静かな慰霊を実現する、知られざる現場の努力と双方の配慮。あれから一年、様々な一年、それぞれの一年。

ブログ

 

 

ネット上の騒動という見立てもあった。BlogやTwitterなどを見ればそう感じるのかもしれない。
献花台付近において、参政党の奈良支部が街頭活動の告知を行った。私も抗議めいた投稿は行ったが、のち削除した。参政党所属の国会議員である神谷宗平(参政党事務局長)に電話をかけ、「静かなる祈りへの協力」について要請したところ、神谷氏の判断において中止の判断が即時になされたからだ。

これは参政党を攻撃したり抗議したりする等の意味合いはない。お譲り頂いたという感謝、そしてお詫びの言葉が奈良の議員から公式にあった。実は多数の企画がリアルでもあり、それぞれを一本化すべく調整がなされていた。高圧的なものではなく、ただ伏してのお願い。

一般の方をお迎えしての、慰霊の場をお迎えすることがどれほど大変かおわかりだろうか。様々な署名活動をしたいという声もあったようだ、禁じることはできないけれども、静かなる祈りという思いからお願いにお願いを重ね、双方の配慮のもとに純粋に献花のみという形に取りまとめて行く。

「ネットに情報がない!」という方もいるが、どうやって公開しろというのか。私は県外の部外者だから全ては網羅していないけれども、中には過激な発言をしたい保守団体だってあるし、例えば右翼系の街宣車が来ることも想定はされるべきだろう。個々に自由があり、それは憲法で保障されるべきこと。調整中の事案を公開すれば、事態の収拾どころかマイナスにしかならない。政治家が公式に言い始めるときは、「もはや調整不能、無理だ!」とさじを投げたとき。ちなみに撤回はなされない、基本的に。

仮に静かな場が崩れたとして、そういう事態が生じたとして、献花に並ばれる方は「なんだかなぁ」と言えば済む、思えば済む。もしくはネット上で罵詈雑言を垂れ流せば発散もできよう。しかし、迎える側はそうではない。主催側はそうではないのだ。無理に無理を重ね、我慢に我慢を重ね、調整の結果として静かなる慰霊、祈りの場を守り抜く。そこには沈黙の戦いがある。名も知られぬ地方議員たちの戦いがそこにはある。彼等の多くは、結果としてほとんどネットツールを使っていない。理由は考えれば分かると思う。

政治における「調整」とは、怒鳴り倒したり喧嘩をしたり等ではない。ネット上はテキストの世界ゆえ、激しいワードで華美に見せかけ、フォロワー(オーディエンス)を沸かせたほうが勝ちみたいな空気がある。私は詳しくはないけれども、ラップバトルみたいなやり方だ。リアルでは、面罵するような発言を双方が繰り返したところで、まとまる話もまとまらないことは言うまでもない。では「調整」とは何か、単に拝み倒す、伏して伏してのお願い。コロナ禍の緊急事態で揶揄もされたし私も批判はしたけれども、全ては要請ベース以外しかない。お願いしか、武器はない。あとは丸腰。

調整コスト。
もはや現場は疲弊。前述の参政党の行動だが、ネット上では罵詈雑言が並んだ。気持ちは分かる。私も批判はした。憲法上は許されることなのだろうけれど、人の家の法事の前で宣伝活動をワイワイすれば、同じく応分の批判を浴びることは許容すべきだ、と。双方の妥結点を見出す、要請ベースでの頭を下げ続ける行為を「調整」と呼ぶ。泥臭く、地味で誰からも知られず、成功裏に終わった際には表にも出ない。ニュースバリューもゼロで、まるで空気のように存在すら知覚されぬものの中に彼らの功績はある。

参政党の地域支部を総攻撃し、罵倒し、現実は変わったとお思いか?
私は、ただ調整を行った。ネットの力を否定しているわけではない、また文句を言うなと言っているわけでもない。意見があるなら出せばいい。だが有効な場面とそうではない場面があるということは、一応は現実の政治家として言わせて頂く。今回は政治家同士の話において、平和裏にことを納めた。相手が聞く耳を持ち、双方の主張のもと、新幹線での移動時、わずか1~2分の協議で整ったのだ。罵倒一辺倒でこの結果は得られたろうか?

問いたい。
罵声の応酬、その結果、何か進むのだろうか、産むのだろうか。
事情を伝え、神谷宗平氏は即時に動いた。奈良の現場事務局(某衆議院議員の事務所)に参政党事務局長としての判断だと公式に伝えて良いかを問い、快諾を得てのちは現場の混乱抑止に奔走した。私も、です。本来は奈良がやるべきことなのだけれども、手が足りない。余力がないことは火を見るよりも明らかで、ならばかりに負担を押し付けることは避けたい。敢えて事例として紹介はしたが、参政党の中枢は、話せるだけの常識があったことを私は評価したい。静かなる祈りを場を守るべく、どういう調整がなされているかを伝え、即時に事態収拾に走ったのだから。私は、元地方議員であり(そして自民から出馬したこともある)神谷氏に感謝しているし、結果として政党活動を抑止された参政党奈良に対してはお詫びの思いもある。

それでも全てが網羅されているかなんて、誰にも分からない。分かりはしないのだ。
いまだ奈良の責任を問う者もいる。気持ちは分かる。むしろ奈良側のほうが、彼らを責めたい者の気持ちを誰よりも分かっている。ゆえに耐えた、しこたま戦ってきた。口に出せぬ苦労の連続だった。あれから一年、一周忌。

奈良にとっても長い長い一年だった。
私は、奈良に行きたいと願った。

我が国の歴史に残る指導者を失ってから一年、
この一年をどう過ごしたか、どう振る舞ったかで物事の真贋が見えてきたように思う。

黙してなお歩みを止めなかった方たちに、どうかお天道様が微笑みますように。

 

 

 

↓読み進む前に、クリック支援お願いします。↓
↓記事が気に入ったらFBのイイネ・ツイート等もお願いします。↓

 にほんブログ村 政治ブログへ
バナーが表示されない方は、こちらをクリック願いします。(同じものです。)

不定期発信にはなりますが、チャンネル登録をお願いします。

 

 

 

 

安倍元総理を喪ってから一年

その死の真相に心を捕らわれる者もいる。仕方のないことだ。
私もその一人ではあり、無論、気にはなっている。とはいえ立法職としては、行政権である警察の動きに先んじて何かを述べることはしない。目撃者が現場にいた方は、その多くが国会議員であったり地方議員であったりした。警察の聴取もあろう、彼らが黙する以上は(捜査を優先する以上は)私が何かを言及することは慎みたい。

さて、それ以外の過ごし方もある。
私は異なる生き方がしたかった。

例えば拉致問題、誰しもが泣き崩れる中、私だってそうはしたかったけれども、
打ちひしがれる家族会や救う会の面々を見て、せめて寄り添いたいという思い、「誰かの勇気になりたくて」を合言葉にバッジ着用活動を開始、共同声明に名を連ねた議員は1800議席を超えた。一から自分で企画して作りあげた。

酷い例えだと怒られるかもしれないが、大将が討ち取られてさ、二等兵が泣きわめいて武器を投げ捨ててどうするのだろう。
そういうときこそ、即時に臨戦態勢をとり、防御陣地を組まねばならない。本当はさ、私だって泣き叫びたいけれどね、けれどね、もっと辛いであろう家族会や救う会を思うとさ、「いま立っておくことが私の使命だ」と感じてしまったんだもの。無理は、した。

 

悼む気持ちは誰しも同じ。
様々な表現、様々な心の発露もあるだろう。

その上で、私は立ち続ける道を選んだ。
安倍元総理がご存命であったならば、実際に進めてきた政策を一つでも守ること。
全部をやることは無理だとしても、政治家の本当の死とは掲げた政策が霧散してしまったときだということを噛み締めながら、せめて一つでも守り切るという覚悟をもって立った。立った、そして歩みを進めた。

 

 

 

それぞれの一年、さまざまな一年

なかにはビジネスのネタのように扱う人々もいた。
それはそれでいい、需要もあるのだろう、求める人がいるから成立したビジネスだ。
ちょっと過去形で書いてみたけれど、実際に過去形になる。この一年のような、そういう哀悼特集が、恒常的な商業になることはなくなっていく。少しお腹いっぱいだし。

悲しみと苦しみから脱しえない人もいた。一年に渡り。
気持ちは分かる、本当は私も近い立場だから。無理はしてる、いまも。
けれど、噛み締めつつ立ち上がった者もいた。これは早い遅いの違いだけで、本質は同じなのだと思う。癒えぬ悲しみはあるが、時が心を軽くしてくれることを祈る。そして前を向くことを祈る。

罵声と怒号の世界に染まった一年、そういう方もいた。
元から政治を不満表現の、ルサンチマン的な手法で捉えていた層もあるのだろう。単に悪口を言いたいとか井戸端会議的な部分、うまく行かぬ現実を前にその不満を安倍元総理に投射していたのだろう。ここは元から罵詈雑言系ゆえ、ファンであったことは事実だとして、戻れない人もいるのかもしれない。悪口の言い合いがただ楽しいという人、そういう一年を過ごした人もいる。

諦めの一年だった人もいる。
現政権に思うところがある人はいよう、私ももの申したいところは多々ある。謎の法案も通った。政治に対してストレスを感じている人もいることと思う。私自身が政治家だから笑うかもしれないけれど、前線に在る私たちだからこそ、より強い疑問ももった。どうにもならない、諦観に取りつかれてしまった人もいる。この部分は政治家の端くれとして私どもも責任はあると思う、希望がない。示せていない。ただ両論併記で述べておきたいが、実現不可能なハードルを勝手に保守媒体がぶち上げ、無理な期待を現実に押し着せていることにも異議は述べておきたい。実際、保守媒体がお祭り化して成功裏に終わったことはほとんどないのだから。
(※ この10年の私のBlogのほうが遥かに成果も実績もあげていると思う。)

自責の念にとらわれた一年を過ごした者もいる。
一睡もできぬ夜を過ごした者もいる。ただ耐え、耐えながらも一歩を踏み出し続けた者もいる。

 

様々な一年があった。
それぞれの一年があった。
人の数だけ、異なる一年があったと思う。

奈良でも一年が経った。

 

 

 

奈良の一年

大変だったと思う。
敢えて県外から述べておきたけれども、突然に生じた凄惨な現実の前、ただ立ち尽くすのみ。
極めて辛い思いをした現場、塩を塗り込む犯人説。なんら反論することすら許されぬ自責。
大混乱に陥った県連組織、新たなる県連会長。県知事選の混乱、政党間の対立。同じ自民党内でさえも。

それでも、せめてもの責任として進めた慰霊碑建立、献花台の設置。
頭をさげ調整に調整を重ねての、まるで耐えるという戦いでもあった。

 

基本的に、やることは何もないよ。
私にできることはない。

ただ寄り添うぐらい、それだけ。
それが誰かの勇気になるならば、傍に立ちたいと思ったんだ。(松葉杖だけど。)

 

意外に思うかもだけど、小坪後援会というのは全国ネットワークで、統一地方選の動き方を見ていたら分かると思う。
単に公共交通機関の乗り継ぎでは、絶対に間に合わないと言う日程をこなしているわけで、A駅からB駅まで電車、そこから車両で目的地に、C駅で切り離してという連続。レンタカーなどでは無理なわけで、各地で車両の切り離しが発生する以上は、かなり広範囲に車両手配をしてくれる同志が点在しているということ。

県議クラスよりも巨大な後援会組織になっており、広さで言えば全国比例の支部長に似ている。

 

・・・というわけで、車椅子も現地ですでに借りている。
奈良の現場側には一切の負担は生じさせていない。すべて自己手配できる状態じゃないと、援護なんてできないからね。
無理はしたけど。いや正確には無理なお願いを支援者たちにはしてしまったけど。

(ここまでの移動も、新幹線以外は全部車。いまの状態では指定席以外は難しいもの。)
(仕事を終えて、疲れた体で夜通し長距離を駆けてくれる仲間たちがいるから、ここにいる。)

 

 

たぶんBlogを見ている方は、もしくはネット上の喧騒を見ている人らは、
ネット上の事象しか見えないと思う。それを揶揄しているのではなく、静かなる戦いを耐えてきた者たちの覚悟をいつか知って欲しいと思った。

ぎりぎりの、限界まで耐えた者たちの、侍たちの思い。
「静かなる祈り」に込められた覚悟、そういう人たちがいるから献花台は設置できるんだと思う。

 

この一年、振り返って欲しい。
貴方の一年もだし、周囲の一年も評価して見て欲しい。

言うだけで終わったもの、騒ぐだけであったもの、
思いはあるのだろうけれども、実務や実態を伴わなかったもの。

はっきり言えば、本物と偽物がはっきりわかった一年であったとも思う。
まだ胸を張ることはできないけれど、私は「やる」と宣言して、実際にやった一年だったという自負はある。

イミテーションにはさ、なりたくなかったんだ。
どんなにつらくても、しんどい日があっても、本物でいたかった。

あれから一年が経過した。
一年が経ったんだ。それぞれが一年を総括するため、その場を奈良の者たちが守る。
私はそのことを誇りに思いたい。

 

 

一歩、前に出る勇気。
↓応援クリックお願いします。↓

にほんブログ村 政治ブログ 政治家(市区町村)へ
にほんブログ村

バナーが表示されない方は、こちらをクリック願いします。(同じものです。)

【支援要請】戦うための、武器をください。

 

不定期発信にはなりますが、チャンネル登録をお願いします。

 

 

ウイグル応援グッズ

 

コメント (頂いたご意見は、他SNSに比較し最優先で目を通しております。)

  1. 波那 より:

    山上が駆り立てられ、山上に吹き込まれた被害者妄想で安倍さんは、あんな惨い殺され方で果てられました。安倍さん亡き日本とは、こんな国だったのかと数々の人の醜さを見せつけられ続けた一年でした。暗殺された現場での慰霊碑建立の議論や妨害のスッタモンダをよそに高市先生ならではの流石なお計らいで「留魂碑」として慰霊碑が奈良市の三笠霊園内に建立されたと知って去年出た記事を思い出しました。碑の中央には、安倍さんが生前よく好んで揮毫した「不動心」の文字が、安倍さんの筆致で刻まれているそうです。

    🔻安倍流「留魂録」を恐れる中国/中国要人たちの胸元に鋭く刻まれたのは、昭恵夫人が葬儀の際に述べた挨拶/本人なりの春夏秋冬。種をいっぱいまいているので、それが芽吹く…
    http://totalnewsjp.com/2022/07/29/abe-109/

    凶弾に倒れた安倍晋三元首相に対する数ある論評の中で、中国要人たちの胸元に鋭く刻まれたのは、昭恵夫人が葬儀の際に述べた挨拶だったかもしれない。

    「政治家としてやり残したことはたくさんあったと思うが、本人なりの春夏秋冬を過ごして、最後、冬を迎えた。種をいっぱいまいているので、それが芽吹くことでしょう」

    この一節は、元首相が尊敬していた幕末の志士、吉田松陰の事績を咀嚼(そしゃく)したオマージュである。同郷の偉人である松陰は、獄中で処刑を覚悟し、松下村塾の門弟に向けて『留魂録』を遺(のこ)していた。

    前を向くようにと教えてくれた/昭恵夫人の告別式挨拶「本人なりの春夏秋冬を過ごし最後の冬を迎えた」昭恵夫人は安倍元総理の故郷、長州の偉人である松陰の『留魂録』からこの言葉を引用したと思います。

    ご承知のとおり吉田松陰は自らの意思や寿命ではなく、安政の大獄という弾圧によって命を奪われました。(享年29歳)

    『留魂録』とは吉田松陰が、1859年(安政6年)に処刑前に獄中で松下村塾の門弟のために著した遺書です。

    この遺書は松下村塾門下生のあいだでまわし読みされ、松門の志士達の行動力の源泉となりました。

    留魂録の名は、松陰の辞世の句「身はたとひ、武蔵の野辺に朽ちぬとも、留め置かまし大和魂」からとったものです。

    この留魂録の中で白眉とも呼ばれる部分が、「今日死を決するの安心は四時の循環に於いて得る所あり」から始まる、「松陰の死生観」を書いた部分です。

    訳:(今日死を決するの安心は四時の循環に於いて得る所あり)今日、私が死を目前にして平安な心境でいられるのは、春夏秋冬の四季の循環ということを考えたからです。

    つまり農事の四季を見ると、春に種をまき、夏に苗を植え、秋に刈り取り、冬それを蔵に入れます。秋や冬になると、人は皆その年働いて実った収穫を喜び、酒などを造って、村は歓声にあふれます。

    未だかつて、秋の収穫の時期に、その年の労働が終わるのを哀しむということは、聞いたことがありません。

    私は三十歳で生を終わろうとしています。いまだに一つも事を成し遂げることなく死ぬことは、穀物が未だに穂も出せず、実もつけず枯れていくのにも似ており、惜しむべきことかもしれません。

    けれども私自身について言えば、これはまた、穂を出し実りを迎えた時であり、何を哀しむことがありましょうか。

    何故なら人の寿命には定まりがなく、農事が必ず決まった四季をめぐっていとなまれるようなものではないからです。

    しかしながら、人間にもそれにふさわしい春夏秋冬があるといえるでしょう。

    十歳にして死ぬ者は、その十歳の中におのずからの四季があります。二十歳には二十歳の中におのずからの四季があり、三十歳には三十歳の中におのずからの四季があり、五十歳や百歳にも、その中におのずからの四季があります。

    十歳をもって短いとするのは、夏蝉を長寿の霊椿(何百年も生きる大木)にしようとするようなものです。百歳をもって長いとするのは、霊椿を夏蝉にしようとするようなものです。それはどちらも、寿命に達することにはなりません。

    私は三十歳、四季は己に備わり、また穂を出し、実りを迎えましたが、それが中身の詰まっていないモミガラなのか、成熟した粟の実であるなのか、私の知るところではありません。

    もし、同志の諸君の中に、私のささやかな真心に応え、それを継ごうという者がいるのなら、それは私のまいた種が絶えずにまた実りを迎えることであって、収穫のあった年にも恥じないものになるでしょう。同志の皆さん、このことをよく考えてください。(同志其れ是れを考思せよ)[留魂録 古川薫訳 徳間書店]
    ……………

    高市早苗政調会長「言い表せないほどの怒りを覚えている。本当に偉大な、偉大な国家観を持った政治家でいらした。安倍元首相の思いをしっかりと受け継いで、歩み続けていく。それを持って恩返ししたい」

    福田達夫総務会長「安倍元首相が何をしようとしていたかをもう一度見直して、しっかり継ぐべきものを継いで行くということだ」

    「安倍さん、安らかに眠って下さい」とは、まだ言えない。安倍総理が見ていた日本を一緒に見たかった。だから自民党を支持していました。

    • 波那 より:

      高市早苗@takaichi_sanae
      安倍晋三元総理の御命日まで1週間となった今日、奈良市内に設置した「留魂碑」の除幕式を挙行しました。発起人代表として挨拶をさせて頂く中で、吉田松陰先生の辞世の句の最後「留め置かまし大和魂」に触れました。安倍元総理も、日本人として日本を想う魂はこの世に置いていかれましたもの…。
      午後2:46 · 2023年7月1日

      高市早苗@takaichi_sanae
      奈良市の三笠霊園内に建立された安倍元総理の「留魂碑」は、7月3日㈪からは、8時~17時の間で皆様に自由にお参り頂けるようになります。
      午後2:49 · 2023年7月1日

      Pure Crystal905@PureCrystal905
      返信先: @takaichi_sanaeさん
      高市早苗大臣
      一周忌に間に合って良かったです
      慰霊碑の「留魂碑」
      深い言葉ですね
      安倍晋三元総理の名誉を回復し
      未来永劫まで歴史に名前が残りますように
      日本の国民のひとりとして
      ご尽力に感謝申し上げます
      午後3:24 · 2023年7月1日

  2. 加藤義浩 より:

    小坪先生、いつもありがとうございます。
    立憲狂惨唐を中心に、反日勢力がいまだに跋扈していますね。
    長いようで短かったこの1年。
    安倍総理の志を受け継いでいきます。

  3. JL より:

    国葬であれだけ一般人が献花に並んだ事があったろうか。
    一人一人の中に自分だけの安倍さんが居るんだなぁと思いました。

    いつか、あの場所にも安倍さんの生きた証が残されるだろうと思うけれど、
    それは静かな眠りを妨げるものであってはならないと思う。

    政治家として常に戦い、私人としても病気と戦い。
    なされたこともなされなかったことも、私たちが貰ったものと、宿題も。
    今度は私たちが考え、行動して。

    今日より明日が少しでもいい国であります様に。
    それが安倍さんへの恩返しだと思う。

  4. 神無月 より:

    時の流れは早いものですね。

    この一年間の昭恵夫人のお気持ち想いますと、辛くなります。

    銃撃の真相は闇の中に葬られる事は目に見えていました。
    取り出した銃弾を紛失との有り得ない発表で、個人的には「やっぱり・・・」です。

    小坪市議のブログに接していなけれな、今頃は政治に無関心だったかも知れません。

    事件は、なんとなくケネディ家の日本版のように感じますし、政権の方々の地に足が着かない状況も理由が有るのでしょう。

    世界を変えたい方々の活動も露骨になっていますので、少数の声を拾いこぼさぬように努めませんと、トンデモナイ所に連れて行かれそうです。

    黙祷
    .

    • 櫻盛居士 より:

      一応、現場で対応した方々の為に記しておきますが、初動対応したのは救急救命の医師です。
      証拠保全は二の次で、兎に角救命に全力を尽くすのが使命です。
      遺体として搬送されて居たのであれば、いきなり司法解剖として執刀されますが、あの事件では飽く迄も救命執刀でした。

      憶測や妄想の自由はありますが、余りにも過ぎると、当時救命に尽力された医療関係者を傷付ける行為に繋がると言う点にも配慮頂きたいものです。
      この辺りはこの一年間、このブログで奈良県の政治家叩きが、如何に心無い行為であるかを再三に亘り採り上げられて来た筈です。
      その叩きの対象が医療関係者なら良いとも書いて無かった筈です。
      「医療関係者を叩く意図は無い」とは思いますが、間接的に叩きに繋がって居る事実にも、配慮頂きたいものです。

    • アンチレッド より:

      横からですが。
      櫻盛居士さん
      貴方のコメントこそが医療関係者を冒涜してますよ。

      医療廃棄物とは?細かな分類や処理方法の注意点について解説
      https://www.e-reverse.com/blog/law049/
      より抜粋引用
      医療廃棄物には、産業廃棄物と一般廃棄物の分類に加えて、「感染性廃棄物」、「非感染性廃棄物」の区分も存在します。
      感染性廃棄物か非感染性廃棄物かの区別は、「形状」「排出場所」「感染症の種類」の3つの観点から判断されます。
      まず、医療廃棄物の形状が下記より、一つでも該当するものがあれば感染性廃棄物となります。

      血液、血清、血しょう及び体液
      臓器や皮膚などの病理廃棄物
      病原微生物に関する試験や検査等で用いた器具
      メスや破損したガラスくずなど、血液等が付いた鋭利なもの

      形状が医療廃棄物に該当しない場合でも、次に排出場所を確認する必要があります。
      具体的には、排出場所が「感染症病床、結核病床、手術室、緊急外来室、集中治療室及び検査室で使用されたもの」かどうかを確認する必要があります。
      例え形状で該当していなくても、この排出場所に該当している場合は感染性廃棄物として扱われます。

      医療廃棄物の保管
      医療廃棄物、特に危険な感染性廃棄物に関しては、委託業者に引き取ってもらうまでの期間の保管法についても、以下のような細かな規定が定められています。

      腐敗する可能性の感染性廃棄物を保管する場合は、密閉したり冷蔵庫に入れたりして、腐敗しないようにする
      飛散や流出、地下浸透や悪臭発散が生じないよう、必要な設備や措置を用意する
      周囲に囲いが設けられ、取扱注意の表示がある場所で保管する
      関係者以外が簡単に立ち入ることができない場所で保管する
      ねずみや蚊、ハエなどの害虫が発生しないようにする
      感染性廃棄物とそれ以外の廃棄物が混ざらないよう、必要な設備や措置を用意する
      以上抜粋引用

      医療機関が以上のことを順守していれば、たとえ救急医療であれ、体内にあった銃弾を紛失することなどありえません。

      • 櫻盛居士 より:

        先ず大前提として、弾丸を紛失したタイミングは明白に成っていましたでしょうか?

        救命オペレーション中に紛失したのが明白になって居り、且つ「救命オペレーションだから、医療廃棄物の扱いが杜撰であっても仕方がない」と申したのであれば、御指摘の旨は筋が通るとは考えます。

        前コメントの趣旨は、弾丸を紛失したタイミングも不明のままに、闇雲に弾丸が行方不明である事実だけで、憶測や妄想で陰謀論じみた話を流布する事が、どの様な圧力になるかも配慮する事をお勧めしたまでです。

        この辺りは、木だけではなく森も見ていれば、医療廃棄物関連の規定をわざわざ持出して貴方のコメントこそが医療関係者を冒涜してますよ。なんて批評は出来なかったのではないでしょうか。
        然し乍ら、こんな基本的な話の流れも読めなかったのは、医療関係者の冒涜と言う事にして、他の目的を秘めてらっしゃったからではないでしょうか。

      • アンチレッド より:

        櫻盛居士さん
        救急救命中に医療関係者が紛失したことにしたのは貴方でしょう(笑)。

        貴方の前のコメント
        >現場で対応した方々の為に記しておきますが、初動対応したのは救急救命の医師です。
        証拠保全は二の次で、兎に角救命に全力を尽くすのが使命です。
        >憶測や妄想の自由はありますが、余りにも過ぎると、当時救命に尽力された医療関係者を傷付ける行為に繋がると言う点にも配慮頂きたいものです。

        改めて確認しますが、神無月さんのコメントのどこが憶測や妄想で、どこが医療関係者を傷付ける行為に繋がるのか、教えて下さい。

        • 櫻盛居士 より:

          再度、木を見て森を見ずの状況になられて居られます。
          最初からコメントをお読みになられるのが宜しいかと。

        • アンチレッド より:

          櫻盛居士さん
          何が木で何が森なんでしょうか?(笑)。
          これぐらい答えられるでしょう?

          • 櫻盛居士 より:

            一応、ここはオープンな場ですので、第三者の目も意識為された方が良いかと思います。
            当方は最初からコメントをお読みになられるのが宜しいかと。と、コメント致しましたので、「読み返した結果、◯◯を木、□□を森と認識して居るが、齟齬は無いか?」と言った様な返しをしないと、まるでアンチレッド様に理解力が無いかの様な印象を与えるのではないでしょうか。

            当方と致しましても、読み返されれば全てとは言わずとも、大方は理解出来る相手だと期待して、最初からコメントをお読みになられるのが宜しいかと。とコメントさせて頂いたのですから。

            然し乍ら

            何が木で何が森なんでしょうか?(笑)。
            これぐらい答えられるでしょう?

            などと言う返しをされると、まるでアンチレッド様に理解力が無いかの如く感じるか、只難癖を付けて息詰まった結果、悪態をついて居るかの様に、自ら印象付けしてしまう事でしょう。
            特にここにお集まりの皆様は、あらゆるサイトから情報収集され目が肥えてらっしゃいますから、この様な返しは「どこかで見た返しのパターン」と感じても不思議では無いでしょう。

            最初にコメント為された神無月様が以降沈黙して居るのは、ここは流石と言うべきか再三に亘り本文で訴えられて来た事と照らし合わせて行間をお読みになられたからだと推察して居ります。

            それでも、このまま御説明差上げた方が良いのでしょうか?

          • アンチレッド より:

            櫻盛居士さん
            >それでも、このまま御説明差上げた方が良いのでしょうか?

            どうぞ説明してください。
            神無月さんのコメントのどこがどうだめなのか、コメント箇所を示して説明してください。

    • 神無月 より:

      櫻盛居士さん、アンチレッドさん、拙コメントが切っ掛けでスミマセン。

      銃撃が事件なのか陰謀なのかは、今の所、定かでは有りませんが、事件で命を奪われたとしたならば、悔しすぎる気持ちが有り、陰謀に傾いた見方になってしまうことはお許しください。

      銃弾の件ですが、当時、紛失と聞いた記憶が有り、そのままの表現で書きましたが、改めて検索しますと、当時の青山繁晴議員の話ですが、致命傷となった弾丸は盲管銃創ですので体内に残っているはずだが、救命処置をされた教授と警察の発表では見つからなかったと。

      手製の銃は一度に6発の丸い玉(直径1cm弱)を発射出来る2連の造りとか。
      弾丸のイメージとしては、パチンコ玉位のサイズですが、重要な物証ですので、無かったのは何故?

      消える弾丸で検索しますと、ガリウム弾丸なる物が有り、血液に触れると溶けるそうです。
      溶けても成分は残りますので、分析すれば痕跡は見つかりますが、大量の輸血を行えば成分が薄められてしまい判別は難しくなるようです。

      事件が一年過ぎても、当時とそれほど変わらぬ状況?に、今だに浮かばれないとの気持ちが続いている次第です。

      あと、議員さんや救命に尽力された方々への疑惑の念は一切有りません。
      大変なる御苦労をされたと思います。

      また、真相を冷静に究明しようとされる方々の、悔しいお気持ちも理解できます。

      木を見て森を見て、更に地球を見る事が出来ればよいのですが、それが出来る偉大な方が消えてしまいました・・・

      PS、仕事が週末も忙しく、オマケに軽い熱中症気味でしたので、コメントが滞りましたこと付け加えさせていただきます。
      .

      • アンチレッド より:

        神無月さん
        一連の投稿は、神無月さんのコメントに「間接的に(医療関係者)叩きに繋がって居る事実」などと、訳の分からない言いがかりとか嫌がらせとしか思えないレスがされているのを見て、同じく「陰謀論」といわれるコメントをする人間として他人事とは思えず反応したという感じです。
        もしかして委縮されてコメントされなくなったかと思いましたが、そうではないようで安心しました。
        出来るだけ手短かにするように心がけていますが、必殺論点ずらし攻撃を受けてしまい、なかなか話が進みません(笑)。
        ですがようやく「間接的に(医療関係者)叩きに繋がって居る事実」の箇所と説明がなされるところまでたどり着きました。
        とりあえず座して待つのみです。

        • 神無月 より:

          アンチレッドさん、どうもです。

          私の文章力、表現力に問題が有りますので、解釈のズレや行き違いがある事は、仕方がないと思っています。
          特に日本語は、世界から見れば難しいそうで、主語の無い会話が成立する不思議な言語なのだそうです。

          会話で有れば、互いに察しられますが、文字になりますと受け止め方はそれぞれに違いますし、違いを無くそうと思えば、文字数(表現、説明)は増えるわけです。

          なるべく短い表現で、的を得た気持ちを書き表そうと思っていますが、時には表現が雑になり、誤解を受ける事も仕方がないと思っています。

          人間だものと云えばそれまでですが、小坪市議のブログは公的なお役目も担っていますので、感情的なコメントは気をつけようと思います。

          アンチレッドさんも櫻盛居士さんもそのほかの皆さんも、祖国を想い憂う気持ちは同じだと思います。
          この場に集う事も、何かの御縁と思えば、小坪市議の助けに少しでもなれるよう努める事も大切と思います。

          せっかく、世界の人達が憧れる日本に生まれたのですから、その責務は私達一人ひとり有ると思います。
          大きな事は出来ませんが、道に落ちているゴミを拾うだけでも良いと思っています。

          一年後は三回忌ですね。
          それ迄に真相が解ればよいのですが・・・
          .

      • 櫻盛居士 より:

        先ず、お身体の御加減は如何でしょうか。
        しっかりと養生なさって、呉々も御自愛下さい。
         
         
         
        扨て、以前小生が記しました趣旨は、決して「推論を立てるな」と申上げて居るのではありません。
        推論は推論の範疇にある限りに於いては、一向に構いません。
        ですが、推論が陰謀論に図らずも化けてしまう場合があります。
        推論が陰謀論に図らずも化けてしまった場合の事も考え、自衛する事をお勧めした迄の事です。

        あのテロ事件で、山上が手製の散弾銃で襲撃した事に関しては、誰もが納得出来る事実です。
        そして、山上の発砲と併せて別のスナイパーが狙撃し、更にその狙撃に用いた弾丸がガリウム弾であると言う説が流布されました。

        この事件の話題で度々登場するガリウム弾ですが、綺麗に体内で溶け去る事を前提とした場合、弾丸はガリウム単体である必要がありますが、ガリウムは融点が30℃弱と、液化する温度が非常に低い金属です。
        この時点で普通は、ほぼ中学校の理科レベルの解釈で「そんなもん使えるのか?」と疑問を持つ筈です。

        先ず技術面で考察した場合、山上から更に離れた距離からの狙撃を確実なものにする為には、ライフル銃が不可欠であると考えて良いでしょう。
        当然、観測手も必要です。

        更に科学的視点でも考察してみます。
        現代銃の火薬燃焼ガスの温度は1000℃を超えます。
        更にライフルは発射する弾丸に回転を加える事で命中精度を一定にする為に、銃身内部にライフリングと言う溝が螺旋状に切ってあります。
        銃の弾丸は装填する銃のライフリングの山より大きく、ライフリングの谷と同程度の口径の物を使用し、膨張する火薬燃焼ガスで強引に弾丸を押出しつつ射出します。
        この際、弾丸側面は銃身のライフリングによって、ネジ山の様な溝が切られます。
        つまり、秒速約300m以上の高速で弾丸と銃身が擦り合わされる形と成り、それだけでも相当な摩擦熱を生じます。
        弾丸と銃身が擦り合わされる事で生じる摩擦熱に併せて、1000℃を超える火薬ガスに曝された弾丸が、融点30℃弱の金属であった場合、原型を保ってターゲット迄飛翔する事は先ず不可能です。

        仮にライフリングの切って居無い散弾銃の様な銃身であっても、弾丸に推力を与える為には、弾丸と銃身の間には一定の気密性が必要ですから、摩擦熱を抑える事は不可能です。

        亦た、ライフル銃に用いる火薬は長い銃身から弾丸を確実に押出す為に、比較的燃焼時間の長い遅燃性の火薬が用いられる為、弾丸は長時間熱に曝され続けるのも考慮する必要があります。

        更に銃の特性として銃身内では弾丸が可動式の蓋となる事で、銃口方向への一方通行の推力が働いてますが、銃弾が銃口を離れた途端に圧力が開放され、火薬ガスは銃口の四方八方に飛散・膨張します。
        因みに発砲した際のパンと言う大きな音は、この火薬ガスの急激な膨張による空気の歪が生み出したものです。

        この銃口での火薬ガス膨張を利用したものとして、ドラマや映画等の発砲シーンの撮影があります。
        我が国では銃刀法の関係で行われて居ませんが、発砲シーンの撮影で使用する弾丸に比較的柔らかい木を使うと、発砲しても銃口付近での火薬ガス膨張に伴い木製弾丸が粉砕してしまう為に、迫力あるシーンが撮影可能、且つ弾丸が直ぐ様砕け散るので安全であるとの理由から、この方法が用いられて来ました。
        固体である木ですらこれですから、液状のものとなると、銃口でブヒャッ、ドロっとなって終わってしまう事位は容易に想定出来ます。

        此等を総合的に考慮した場合、ガリウム弾なるものが実用的かと言うと、必然的に否定されるのは当然の事と言えるでしょう。

        ではガリウムが集合体のままターゲットに着弾させる方法を考えた場合、通常弾と同様に銅のメタルジャケットの中に鉛では無く、ガリウムを充填しておく方法が考えられます。
        この場合銅のジャケットが体内に残る為、痕跡を消す事を目的としてガリウムを用いるならば、その目的は果たされませんので、通常弾で事足りる話です。
        更に当日の気温を考慮した際、ガリウム充填メタルジャケット弾を持運ぶ為には、何らかの冷却装置が必要でしょうから、全く何をしたいのか分からない状況に成ってしまいます。

        ですので、ガリウム弾説はファンタジーとしては面白いのですが、「エクスプロージョン!!」と叫び爆裂魔法1撃で仕留める物語みたいなもので、推論としては最初から瓦解してしまって居るのです。

        現在分かって居る事実は、弾丸1発が行方不明であると言う事実だけです。
        体内で溶けてしまったと言う推論も悪くはありませんが、応急処置や搬送中に体外に排出されてしまった、体内に取り残されてしまった等の推論も、もっと考えるべきでしょうが、やはり一番ドラマティックで面白いのはガリウム弾なのでしょう。
        素材に目を向けるのであれば、アルミニウムや真鍮など、他の金属にも目を向ければ良さそうなものですが、それらは耳にしません。
        厚みにもよりますが、アルミニウムなどは強いX線を照射した場合、透過してしまうのでレントゲンに映らない事も考えられるのですが、何故かそれらを語られる事はありません。
        弾丸形状が球である事も考慮して、臓器を避けてどこかに紛れ込み易いと言った初歩的な部分も、余り論じられて居無い様に感じます。

        もっとマシな推論を立てるなら、ドサクサに紛れて毒針で突いたっと言った所でしょうか。
        実際にこの暗殺手法は、傘の先に毒針を仕込んでエスカレーターに乗ったターゲットに後ろから近付き、ターゲットのアキレス腱辺を素早く針で突き、暗殺者は「間違って傘で突いてしまった」とターゲットに対して詫てその場を去り、暗殺を成功させた事例があります。
         
         
        我々保守派の者からすると、現在に至っては日本国憲法第9条など、下手すりゃ戦争を吹っ掛けられ兼ねない、害悪以外の何物でもありませんが、今でも本気で「9条のお陰で太平洋戦争以降、日本は戦争をしなかった」と思い込んで居る人が相当数存在し、それらの人は我々から見れば非常に滑稽な存在として目に映ります。
        確かに停戦後、戦後暫くを通じ、憲法9条は連合国から「謀反の疑いあり」と疑われ無い為の担保として機能して来たのは事実でしょう。
        ですが東西冷戦を期に、次第と連合国側の旧枢軸国への疑いは薄れて、現在では米国が「同盟国なんだから、お前も米国を守ってくれよぅ」と言う雰囲気さえ醸し出して居る状態です。

        では何故、我々の目に「9条のお陰で太平洋戦争以降、日本は戦争をしなかった」と思い込んで居る人達が滑稽に見えるのかと言えば、その「9条のお陰」とやらを論理的に説明し納得させられ無いからです。
        連中の説明で代表的なものは、「武力を持つと狙われるから戦争に成る」と言ったものが挙げられますが、これは「人間はウンコをする為に食事をして生きている」と言う程度の本末転倒な論説で、全く納得に至る内容ではありません。

        ですので、9条を有難がる連中を見て居ると、気狂いカルト宗教の信者の様に見える筈ですし、実際に「9条教」と揶揄されたりもして居ます。

        若し9条が日本の平和を守って来た、そしてそれが今後もそうであると言う推論を立てるのであれば、そう納得するに足る論理的な説明が可能な筈です。
        ですがそれが出来ぬままに、教義だけを押付けて来るので、度々うんざりとさせられる訳です。

        そして9条が我が国を危機に直面させる一因に成る得るのが実態ですから、例え本気で悪気無く「9条は平和維持の為に必須」と思っていようが、そんな教義を流布するのは問題と言えるでしょう。

        可能性の推論として「9条は平和維持の為に必須」と考えてみる事自体は自由ですし問題はありませんが、それを実しやかに事実の様に触回ると問題である訳です。
        そしてこれは、本人は推論に留めて居たとしても、周囲が勝手に実しやかに事実の様に触回ると、結果は同じ事に成ってしまうのです。

        この9条論議と同じ様な事象が、安倍元総理暗殺事件でも見られ、そこを小坪先生も厳しく諌めて来ました。
        その具体例として奈良県連の議員さんへの圧力が挙げられて来ましたが、これは議員さんに限っての事ではありません。
        医療関係者であったり、捜査関係者、選挙活動に参加したボランティア、通りすがりの通行人に至る迄、影響を及ぼし兼ねない事を御配慮頂いた上で、推論は推論でしかない事を明確に前置きする事で、自衛される事をお勧めしたに過ぎません。

        • アンチレッド より:

          横からですが。
          この世界には「物を冷却する」という行為があることを知らないわけではないでしょう。
          液体窒素は-196℃
          液体ヘリウムは-269℃
          ガリウム弾をこれで冷やしておけば温度調整などいくらでもできます。

          • 櫻盛居士 より:

            アンチレッド様が、何と闘っているのか不明ですが、液体窒素や液体ヘリウムで冷却する事で、ミスファイアの可能性や、命中精度を殺すのですか?
            そんなに冷やした弾丸を装填すれば、銃は歪、且つ急激な強制冷却で、下手すりゃ機構が動作不良を起こす可能性が高いですし、そもそも薬室装填時の閉塞不良、装填後ショット迄の待機時間で発生する結露等を考慮すると、そんなリスクを許容して迄、ガリウム弾に拘る射手が居るとすれば、そいつは超越したド・アホです。

            当に、木を見て森を見ずですね。

            因みに、飛翔中の弾丸も空気との摩擦で熱を帯びますからね。

          • アンチレッド より:

            もしかして、「冷却ガリウム弾」、正解だったかな?
            ガリウム弾とか全然考えてなかったけど、ヤブヘビになった?

          • アンチレッド より:

            櫻盛居士さん
            「温度調整などいくらでもできます。」なんですが。
            弾丸部分だけ冷却して適温になったら装填すればいいんじゃないでしょうか?
            銃身を冷却しておくこともできますね。
            事前にいくらでもアジャストできるでしょう。

          • 櫻盛居士 より:

            アンチレッド様

            その適温に調整した後に、1000℃を超える火薬燃焼ガスと、銃身との摩擦熱と、飛翔時の摩擦熱に曝される訳ですから、持ち運びの際に形状を保つ以外のメリットは何も無いですよね。
            それ、意味あると思います?

          • アンチレッド より:

            台所科学実験
            -20℃のっ冷凍室で冷却した金属小スプーンを、ガスレンジの炎約1700℃で約1秒炙ると、温かくなるが余裕で触れる。50℃以下か。
            ということで、
            「ダラスの熱い日」
            1963年11月22日の正午過ぎにダラスで起こったジョン・F・ケネディの暗殺事件を、「アメリカ政府内部の人間達の謀議により複数犯で行われ、それをリー・ハーヴェイ・オズワルドによる単独犯に仕立てようとした」という仮説で描いた陰謀劇。

            何十年後がみ安倍元総理暗殺事件の映画が製作されるとしたら、そのタイトルは
            「通りすがりの冷たい弾丸」
            になるかもしれません。知らんけど(激オコおばちゃん風)

          • 櫻盛居士 より:

            火器は精度を求められます。
            冷やしたスプーンを炙って触って火傷しなかったからと言って、それが何になるのでしょう?
            寒冷地や猛暑地に駐屯する軍などでは、兵器や弾薬の保存方法にも気を遣うのは御存知無い?

            貴方の反論は全てこの調子行き当たりばったりで、木を見て森を見ずなんですよ。

            それは目的が事件の真相に迫る事では無く、只単に相手を言い負かそうとして、全体像が見えなく成って、継ぎ接ぎの攻撃を仕掛けてるからではないでしょうか?
            それも、虚像の敵を想像で作ってまでです。

            小生は貴方の事を保守分断を目論む工作員だとは思って居ませんが、この調子ですと良い様に工作員に使われる事はあるかもなとは感じます。
            理由はこの調子、木を見て森を見ずなので、工作員としては不向きなのです。

            因みに過去には、同じ木を見て森を見ずの調子で、延々と論点をループさせる人が居ましたが、貴方と異なりあからさまに悪意が滲み出て居ましたので、早々にこちらのブログでは出禁にされて居ますね。

            この場では木を見て森を見ずが、余り良い方向に向かいませんでしたが、これは根底の部分がお人好しだから、木を見て森を見ずに成りがちなのだろうとも推察して居ます。
            ワクチンに反対するのも、根底は親切心からなのでしょう。
            そう言った意味では、良い人なのだろうと感じて居ます。

        • 通りすがり より:

          横から通って失礼します。

          新型コロナワクチンについて、
          アメリカのその道の専門家団体が新型コロナワクチンの危険性(どの様な副作用が起こる可能性があるかの具体例)を、
          ひとつひとつ挙げて説明する会見動画とエクスプラネーションテキストが拡散されていますが、
          (この動画やテキストをソースとしたYouTuberやブロガーの発信を広く反ワクと言われる方々が引用する)
          散々危険性を挙げている上で最後に、

          「それでも接種を禁止する理由にはならない」

          と断言しているのに、その最後の言葉を訳せず日本語や他国語で拡散してるんですよね。(日本でも他国でも)
          英語が聞き取れるものには理解納得するのは造作も無い事(言葉)なんですが。

          通りすがりがここで全く関係の無いワクチンのコメ入れたのは、
          貴方様がお話しになってるお二人がどの様な所から情報を得ているのかが過去コメから察する事が出来るので(所謂お察し)、懇切丁寧に御説明されても
          残念ながら無駄骨になるのでは?との老婆心からです、本当に失礼致しました。


          「的を得た」は誤用、「的を射た」ですよ、上々記米主さん。

          • 櫻盛居士 より:

            通りすがり様

            恐らくアンチレッド様は、この櫻盛居士との勇敢な闘いを脳内で味わって居られるのだと思います。
            当方はサラサラ闘ってなど居りませんので、一応は説得の為の材料は提示して居るつもりです。

            過去コメを御参照頂きましたのは恐縮です。
            その際の事が、相手様的には後を引いて居るのだろうなとは感じては居りました。
            やはり第三者の目を以てしても、そう感じますか・・・。

            ワクチンに関しては「接種するのが怖いので、打たない」と言えば、それは十分に本人が接種拒否する理由と成り得ると考えて居りますので、そこを否定するつもりはありません。
            然し乍ら、上述しました9条教と同様の行動を以てしての布教活動に関しては、やはり賛同出来るものでは無いと判断して居ります。

            心配頂きました事、感謝致します。

        • 神無月 より:

          ご心配頂き、ありがとうございます。
          体調的には、ほぼ戻っているのですが、集中力が続かないようで、その部分で心的に疲れますね。
          別件で、今年は秋の祭典の準備も始まっていまして、各担当役の人員の確認が重なっている事も気疲れの一つかと。

          さて、この事件の件では、早く裁判を始めて欲しいと思うのです。
          現行犯ですし、念の為の精神鑑定が済めば裁判を始めるのが普通です。
          始まれば陰謀論的な批難の声も小さくなります。

          重要証拠の弾丸を紛失したのなら、それを認めて裁判を進めればよいと思うのです。
          それで被告が致命傷の物的証拠が無いとして、軽い罪となるのでしたら仕方が有りません。

          いつまでも宙ぶらりんのままでは、日本の司法への信頼が揺らぎかねませんし、憶測が流され続けることの原因とも思えます。

          もし、多くの国民が過去の事件として忘れさられようとしているのであれば、WGIPは効いているのかも知れませんね。
          .

          • 櫻盛居士 より:

            体調はほぼ御回復との事、何よりです。
            ここの所、蒸し暑さに拍車が掛かって来て居りますし、治り際での油断はなさらぬ様になさって下さい。

            秋の祭典とは地域の秋祭りでしょうか。
            今年はやっと新型コロナ明けに至りましたので、期待も一入なのではないかと思います。
            故に、役員の皆様方は重責に感じられるかとは思います。

            とは言え、恐らく他の役員の皆様もこの暑さでとても集中力を維持出来無いでしょうから、ある程度はお気を楽に持たれてみるのは如何でしょうか。
             
             
            この一年は小生的にもモヤモヤ感が拭えて居りませんので、素早く裁判で裁いてスカッとしたい気持ちも理解致します。
            ですがこの事件は根が深い所がありまして、選挙活動の在り方をも見直す必要を叩き付けられた事件だと認識して居ます。

            警備体制の方面も同様ですが、こちらは警察権の行使が過度にならぬ様に調整が必要なのも事実です。
            ぶっちゃけ、制服に取り憑かれたお巡りさんってのも実在してまして、難癖的な職質で何とか検挙しようと、明後日の方向に努力してしまう警察官も居ますので・・・。

            そう言った意味では丁寧に操作を進め、時間を掛けて山上にはボロを吐かすのが重要だと認識して居ます。

            LGBTの件も含め、司法がややおかしげな方向に揺らいで居る現状に於いては、勧善懲悪を求める世論形成を一般国民の側が担わないとならないと考えてます。
            いくらマスコミが山上擁護の報道を捏ち上げ様が、国民の大半は頑として「ダメ!絶対死刑!!」と言う様な意思表示が出来る様にして行く必要があります。

            昨今保守層の自民党離れが目立って居りますが、これは間接的にではありますが、山上への鉄槌を求める声を弱める効果があると考えて居ます。

            此等を鑑みた場合、今現状我々はどうすべきかを各々で考えて行く必要があると思えるのです。

  5. カルライン より:

    「皇室の存在の有難さ」を感じた1年でした。

    共和制のフランスは、現在暴動で酷い有様。
    もし日本に皇室が無かったらと思うとぞっとする。

    あと、左翼の退潮は感じましたね。テロリストを賛美するとか正気の沙汰じゃない。

    ただ、左翼の指導者クラスには「天才」がいるし、一般大衆においての退潮が明らかとなった今、少数精鋭で、さらに「資金源の確保」と「(日本の強さの源泉である)皇室の破壊」あたりに目標を絞り込んでくれば、むしろ脅威は増していると思う。

    ネットの普及にも功罪あって、情報が錯綜し、混乱しがちだけど…
    「フォロー・ザ・マネー(金の流れを追え。そうすれば真実が見えてくる。)」
    結局、人間の欲望は消せないので。

    あとは…1980年代の小説「銀河英雄伝説」を無意識のうちに思い出していたかも…
    並び立つ英雄2人が主役となる話なんですが、そのうちの1人が、物語の終盤で「地球教という新興宗教のテロリストによる暗殺」によってあっけなく死んでしまう…
    そして、英雄亡き後、残された人々の様子とか…

    何はともあれ、まだまだ日本には大切なものが沢山残っているわけで、残された我々が不断の努力を続けていくしかないですね。

タイトルとURLをコピーしました