令和元年12月20日、12月議会最終日において辞職勧告決議案が採決予定であった。ただし、明日の議会運営委員会において、この辞職勧告決議案は取り下げられる見込みだ。19日、議会事務局より「16時30分に、西本市議が辞職願いを提出した」との説明を受けた。辞職願は受理されると思うので(判断するのは私ではない。)、辞職した市議に対し、辞職を勧告することはできないので辞職勧告決議案は取り下げられると考えている。
当市市議会議員である西本国治市議は、令和元年10月31日、車同士の追突事故を装い、自動車共済金計690万円の保険金詐欺容疑で逮捕され、起訴された。更に11月21日、別件での自動車事故偽装に関与、10月同様保険金詐欺容疑で再逮捕され、12月13日追起訴された。
非常に大きなニュースとなっており、他県の方もご存知だろう。市議自らが乗車した車両に対し、知人を衝突させるという驚きの逮捕理由であった。被害金額を見ても、衝撃を受けた方も多いように思う。これは行橋市民に強い衝撃と不信を与えたのみならず、行橋市議会に対する市民の信頼を著しく失墜させることとなり極めて遺憾である。また、公人として議会や市民に対し、反省の弁が微塵もないことは残念であった。
西本議員は市民に負託を受けたものとして、自覚を欠く恥ずべきもので、市議会議員として断じて許されるものではない。
よって、行橋市議会は、西本国治議員が、社会的、道義的責任を真摯に受け止め、議員として自らの行動を猛省するとともに、本件の重要性と責任を痛感し、速やかに市議会議員を辞職することを強く勧告”したかった”のだ、私は。
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(OGP画像)
この際、西本市議が辞職するか否かはどうでもよろしい。
本人は、最後の最後の引き際を心得ていたとして評価もされよう。
問題があると考えている。
それは西本市議のことではない。行橋市議会という、組織としての責任だ。
私が言いたいのは「議会のていたらく」について、だ。
臨時議会を即時に開催し、非難決議を打つべし!というのが私の主張であった。これは、採用されなかった。
遅きに失したと考えている。なぜ、みすみす辞職するだけの時間的猶予を与えたのか。
これは西本市議を攻撃する意図で述べているのではなく、”市議会の名誉”という点から、許容されるものではないと(議会を構成する一員として)考えている。
議会とは、決定機関である。
そして、議会の決議とは、市民の全体の意思として扱われる。
保険金詐欺をし、逮捕され、大きな報道となって、かつ起訴されている。この状態で「行橋市議会は、だんまり」でいいのかという点だ。これは、切腹と打ち首ぐらいの差があり、どちらにしても死んでしまうのだけれども、侍にとっては大きな違いがある。
彼が辞職する・しないに関わらず、【議会は意思表示すべきだった】というのが私の主張だ。
辞職願が出された今、辞職勧告決議は審査できない。
民間に例えるが、「退職したい」と言っている人に対して、「退職したら?と勧告」することはできないのだ。
それは、議会が意思を示す機会を喪失したとも言える。
先ほど述べたように、議会の決定が市民の意思と同義という意味では「行橋市民は、市議が複数回逮捕されようが、保険金詐欺をしようが、さらには起訴されようが【どうでもいい】し、【触れもしない】」ということになる。
後世の市議らに対し、汚点を残す結果となった。
良いはずがない。
とは言え、これは市議会の勝利でもあることは述べておきたい。
与党系の市議を中心に、辞職勧告決議案の提出者・賛同者の署名がなされていた。提出者は、与党系の会派の全ての会派長。および賛同者には、与党系会派の全ての市議が署名した。これだけでは過半数にならないのだが、諸派である私も賛同者に名を連ねていた。
過半数は構成されており、辞職勧告決議案は過半数を得る見通しであった。これに観念して、というのが議会に明るい方の見解だろう。
つまり、辞職願を提出したという結果は、議会の勝利とも言える。
これはこれで正しい解釈なのだろうけれども、それでも私は「議会としての意思表示」を公式にすべきであったと言いたい。
議会手続きとしては、辞職勧告決議案が上程見込みであったこと、賛同者・提出者が過半数いたこと”のみ”であり、それは公式の記録としては残らない。
私自身も、議決権としては行使できない状況になった。
私は、「臨時会」を開いたうえで、非難決議を求めていた。
辞職勧告決議案への賛同者にも名を連ねたが、私が当初要望していたのは非難決議である。
理由は、警察による逮捕をうけたのち、司法での罪が確定していないためである。
裁判の結審をもって、のち辞職勧告という流れなら理解できる。
けれども、そうはいかない事情もあった。
逮捕されたのは詐欺罪であり、禁固刑しかない。一度目の逮捕の時点で複数名の逮捕が報じられ、二度目の逮捕を報じたニュースではさらに逮捕者が増えていた。組織犯であれば、まず執行猶予はつかない。
禁固刑以上の刑罰を受けた場合、市議は自動失職となる。となると、冒頭で述べた理由により、議会は意思表示の機会を喪失する。
ゆえに、司法の決定をまっていては、議会は、決定機関としての威厳を発揮できない。
その善後策として「非難決議」を主張した。
さっさとやるべきだったのだ、だから臨時会の開催を主張した。
これは、私の政治力の不足が招いた結果であり、私は自らの未熟さを責めるとしよう。市民に申し訳ない思いでいっぱいだ。
議会の名誉、誇りはどこにいったのだ。
私は、「市議を辞職せよ」「さもなくば市役所を火の海にする」と脅迫された被害者だ。
被害者にも関わらず、なんらの弁明の機会も与えられず、私のときは即座に決議した。共産党の徳永市議が緊急動議を提出し、与党の一員であったはずの私に対し、議長会派を構成する公明党市議らが裏切って過半数をもって決議された。いまだに納得がいっていない。
西本市議は、その一味である。
私怨と嗤う方もいるだろうが、私は許す気は一切ない。
なにゆえ、情状酌量せねばならぬのか。それでも私は、法的に、かつ民主主義として整合性がとれる形を必死に考えて対応した。
結果は、この様である。
悔しい。
私のときとは、大違いだ。
私は、犯罪の被害者だ。
のち犯人も逮捕された。
警察が捜査中であった。
けれども、捜査結果を待つこともなく決議された。
そもそも上程すべき内容ではなかったはず。
それを議論することも、私にはできなかった。
「関係当事者」として、除籍対象であるとして、私は議場にも入ることができなかった。
弁明の機会は与えられず、いまだに議会は、私にその機会を与えていない。いまだに与えていない。
そのときの議会事務局長が、坪根局長だ。
本任期中に、更迭されるだろう。異動は、ほぼ確定的となっている。
また、決議を採決した際の議長である諌山氏については、私が与党会派を離脱し諸派になったこと、また後輩の市議が当選したことにより、議長与党が過半数を喪失。複数回の賛否同数となった。来期の市議選には出馬しないという趣旨の発言が、外部で複数回おこなわれているとされ、引退するという扱いだ。
私は、まったく納得していない。
いまだに弁明の機会はなく、議会からそのような機会を与えられていない。
決議を通した議員は、議場で謝罪していない。
許さない。
当初より求めている名誉回復の処置をとらない限り、私は撃って撃って撃ち続けるだろう。
西本市議は、私の決議に賛成した。
西本市議は、会派に所属していた。
国会でいうところの政党のようなものである。
会派名は、市民の会。
市民の会の、会派の長は「鳥井田 幸生」代表。
市民の会に所属する「全ての議員」が、私の際の決議に賛同した。
ゆえに、先般の件の回復がなされぬ限り、永続的に狙うこととする。
「市民の会」という名称自体が、すでに一種の政治ジョーク。
そして、逮捕者を出した際も、市民の会の鳥井田代表はコメントしていない。
また、市民の会から、辞職勧告決議案を提出してはどうか?という問いに対しても、要領を得ぬ回答であったため、与党系会派が決議案を作成したと伺っている。
市民の会は、何がしたいのだ?
この辞職願を受けて、議場において、鳥井田代表は何かコメントするのだろうか。
その点については、Blogで書こうかな?と思っている。
あの頃の私は、まあナメられても仕方なかったのだろう。
少なくとも今ほどには戦闘力は高くなかった。
また、味方と信じていたがゆえに、行橋市議会の内部において、戦闘スキルを公開する機会もなかった。私は、上場企業のサラリーマンだったわけですが、理系の技術職とは書類作業に長けているものであり、もともと得意分野だ。これが日本全国という規模で戦う「普通のサラリーマン」のSPECだ。少なくとも大学の同期と比較し、私が特に優れているとは感じない。
これが、通常のレベル。
とりあえず、当時の私は、他の市議からは畏怖の対象ではなかったし、また与党議員も含め「議員を撃つ」などとは、彼らも想像しなかったのだろう。
もともと平和的な性格だし。これは、今でも変わらない。ただし、上場企業で業務に従事するということは、ほぼ外資系みたいな部分もあるわけで、「敵味方識別信号」については物凄くはっきりしている。
身体に染みついている常識が、恐らくこの街のルールとは違う。
私は私のルールでやらせてもらう。人に私のルールを強要する気は一切ないけれども、誰かが私にルールを強制することは許さない。
そちらはそちらのルールでやってくれ、私は私のルールでやらせて頂くというスタンス。
究極的に言えば「私の領域に、介入するな」である。
とは言え、随分と数は減った。
爆破予告の決議に賛同した議員たち、1名は死没。また、藤木市議は、市長選に転出したが、私は他候補を全力で支援し、藤木候補は落選。撃墜。当時の議長は引退の見込み。事務局長にもワンパンをいれた。
市民の会の代表は、不法占拠の件を質問で打ち、夕方のニュースになって、議会便りとして市民のもとへ。西本市議は逮捕。共産党の2名は、赤旗が禁止。収益的には党としてのダメージは大きかろう。公明については、県および支持母体たる創価学会に物凄くクレームを入れた。
そして、一人とは(私の中では)わだかまりが解消した。
もう、私のターゲットも、残すところ2~3名というところ。
西本市議にも、直接的に議決権を行使したいと、私心としては思っていたが、まぁ仕方ないだろう。
心を切り替えて、来たるべき訴訟に備える。
爆破予告の決議が名誉棄損であるとして、裁判が始まる。
先ほども述べたように、私は許す気など毛頭ない。
艦隊決戦に例えると、雷撃で沈めようとしたところ、敵艦が自沈して残念な思いという感じ。
爽快感というと怒られそうだが、倒したというカタルシスは得られない。
まぁ、いい。
ならば、次の攻撃目標に移るまで。
私は、まだ何発も弾を残している。
次弾装填、発射準備。照準をつけるまで。
残念だった。
本当に残念だった。
私は、私の刀で終わりにしたかったのに。
だから、次の準備に入ろうか。
行橋市議会は、意思表示の機会を喪失した。
それは、市民の意思を示すことができないという意味である。
複数回の逮捕、保険金詐欺での起訴、
これに対し「だんまり」では、決定機関としての
議会の誇りは守れない。
早期に臨時会を開催し、決議を行うべきだった。
明日は本会議、最終日。
恐らく波乱の一日となるのだろう。
私は、それでも戦う。
常に、戦う。
これが議員として生きる姿だと信じる。
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共産党は2016年9月13日からの警告を無視し続けましたね。
ならば、下記は決定事項と承諾したものと見做します。
・『テロを利用する共産党』
・『テロリストの味方である共産党』
・『テロに屈する共産党』
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予定調和的な顛末の様ですね。
それにしても、筋の通し方を尽く履き違えた議会と言う印象を強く受けました。
これで行橋市議会は、反面教師としての地位を確固たるものにしたのでしょう。
それも結構、ある意味で他の追従を許さぬレベルでしょう。
一昔前ならこういった流れも単なる予定調和として片付けられたのかも知れませんが、今の御時世ですと危険な徴候として捉え、徹底的に分析し芽は摘んでおいた方が良いでしょう。
その意味でも「許す気など毛頭ない」のは、市民への大きな利益となるのではないでしょうか。
小坪先生、きょうもブログ投稿ありがとうございます!
コメント欄の櫻森居士様の論説を読みながら、そうだよな・・・とうなづいてもおりました。
>私は、それでも戦う。常に、戦う。これが議員として生きる姿だと信じる。
上記、ぎょいでございます!それでこそ、小坪先生!だとおもいますゆえ!
以下は保守系の方々だけではなく普通の日本人なら普通に思うであろうことなので
わざわざこの場に書かなくてもわかりきっていることなので
書くのが申し訳ないようなことなのですが
小坪氏の当エントリーを拝読させていただき
国会では野党も同じだなぁ
国際社会では韓国も同じだなぁ
とつくづく感じました。
注・「同じ」と並んだ二行に他意は全くありません。「同じ」だと感じた感想を正直に書いただけです。
特に左派の方々に多いと私は感じていますが
自分(身内)に甘く他人に厳しい
ダプスタを全く恥じない・気にしない・気づかない
指摘されれば逆切れ・反省と言うことが無い
自分は正義、他人は悪、と信じて疑わない
自分は何をしてもOK、他人は何をしてもNG
他人はとことん叩く、自分を少しでも叩くのは許さない
他人を叩くなど何とも思わない、時には死ぬまで追い込む(それでも自分に責任は無い)
自分の人権はたいせつ、他人に人権は無い
自分への暴力反対、他人への暴力推奨
約束は他人は厳守、自分は守らない
他人には悪魔の証明でも説明責任、自分は「なにそれ」「おもしろくない」
等々
このようにダプスタを書いて行くと際限が無いのでこの辺りにしておきますが
行橋市のことだけではなく、国会も、国際社会も、
何故そろいもそろって、申し合わせたように同じ精神構造・同じ行動パターンなのでしょうか。
私は不思議でなりません。
注・「それはね」「民族的な」と言う答えを私が言いたいとか、求めている訳ではありません。
むしろ違う答えがあるのではないかと、私はそれを求めているのです。
例えば米国の国会も同じ状況に感じます。
米国の民主党や、海外の国際環境保護機関や団体の行動パターン・発言パターンも同じに、私には思えます。(グレダ嬢も)
世の革命思想、特に暴力革命肯定思想は、この精神構造に裏付けされている、と言うのか
相性が良いと言うのか、この精神構造を利用する利用される、とも私は思います。
世の独裁もそうかも知れません。
いつもの私のアレになってしまいますが、それは一神教的精神構造と言うことなのかも知れないと、現時点の私は思います。
仏教徒だとしても、共産主義を信望していれば共産主義一神教でしょうし。
仏教徒でも、カルト一神教徒もおられると思います。
トランプ大統領の宗教的精神構造はわかりませんが
私が知る限りで、日本に理解を示す外国の方には、非キリスト教徒やキリスト教徒であっても主流派から外れた方が多いと感じます。
注・行橋市の市民の会の方々の宗教的バックボーンを私は全く存じませんし、その点を指摘するつもりは皆無です。
もし小坪氏や、小坪氏で無くても与党系の議員が何か問題を起したら、どうなっていたでしょう。
爆破予告問題でああだったのですから、どうなっていたかは明らかだと私には思えます。
何故こんなことがまかり通るのか
何故こんなことが出来るのか
何故こんなことが許されるのか、許すのか
私は本当に不思議でなりません。
小坪氏の無念を思います。
文責 BLACK
自民党の改憲派達は、野党達のアホさを利用して改憲潰しをしてますね。彼らはバカだからモリカケや桜で国会を空転させ、国民を呆れさせ支持率を下げさせ、政治資金が集まらなくなって、仕方がなく「結局民主党」になると言う。自民党にしたら美味しいでしょう。敵が自滅していき、政権を奪われる事もない。つまり危機感がない。憲法改正を発議する為の2/3を国民から頂いているのに、国民投票案すら可決出来ない。ホントにやるせない。
選挙体制が悪いのか?とも思います。小選挙区の比例代表制。これなら中選挙区として、比例代表など
衆議院選挙には不要かと。参議院は少し考える必要はありますが、皆様いかに思われますか?
行橋市議会での事は、国会でも言えますよね。
民間人の個人情報を国会で公表し、名誉を棄損して、国民請求権によりその議員の懲罰動議をスルーする与党。猥褻行為で警察に書類送検される議員に対してもスルー。民間人を何の根拠もなくレイシストとレッテル貼りをする議員。
国会には、国民の名誉を守る事をしないという政党ばかりなのでしょう。これは何れ自分達に帰ってきますよ。
小坪先生いつもありがとうございます。
一部とはいえローカルの議会人の志の低さには本当にがっかりします。
小坪先生は行橋市の有権者の怒りも代表しておられるのですから、
憂うことなく存分に自らの剣をもって伏魔殿を正常化してください。
お体お大事に。
ネットでも、市民と書き込む(常識的な用語は国民と書くべきところ。国籍が問われるとこまるのだろう)連中にろくなのはいない。それだけで、ほぼほぼあっち系とわかる。あっち系シロアリ駆除が必要なんだが、(たぶん)経団連などに忖度して政府も腰が引けているのでどうしょうもない。やはり自民党よりも右よりのしっかりした政党ができるまでは無理か。でも時間はかかっても必ずできると思います。アメリカで言えば、自民党は民主党の立ち位置にちかい。共和党の立ち位置に相当する政党が望まれる。
小坪議員お疲れさまです。
私は辞職勧告決議案に観念して辞職願という点には懐疑的です。
辞職勧告決議案はあくまでも勧告に過ぎないので、辞職する意思がない場合は問題になりません。
市民からリコール運動でもされない限り安泰でしょう。
しかしながら辞職願を出したというのは一連の小坪議員の行動が「空気を読む」行動をさせたのではと思っています。
小坪議員・周辺に「バンザイ(降伏)」したということだと思います。
議員同士や会派同士が当たり障りの無い様になぁなぁに成っているのかも知れませんね。
公安調査庁がYouTubeに進出。みな様登録をお願い致します。
https://youtu.be/W8K0jgXqq44
悪が栄えた試しなしとは言いますが、世の常、悪は栄えたり衰えたりの繰り返しです。
人間は煩悩が有り、我欲に囚われる未熟な存在です。
晩年には悟る方も生まれますが、晩年ですから社会への影響は少ないものです。
賢ければ因果応報と、我欲の行いを制御するものですが、人間未熟者が多数なので後悔に苛まれます。それが成長の糧に繋がる方もいます。
政治家も様々ですが支援者も様々です。
政治家を応援する人、我欲に利用する人。
我欲に囚われる人類に、民主主義は次元が高過ぎると感じます。
志士も紙一重でしょうか?
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小坪議員、お疲れ様です。
あと2〜3名のターゲット、ご武運を。
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