ご存じでしょうか。
警察庁により、「暴力革命の方針を堅持する日本共産党」との名で資料が出されていることを。
また、政府は「共産党は破防法調査対象」と答弁書を閣議決定しています。同答弁書では、共産党が「暴力革命の方針」を継続しているとの認識も示しています。
警察庁の資料とは、具体的には以下を指します。
警備警察50年 ◆現行警察法施行50周年記念特集号◆
焦点 警察庁 第269号
第2章 警備情勢の推移
1 暴力革命の方針を堅持する日本共産党
▼実際の紙面を見てみましょう。
非常に興味深いテキストです。
内容も極めて重要であり、一読の価値があります。
ネット上ではテキスト版が有名であり、ご覧になった方も多いのではないでしょうか。
今日は、紙面データ(実際のページ)をご覧頂きたいと思います。
一部においては用いられている画像なども異なるようです。
▼拡散依頼
これは公的な資料になります。
お読みでない方もおられるやも知れませんから、「共産党は好きではないなぁ」という方は、忘れないよう
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(OGP画像)
▼実際の紙面データ
jpegのため、スマホ等からでは閲覧が厳しいかな?とも思います。
後半にてテキストでの紹介もございますので、閲覧しずらい方はそちらをご覧ください。
こうして紙のデータに触れると、また重みも違ってくるかと思います。
ではご覧ください。
警備警察50年 ◆現行警察法施行50周年記念特集号◆
焦点 警察庁 第269号
第2章 警備情勢の推移
1 暴力革命の方針を堅持する日本共産党
[出典]焦点 警察庁 第269号警備警察50年 ◆現行警察法施行50周年記念特集号◆第2章 警備情勢の推移 1 暴力革命の方針を堅持する日本共産党
▼テキスト版
文字を主体とした表記になります。
焦点 警察庁 第269号
警備警察50年 ◆現行警察法施行50周年記念特集号◆
第2章 警備情勢の推移
1 暴力革命の方針を堅持する日本共産党
1 暴力的破壊活動を展開(昭和20年代)
1 占領下での勢力拡大
第二次世界大戦終了後、公然活動を開始した日本共産党は、敗戦直後の国民生活の窮乏と社会不安を背景に党勢の拡大に努め、昭和24年1月の衆院選では35議席を獲得し、10数万人の党員を擁するようになりました。
2 「51年綱領」に基づく暴力的破壊活動を展開
日本共産党は、同党の革命路線についてコミンフォルムから批判を受け、昭和26年10月の第5回全国協議会において、「日本の解放と民主的変革を、平和の手段によって達成しうると考えるのはまちがいである」とする「51年綱領」と、「われわれは、武装の準備と行動を開始しなければならない」とする「軍事方針」を決定しました。そして、この方針に基づいて、20年代後半に、全国的に騒擾事件や警察に対する襲撃事件等の暴力的破壊活動を繰り広げました。しかし、こうした武装闘争は、国民から非難されるところとなり、27年10月の衆院選では、党候補は全員落選しました。
ところで現在、日本共産党は、当時の暴力的破壊活動は「分裂した一方が行ったことで、党としての活動ではない」と主張しています。しかし、同党が20年代後半に暴力的破壊活動を行ったことは歴史的事実であり、そのことは「白鳥警部射殺事件」(27年1月)、「大須騒擾事件」(27年7月)の判決でも認定されています。
日本共産党の暴力的破壊活動等について報道する当時の新聞各紙
日本共産党の暴力的破壊活動等について報道する
当時の新聞各紙
(読売新聞昭和27年3月7日、朝日新聞27年4月1日・
4月12日・5月29日・11月18日)
2「51年綱領」の廃止と現綱領の採択(昭和30年代)
1 「51年綱領」の廃止
日本共産党は、昭和30年7月の第6回全国協議会(6全協)で、20年代後半に行った武装闘争を「誤りのうちもっとも大きなものは極左冒険主義である」(=革命情勢がないのに武装蜂起した)などと自己批判しました。そして、33年7月の第7回党大会で、暴力革命唯一論の立場に立った「51年綱領」を「一つの重要な歴史的な役割を果たした」と評価した上で廃止しました。
2 現綱領の採択
同大会では、「51年綱領」に代わる党の新綱領が「党章草案」(綱領と規約を一つにしたもの)として示されましたが、現状規定や革命の性格等について反対意見が多く、党内の意思統一を図ることができませんでした。そうしたことから、草案の綱領部分は引き続き討議することとし、この大会では規約部分のみの採択となりました。
その後、宮本顕治書記長(当時)の指導の下、3年間にわたる党を挙げての綱領論争と、いわゆる反党章派の幹部の除名等を経て、昭和36年7月、第8回党大会が開催されました。そして、同大会で「現在、日本を基本的に支配しているのは、アメリカ帝国主義とそれに従属的に同盟している日本の独占資本である」とする現状規定や、民主主義革命から引き続き社会主義革命に至るという「二段階革命」方式等を規定した現綱領を採択しました。
また、両党大会や綱領論争の過程における党中央を代表して行われた様々な報告の中で、革命が「平和的となるか非平和的となるかは結局敵の出方による」とするいわゆる「敵の出方」論による暴力革命の方針が示されました。
3「革命を準備する時期」における党勢拡大(昭和40?60年代)
日本共産党は、革命に至る過程を情勢によって「革命的情勢の時期」と「革命を準備する時期」という二つの時期に分け、それぞれの時期において、採用すべき戦術、方針を明確に区別しました。そして、現状を「革命を準備する時期」ととらえ、革命の条件づくりのため、長期展望に立って党勢拡大を始めとする各分野での影響力の増大や国会、地方議会での勢力の拡大を図るという戦術を採りました。その後、党勢は拡大し、昭和50年代には、党員40万人、機関紙300万部を超える勢力を擁するに至りました。
また、国政の分野では、47年12月の衆院選で40議席(革新共同・推薦2議席を含む。)、49年7月の参院選で13議席を獲得するなど、議席を伸長させました。しかし、その後、55年1月には、共産党が共闘の対象と考えてきた日本社会党が、共産党排除の連合政権構想で公明党と合意し、また、ソ連のアフガニスタン侵攻(54年12月)、ポーランド問題(56年12月)、「大韓航空機撃墜事件」(58年9月)、「ラングーン爆弾テロ事件」(58年10月)等、社会主義のイメージダウンとなる出来事が頻発したことなどもあって、議席数、得票数とも頭打ちとなりました。
4 ソ連・東欧の崩壊等による党勢の停滞(平成元年?)
昭和60年3月に就任したゴルバチョフ・ソ連共産党書記長は、停滞した経済等の立て直しのため、ペレストロイカ(改革)、グラスノスチ(情報公開)政策を押し進めました。そして、この影響を受けた東欧の社会主義国では、民主化要求が急速に高まり、平成元年以降、ポーランドで非共産勢力が主導する政権が誕生したのを皮切りに、「ベルリンの壁」の崩壊に象徴される東西ドイツの統合やルーマニア・チャウシェスク政権の打倒等、東欧諸国の社会主義体制は一挙に瓦解しました。そして、3年12月、世界で最初の社会主義国家として大きな影響力を有していたソ連が解体され、69年間に及ぶ歴史に幕を降ろしました。また、中国では元年6月、政府が民主化運動を反革命運動として武力鎮圧した「天安門事件」が発生し、共産党独裁国家の民主化運動に対する断固とした態度を示す事件として、全世界に衝撃を与えました。ソ連・東欧の崩壊という事実に対し、日本共産党は、「ソ連共産党の解体は、もろ手をあげて歓迎すべき歴史的出来事」、「(ソ連の崩壊は)科学的社会主義の破綻を示すものではない」などとする宣伝に努めましたが、共産主義イデオロギーの破綻が明らかとなったことで党勢は停滞しました。
5 日本共産党の現状
1 宮本議長の引退と「不破・志位体制」の確立
平成9年9月の第21回党大会で、長期にわたって日本共産党のトップとしての地位に就いてきた宮本顕治議長が議長職から退き、以後、不破哲三委員長が党の最高指導者として、志位和夫書記局長とともに党運営に当たることとなりました(12年11月の第22回党大会で不破委員長が議長に、志位書記局長が委員長に就任)。
その後、10年7月の参院選では、これまでの得票を大幅に上回る約820万票を得て15議席を獲得しました。そして、次の衆院選で自民党が過半数割れした際には野党暫定政権に参加する用意があることを強調し、同参院選後の首班指名選挙では、約38年振りに第1回投票から他党党首(菅民主党代表)に投票したり、不破委員長が「暫定政権としては、安保条約にかかわる問題は凍結する」などとする日米安保条約凍結発言を行ったりしました。しかし、他の野党は、日本共産党を含めた政権構想には否定的な態度に終始しました。
2 規約、綱領の改定
その後、日本共産党は、平成12年6月の衆院選、13年7月の参院選で議席を減少させ、さらに、15年11月の衆院選では、改選前議席を半減させ、約36年振りに一けた台となる9議席にとどまりました。
日本共産党は、12年11月の第22回党大会で、規約前文を全面削除する大幅な規約改定を行い、「労働者階級の前衛政党」、「人民の民主主義革命を遂行」、「社会主義革命をへて日本に社会主義社会を建設」等の革命を連想させるような表現を削除しました。しかし、「科学的社会主義を理論的な基礎とする」との党の性格や「民主集中制を組織の原則とする」との組織原則は、「党の基本にかんする、規約として欠くわけにはゆかない部分」として条文化しました。
引き続き、16年1月の第23回党大会で、昭和36年7月の第8回党大会で採択して以来5回目となる綱領改定を行いました。
改定の結果、マルクス・レーニン主義特有の用語や国民が警戒心を抱きそうな表現を削除、変更するなど、「革命」色を薄めソフトイメージを強調したものとなりました。しかし、二段階革命論、統一戦線戦術といった現綱領の基本路線に変更はなく、不破議長も、改定案提案時、「綱領の基本路線は、42年間の政治的実践によって試されずみ」として、路線の正しさを強調しました。
このことは、現綱領が討議され採択された第7回党大会から第8回党大会までの間に、党中央を代表して報告された「敵の出方」論に立つ同党の革命方針に変更がないことを示すものであり、警察としては、引き続き日本共産党の動向に重大な関心を払っています。
日本共産党の綱領改定案を報道する各紙
(産経新聞平成15年6月7日・22日、読売新聞15年6月22日、毎日新聞15年6月22日)
いかがでしょうか。
「官憲横暴!」とか、「警察が悪い!」とかそういうことを言っている政党がございます。
では、これらの実際の歴史に裏打ちされた資料は、誤っているのでしょうか。
また、何がしかの不祥事が起きたとして、それが本資料の価値を棄損するのでしょうか。
私はそうは思いません。
そこにある情報を消していこうとする行為。
私はこれが許せない。
私はデータを改竄したり、数字をいじったりする行為を嫌います。
この時代を生きた者が記した資料は、その時代において真なのです。
事実は事実、史実は史実でございます。
日本の世論を戦争へと向かわせたのは、共産主義者らであり、朝日新聞であります。
その理由は何か。
共産主義革命を円滑に行うため、資本主義国同士の共倒れを狙ったのです。
日本を追い詰めて行ったハル・ノートですが、ハルとついている以上、責任者はハル氏です。
しかし日本が飲めないレベルにまで書き換えたのは「ハリー・ホワイト」です。
ハリー・ホワイトは、ベノナ文書より明らかなように、米国においても「コミンテルンのスパイ」として公式に認定されています。
コミンテルン(時代によっては第三インターナショナル)として、他国に中枢がある「スパイの出先機関」の日本支部が国内にある。
しかもテーゼとして指令を受けており、その中には陛下の殺害を示唆するものまでありました。
治安が大変なことになります、よって治安を維持せねばなりません。
結果、治安維持法ができました。
確かに後期においては恣意的な運用もあり、批判される点もあるでしょう。
しかしその法律が作られ、取り締まられたのは当然のことではないでしょうか。
コミンテルン日本支部として発祥し、その歴史を延々を受け継ぐのが日本共産党です。
正しくは共産党・日本支部と呼んだほうが適当なように思います。
民主党や在日問題を取り上げるのも良いでしょうが、私は共産党にこそ注目しておく必要があるように思います。
「わかりにくい形」で、いまだ国内で蠢いております。
例えば「若者を前面に出して擬態」してみたり
お洒落なデザインでイメージ戦略をはかったり。
あくまで「私的な推論」ですが、傍証程度は挙げるべきでしょう。
私が疑問の声をあげ、思想信条の自由に基づき「こうではないか?」と述べた際、どのような動きをしたか、ご覧下さい。
それを見て、皆様はどう思いますか?
相手の反応を見れば、それが事実、もしくは痛いところであったか否か、
「判断するに際しての傍証」にはなるように思います。
私は「共産党の戦争犯罪」や「共産党の戦争責任」を問いたいと思います。
ゆえにスタートされた、赤旗撲滅作戦です。
これらの史実を後世に伝えると共に
いまを生きる若人たちに知らしめることは
いまを生きる政治家としての「責務」だと考えています。
本記事を読む大人たちには、どのような責務があるのでしょうか。
胸に手をあてて考えて頂きたい。
共産党の真実の歴史に光をあてるべきだ。
また、歴史を知らぬ、ひいては危険性を知らぬ若者たちに
真実を伝えるべきだ。
これは公的資料である。
賛同して頂ける方の、FBでのシェア、Twitterでの拡散を希望します。
※特記
暴力革命など恐ろしい、これは本当に止めねばなりません。
一歩、前に出る勇気。
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小坪先生、眠れなくて、ずっとYouTubeを見ていたら、最後の一つで泣いてしまいました。
https://www.youtube.com/watch?v=z4rO2C4TYu8
冨安中尉の特攻。
日本は、父や祖父の時代に、全滅を免れたんですね。
米ソヴェノナ、コミンテルンに罠にかけられ、日本人虐殺を意図した戦争。
戦犯がいたとしたら、それは、スターリンです。
今も、同じ仕掛けは続いている。
日本と世界の違い。命を続ける力。
デイリー新潮が「元公安警察官は見た」というシリーズを連載しています。戦前そして敗戦後へと数々の悪業を犯した共産党がその彼らの悪事の歴史を覆い隠して正義ぶった事を言っているのはチャンチャラおかしい。
🔻元公安警察官は見た 日本共産党に壊滅的な打撃を与えた特高警察の「スパイM」の正体
元公安警察官は見た 国内 社会
https://www.dailyshincho.jp/article/2022/02041100/?all=1
2022年02月04日
日本共産党に壊滅的な打撃を与えた特高警察の「スパイM」の正体(※写真はイメージ)(他の写真を見る)
日本の公安警察は、アメリカのCIAやFBIのように華々しくドラマや映画に登場することもなく、その諜報活動は一般にはほとんど知られていない。警視庁へ入庁後、公安畑を17年務め、数年前に退職。昨年9月に『警視庁公安部外事課』(光文社)を出版した勝丸円覚氏に、警察のスパイとして日本共産党に壊滅的なダメージを与えた飯塚盈延という男について聞いた。
【写真】CIAでスパイを養成した日本人女性教官
戦前の1931年から32年にかけて、日本共産党は今と違ってあらゆる犯罪行為に手を染めていたという。
「当時の共産党は、『非常時共産党』と呼ばれ、非合法政党でした。アメリカ映画に登場するギャングのように、銀行強盗をしたこともありました。元々過激派でしたが、武装政党として活動していたのです」
と語るのは、勝丸氏。
1932年10月6日、東京市大森区にあった川崎第百銀行大森支店に拳銃を持った3人組の覆面男が押し入り、現金3万1700円を奪って逃走した。実行犯はいずれも共産党員だったため、「赤色ギャング事件」と呼ばれている。
「共産党は、党員や支援者の相次ぐ検挙により、資金難に陥っていました。資金獲得のために銀行強盗の計画が進められたとされています」
全員逮捕
所轄の大森警察署は、ただちに緊急配備を敷いたが、すぐには犯人検挙に至らなかったという。
警視庁特別高等警察(特高)は強盗事件の捜査を進めていくうちに、同年10月30日、熱海温泉で共産党の幹部が企業の慰安会を装って全国代表者会議を開催するという情報を入手。そこで、捜査員たちはその前日から現場近くに結集した。
「ところが捜査員が『共産党は旅館を予約したが、人の集まりが悪く、旅館側がその会社に問い合わせをしてしまった。このままでは警察に通報される恐れがあるということで、会議を中止する動きがある』と報告を上げてきた。そこで当日の未明に急襲することになったそうです」
10月30日午前4時50分、特高は党員が宿泊している旅館を包囲し一斉に踏み込んだ。逮捕容疑は治安維持法違反だった。
「武装した共産党員が銃を発砲したため、重傷を負った警察官もいたそうです。激しい抵抗があったものの、代表者会議に出かけていた共産党員は全員逮捕されました」
実を言うと、特高に全国代表者会議の情報を流したのは、「スパイM」として知られた松村昇こと飯塚盈延という男だった。
「彼は学生時代、成績が良く天才と言われていたそうです。共産党の初期の労働者党員になり、モスクワの東方勤労者共産大学(クートヴェ)に留学しています。ところが留学中に共産主義に幻滅し、帰国後に特高に検挙されたのをきっかけに転向して警察の協力者になったのです」
共産党は当初、飯塚がスパイだとは気づかなかったという。
非合法政党時代を払拭
「ところが、彼は熱海で一緒に検挙されたはずなのに、公判などで名前が出てこないことを不審に思った党員たちは、彼が警察のスパイだと考えるようになりました」
すると、共産党は、飯塚が赤色ギャング事件の首謀者だと主張し始めた。
「実際はそうではありません。強盗計画を立案したのは、後に建築家となる共産党員の今泉善一という男でした。熱海事件で飯塚がスパイだと判明したため、彼に全ての罪を被せようとしたわけですね」
熱海事件で、幹部が軒並み逮捕され、壊滅的大打撃を受けた共産党は、飯塚に恨みを抱いたことは言うまでもない。
「飯塚がどこに潜伏しているのか、共産党はその後徹底的に調査したようです」
熱海事件から44年後となる1976年10月28日、熱海事件で検挙されていた共産党の紺野与次郎衆議院議員が国会で公明党議員に「反共のイヌ、イヌがほえている」と発言、懲罰委員会にかけられた。その時、彼は飯塚についてこう発言している。
《特高首脳部は、スパイ飯塚盈延に大金を与えて姿をくらませ、その後、飯塚は終生、社会からの逃亡者としての生活を行い、待合に隠れ、北海道と満州を往復し、終戦後偽名で帰国して以来本籍を隠し、偽名を使い続け、元特高らに消されることを恐れ、一室に閉じこもり、昭和四十年酒におぼれて逃亡者としての悲惨な生涯を終えています。しかし、生地の本籍上の飯塚盈延はいまでも生きていることになっています》
「共産党が非合法政党だった頃の悪名を払拭するために、紺野議員は国会でこんな発言をしたのでしょう。ただ、今でも共産党は、警視庁公安総務課や各道府県警公安部の監視対象になっています。過去の悪事は、そう簡単には消えるものではありません」
デイリー新潮編集部
必見!/是非御覧になって下さい。
🔻「元公安警察官は見た」シリーズ一覧
https://www.dailyshincho.jp/spe/kouankeisatsu/
本当にもういい加減にスパイ防止法を制定しましょうよ。世界は、日本人がノンビリ、ボンヤリ、迂闊にしてられる、そんな所ではないんです。日本人、しっかりしましょうよ。留学生は日本の宝と言って中国人を大量に日本に住ませる首相が居る日本がマジ情けない。今こそ陸軍中野学校の精神を受け継ぐ諜報組織がこの我が日本を守る為に必要とされている時代なのだと目覚めましょう。
🔻”「万歳!」戦後、出獄した共産党員が受けた朝鮮語の歓迎 隠された党の歴史を紐解く
3/8(火) 5:57配信
府中刑務所から出獄した共産党員と歓迎する群衆
今年、結党100年を迎える日本共産党。日本で唯一名前を変えていない政党だが、その党史には書かれざる一幕がある。戦後、出獄した共産党員たちが、誰の力を借り、どう再建していったかが抜けているのだ。いま初めて明らかになる党復活の真実。
1945年10月10日、その日は朝から雨であった。午前10時、戦前の共産党の代表的活動家である徳田球一を先頭に、志賀義雄、金天海、そして黒木重徳や山辺健太郎ら16名の共産党員が、「天皇制打倒」を叫びながら、東京・府中の刑務所の獄門より出獄した。この時、府中刑務所前には、約400名の人々が「出獄革命志士歓迎」のプラカードを掲げ、赤旗や太極旗を振りながら待ち受けていた。
驚くべきことに、そのほとんどが朝鮮人だった。日本人はわずかしかいない。彼らはここ府中に向かうトラックの上で、「インターナショナル」と「にくしみのるつぼ」をかわるがわるに歌い続けた。中野の豊多摩刑務所から出獄しトラックに乗った共産党幹部の寺尾五郎は、はじめて東京の空に革命歌が鳴り響くのを聞いた。そして「政治犯釈放運動促進連盟」の金斗鎔や朴恩哲ら朝鮮人の集団と府中刑務所に向かった。その時の様子を寺尾は「1945年10月に出獄して」(「季刊三千里」1978年15号)の中で次のように回想している。
「よくみると、半分ぐらいの朝鮮人は革命歌の歌詞も知らず、どう見てもマルクス主義も社会科学も知ってそうもない人たちであり、いまどこかの闇市から飛び出してきたと思われる朝鮮人なのである。私は感動した。なんの理論もしらないが、実生活の生の体験で、国家とは監獄であり、正義とは革命であることを無条件に知っている人達、この人々が革命的大衆というものだと思った。それは私が生まれて初めて接した革命的大衆であった」
第一声に沸く朝鮮人の群衆
府中刑務所正門前で開催された出獄式は、金斗鎔が司会進行し、徳田球一、志賀義雄、そして金天海が出獄者を代表して挨拶した。
「出獄する時間十時がきた。(中略)同志キントウヨウ(金斗鎔)の歓迎の辞にこたえて、同志トクダ(徳田)が、われわれ一同を代表してまず演壇へのぼった。(中略)最後に同志キン・テンカイ(金天海)が登壇した。こんどは朝鮮語の歓迎の嵐である」(松本一三「出獄前後 十月十日の思ひ出・下」「アカハタ」1946年10月13日)
小雨の中で出迎えた400人を超える朝鮮人の群衆は、待ち望んでいた金天海の第一声に沸いた。
「同志キンが降壇すると、ただちにデモに移った。出迎者たちの胸にたぎりたつ興奮と感動はそのまま解散することをゆるさなかったのである。ワッショ ワッショ……ワッショ ワッショ……赤熱した熔岩の流れのようにぐるぐると広場を回るデモはいつ止まるともわからなかった」(松本・同前)”
日本人と朝鮮人の連帯を訴え…
式に続いて府中刑務所前では、ぐるぐる回るデモが展開されたのだ。歓喜で収まらない群衆の興奮が伝わってくるようだ。
日本人共産主義者の岩田英一は、この時に歓迎の辞を述べた金斗鎔を高く評価している。
「まことに知的な左翼でした。彼は絶叫などせずに、含むように『府中組』における18年余の獄中生活を慰労し、その不屈の闘争を称賛し、また新時代の到来における日朝人民の連帯を訴えていた。私が感動したのは、金斗鎔が『出獄戦士万歳!』『日本共産党万歳!』と言って歓迎の辞を結んだことです」(吉田健二「戦時抵抗と政治犯の釈放〈3・完〉――岩田英一氏に聞く」『証言 日本の社会運動』法政大学大原社会問題研究所)
それは徳田球一の第一声が、
「今までは天皇がわれわれを裁いた。今度はわれわれが天皇をひっくくって裁くんだ。天皇の嬶(かかあ)なんぞは誰かがいってやっちまえといった調子のものであった」(寺尾・同前)
と「天皇制打倒」を感情にまかせ、暴力的に訴えるのとは対照的だった。金斗鎔も金天海も、極めて理性的に同志の出獄を祝い、革命にむけて日本人と朝鮮人の連帯を訴えたのである。
「歓迎の群衆は、殆ど朝鮮人であった」と描写
岩田と共に出獄式に参加した中西伊之助は、出獄式に参集したほとんどが朝鮮人で、日本人の出席者はわずか二、三十名であったと述べている。
「数台のトラックに赤旗をひるがえして出迎えた数百人の出迎え人は、殆ど朝鮮人連盟の諸君だった。その中に混ざっていた日本人はわずかに二三十人にすぎない心細さであった。(中略)だからその中にいた日本人で、朝鮮人諸君にたいして恥ずかしくもあり、肩身のせまい想いをしたのは、わたしばかりではなかったであろう」(中西伊之助「日本天皇制の打倒と東洋諸民族の民主的同盟」「民主朝鮮」1946年7月号)
この時の光景を、収監されていた李康勲(光復会顧問、尹奉吉義士記念事業会会長、前独立運動史編纂委員会調査室長)も、『権逸回顧録』の中で次のように描写している。
「獄門を出た私は、怪奇な光景に唖然とならざるを得なかった。小雨が降っている獄門の前の広場には、数千名の群衆が『出獄革命志士歓迎』と書いたプラカードの下で赤旗を振りながら私たちを迎えた。釈放された政治犯十六名のなかで朝鮮人は私と金天海だけで、他はすべて日本人であった。しかし歓迎の群衆は、殆ど朝鮮人であった。日本人があるいは混ざっていたかもしれないが、全部同胞のようであった。その群衆の中から、ひとり、太極旗を高々揚げた人が“我が独立闘士、李康勲先生は何処にいますか、李先生は何処ですか!”と叫んでいた。彼は徐相漢で、群衆の中のただ一人の民族主義者であった。今も、あのときのことを考えると感謝の念が込み上げてくる」
宮城刑務所でも
では、その朝鮮人とはどんな人たちだったのか。続けてこんな記述がある。
「群衆はすぐ我々を取り巻き、トラック七台に分乗して田村町の飛行会館に準備された歓迎式場に向かった。赤旗を振りながら示威行進をしたが、中野駅近くで米軍憲兵に制止され解散になった。この群衆が朝連準備委に所属している左翼勢力であるということを後で知った」
この10月10日前後には、日本全国の刑務所から続々と政治犯が釈放された。府中に限らず、全国の刑務所でも政治犯を温かく迎えたのは、朝鮮人の共産主義者たちであった。
元日本共産党宮城県委員会事務局で朝鮮人部部長を務めた高橋正美と元日本共産党宮城県委員会委員長・遠藤忠夫の対談を、和光大学教授の篠原睦治が記録した文書にも、その事実が出てくる。ここで遠藤忠夫は、敗戦の年の10月10日の思い出を次のように語っている。
「この日私は、宮城刑務所の前の桜並木でボンヤリと立っていました。刑務所からは、一人ひとりポツン、ポツンとしばらくの間をおいて出てきましたが、彼らを出迎えていたのは、日本人ではなくて、朝鮮人だったのです。当時マツダ三輪トラックというのがありましたが、それに卵を山と積んで新聞紙にくるんで、日本人一人ひとりに『ご苦労さまでした。これで元気を出してください』と言って、渡しているのです」(遠藤忠夫「証言3 宮城県共産党と仙台の在日朝鮮人社会―高橋正美さんと遠藤忠夫さんのお話〈地域社会における在日朝鮮人とGHQ〉」「東西南北別冊01」2000年12月1日 和光大学リポジトリ)
日本共産党の原点
そこには戦時中の弾圧を乗り越えた強い絆と連帯があったのだろう。それがさらには、戦後の共産党再結成にも大きな役割を果たしていくのだが、意外にもこれら原点となる事実について、日本共産党はほとんど語ることがない。
日本共産党中央委員会のまとめた共産党史(八十年史、七十年史、六十年史、五十年史)は、いずれも(1)政治犯の釈放、(2)党拡大強化促進委員会の発足、(3)「赤旗」の再刊、(4)第4回党大会の四つを、戦後、党の再建を代表する重要な出来事として挙げている。すなわち1945年10月10日の日本共産党幹部の府中刑務所出獄から12月の第4回党大会までを、党再建の起点としている。だが党史は、「いつ、どこで、誰の手によって、どのようにして、また何の財源で再建したのか」という疑問には答えていない。
府中刑務所の「日本共産党第1世」たち
続きます。⬇
https://news.yahoo.co.jp/articles/b226cc4cf7c57a86b8020d4d93248db8ae90a7aa?page=4
ことここに至ってはの、それまでの日本の状況を何も知らないくせに、どういうつもりの意図があってのことなのか良く知らないですが、アメリカの議会への演説で「リメンバー・パールハーバー」とわざわざ言ったゼレンスキー大統領。今度はロシア軍の動きを知るためでしょうが、日本の人工衛星のデータが欲しいと言ってます。切迫した戦況なのは分かりますが、他国がやってる戦争に我が国が加担する事になりませんか。よく分からないので、お伺いします。
🔻ウクライナ、日本に衛星データ要請 情勢見極め政府判断
2022年3月17日 18:00 (2022年3月18日 5:12更新) [有料会員限定]
ウクライナが日本に人工衛星データの提供を求めていることが分かった。高精度の画像を集め、ロシア軍の動向の把握に活用する狙いがあるとみられる。日本は悪天候でも地表の鮮明な情報を取得できる「合成開口レーダー(SAR)」を搭載した衛星を官民それぞれで運用している。提供の可否はウクライナの情勢を見極めた上で政治判断する。
民間の衛星画像の適切な取り扱いは衛星リモートセンシング法が定めている。「テロリストに流…
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ゼレンスキー大統領の米国議会での「パールハーバー」発言は
米国民の心に訴える為に不可欠なフレーズだったのだと私は解釈しています。
ただし、今回のロシアのウクライナへの攻撃と、日本の真珠湾への攻撃は並べて語られるものでは無いのは無知な私にも明白です。
真珠湾攻撃は一般市民を標的にしたものでは無いからです。
並べて語るなら、米軍の日本への無差別空爆と核攻撃だと思いますが
それを今、米国議会で言う訳には行かないのも明白です。
「パールハーバー」発言は今のゼレンスキー大統領には、私個人は不問の気持ちですが
日本の国会では、是非、終戦後の日本侵略・シベリア抑留・北方領土不法占拠を
日本の国会と日本国民だけでは無く、全世界に明確に訴えていただきたいと期待しています。
正直、ウクライナもどこまで信頼出来るのかわかりません、
と言うより、ウクライナ政府は信用出来ないのも事実ではないかと私は感じます。
だからプーチン大統領は信頼できるとか、ロシアが正しいとか言う意味ではありません。
乱暴に言わせていただけば、両国とも信用できないと私は思っています。
それでも、今、ロシアがウクライナにしていることは許せることではありません。
人道上許せないのは無論ですが
ロシアの屁理屈を認めれば、許せば
今後、ロシアと中共の日本侵略を認め、許すこと同じだからです。
おパヨク様で「ロシアが正しい」と言う方々は、
それを重々承知の上で、それを理解した上でロシア擁護をしているのだとわかりますが
保守陣営で「ロシアが正しい」と言う方々は、それが日本侵略擁許容、日本侵攻への「おいでおいで」発言だと
理解し、覚悟の上なのでしょうか。
ご自身とご自身の家族に、ウクライナ国民が受けているのと同じ攻撃をされても良いと、
侵略国に侵略国なりの大義・心情・理想・正義それ等があるならば
ご自身とご自身の家族が犠牲になっても、殺されても、日本が滅んでも
甘んじる、認める、と言うことでしょうか。
そのお覚悟があってのことでしょうか。
私は、ロシアもウクライナも信用出来ないと思っています。
だからこそ、この戦いが日本を護る為のものであって欲しいと願っています。
もしもその為に有益であるならば「パールハーバー」発言も許容・不問にしましょうと
私個人は思っています。(でも、この発言は忘れないでおこうとも思っています。)
私は歴史に詳しくはありませんが
この戦争後の世界は、中共+ロシア+他の共産主義国・独裁主義国の
大共産圏・大共産連合が出現するのではないかと、私個人は予想しています。
国数で言えば、自由主義陣営の方が少なくなる可能性は高いと思います。
中共もロシアも資本主義的で、共産主義との戦いはもう終わりと思えた世界は
コロナ禍での社会の在り方(共産主義的独裁社会の方がコロナ禍も管理しやすい)
ロシアの状態(戦後は中共の助力が不可欠)等々
ロシアが勝っても負けても、
世界の共産主義と覇権主義と独裁は、一丸となって盛り返すと私は思います。
ですからその意味でも
「ロシアが正しい」と主張なさる方々は共産主義と共産主義的暴力を
肯定し、許容しているのと同じなのだと私は解釈しています。
もう終わったのではないか
そろそろ終わりではないか
そう思えた共産主義、その陰謀と暴力との戦いは
これからが本番だったのだ、私は今、そう感じています。
以上 文責 BLACK
「ロシアが悪いなら日本の太平洋戦争も悪いのか」
このような主張でロシアを擁護する方も見受けます。
日本にとっての太平洋戦争の行動と解釈を擁護したいあまりに
現代のロシアの行動を擁護するならば本末転倒と私は思います。
過去の日本を擁護したいあまりに、現在と未来の日本を破壊する
これ程の本末転倒・アベコベがありましょうか。
そもそも、現在進行している侵略と、80年~100年前の侵略(比較する為に敢えて同じ表現を使います。ご容赦ください。)
それを同じ道徳や国際法で語ることは不適切だと私は思います。
「否、道徳は不変だ」と言うならば
十字軍や大航海時代の西欧の在り方、アメリカ大陸で行われたこと、オートーストラリアで行われたこと、三国志時代で行われたこと、まだまだ上げれば限もありません。
日本が太平洋戦争で掲げた理想と、そして東南アジア諸国が得られた独立と
世界史的意義と
日本軍の個々の作戦の、他国民と自国民への人権上の是非&戦法としての是非は
分けて考えた方が良いと私は思っています。
それを全部一緒にして、全て肯定したいから、現在のロシアの行動も肯定する
そのような理屈があったとしたら、もうむちゃくちゃです。
「理想が正しければ、どんなアプローチも(暴力も)許される」
私が一番嫌いな考え方です。
ですから、共産主義の理想を掲げて暴力革命を肯定する日本共産党も
共産主義者も、中共も、ソ連も、今のロシアも、私は大嫌いです。
国の善悪も、人の善悪も、ものごとの善悪も
国の数だけ、人の数だけ、ものごとの数だけ、理想の数だけあります。
そもそも善悪は決められるものでも、分けられるものでも無いと思っています。
ですが
「理想が正しければ、どんなアプローチも(暴力も)許される」
この考え方は、絶対に悪であり、認められるものでは無いと
私は強く思っています。
個人と個人のことで言えば
時に、ストーカーも、パワハラも、ドメスティクバイオレンスも
「理想が正しければ、どんなアプローチも(暴力も)許される」
加害者本人にとっては共産主義者と同じ考え方なのかも知れません。
以上 文責 BLACK
そもそも「革命」とは何ぞや。辞書には1.天命が革まる事。前の王朝が覆って、別の王朝が代わって統治者になる事。易姓革命。2.被支配階級、支配階級を倒して政治権力を握り、国家や社会の組織を根本的に変える事、とある。総じて、議会制民主主義、政党政治未発達の専制君主・王朝時代の「革命」規定と言えるだろう。この様な時代には、必然的に暴力革命とならざるを得ないだろう。ロシア革命もロマノフ王朝帝国を暴力共産革命に拠って樹立された。シナ革命も清王朝帝国打倒革命から国共内戦を経ての暴力共産革命に拠って共産党一党独裁政治権力樹立したのものだった。では、誤解され紛らわしい「クーデター」とは何か。革命とクーデターとの違いは何か。辞書では、「クーデター」とは、既存の支配勢力の一部が非合法的な武力行使に拠って政権を奪う事。支配階級内部での権力移動であり、体制そのものの変革を目的とする「革命」と区別する。更に考察を進めれば、革命と暴力とは不可分なものなのか。暴力無くして革命はなし得るのか。日本共産党が口癖のように言っている議会制民主主義、政党政治下で革命は本当になし得るのか。そして、果たして、そもそも現行GHQ占領統治平和ボケ憲法下で暴力を伴わないとする「革命」は認められているのか。支配階級、被支配階級と言う階級が存在するのか。現行GHQ占領統治平和ボケ憲法下の日本国家には未だ嘗て別の王朝への交代があったのか。易姓革命の様な革命は未だ嘗てない。日本の歴史上には専制君主は存在せず、日本は立憲君主民主主義国家以外の何ものでもない。現行GHQ占領統治平和ボケ憲法は、高々77年の歴史しかなく、それも大東亜戦争敗戦占領期に違法に無理やり押し付けられた無効・不法憲法だ。当然無効破棄して然るべき憲法だ。大和民族・大和朝廷には2680年の皇紀がある。その皇紀史上には、17条憲法、五箇条の御誓文等があり、現在に至るも生き続けていると言って良い。日本共産党は、この2680年続く大和民族・大和朝廷の歴史・伝統・文化を亡きものとすると宣言している。言わば、ルサンチマン・サイコパス集団の妄想や夢想や妄言等に付き合う暇は片時もない。常に、日本国民をルサンチマン・サイコパスに扇動する為に人心を欺き、騙し、怒らせ、混乱を招き続ける為のあらゆる策謀・策動を駆使し、世を忍ぶ仮の姿に身を隠し、敵の出方に拠っては、暴力革命を常に企み、準備している日本共産党である事を、警察任せにせず、特に片時も愛国者は忘れてはならず見逃してもならず油断や隙を与えてもならない事を、肝に銘じなければならない。
私は歴史には疎いのでぼんやりとしか見えない、よくわからないのですが、ロシアのウクライナ侵攻は、シナリオを描いている闇の勢力があるということですか?対立の構図を作って、戦争を仕向けている謎の◯◯…。(笑われるかも知れませんが)
現在進行している憲法改正案で懸念される私権制限(全体主義化)の危険性について、
【拡散希望!】憲法改正(第97条基本的人権の条項の削除)について | ElmoYasuの備忘録 2021-12-11
https://ameblo.jp/ya-su-y-3530610/entry-12715017246.html
より引用
改正案では、「基本的人権」について書かれている第97条が削除されているのです。
前文の「主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する」というものも削除予定です。
基本的人権の尊重がなくなり、国家ではなく、国民が改正後の憲法を「遵守する」と明記される。
これはかなり危険なことと思います。
第11条にも、基本的人権の保障について明記されてはいますが…。
97条と見比べてみてください。
第11条
国民は、すべての基本的人権の享有を妨げられない。この憲法が国民に保障する基本的人権は、侵すことのできない永久の権利として、現在及び将来の国民に与えられる。
第97条
この憲法が日本国民に保障する基本的人権は、人類の多年にわたる自由獲得の努力の成果であって、これらの権利は過去最多の試練に耐え、現在及び将来の国民に対し、侵すことのできない永久の権利として信託されたものである。
少し私見が入るかもしれません。
似ているため、97条を削除する、ということかもしれませんが、
97条は、第9章「最高法規の章」にあり、
自由獲得の努力の成果である基本的人権を侵すことのできない永久の権利であり、これを将来にわたって「信託」するという強いメッセージがあるというもの
であるのに対し、
11条は、第3章「国民の権利及び義務」の章にあります。義務も伴い、自由のない権利?ともとれます。
となると?
コロナ騒動を利用して、緊急事態条項が追加されようとしていますが…。
国民の生きる権利、単に生きるという人権を保障するため、緊急事態宣言はやむを得ないという暴挙につながる可能性があります。
別に、自由とは言っていない。緊急事態宣言で、生きる権利を保障するんだ、と。
ワクチン接種の義務化につながるかもしれない。
もちろん、私権が脅かされます。
ワクチンパスポートは、憲法違反じゃなくなるかもしれません。
生きるための最低限の人権、権利は保障するけど、自由な基本的人権ではない。
自由獲得の努力である、主権は国民にある、という前文が削除されると、97条の意味はなくなってしまうのかな?と思います。
第11条の基本的人権を侵さないために、確固たるものにするために、
第97条は、とても大切なもの
だと思います。
97条がなくなるから、緊急事態宣言を盛り込むことができる。
自由は保障しないのだから…。
いやいや、そんな解釈はしないだろう、と思われるかもしれませんが、
そもそも、現在進められているワクチンパスポートは、第14条及び第19条に違反すると思います。
第14条
すべて国民は、法の下に平等であって、人権、信条、性別、社会的身分又は門地により、政治的、経済的又は社会関係において、差別されない。
第19条
思想及び良心の自由は、これを侵してはならない。
でも、反しないと政府は判断してるから、導入してるんでしょう。
信用はできないと思います。
新手の全体主義=新しい資本主義=ステークホルダー資本主義=テクノクラシー
世界経済フォーラムが提唱するグレートリセット
=ステークホルダー資本主義+世界的諸問題への取り組み(新型コロナ感染症、地球温暖化、食糧危機、エネルギー危機、サイバー攻撃、etc)
=民主的な選挙で選ばれていないテクノクラート(技術部門出身の官僚、専門家)による政策決定
=テクノクラシー
=実質的全体主義
現在の日本におけるテクノクラシー
・新型コロナウイルス感染症対策専門家会議
・厚生科学審議会 (予防接種・ワクチン分科会 副反応検討部会)
これらのテクノクラートにより新型コロナ政策が決定され施行される。
テクノクラートは政治権力と結びつくことにより利権を生み出す(製薬利権、医療利権=感染症2類利権)。
行動規制、ワクチン接種などが要請され任意と言いながら実質的に強制されている場合もある。
この強制力の口実がステークホルダー資本主義(従業員、取引先、顧客、地域社会への配慮を重視した企業理念)。
ステークホルダー資本主義は一見素晴らしい理念のように見えるが、実態は実質的に全体主義になっている。
(参考資料)
グレート・リセット フェーズ2:戦争 | TOY’s Blog
ttps://ameblo.jp/aza-sss/entry-12731975755.html
The Great Reset | 世界経済フォーラム
ttps://jp.weforum.org/great-reset/
「ダボス・アジェンダ2022」における岸田総理大臣の特別演説 |外務省
ttps://www.mofa.go.jp/mofaj/ecm/ec/page1_001084.html
ダボス・アジェンダ 岸田総理大臣によるスピーチ
ttps://www.mofa.go.jp/mofaj/files/100291106.pdf
ムーンショット型研究開発制度(内閣府の未来テクノクラシー計画)
ttps://www8.cao.go.jp/cstp/moonshot/index.html
『新しい資本主義』の源流はステークホルダー資本主義:政府主導の企業経営改革に課題 | 野村総合研究所(NRI)
ttps://www.nri.com/jp/knowledge/blog/lst/2022/fis/kiuchi/0201_2
テクノクラート – Wikipedia(URL省略)
**********************************************************************
共産党は2016年9月13日からの警告を無視し続けましたね。
ならば、下記は決定事項と承諾したものと見做します。
・『テロを利用する共産党』
・『テロリストの味方である共産党』
・『テロに屈する共産党』
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保守層には絶大不人気の岸田首相ですが、案外韓国対応ではネチネチと仕返ししてたりします。
その調子で、是非とも共産党に対してもネチネチと攻撃して頂きたいものです。
ウイグル問題に於いては対応が早かったのは、本ブログ常連様には常識ですが、この度ウクライナ難民受入れに関しても、そこそこのスピード感を持って対応出来て居たと言えるでしょう。
この傾向を見る限り、根回し、事前調整が済むか、それらが比較的容易に完了すると見込める場合は、そこそこハッキリと発表するのに対し、調整に時間を要すると思えば、「しっかり考慮し―。あー。うー」と受答えして居る様に思えます。
つまり、この内閣は御膳立さえ整えておけば、案外話が早いのかも知れません。
扨て、我が国はウクライナ難民受入れに関して柔軟性を示した訳ですが、これは人道に則って手放しで受入れるだけでは、そのレベルと言えるでしょう。
ロシアの隣に位置する事で言えば、我が国とウクライナは共通して居り、当然ウクライナが保持する情報や経験は、我が国にとっても使えるものです。
恐らく、大東亜戦争末期に旧ソ連軍が我が国の避難民の女性に対して行った行為も、現在のウクライナで繰返されて居るのではないでしょうか?
この辺りの生の情報得る意味でも、難民の方は有力な情報源に成り得ます。
ロシア兵による性犯罪が明るみに出来れば、韓国のガセに載せられて日本叩きを行った連中に対する、強制誘導カードにも、踏絵にも成るでしょう。
亦たウクライナ人はロシア語が出来る人が大変多い為、防衛省や公安への情報提供者として働いて頂くなどの道も模索しても良いのでは無いでしょうか。
勿論、公務員と言う立場を与えてはなりませんが。
一方でロシア側のスパイが難民に扮して紛れ込む可能性もある為、これを理由とした管理、監視体制は必要でしょう。
ここは岸田首相の口癖通り「しっかり」お願いしたい所です。
更に難民と言えば「可哀想な人々」と言う感覚が根底にある為、ウクライナ難民に良からぬ勢力が接触する可能性は非常に高いと見て居ます。
最初は炊き出しとか、生活支援と言った方面から近付き、次第に反日思想を刷り込むいつものアレです。
ですので、受入れの際には消防、警察、自衛隊等による体制を確保して、それら人道支援団体に偽装した反日勢力を予め排除しておく事も肝要でしょう。
最近では部落解放同盟の研究部門である一般社団法人部落解放・人権研究所が、”包括的差別禁止法案”と銘打った、実質的には人権擁護法案を焼き直しただけの法案を発表しました。
早速、マスコミは共同やロイター等の中央から、普段聞か無い様な地方紙迄、挙って報道しました。
ウクライナ難民と絡めて、反日野党やそれを取巻く連中が、この包括的差別禁止法案を利用し、日本人弾圧を目論む可能性も否定し難く、この辺りの警戒も必要でしょう。
扨て、ウクライナ戦線の戦況ですが、ロシア軍は派遣した将官20名中4名が戦死するなど、ウクライナ側は奮戦して居ます。
地図上では次第にウクライナ側が圧されて来て居るのは事実ですが、主要都市や主要路線を死守して居る為、ロシア軍は補給線確保に苦慮して居り、ロシアは思うようにウクライナ制圧出来て居ません。
防空関連もウクライナは頑張って居り、戦闘機等の性能面の差をカバーし、ロシア側航空優勢確保をかなり阻止し続けて居ます。
この辺りは他国による、情報の裏支援なども絡む可能性がありますが。
これはウクライナ人の多くがロシア語を解する上に、ロシア軍はアナログ波の無線を多用して居る為、ウクライナ軍はロシア軍の展開を容易に得る事が出来て居るのも一因の様です。
亦た民生の携帯電話等も用いて連絡を取って居るらしく、かなりがウクライナ側に漏洩している可能性が指摘されて居ます。
我が国が再びロシアと戦う事に成った場合、言語読解能力的な優位性は見込め無い為、今の内に我が国に定住するウクライナ人を協力者として引込んでおくのが得策かも知れません。
若し仮に我が国が今、北方領土奪還に動くのであれば、ロシア軍の装備との差による優位性を活かした戦闘を行う事が可能でしょうが、時を置けばロシア軍はこの失敗を教訓にデジタル暗号波無線への装備更新などを進めるでしょうから、次は手強い相手と成って居る筈です。
この辺りも踏まえ、今後我が国は防衛構想を再考して行く必要に迫られるでしょう。
従って、貿易面に於いても今後は、デジタル通信機器等の輸出を今迄以上に厳格にし、取締まる方向を検討した方が良いでしょう。
COCOM(ココム)の復活などですね。
実はロシア太平洋艦隊の母港であるウラジオストックは、ウクライナにルーツを持つ人の多い街でもあります。
この時期にウラジオストックの状況をウクライナ人を通じて得ておけば、今後の我が国の防衛戦略に於いて活用する事も可能でしょう。
兎角、こう言った事態の時程、極東に於けるロシア軍の動きを注視すれば、その弱点や問題点、亦た我が国側の対露戦略に於ける諸問題も見えて来るでしょう。
このウクライナ侵攻で目ぼしい功績を示せなかった場合、プーチン大統領は政権維持と国内団結の手段として、ロシアは対日強攻策に打って出る可能性も否定出来ません。
所謂、中共や韓国、北朝鮮が常套手段として居る反日誘導を手始めに展開し、北海道近海に於ける漁船を不法に拿捕して譲歩を迫るなどは、十分に考えられる事です。
この辺りは、対露輸出品を娯楽やサブカルチャーなどの文化的なものに留め、これを使ってロシア人を懐柔し、日本コンテンツの禁令が発せられた場合は、逆に政権への不満が募って行く方向に仕向けられる様に環境整備を図り、一方で技術的なものが関わる農業や工業関連は、一切輸出を停止し干上がらせるなどの懲罰的処置が有効でしょう。
ロシアは工業から衣食住に関わるもの迄、案外と他国に頼って居る国である為、一見弱腰に見える我が国の制裁も実際にはかなり効いて居る様です。
SWIFTのロシア除外が根底にあるのは言う迄もありませんが、ルーブルが外貨と交換出来無い事で、外資系企業はロシア国内での経済活動が実質的に不可能な状況にあります。
亦た一連の様々な要因からルーブルは暴落し、最早ネットでは”子供銀行券”と揶揄されるに至ってます。
嘗てロシアはソ連崩壊時に、インフレ率2150%のハイパーインフレを経験して居り、この時は結果的にデフォルトに至ってます。
つまり、この時ロシア国民の預貯金は全てほぼ紙屑に成ってしまった訳で、その経験をした人達がまだ多く生き残って居ますから、我が国の団塊世代に多い軍事アレルギーに近い反応を見せてくれる可能性も考えられます。
事ここに至っては制裁を解除されたとしても、ルーブルの価値が低過ぎる為、今迄と同じ額での貿易取引は困難でしょうから、恐らく暫くは経済面でロシア国民を苦しませ続けるでしょう。
これらも踏まえて、今の内に我が国のテレビ放送をキー局だけでは無く、全国の地方局の番組も含めて、PAL方式で北方四島と千島列島方面、及び樺太方面に飛ばし、住民が「日本復帰を望む」方向に仕向ける等の工作も検討した方が良いでしょう。
まぁその工作が仮に成功した場合、新たに住人ごと編入した上でロシア系日本人を許容し、それらをどの様に組入れて行くかの問題は発生しますが、少なくとも平和的解決を実現したと言う形は残せますし、これは竹島問題を引き起こして居る韓国への圧力にも持って行けるでしょう。
これら一切は中国が打出した超限戦の一端ですが、我が国もハイブリット戦で『戦わずして勝つ』事を模索する時期にあるかと考えます。
北方領土問題解決は、何やら怪しい在ヌ辺りにとっては、致命的なダメージと成るのも事実で、特亜に向けての圧力に転換する事も可能でしょう。
ウクライナにとっては不幸な状況ですが、事ここに至ってはこの状況こそが現実でしかない訳で、ここで如何にして我が国が漁夫の利を得るかに邁進するのが、結果的にロシアに対する懲罰と化する事を考えれば、間接的にウクライナへの支援に繋がるばかりか、国際秩序維持への大きな貢献に成るでしょう。
更には、中共に向けては「お前ら、台湾とか南沙で粋がってると、ロシアと同じに成るで!」と言うメッセージに繋がりますので、世界平和の為にも我が国は漁夫の利を得る事に努力した方が良いでしょう。
日本共産党も高齢化が進み、偏屈な老人の集まりになりつつ有るよう?です。
共産主義は暴力による独裁ですので厄介ですが、資本主義もマネーの力で支配しようとしますので、どっちもどっちでしょうか。
共産主義では個人の自由は有り得ませんが、資本主義も個人の自由はだいぶ制限されます。
民主主義も自由が有る様な幻影は有りますが、実際は妥協と諦める事の自由で、義務ばかりで自由など微塵も?有りません。
それでも日本はマシな方と思えば、平和と云う戦争と戦争の間期間を噛み締めたいと思います。
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