私は、ハロウィーンに疑問を持っている。
いったい何をやっとんるだ、
そう思った私は、やはり年をとったのだろうか。
商業的に、「人造」文化が作られていく過程と
その強い光に焼かれ、すたれていく文化について論じてみたい。
雛祭り・端午の節句は、バレンタイン・ホワイトデーに敗れた。
クリスマスは、天長節のブラックバスのよう。
国旗の数より、クリスマスツリーの数が確実に多い謎の国。
すたれ行く伝統文化に対し、保守が考えるべきことをまとめてみました。
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ハロウィン仕様
・小坪デスサイズ(150円)
・小坪ドラキュラマント(1000円)
・小坪魔女っ子ハット(100円?)
小坪デスサイズは、左翼活動家の魂を刈り取り、反日の意欲を滅する効果!
小坪ドラキュラマントは、赤旗からの猛攻を防ぐ!
小坪魔女っ子帽子は、頭髪が少なくなっても目立たない!
我が国は、宗教でもめない、まさに八百万の国。
和洋折衷という言葉に代表されるように、だ。
後ろには神棚、たぶんこれが一番つよい。
(数年前の投稿です。)
日本古来の伝承、祭りがある。
例えば天長節。
外来のクリスマスと比較すれば、圧倒されている実態にあり、まるでブラックバスに駆逐されるかのようだ。
雛祭り・端午の節句は、バレンタインとホワイトデーにやられた。
勝負するものではないのだろうが、負けていると思う。
日の丸よりも、クリスマスツリーのほうが多いという現実。
ようこそ、謎の国へ。
保守として、忸怩たる思いでそれを見つめる。
この原因が何かを考えてみると、メディアとスポンサーという解を得た。
バレンタインは、そもそもチョコは関係ない日のようだが、「チョコを売りたい」スポンサーの意向に従い、そういうアプローチを擦りこんでいく。
当事者たち、参加者たちが「自らそうありたい」と願うようになり、それが自然である状態になるまで。
まとまっているサイトがあったため、引用する。
日本におけるバレンタインデーの歴史
1930年代 バレンタインデー誕生期
・1932年:モロゾフが日本でチョコレートを販売し始めました。
・1936年:モロゾフが日本で初めてバレンタインデーにチョコレートを贈ろう、という新聞広告を英字新聞「ザ・ジャパン・アドバタイザー」掲載しました。
1950年代 バレンタインデー初期
・1958年:メリーチョコレートが伊勢丹新宿本店でバレンタインセールをしました。ただ、3日間開催されセール中に売れたのは30円の板チョコ5枚と4円のカード5枚だけとのこと。
1960年代 バレンタインデー黎明期
・1960年:森永製菓が新聞広告によるバレンタイン企画を展開し、徐々にバレンタインデーの認知を広めていきます。
・1965年:伊勢丹がバレンタインフェアーを行いました。
・1968年:ソニープラザがバレンタインフェアーを行いました。
1970年代 バレンタインデー成熟期
・1977年:石村萬盛堂がバレンタインデーのお返しにマシュマロを贈ろという企画「マシュマロデー」を初めました。これがきっかけで、ホワイトデーが誕生します。(ここかぁーー)
1970年台は、女子中高生の間で好きな人にチョコレートをあげる、という文化が広まった時期です。
1980年代 バレンタインデー派生期
・1980年:明治製菓・不二家・篠崎製菓・宮川製菓・サクマ製菓・佐久間製菓・マルエ製菓・金太郎飴本店・カンロ・ホームラン製菓・みやこ飴本舗・二葉製菓・メリーチョコレートが加盟する全飴協・関東地区部会が、「ホワイトデー企画委員会」をたちあげて、「ホワイトデーキャンペーン(バレンタインデーのお返しにはマシュマロやキャンディー)」というものを提唱していきます。(ここもだぁーー)
・1984年:第5回ホワイトデーキャンペーンでは、お返し用のキャンディーが品不足になりました。ちなみに売上は55億円だったそうです。
このあたりから、「好きな人にチョコレートをあげる」から「感謝を伝えたい人にチョコレートをあげる」という義理チョコも生まれてきました。(ここでもかぁーー)
もう、お菓子メーカーやりたい放題です。
物を売るためなら、なんでもあり!
と批判的に論じるのみではない。
これがビジネスであるし、これがマーケティングなのである。
ただし、購買力には限界があり、一強が生ずれば、他弱は衰退する。
例えば、行政主導の大きな祭りが産まれた影には、土着の伝統行事の衰退があるように。
全てを「否」とすることは、資本主義の否定でもある。
ゆえに、全否定はしない。
新自由主義に対しては批判的であるが、物を売るためのマーケティングが、文化のような形をとったことまで否定することは、私にはできない。
ただ、そこに影があることは主張したい。
その影とは、商業的理由により発生した「人造」文化の発する強い光により
何かが失われていく、ということだ。
クリスマスは天長節のブラックバス。
雛祭り・端午の節句は、バレンタインとホワイトデーに敗れた。
この例えの意味、比較した意味も伝わるのではないか。
知っている人のほうが少ないのではないか?
バレンタインだって、クリスマスだって、
その起源など知らず、なんでも楽しむのが日本人の国民性なのだろう。
ハロウィン、あるいは、ハロウィーン(英: Halloween または Hallowe’en)とは、毎年10月31日に行われる、古代ケルト人が起源と考えられている祭りのこと。もともとは秋の収穫を祝い、悪霊などを追い出す宗教的な意味合いのある行事であったが、現代では特にアメリカ合衆国で民間行事として定着し、祝祭本来の宗教的な意味合いはほとんどなくなっている。カボチャの中身をくりぬいて「ジャック・オー・ランタン」を作って飾ったり、子どもたちが魔女やお化けに仮装して近くの家々を訪れてお菓子をもらったりする風習などがある。
>ケルト人が自然崇拝からケルト系キリスト教を経てカトリックへと改宗する過程でケルトの収穫祭に合わせてカトリック教会が諸聖人の日を11月1日に設定したとされている
よその国の、新嘗祭のようなものか?
(新嘗祭は、日本の収穫祭です。)
ケルト人もびっくりである。
日本に置き換えれば、アメリカ人が「NIINAMEふぇすてぃばーる!」と言いながら、「提灯をもって仮装」して、「和菓子もしくは折檻」と叫ぶようなものか。
意味がわからない。
私は、天長節の記憶が、ほとんどない。
だから、どう祝っていいか、感じていいかわからない。
20年後、30年後、雛祭り・端午の節句を知らぬ子供も出てくるのだろう。
それを知る「私たち」しか、伝えることはできぬし、感じることはできぬし、守ることはできない。
憂うだけでは、これからの日本人に笑われる。
憂うだけでは、頼りない。
いまを生きる日本人しか、できにこともあるはずだ。
なぜ、保守の伝統行事が廃れていくのか。
はっきり言う、楽しくないからだ。
「人造」文化は、メディアの大きなクローズアップもある、ドラマで素敵なエピソードにされている場合もある。
そうやって浸透していく。
だが、結果として「楽しそう」なのだ。
やりたいと思ってしまうのだ、参加者は。
一旦、「スポンサーの意向」や「保守側の意向」は捨てて頂きたい。
参加する者は、どちらが楽しいか。
必要性からのみ催事を論じることは難しく、
そこに楽しい記憶とエピソードがあって初めて、祭りとして成立する。
あの日の縁日がそうであったように。
私は理系で、ややドライすぎる考え方をする。
ただし、縁日の屋台で食べた、白くて甘いものは、
砂糖を熱して液化させたのち、回転運動をもって遠心力により射出され、
細い糸状になった糖分を、割り箸等の棒状のもので巻き取ったものではない。
それぐらいはわかる。
綿菓子は、綿菓子で、あの日、あの場所で食べたからおいしいのだ。
そこには思い出が、共に在るからだ。
ハロウィーンを楽しむ若者は、楽しげである。
羽目を外し過ぎ、迷惑にすらなり、警察まで出動するレベル。
これを単に批判することは容易だが、それだけでは頼りないと思う。
私は、あの光景を見て、羨ましいと思ってしまった。
もし、保守が復活を望む伝統行事が、あの光景であったならば、と。
怒号と政治主張の中、大量の日の丸がたなびく光景ではなく
人々の笑顔と共に、それがあったのならば、と。
ハロウィーンに思う。
私たちに足りぬものは何か。
笑顔と、エピソード、記憶である。
一歩、前に出る勇気。
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コメント (頂いたご意見は、他SNSに比較し最優先で目を通しております。)
ずっとROMの、多分保守系です。
>なぜ、保守の伝統行事が廃れていくのか。
>はっきり言う、楽しくないからだ。
保守必須の伝統行事は古来生活の節目の祈りと祝としてささやかに続いてきたと思います。
それが今日、いわゆる資本、企業によって豪華絢爛に生まれ変わり、
それがために家計を圧迫する悪癖のようなことにされています。(残念です)
例えばたかが元服(成人式)だって、二度と着ない和服正装の準備が必要です。
これが嫌なヤンキーたちが成人式のぶち壊しをする軽犯罪に走ろうとします。
情報網(テレビ)が生んだ社会現象ですね。その典型が渋谷のハロウィンですね。
>情報網(テレビ)が生んだ社会現象ですね。その典型が渋谷のハロウィンですね。
まあ、GHQ(WIGP)と電痛がダッグを組んだ一億総白痴化(小坪先生のここではNGならないかも)・総愚民化計画でしょうからね・・・・・(林檎印の携帯端末他も愚民化には相当役立って居るようだけど)