大浜 一郎

※1 本土だと候補者名が「漢字+平仮名」が多いですが、沖縄の場合は候補者名を片仮名表記としている事例が多数あります。理由はわかりませんが、過去の選挙データから上記の紹介方法とさせて頂きました。

※2 うるま市選挙区、宮古島市選挙区は面識がないため記載しておりません。)

 

 

 

 

【敵失】オール沖縄における政党間の内輪もめ。

万歳万歳!と言いたいところだけども、敢えて冷静に記しておきたい。きっと今夜しか書けないだろうから。
(勝ちに貢献したと思われる要素は次の項)

私なりに特筆すべき点はいくつかある。一つには敵失。内輪揉めはあった。候補者調整にオール沖縄が失敗したというのはある。

オール沖縄は、実は共産議席が最大であった。改選前は7議席で、定数48で共産7は大きな比率。
立民が4に続き(改選で2に減)、社民2、社大は1(改選で3に増)という構図。
共産党が引っ張っていく恰好であり、改選前議席は共産7・立憲4・社民2・社大1。思い切り共産党。

意外に思うかもしれないが、実はオール沖縄は「単に左派政党」と呼ぶことは難しい。誕生時点でのオール沖縄は、別に左翼に限定してのものでもなかったのだ。いまの若いネット保守は知らないかもしれない。むしろ保守の議席もあったんだ。
そんな意味では社大は改選前の1から3に伸ばしているけれど、本来の盟主となるべきは社会大衆党のような気もしてしまう。

こういう政党の寄せ集めになってしまったから、それぞれの党は「自分の党を躍進させたい」となる。
勝てたはずの選挙区も、オール沖縄陣営で(異なる党が)候補を出し合って共倒れ。こちらから見れば敵失である。

 

もうちょっと昔話をしよう。
数奇な運命を経た地域政党であり、私が知らない時代の事件もある。
ドストレートに言えば、実は自民の分派であったとも言えなくはない。当時のことを振り返る人の伝聞にはなるが、仲井真知事時代の候補者選定にまで遡る。

那覇市長は、沖縄県の県都である。県庁所在地の中核市。
ここに翁長さんという市長がいた。県知事を目指していたのだと思う。自民系の市長で、そして率いる与党議員たちも自民市議団だった。
現職の知事が退かない、もう一度待て、いや出る、と。本当の掛け違いは、ここにあるという方も。

で、那覇市長であった(自民系の)翁長市長がぶち上げる、それがオール沖縄だった。
私には確認しようがない話になるから断定は避けるけども、当時の沖縄では利権的な話も多く密室政治との批判もあった。米軍基地の受入れ、そこに伴う国費投入。映画みたいな陰謀論のような噂も多々。

県内の経済格差があるのは本当のことで、那覇周辺と県北部や離島の生活は同県内でも全く違うと思う。
基地負担の軽減策が、周るべきところに周っていないという指摘もこめ、「単に自民系のみならず、左派であっても」沖縄県の、県全体の公益のために集おう、と。オール沖縄は、そういう意味でのオールであったはずで。かなり希望を込められた名称だったのだとは思う。
ちなみにオール沖縄を作った翁長市長は知事選に勝利。

スタートしたのは、(自民系の)前・那覇市長と、自民党の那覇市議団が中核だったわけで、自民党の分派と言えなくもないと述べたのはそんな理由。ちなみに那覇の自民党市議団は一番少ないときは確か1議席にまで減ったと思う。(他の人は翁長市長と一緒にオール沖縄に行ってしまったから。)
そんなわけで翁長知事にはそれなりにビジョンもあったし沖縄愛もあったろうし。じつは自民党内の不和が発端と言ってもいいんだろうとも思う。

(ちなみに、自民が1議席になった那覇市議会だけども次の改選では新人を多数擁立することになって、そのときは私も選対本部長として那覇市議選を戦ったりしてる。)

 

急転直下、翁長知事が亡くなる。
病によるものだった。

(※ 弔い合戦だ!と電撃戦になる可能性を強く指摘したのが当ブログだったりするよ。)

遺言があったということになっているけれど、それが本当に存在していたのかは分からない。実物は出てこなかったんじゃないかな。
とりあえず玉城知事が誕生する。
元民主党(現・立憲)の国会議員が、オール沖縄のトップになってしまうわけです。

話は急に変わるけど、何かの拍子で翁長知事の息子に会ったことがあったと思う。
長くなりそうなので色々と端折る。

 

そんなスタートだったのだけれど、いつの間にか共産党にのっとられていた、と。
オール沖縄の知事は、(元自民系の那覇市長から)立憲の国会議員になぜか代わる、という事態。

ゆえにオール沖縄内部で政党間の対立が生じるのは当然のこととも言えるわけで、あまりにも共産党が幅をきかせすぎた。
基地反対活動ふくめ、左のイデオロギーが強くなりすぎた。本来のオール沖縄はそうではなかったのだから。

立憲民主党も候補者調整には応じないだろうし、(改選前が1議席の)社会大衆党は3議席に伸ばしているけれど、共産党系の候補と調整するのは嫌になったんだと思う。それで正面衝突が起きて、敵失で勝利したというのも構造だとは思う。それが地滑りできなものだとは言わないけれど、そもそもオール沖縄とは何で、私たちが何と戦っていたのかはちゃんと認識したほうがいいと思うんだ。

かつて有権者はオール沖縄にどんな夢を見たのか、
そしてその夢が破れた結果、今日の勝利もあるのだとは思う。

 

今夜をもって、かつて翁長知事が掲げたオール沖縄という構想は潰えた。
普天間の辺野古移設も含め、すべて終わったのだと考える。だから翁長知事のことをちゃんと書いてみたかった。

あと、元県議会の議長が亡くなったと聞いています。
おそらくは調整役にまわるはずのキーパーソンだったのだろうと思う。本来のオール沖縄の理念を継ぐ方がいなくなったというのは、見えにくい部分ですが大きいのかもしれない。

 

 

 

16年ぶり、オール沖縄から議会奪還。今までの戦いで思うこと。

もはや16年。干支が一周で12年だけども、それ以上。
選挙は4年ごとゆえ4度の敗北を経ての、やっとの思いでの勝利となる。

そこには様々な戦いがあった。

 

翁長市長が自民の那覇市議団をすべて連れて行ってしまったものだから、自民党の那覇市議団が激減した時代がある。
そんなところに私の高校の後輩が出馬するというものだから、応援するうちに選対本部長に就任してしまった。あれは何年前のことだったろう。たぶん6年とか7年前のこと。当ブログの読者にも多数お世話になりました。

それより昔、たしか12年前、沖縄本土復帰40周年を祝った。まぁある意味では勝手に。
市議としてマイクを握って、なぜか若かりし頃の阿部岳記者に記事を書いてもらうことに。結構普通のベタ記事で、本土から議員が来て祝いの街頭演説をした等の。余談になりますがボギーてどこんさんとはそのころからの仲。(このころはblogを始めていなかったと思う。)

 

那覇市議選を経て、いろんな選挙が続いた。
何が何でも県政奪還。知事選を見据えた動きはあったけれども、県内全域で票を得るには「反オール沖縄」の首長が多数必要。そんな中、対抗する形のチーム沖縄(保守系の市長たちの集まり)ができ、しかしリーダー格の南城市で敗退。続く複数の選挙でも敗北が続く。辺野古の在る名護市の市長選、非常に重要で。恐らく無理だと言われ続けるも、ここをなんとか奪還。名護市議が、市議を辞して突撃。絶対に生きて帰れぬとすら言われた激戦を制す。その際には多数の県外の地方議員が応援に駆け付けました。(このblogでも全力で沖縄のことを書いていた時代。)

勝ったら勝ったで欲も出てくるというのだろうか、今度は県知事選に名乗りをあげる方が多くおり調整に難航。
私は安里陣営の幹部に。いや最初は幹部とかではなかったのだけど、どんどんと引き抜きというか圧力ではないけど色々あって、なんでか幹事長特別補佐に。(幹事長はいないのに汗)
最後まで逃げないという覚悟でした。

このころは、私なりの目線になりますけども、確かに密室政治みたいなものは感じたかも。
そしてそれが改善されていくんだよね。やがて、すっごい風通しがよくなっていったように思います、最近の話は分からないけど。
新垣哲司先生と一緒に県連に行ったり。色々とあった。

最終的に知事候補は一本化されていくんだけれども、選挙のギリギリで。
引きずり下ろすような形は絶対によくない!と私は主張したし、一部の人はそういう話もしてて。そのときは私も後援会の幹部になぜかなってて。菅官房長官が入ってくれて(これは和田先生だったと思う)、また党からは二階幹事長が入り、是非とも沖縄の未来のために退いてくれと花道を用意。

そこで終わりかと思ったら、各後援会はそのまま存続させたまま、佐喜眞支援に入るということに。
私が言い始めたのだと思うけども、安里後援会として「心の一本化」というフレーズを演説(とも言えないような短いスピーチ)で、一部の政治家にした。きよひでさんと一緒に行ったと思う。ある意味でのセレモニー的なものだったと思うんだけど、それぞれがいがみ合うことなく、禍根を残さないようにという私なりの思いもあって。じゃないとオール沖縄には勝てないと思って。どういうものと戦っているのか、私なりに思うことはあったから。とっても怖かったけども、ある意味でははったりまみれだったのかもしれないけど、沖縄の有力者たちに囲まれながら言いたい放題に過ごしました。

余談中の余談かもしれませんが、安里さんはJCの全国会長で沖縄でも大きな会社をしていました。いまもしてます。当時はよく知りませんでした。運送会社とは言っていたので、まぁ、トラック屋さんなのだろうと思ってました。(何百台とありました。)知らないことは最強だと思いました。

名護の市長選では白石さんとも仲良くなりました。那覇市議選のときに無理なお願いをしてしまい、なぜかネットで私のことを知ってくれていました。写真とかもたくさんあるので隠しようもないから言いますが、大きなホテルの人でした。本当は旅館ぐらいの規模かと思っていたし、ガソリンスタンドの店長ぐらいかと思ってました。(いっぱいありました。それも知りませんでした。)

四年前の行橋市議選には、安里きよひでさんがわざわざ行橋まで応援に駆けつけてくれました。沖縄県議(西銘さん)の為書きをもって。
懐かしいなぁ、今夜は本当に懐かしい。

補選があったとき。
新しい沖縄を創る会(安里後援会)の弁士、たぶん足りなかったからなのだと思うけども、県議選の応援に後援会を代表してマイクを握ったり。振り返るとなんでそんなことしてたのか思い出せない。

南城市。市長を奪還する際のこと。古謝さんの応援にも行きました。
そうそう、一度だけですが古謝さんの家にも行きました。

 

なんでこんなことになってたのかは、もはやスタートが思い出せない。
けど、なぜかそこにいた。離島の選挙応援にまで入った。何かに必死だった。

 

ここも語ると長いので(すでに長いけど)端折ります。
色々とあって、県連会長が県議になりました。それまでは他県同様に国会議員が務めていたのですが、私は今回の勝利に関係あると思ってます。

 

 

 

地方議員ががんばった

これは私ではなくて。
例えば豊見城市でも市議さんが事務所に詰めており、知り合いばかりで。

三日攻防に入ってるから邪魔にならないよう早めに退出と思いつつ、色々と話してしまったり。
投票所に見に行くのも市議さんだったので、開票の速報を携帯で連絡くれたり。

一つ一つは小さなことなのだろうけれども、群れになったときの地方議員は強い。

 

何度かの大型選挙で、非常にいろんなことがあって。
国会議員を否定するわけではないけれど、その支部長にとって良い人だけを厚遇するのではなくて。

県内全域、できるだけ一人でも。
なんとか調整をと骨を折ってきたのは、地方議員だと思う。

オール沖縄は、ある意味では県知事をトップとした組織なのだから
もっとも身近に戦ってきたのは沖縄県議なのですが、途中から中川県連会長、島袋幹事長体制に。
議会でも非常にアグレッシブで、すさまじい質問を繰り返してきました。
オール沖縄と正面から戦う体制になったのは、県連会長が変わってからのような気がする。

 

全国から見れば小さな選挙でも、地域にとっては大切なもので。
そういう選挙を細かく、丁寧に丁寧に戦う体制になってきたと思うんだ。
細かく、小さく小さく、ひとつも取り残さずにきちんと戦う。

言うはやすしなんですが、地方議員たちが「ちゃんと戦おう」って前を向けるような組織になっているんじゃないかな、と。
私は沖縄に入りまくっていた時代は、今よりまだ若くて粗削りで、見えているようで見えてなかったのかもしれないけれど、すごく良い評判ばかり。

 

県連だけが戦うものではないけれど、ときには分裂選挙もあるけれど
できるだけ傷をいやしながら一つの方向に向かって行ったんだなぁ、と。

外部からの見立てにはなりますが、そういうことを感じました。

 

あとは、希望で始まったオール沖縄が共産党に乗っ取られて行ったことを有権者も理解したのかも。
敵失はあるにせよ、そもそもオール沖縄は左派政党として人気があったわけでもありませんから。反基地活動をやり過ぎたんだと思うし。
それに玉城さんじゃないんだよ、玉城知事じゃなくて。翁長さんの掲げた夢は、元民主の国会議員じゃ体現できなかったんだろうなって。

いろんな、いろんなことがあって
そういうのがやっと伝わって。

 

候補それぞれも必死にがんばって、各後援会が必死にがんばって
もちろん結果が出なかった保守系の陣営もあるのかもしれないけれど
全体で見たら県議会で、オール沖縄を打倒することに成功したんだ。

アグレッシブに候補を擁立し、本当に過半数をとりにいくべく。
守りの選挙ではなく、攻めの布陣で。誰かが欠けることになるかもと覚悟し、それでも戦った。

だから勝った。
私が沖縄に通ったのは少し前の時代だけども、いまは全てが懐かしい。

 

一回ぐらい、観光に行ってみたい。
戦った全ての陣営に皆様に敬意を表します。

 

 

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コメント (頂いたご意見は、他SNSに比較し最優先で目を通しております。)

  1. 耶麻斗 より:

    良かったですね。おめでとうございます。
    最近、益々中国が挑戦的で不可解な動きを始めているので一触即発で台湾有事が起きるかも知れないしと思わせられ沖縄県民の皆さんが態勢を整えられたらいいのにと思っていました。中国に手懐けられているデニーでは中国に何をされても躊躇するだけではないかと不安です。

    2024.06.11
    ▽「民間機への被害もあり得るのに日本政府やメディアが無反応の不思議」…ジワジワと拡大する中国大型無人機による日本包囲網が危なすぎる
    https://gendai.media/articles/-/131553

    南西諸島両側における無人機の活動
    防衛省の発表によると、5月27日、中国の無人機×1機が、尖閣諸島北方の東シナ海に出現し、沖縄県久米島のわが国領空から約100km西方まで接近して北上。その後、奄美大島西方の海域との間(約200km)を往復飛行して進出してきた同じコースを大陸方面へ帰投した。
    (記事で地図を御覧下さい)

    一方リムパックに合わせて続々と海外から海軍と空軍が日本へと集結していて心強いです。
    ▽各国海空軍が続々日本へ イタリアは軽空母、ドイツ・フランス・スペインは戦闘機共同派遣
    https://news.yahoo.co.jp/articles/ae04eb45a8091639b3c3c491b8eed9cf43f4991c
    6/12(水) 17:08

  2. azumaebisu より:

    小坪市議、お早う御座います。

     そして、沖縄県民の応援頂いた有権者各位、当選された県議各位、本当におめでとう御座います。

    見事な勝利でした。国政の自民党トップ連中に欠けている【アグレッシブで死に物狂いで一途な姿勢】で戦い抜き、見事な勝利ですね。

     小坪市議と勝利を祝える嬉しさよ。

     そして【沖縄県の有権者の見識】を拝見出来ました。とても嬉しい。

     さて、これからは、【左翼県政】が蔑ろにして来た、【沖縄県民の、沖縄県民による、沖縄県民の為の政】を確実に、着実に実行して、2度と【沖縄県政】を共産党日本支部に乗っ取られ無い様な、脇の堅い【真の沖縄県民の為の県政】を、一から築き上げて行って下さい。

     それが、【共産支那の沖縄県・臺灣國侵略】の防波堤に為ると信じます。

     その為にも
    1)沖縄県経済の観光業に加えて、モノづくり=製造業の確立、研究機関の集中と確立←青山繁晴参議が、【メタンハイドレート・プルーム、熱水鉱床、コバルトリッチクラフト等】の【自前の海洋資源開発の為の研究施設】を沖縄県に!と水面下で尽力されています。

    2)要は、浮き沈みの激しい【観光業】に頼りっきりの沖縄県経済體制の転換、強化をし、沖縄県民の生活を潤す事こそ肝要だと考えます。

    3)県経済の強化が成り、沖縄県が豊かになれば、『思い出した様に左翼側が持ち出して来た【給食費無料化】も無理なく出来るでしょう。』

     そして【沖縄左翼?】による韓國・朝鮮人バリの『反ヤマトンチュ』意識の蔓延も、自然に消えて逝くでしょう。

     私は、そんな沖縄を見てみたい。

    力を合わせて頑張りましょう。

  3. 耶麻斗 より:

    沖縄のお祭りで太鼓を叩きながらエイサー踊りをする勇壮な米兵の舞いを是非御覧下さい。
    「在沖米会」と幟まで作っている…🤭。
    出て行け〜!は中国に靡いてる基地反対で日本の安全保障を脅かしている例の集団と沖縄二紙、あなた達なんですよ。

    ▽北谷町青年連合会&在日米軍エイサーグループ キャンプフォスターエイサー2024演舞 令和6年5月12日

  4. BLACK より:

    ほっとしました。
    とても嬉しいです。
    光が見えた思いです。

    戦って来られた多くの方々
    ご尽力して来られた多くの方々に
    感謝と尊敬と御礼を申し上げます。

    としますと
    ここに来て、沖縄も東京も
    自民党VS共産党と言う構図が鮮明になった気がします。

    全ては、全ての選挙は
    最終的には共産主義との戦い、と言うことだと思います。

    東京での共産主義との戦い。
    都民の賢明な選択を祈るしかありません。

    以上 文責 BLACK

  5. N失応援者 より:

    まずはお疲れ様でした。
    そして応援候補全員の当選おめでとうございます。

    余韻に浸っている暇はなく、今後も難しい戦いが続いていくのでしょうが。
    私としても、日本を良くするために自分でできることを日々考え、少しでも実行していきます。

  6. 生え際 より:

    本当におめでとうございます。

    長く苦しい戦いでしたね。
    左派が強い県と呼ばれて苦い思いをしていたであろう心ある県民の皆さんも、やっと一息吐けたことと思います。
    まだ課題は多いと思いますが、まずはお疲れさまでした。

  7. ロード より:

    全員当選!おめでとうございます!
    国民の敵も手詰まり状態なんですね。
    「給食費無償化」なんて奇襲にでるぐらい、地方議員は頑張った。
    有事に備える沖縄県民の正しい危機感を感じました!

  8. カルライン より:

    まずは、お疲れ様でした。
    とりあえず、反転攻勢の橋頭保は築けたようで、良かったです。

    過去の沖縄県政については…

    https://www.youtube.com/watch?v=lqyMYZS1seQ&t=1109s

    ↑過去に青山繁晴参議院議員が解説してくれていたので、概要は把握していたつもりです。

    デニー県政に黄信号が点灯となってくると…自民党系議員を中心に他の人物にチャイナの工作が行われる(すでに行われている)ことは当然予期しておかなければならないでしょうね…

    首都方面でも…結構な資金や人脈を投下した工作の影がチラついているようで…なかなか油断なりません…

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