【祝】議員在職10周年。議場で表彰、全国市議会議長会より。共産党市議は議場を退席して華を添える。

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私も、議員歴が10年となった。全国市議会議長会より、永年勤続表彰を受ける。議場において、議長および市長から表彰状を授与された。本会議における動きはすべて議運にて諮り日程に組んでおかねばならないため、正規に議案書に記載されての表彰だった。

共産党市議は、私が表彰を受ける際、わざわざ議場を退席した。共産党の徳永議員が、退席という方法をとることは珍しいけれど、これ以上に華を添える行為はない。

本会議は延長に次ぐ延長、議長選があったためで、議場を後にしたのは22:30を周っていた。結果的に公明党市議が議長となったが、旧市長派は二つに分裂し、自民系も真っ向勝負となる選挙となった。これより参院選の時期だけれども、禍根を残さねば良いがと思う。

満面の笑顔の私を紹介します。

※ 日程にないにも関わらず、共産党市議は「新市長と日本共産党の距離感」という私の質問が気にいらないと問題視。公明党の議長は、なぜか発言を許した。ゆえに私も応戦。その動画も紹介しますが、どう見ても私が競り勝ってると思う。その後の表彰なんですよ、もはや満面の笑み。

 

 

 

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(OGP画像)

 

 

 

 

永年勤続表彰授与

以下、FBの投稿より。

多数の自民党福岡県議よりお祝いのメッセージを賜りました。
また、県の内外を問わず、複数の現職・元職国会議員からもメッセージ。
地方議員だらけのコメント欄になりました。

 

 

 

混迷の議会

議長選の調整がつかず、16時ぎりぎりの時点で日程2で遅滞。

 

 

おにぎりを食べながら、ちょっとしょんぼり。。。
果たして私は本当に表彰されるの?って気分。

寂しそうモード。

 

20時寸前のこと。
延長しておかねば流会になります。

やや目がキレ気味に。

 

21時前。

控室で電気を落として休憩中。

もはや目がキレてます。(ちょっと怒ってるモード。)

 

そして表彰状の授与。

これは笑顔モード。

全力で笑っているのですが、Twitterのコメ欄で「睨んでる」と言われてややショック。

 

 

一番の成果は、共産党がわざわざ退席したことでしょう。

 

 

 

 

議長選挙結果

前回の市長選挙と深い関係があります。

 

結論から言えば、公明党の新議長が誕生しました。
小原議長の就任をお喜び申し上げます。

 

ただ禍根を残す形になってしまったように感じるのは、残念なことです。

公明党市議が自ら名乗りをあげた格好です。

旧市長派は、過半数を有しており、市長選を終えても「最大多数」は旧市長派です。

 

色々あって私が議長会派を解散。

結果、2会派となっておりましたが、4人会派と6人会派が誕生。
私および議長が諸派という形でした。つまり、旧市長派は12議席です。行橋市議会の定足数は20名であり、市長選出馬に伴う辞職により現在19議席。
19議席のうち、12名が旧市長派です。

ここの会派入れ換えがあり、議長を辞職した方が6人会派に合流し「7人会派」「4人会派」となりました。

ですから旧市長派から議長を出す形となりました。
ここまでは良いのです、すんなり進む話でしょう。

 

7人となった会派のトップが公明党市議でした。

4人と会派もございました、そちらからも議長候補が擁立されました。

 

まず述べておきますが、行橋市長選挙では「公明党は自主投票」であり、選挙協力を行っていません。

そのため、旧市長与党の一部は、特に市長選を必死に戦ったものからは、同じ与党なのに公明党が協力しなかったことに対して深い猜疑心がありました。

私は事実を述べておくべきだと思うので、この点ははっきり書いております。
旧市長派からは、公明党は完全に信頼を失墜しています。正直に言えば私だってそうです。

爆破予告のとき、私を共産党に売り飛ばすような決議に賛同したのは公明党でした。まだ謝罪や撤回も頂いておりません。

 

その状態で、公明党が議長選に名乗りを挙げました。
数に物を言わせるように映った議員もいたのでしょう、私には挨拶とかはなかったので分かりません。

対する4人会派は、基本的には武田良太先生の選挙を支えてきた方がほとんどで、ほぼ自民系市議として扱われる先生たちです。ベテラン揃いで、期数の長い市議が多い。

結果、選挙にもつれこんだという形です。
これを市長選の意趣返しという方もいるかもしれませんが、また否定もできませんけれど、公明党は市長選をしなかった。このしこりは残り続けており、私にもございます。

 

そもそも公明党の議長を、すんなりと誕生させるというのは、私は納得いきませんでした。

例えば大阪のように創価学会の強い地域ならいざ知らず、自民党が優勢の福岡県において、「なぜ公明党が議長に?」というのは市民から聞かれること。どうあっても説明ができません。

というか、行橋市民からしても「は?なんで公明党が議長に?」という疑問の声はわくはずで、むしろわかないわけがないと思っています。

 

4人会派のベテラン議員たちは、議長を経験した方もおりますが、まだ議長をしていない先生もいました。それなりの年齢であり、やがて2年後の改選では引退も視野にいれる人も出てくるでしょう。出馬を希望していた先生がいる中で、市長選を戦わなかった公明党が、自ら手挙げをしてくるというのは反発を招くのは当然でした。

 

議長選の投票結果

小原(公明)  11票
豊瀬(旧市長派) 5票
徳永(共産)   2票

 

豊瀬候補が5票となったのは、旧市長系・諸派である私が1票をいれたからです。
徳永候補は、共産党市議が2名いるため、いつも通り2票です。

これを「僅差」というと意味が分からないかもしれませんが、ここまでもつれた理由ですので、私は「僅差」と述べておきます。

 

 

 

議長選を僅差と述べた理由

トータル18票が入っております。
ちなみに1名は、議場に来ませんでした。

そのため定足数20議席に対し、市長選に出馬した工藤氏の議席が欠けて19議席。一人こなかったので、議場には18票があります。

 

小原候補は7票を固めていました。
これに対し、豊瀬候補は4票、そこに私の1票がのって5票。

残る票ですが、「旧・反市長派」の4票です。
この4票はどちらに乗るか分からない。そもそも旧市長体制下では、与野党が激しくぶつかってきた議会ですから、4票の行方はわからないのです。

 

私は、旧・反市長派とは接点がありませんから分かりませんが、この4票が逆に動いたらどうなっていたか。

小原候補 11(-4) ⇒ 7票 
豊瀬候補  5(+4) ⇒ 9票
徳永候補  2  ⇒ 2

 

僅差と述べた理由。

議会は最終的には過半数で決めるのですが、基本的には会派拘束がかかる。

つまり「(A)公明候補の7」「(B)自民系などの5」「(C)旧野党の4」ですね、この議席数を一旦忘れてください。

(A)と(B)が組むことは、市長選を公明が戦わなかったことで不可能でした。
公明に票を投じることは、かなりの心理的なストレスがあり、ここは公明側が汗を流していたならば(市長選で。)、そのバーターということもできたでしょうが、市長選の勝敗以前に”やってない”以上はバーターは成立しないのです。

だから(A)+(B)は、公明候補が自ら出馬した時点で崩壊していました。
(分からないならば、政治センスがないという話です。)

で、(A)+(C)でも過半数、(B)+(C)でも過半数。
7議席は見た目の数字は大きくとも、きっちりと過半数に持って行くには火力不足なのです。ギリギリ足りない。

アルファベットを振りましたが、ここまでくるとブロック化して考えたほうがよくて、最後は(C)というブロック、一つの動きで勝敗が決するところに来ていた以上は、これは議会人としては「僅差」と呼びます。

 

お分かりでしょうか。

最終的に議長選の帰趨を制したのは、旧・反市長派なのです。

 

 

 

残る禍根

ここがどのような調整の結果、このようになったかは分かりません。

ただ、どう転ぶか分からない状態までもつれこんでおり、それが深夜までこじれたというのは、「選挙が終わればノーサイド」とも言いますが、各議員に溝を残したことは事実です。

 

私にも禍根はあります。

はっきり言いますが、禍根はございます。

それは爆破予告のことではありません、その件もはっきりしていないので不快感をもってはおりますが、議長選のことです。

 

前日において、会派構成が組みかえられました。
翌日(議長選当日)の昼になって「3会派で候補を調整してのち、諸派(私)mにも連絡する手はずであった」と報告は受けました。

当日に聞かされてなんだというのだ、私にだって後援会はある。
どうしても無理という候補もいるし、それでも曲げて投じることはあるだろうが、「こちら側の調整時間」を頂かない限り、対応はできないし、今後もする気はない。

 

私がすんなりと公明党の議長に票を投じたらおかしいだろうがよ。

公明にも党組織など、自分の調整が必要かも知れないが、こちらだって市長選をともに戦った自分の後援会がある。自分たちの都合ばかりを前面に押し出しすぎ。今後は私も自民党市議として、淡々と「こちらの党の都合」を前面に出していく。事前の(支持者との)調整時間を賜れない場合は、全部却下。その場での判断を強いられた場合は、全力で反撃する。当たり前。

 

前日において「まだ会派内の調整はついていないため、内々の話で恐縮です。議長選に出馬するため、どうかご協力をお願いできないでしょうか。今までの非礼、思うところは多々あるとは存じます。爆破予告を小坪議員が受けた際に、結果的には共産党に売り飛ばす形になってしまい、のち犯人が逮捕されてのちも私は議場で自らの議決権の行使について言及することもありませんでした。

助けて欲しいときばかりのお願いで恐縮ですが、そのことについても議長に就任のちお詫びいたしますので、時がきたりましたらどうかご尽力を賜りたい。」ぐらいは言ってくくれば、私も対応は考えた。

私には何もなかった。

 

というか、当日も何もなかった。

小原候補からも、議長選に出るという話は最後までなかった。
議長候補を抱える会派の代表からも「うちは小原で行く」というアナウンスはなかった。「調整がついたら、議長候補名を報告します」とは言われたが、混乱状態下からだったのか、こんなに深夜になるまで時間を要したにも関わらず、候補者名を告げられることはなかった。

馬鹿にするにも、ほどほどにせぇよ、、、
という行橋市議が出てきたとしても不思議ではあるまい。

 

さて、これは参院選にも影響を与える。

私は秋野氏を応援したいと考えており、明確に”公明党は好きではないが”と前提は述べるけれども、ウイグル問題で公明党側を必死に抑えてきた立役者だ。当然、自民党の参院候補(現職)もいるが、福岡県選挙区は3人区。下馬評だと、1位自民(現職)、2位立憲(現職)であり、3位が維新と公明が競っている状態。

端的に言えば、維新が優勢と言われており、自民票の動き次第でここが変わるというところ。自公政権という言葉を、市議である私が言及するのも複雑なのだが、3議席目が「維新」になるか「公明」になるか、全体で見ると身の振り方は考えねばならない。

いよいよとなれば、、、という思いは、自民系市議らにはある。
本当のことを言えば、自民党現職を素直に応援したほうが、自分のためにもなる。出した名簿はどこで使われるか分かったものではなく、議長選の混乱、議員としても扱ってくれない政党が、私たちの後援会をどう扱うかは不安だ。

 

これは私の意見ではなくて、議長をとれなかった4人会派は、基本的に古くからの武田後援会で、それぞれの期数はよく覚えてないけれども、5期とか6期とかばかり。基礎票は厚く、比例は公明と言ってくれていた議員たちだった。

なんで参院選の前に、しかも秋野氏の苦戦が報じられる中で、公明が議長を取りに行くのかなぁ、と。それは私の意見ではなくて、市議側から出されていた声。

まぁ、ベテラン議員は、もう協力しないと思う。

 

「小坪票が、白票または、小坪と記してくれれば」という要請はあった。
さっきの得票分布だが、じつは7票でも圧勝ではないにせよ、ほぼ勝負あった!とすることは可能だった。

私の票が無効票(白)であれば、4票しかないチームは白旗をあげねばならない。18票だから9票あれば勝ち!というルールでもない。

共産党は自分にいれるため、それを減じて考えれば16票。
つまり8票で勝ちとなる。私の票が無効となれば、実態としては15票。つまり、8票まとまれば勝利が確定する。

そう、7人会派は、「あと1票」が足りなかった。
仮に私が協力を申し出たならば、その+1で「決着」することもできた。

 

・・・で、なんで私がそんなことをしないといかんのかな?

12人で行こうという掛け声はあれども、どこかでなんか話はしていたんだろうが、私はずっと蚊帳の外。当時の昼だぞ、3会派で調整している、と聞いたのは。

そこで決めたことを「言われたとおりに書く機械」と私を思っているんだろう。
そう思えばいい。

勝手に思えばいい。
あんたらが思っているだけで、私はそうは思わない。

 

いずれにせよ、議会運営には苦労が出てくると思う。

そうそう、私が最近、のびのびとしていると言われる。
そりゃそうだ、議長会派の代表というのは「常に数を維持する努力」が求められた。常に我慢、何があっても黙る。どれだけ辛くとも悔しくとも、仮に会派を解散したあとであっても、私は耐え続けた。

もはや仕えた市長はいない。
私が作った議長も、任期を終えた。
過半数を作るゲーム、その呪縛から私は解放された。

私に対して、どのような政治的な対価を示すというのだろう、
私が耐えざるを得なかったとき、拳を握りしめて押し黙ったとき、おまえらは何をしたのかな?

もはや、市議会内での政治闘争には興味をもっていない。
大人にもなったと思うので「壊しに行く」ことはしない。けれども「協力する理由は、もう、なーんにもない」ことは覚えておいたほうがいい。

俺は自由だ。

 

秋野さんの選挙は、やることになると思う。
自民党側から指示が出れば、だ。公明市議とは一切の連携はせずに。
上の指示を待つ。

いずれにせよ、政党間の筋は通させるし、通しきらないならば、それまでだ。

 

まず。
議長就任のご挨拶は、私にはなかったなぁ。

この日、公明党の市議と何度も廊下ですれ違ったが、やや睨みつけられた気はするが、それは気が高ぶっていただけかもしれないし勘違いかもしれない。ただ、事実として、一言も私には話しかけなかった。

議長就任後に、私から「就任、おめでとうございます」とは述べたけれど、議長からのご挨拶は頂いていない。

 

 

 

新議長に対して、共産党から質疑。そして私からも。

正副議長選が揉めに揉めて深夜となったが、行橋市議会は元気だった。

 

共産党の徳永克子市議が、「小坪の一般質問が納得いかない」と本会議場で暴れ始めたのだ。”暴れ始めた”という表現を乱暴だという方はいるかもしれない、しかし、これは暴れているだろう、どう見ても。

日程にはないのだ、そんなもの。

 

えっと、議案に沿って審議するものであり、本会議場で扱うならば、議案を追加すべきだ。

動議などの手続きを経ずして、「○○議員の質問が気に入らない」と手を挙げて、その発言が許されているというのが理解できない。

 

これを許可したのは、公明党の小原・新議長だ。

 

 

 

 

このような「乱暴なこと」を許したのだから、次からは日程に記載されておらずとも、好きなことを議場で発言しても、議長が許可すればなんでもいいということになってしまう。

私は共産党の乱暴を見て、「それを許すなら、私もやるよ?」と挙手して発言した。

 

これは検閲をやれ!と言っているのと同じだ。

まだ一般質問は行われていない。原稿は誰も見ていないわけで、存在しないものをどうやって議会で判断するのか。

私が議運に行って、「こういう発言をしたいと思うのですが」と事前に告げよというのか?憲法は、検閲を明確に禁じている。

しかも一次不再議の原則にも反している。
じつは議運ですでに審議しており、「政党名が質問のタイトルに入っていること」についての規定がない。

現時点で存在していない規定を新たに作って、それを過去に反映させることは”遡及”という。当然、我が国では認められていない。

私は公平に行け、と言っているのみ。

私の質問のタイトルは「工藤新市長と日本共産党の距離感について」です。

 

存在しないルールにより、どうして私が制限を受けねばならないのか。

 

 

私の発言通告書

 

議運で配布された、共産党からの資料。
当時の議長に共産党が申入れ、それが議運で諮られた際に議運の委員に配布された。

 

「日本共産党」は公党だというのならば、自らも論評されればいい。

安倍氏ねだの、自公政権の悪夢がうんぬん、麻生さんが何かやったら決議も出そうとしたり、共産党だって自民党をコケみそにやっている。

 

どうして日本共産党だけが野放しなのか。

「それを疑問として口にした」ときに、公明党の議長が一歩でも私に譲歩を求めた場合。

私はBlogでもガンガンに書くし、全力で行く。

 

私が言っているのは凄く端的なこと。

信義則がない状態で、なれなれしくされることが元から好きではない。

端的に言えば「俺に触れるな」だ。

手を出さねば、何もしないよ、いいから触れるな、もう。
今まで自分たちが、俺に何してきたか、一旦は考えてから振る舞って欲しい。

いずれにせよ、議会運営においては諸派の力も必要なのだろう。
場合によっては貸したいと思う、それが市民の公益に資するなら。

けれど挨拶もなく、筋も通さず、数の力で政党名かかげて乗り込まれても、
そのときはガンガンにやられるという、ただそれだけ。

 

特に相手が共産党の場合、「双方に譲歩を」などの調整型は求めていない。

自分が撃たれないために「小坪議員にも譲歩を求めたので」なんて言い訳は、絶対にさせない。私を一歩でも譲歩させようとしたら、その求めた譲歩は晒し続ける。

で、それは政党として影響を受けますからね。
私には与える力があることを理解して発言している、少しでも譲歩させたら反撃する。

 

 

小原新議長は、議会運営委員会に私の質問を落とそうと答弁している。

それはすでに前の議運で諮ったことだ。

どうして、私の質問だけが、日程外の不規則発言に基づきそんな処理をされねばならなかった?

私にだけ議会がルールを適用するならば、差別的な取り扱いは許さないし、公平性を担保せよと求める。

私のことを諮るなら、動議も出さずに人のことを色々と言った共産党市議のことも議運で諮って頂きたい。私も議場で要望したのだ。

同じことを、きっちりやって頂かねば、私は納得しない。
また、議事運営が下手くそだと思ったり、不公平だと思ったら、毎回、指摘する。

 

 

そんな怒りを込めつつ、正副議長選を終えた深夜に私は議場で斬り結んだ。

 

 

 

小坪、表彰。共産党、退席

そのあとなんですよ、

私はですねぇ、議場で表彰されたんです。

 

新たに就任した、小原(公明)議長から、議場にて。
そして、工藤新市長からも表彰状を頂く。

 

共産党が、退席しました!!!
これは負けを認めるようなもので、こんなに気持ちいいことはない。

もしかしたら、この10年表彰に華を添えるために、こういう準備でもしてくれていたのかな?サプライズプレゼントかな?ってぐらい、嬉しい。

 

 

まぁ、正副議長も苦労するだろう。

誰と誰からならテーブルに着くとは指名もした。

場合によっては調整にも応じよう、ただし毎回、対価は要求する。
(当然、金じゃない。)

思えば、危ないことばかり、返り血を浴びるようなときは「いつも小坪に頼む」だった。そりゃ反撃だって受ける。そして私は撃たれたときは、逃げる。もはや見飽きた。

 

今後も、お願いされて動くことがあってもいい、
ただし対価は毎回毎回、ほぼ契約主義のように求めるし、過去分の清算が終わっていない方とはテーブルにもつかない。

チャンスがあれば、後ろから撃つ。
押し黙らざるを得なかった私に、何をしたのかよく思い出せ。

 

議員歴10年、これでやっと中堅だ。

覚えるべき手続きは多数ある、やっとこれで「使えるようになった」と言ってもらえるのが議員。

猫又ではないが、妖気を発するようになるのが10年から、です。

さ、表返っていこうかね。

 

 

 

 

正副議長の就任をお祝いいたします。

 

この混乱の議長選に、市幹部職員を巻き添えにしたことを悔しく思う。

 

どうも市議会では、都合の悪いことは忘れたりなかったことにするらしい。

 

やった者は忘れても、やられたほうは忘れない。

 

議員在籍10年目、さぁ、本気だしていこう。

 

もう私は自由だ、過半数という呪いのゲームからも解放された。

 

好きにやらせてもらう。

 

会派に入らないか、入ってくれという要望は多数あった。

 

しばらくは、自由の風を謳歌させてもらう。

 

とても空気がうまいんだ、世界が輝いて見える。

 

今まで研ぎに研ぎ澄ました刀、悔しくとも抜刀できず。

 

これからは好きに抜かせてもらう。

 

威嚇も警告もない。

 

少しでも私を制限する者は覚悟して触れて欲しい。

 

望むのは、ただ平穏。できれば私に二度と触れるな。

 

議員歴10年目、私も”これでやっと一人前の議員だ”。

 

在職10年を祝って頂ける方は、おめでとうと書いてください☆

 

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コメント (頂いたご意見は、他SNSに比較し最優先で目を通しております。)

  1. YS より:

    筋、本当に大切な筋。近頃、それが蔑ろにされ過ぎてる。
    何はともあれ、在職10年、おめでとうございます!

  2. K様(本名と思われるため管理権限にて編集) より:

    議員在職10周年おめでとうございます。
    これからも益々の活躍期待しております。
    心から応援してます。

  3. TRIM_MARK より:

    在職10年、誠におめでとうございます!!!
    正直、「え、まだ10年だったのか…」という感じです。
    あまりにも活動が濃い(凄い)ので…でもまだ本気だしていなかったんですね?
    今後のご活躍も応援してまいります!

  4. ひろ より:

    朝にこのブログを読むのを楽しみにしているファンです。
    在職十年、おめでとうございます。

  5. 草莽の団塊です! より:

    小坪先生、議員在職10周年:永年勤続表彰授与!

    おめでとうございます!
    拍手!拍手!拍手!

    んで、共産党市議は議場退席だそうですが、反吐がでそうなごみがでていってくれて正解でござりますよ!
    (=゚ω゚)ノ

  6. 波那 より:

    もう10年ですか。ネットを始めた頃は毎日、丹念に保守速報を読んでいました。保守速報のコメント欄で見たのだったか、こちらに寄せて頂くキッカケになったのを覚えています。

    ㊗️在職10年、表彰おめでとう御座います👏😊🎉

  7. 名もなき一般兵 より:

    在職10年おめでとうございます。
    益々のご活躍をお祈りいたします。

  8. BLACK より:

    行橋氏市議会議員 小坪しんや先生
    議員在職10周年の永年勤続表彰 おめでとうございます。

    感想は、言いたいことは山ほどありますが
    全てのことが、小坪氏にとりまして議員としての名誉です。

    これからも様々な方から、様々な形の「賛辞」を頂戴することと思いますが
    その全てを糧として、名誉として、ご活躍くださりますことを願っています。

    おめでとうございます!!

  9. 神無月 より:

    おめでとうございます。
    .

  10. N様(管理権にて編集) より:

    おめでとうございます。

  11. 湘南童子 より:

    おめでとうございます
    猫又なるほど応援いたします

    日本の天命が完うされますように

  12. 維新は裸の王様 より:

    在職10年、そしてそれに華を添える日本共産党議員退席、誠におめでとうございます。

    ずっと日本共産党キラーの存在であり続けて下さいませ。

  13. ロード より:

    小坪市議、議員在籍10周年おめでとうございます!
    危ない綱渡りや、後ろから撃たれたこともありましたが、涼月の宿命は生きて還ること。
    今後も行橋と国のために戦う市議を応援させてください!

    本日は大阪維新市議受付にアンケートの再考をお願いしました。
    もし回答できないならその理由を市議に伝えることもお願いしました。
    どうして政治家が質問に答えないのか不思議でなりませんね。

  14. azumaebisu より:

     慎みて、小坪慎也福岡県行橋市市議会議員の

     【永年在職議員表彰】

     を御祝い申し上げます。

     おめでとう御座います。

     令和4=皇紀2682=西暦2022年6月10日 金曜日
    東夷

  15. ひよっこ より:

    遅くなりましたが、おめでとうございます。
    これからのご活躍も、応援しています。

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