私は、ハロウィーンに疑問を持っている。
いったい何をやっとんるだ、
そう思った私は、やはり年をとったのだろうか。
商業的に、「人造」文化が作られていく過程と
その強い光に焼かれ、すたれていく文化について論じてみたい。
雛祭り・端午の節句は、バレンタイン・ホワイトデーに敗れた。
クリスマスは、天長節のブラックバスのよう。
国旗の数より、クリスマスツリーの数が確実に多い謎の国。
すたれ行く伝統文化に対し、保守が考えるべきことをまとめてみました。
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日本古来の伝承、祭りがある。
例えば天長節。
外来のクリスマスと比較すれば、圧倒されている実態にあり、まるでブラックバスに駆逐されるかのようだ。
雛祭り・端午の節句は、バレンタインとホワイトデーにやられた。
勝負するものではないのだろうが、負けていると思う。
日の丸よりも、クリスマスツリーのほうが多いという現実。
ようこそ、謎の国へ。
保守として、忸怩たる思いでそれを見つめる。
この原因が何かを考えてみると、メディアとスポンサーという解を得た。
バレンタインは、そもそもチョコは関係ない日のようだが、「チョコを売りたい」スポンサーの意向に従い、そういうアプローチを擦りこんでいく。
当事者たち、参加者たちが「自らそうありたい」と願うようになり、それが自然である状態になるまで。
まとまっているサイトがあったため、引用する。
日本におけるバレンタインデーの歴史
1930年代 バレンタインデー誕生期
・1932年:モロゾフが日本でチョコレートを販売し始めました。
・1936年:モロゾフが日本で初めてバレンタインデーにチョコレートを贈ろう、という新聞広告を英字新聞「ザ・ジャパン・アドバタイザー」掲載しました。
1950年代 バレンタインデー初期
・1958年:メリーチョコレートが伊勢丹新宿本店でバレンタインセールをしました。ただ、3日間開催されセール中に売れたのは30円の板チョコ5枚と4円のカード5枚だけとのこと。
1960年代 バレンタインデー黎明期
・1960年:森永製菓が新聞広告によるバレンタイン企画を展開し、徐々にバレンタインデーの認知を広めていきます。
・1965年:伊勢丹がバレンタインフェアーを行いました。
・1968年:ソニープラザがバレンタインフェアーを行いました。
1970年代 バレンタインデー成熟期
・1977年:石村萬盛堂がバレンタインデーのお返しにマシュマロを贈ろという企画「マシュマロデー」を初めました。これがきっかけで、ホワイトデーが誕生します。(ここかぁーー)
1970年台は、女子中高生の間で好きな人にチョコレートをあげる、という文化が広まった時期です。
1980年代 バレンタインデー派生期
・1980年:明治製菓・不二家・篠崎製菓・宮川製菓・サクマ製菓・佐久間製菓・マルエ製菓・金太郎飴本店・カンロ・ホームラン製菓・みやこ飴本舗・二葉製菓・メリーチョコレートが加盟する全飴協・関東地区部会が、「ホワイトデー企画委員会」をたちあげて、「ホワイトデーキャンペーン(バレンタインデーのお返しにはマシュマロやキャンディー)」というものを提唱していきます。(ここもだぁーー)
・1984年:第5回ホワイトデーキャンペーンでは、お返し用のキャンディーが品不足になりました。ちなみに売上は55億円だったそうです。
このあたりから、「好きな人にチョコレートをあげる」から「感謝を伝えたい人にチョコレートをあげる」という義理チョコも生まれてきました。(ここでもかぁーー)
もう、お菓子メーカーやりたい放題です。
物を売るためなら、なんでもあり!
と批判的に論じるのみではない。
これがビジネスであるし、これがマーケティングなのである。
ただし、購買力には限界があり、一強が生ずれば、他弱は衰退する。
例えば、行政主導の大きな祭りが産まれた影には、土着の伝統行事の衰退があるように。
全てを「否」とすることは、資本主義の否定でもある。
ゆえに、全否定はしない。
新自由主義に対しては批判的であるが、物を売るためのマーケティングが、文化のような形をとったことまで否定することは、私にはできない。
ただ、そこに影があることは主張したい。
その影とは、商業的理由により発生した「人造」文化の発する強い光により
何かが失われていく、ということだ。
クリスマスは天長節のブラックバス。
雛祭り・端午の節句は、バレンタインとホワイトデーに敗れた。
この例えの意味、比較した意味も伝わるのではないか。
知っている人のほうが少ないのではないか?
バレンタインだって、クリスマスだって、
その起源など知らず、なんでも楽しむのが日本人の国民性なのだろう。
ハロウィン、あるいは、ハロウィーン(英: Halloween または Hallowe’en)とは、毎年10月31日に行われる、古代ケルト人が起源と考えられている祭りのこと。もともとは秋の収穫を祝い、悪霊などを追い出す宗教的な意味合いのある行事であったが、現代では特にアメリカ合衆国で民間行事として定着し、祝祭本来の宗教的な意味合いはほとんどなくなっている。カボチャの中身をくりぬいて「ジャック・オー・ランタン」を作って飾ったり、子どもたちが魔女やお化けに仮装して近くの家々を訪れてお菓子をもらったりする風習などがある。
>ケルト人が自然崇拝からケルト系キリスト教を経てカトリックへと改宗する過程でケルトの収穫祭に合わせてカトリック教会が諸聖人の日を11月1日に設定したとされている
よその国の、新嘗祭のようなものか?
(新嘗祭は、日本の収穫祭です。)
ケルト人もびっくりである。
日本に置き換えれば、アメリカ人が「NIINAMEふぇすてぃばーる!」と言いながら、「提灯をもって仮装」して、「和菓子もしくは折檻」と叫ぶようなものか。
意味がわからない。
私は、天長節の記憶が、ほとんどない。
だから、どう祝っていいか、感じていいかわからない。
20年後、30年後、雛祭り・端午の節句を知らぬ子供も出てくるのだろう。
それを知る「私たち」しか、伝えることはできぬし、感じることはできぬし、守ることはできない。
憂うだけでは、これからの日本人に笑われる。
憂うだけでは、頼りない。
いまを生きる日本人しか、できにこともあるはずだ。
なぜ、保守の伝統行事が廃れていくのか。
はっきり言う、楽しくないからだ。
「人造」文化は、メディアの大きなクローズアップもある、ドラマで素敵なエピソードにされている場合もある。
そうやって浸透していく。
だが、結果として「楽しそう」なのだ。
やりたいと思ってしまうのだ、参加者は。
一旦、「スポンサーの意向」や「保守側の意向」は捨てて頂きたい。
参加する者は、どちらが楽しいか。
必要性からのみ催事を論じることは難しく、
そこに楽しい記憶とエピソードがあって初めて、祭りとして成立する。
あの日の縁日がそうであったように。
私は理系で、ややドライすぎる考え方をする。
ただし、縁日の屋台で食べた、白くて甘いものは、
砂糖を熱して液化させたのち、回転運動をもって遠心力により射出され、
細い糸状になった糖分を、割り箸等の棒状のもので巻き取ったものではない。
それぐらいはわかる。
綿菓子は、綿菓子で、あの日、あの場所で食べたからおいしいのだ。
そこには思い出が、共に在るからだ。
ハロウィーンを楽しむ若者は、楽しげである。
羽目を外し過ぎ、迷惑にすらなり、警察まで出動するレベル。
これを単に批判することは容易だが、それだけでは頼りないと思う。
私は、あの光景を見て、羨ましいと思ってしまった。
もし、保守が復活を望む伝統行事が、あの光景であったならば、と。
怒号と政治主張の中、大量の日の丸がたなびく光景ではなく
人々の笑顔と共に、それがあったのならば、と。
ハロウィーンに思う。
私たちに足りぬものは何か。
笑顔と、エピソード、記憶である。
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「保守」を自任される方には面白くないと思いますが、「天皇制」が明治から力を持った人工的な若いシステムだからではないでしょうか。
「新嘗祭」は、農業従事者(特にコメ農家)ですら知っている者がどれくらいの割合いるか、そもそも疑問です。畜産、漁業に至っては、感覚的に自分の生活と結び付けられるものなのだろうか。
複数の異論を併記している「日本書紀」は、「日本人」に複数のルーツがあることを暗示しています。日本の神話も「日本人」と総称される集団も決して一枚岩ではない。
その証拠というか、「三大奇祭」と称される7年に一度行われる諏訪大社の「御柱祭(式年造営御柱大祭)」はハロウィンとは別種の、大変な盛り上がりを見せます。日本全国を見渡しても、ルーツや生活と密接なつながりを持つと思われる祭りは、いまだに力があります。
私が無知なだけかもしれませんけどね。
「祭り」というものが、「集団の構成員と”神”との交流」であるという観点から見るなら、クリスマスやハロウィン、バレンタインデーは「先進国グループとして共通の価値観を再確認するための祭り」としての意味があるかもしれません。
渋谷のDJポリスは「日本語や”英語”で」注意喚起をしたそうです。
中国語や朝鮮語は登場しなかったようで(笑)。
渋谷方面の方のレポートをお待ちしております。
ボジョレー・ヌーヴォーみたいに、古式ゆかしく和紙で包み、ありがたい宮内庁印を付けた「新嘗祭米」を小分け割高で販売し、「『日本人』を実感するために、新嘗祭の日には、新嘗祭り米を食べよう!」とキャンペーンを張ったら解決しそうな気がします。天皇陛下自ら植えられた種もみがルーツなら、言うことなし。寺社本庁も潤って、文化保護資金も溜まるでしょう。ついでに「お茶碗とお箸と箸置きの新調は、この日が吉日」と触れ回り、焼き物、木地メーカー、塗師にハッパをかければ経済も回るかと。
外国人旅行客にも、よいお土産になるでしょう。
「天皇制」が明治から力を持った人工的な若いシステム
だからではないでしょうか。これは 何故かおいらの
推測ですが 憲法をつくる必要があり 作れば必然と
しての形だと思いますよ 有史以来変わらないことを
形にしただけです だから 若いシステムなど 無知
だと思いたいですね
おいらの何代前か判りませんが 縁類者が
新嘗祭にお米を献上するために皇居に行き
納めている写真がありますが これは
これで 日本人としての一ページではないで
しょうか 日本人のルーツはこの地球ですね
「有史以来変わらない」とは、一体、何を根拠にした発言なのか理解できません。
平安時代に王朝文化が花開いたのは事実ですが、戦国時代、江戸時代、「天皇」は「京都辺りにいるなんだか偉い人」で、行政を左右したり国事を象徴したりする位置にはいませんでした。正確には日本史に詳しい方にお任せしますが、強いて言えば官位の後見人でしょうか。
再びスポットライトがあてられるようになったのは、明治以降です。
たいへん疲れるので、「マイドリーム」を根拠に私に返信するのはやめてください。
個人の体験談や口伝を一般化するのもやめてください。
「推測」は史実の上に構築してください。
長崎(日本)に写真機が持ち込まれたのは1843年です。
「有史」と比較するにはヒトケタ違い、あまりにもお粗末。
あしからず。
ハロウィンに思う。国旗の数より、クリスマスツリーの数が確実に多い謎の国。 私は、ハロウィーンに疑問を持っている。 いったい何をやっとんるだ、 そう思った私は、やはり年をとったのだろうか。 商業的に、「人造
雛祭り・端午の節句が「行事」っぽく残っているのは、それ以外でまともに売れなくなっている人形メーカーが死活問題として後押しをしているからなわけで・・・
消費者として楽しいかと言えば、そうでもないのは確か。
条例等で3月3日と5月5日の間の4月4日を「オカマの日」にするというネタを実現させて、そこからLGBTのTの”お祭り”などを仕掛け、桃の節句にLを含ませたイベント、端午の節句にGも含ませたイベントを行う、というようなことなら政治的に可能かも。
単に関わる人を増やすだけなら、いわゆるクールジャパンの一つとして、外国に雛人形と兜を広めて、外国人を巻き込むのもアリだし。
あと、バレンタインにせよクリスマスにせよ、起源とは関係のない楽しいイベントにしてしまうのは、それはそれで日本人の特性全開の結果なのだから、必ずしも悪いことではないのでは?
雛祭りや端午の節句は家族単位、いわば内向きで他者と何かを共有する外向きの
発信力に欠けますからね。
雛飾りにしても、鯉のぼり、鎧兜も借家ではなかなかに厳しい。
まぁ、それ以前に肝心の祝われる 子供 の絶対数が少ないわけだけれども。
フィギュアとしての雛飾り コスプレ衣装的な鎧兜なら大きいお友達に売れるかもね。
「国旗の数より、クリスマスツリーの数が確実に多い」事は商業的イベントに負けたと言えばそうかもしれない
しかしそれは一端に過ぎず、その他の要因・・・自虐教育・愛国有罪教育が浸透してしまっている事の現れではないかという気もいたします。
祭りが増えることは良いじゃないか、他所の神さんの大切な日にかこつけて感謝や愛情を伝えるイベントがあっても良いじゃないか、そう思います。
そう言う何でもアリのおおらかさが八百万の神々をいただく日本の良いところじゃないでしょうか。
(まぁ元義もよく知らずバカ騒ぎするだけのハロウィンはちょっとどうかと思いますが)。
なので、保守派の人が為すべき事は、愛国は罪ではない事を知らしめ、古来の行事も皆に思い出して貰えるように啓蒙して行く事ではないかと思います。
僕は端っからハロウィンに興味ありません
クリスマスにも興味が感じられなくなったもんで……
支持、賛成!
子供の頃はクリスマスツリーに憧れたりしましたね、キラキラしてるし、日本では子供騙しなんですよね。 元々の国では、ある程度やはり厳かな面がちゃんとあるから。
もう少し年を取った頃は、まあ、商業的なイベントだし、それに合わせて売る方も色々商品を考えるからお互いに良いかなと思いました。
しかし、最近は何か意図的に日本の昔からの行事が、蔑ろにされたり無理矢理くっつけれて変な風にされたりこれは一寸酷いし、問題だと思う様になりました。
家の創りとか、マンションだとか、町の創り、多文化共生とか押し付ける連中とか。
変わったり、廃れたり、難しい事も沢山あるけど、故意にそういう方向に向けられるのは嫌です。今昔の行事を懐かしく思い出します、母は大変だったなあ(何十人も集まり、家でご飯出したりしてました)。とても出来ないとか思っちゃうけど、受け継いで行かなくちゃですね。
しかし、ハロウィンは無いな、気持ち悪いし大嫌い。カボチャも嫌い(笑)だし。
当方、仏徒なれど家族とのクリスマスだけは欠かせません。
別に耶蘇信徒にかぶれているのでは有りませんが、
生国が長崎市内育ちで幼稚園から高校までミッション系で育ってきた影響が大きい。
祭りは何であろうと人と人とのコミュを大事にするイベントと思っていますので、
まぁ、ハロウィン程度で目くじらを立てる必要はない気がします。
そのうち廃れるのではないですかね。ハロウィン自体、教会が無視していますし、
我が国に耶蘇教が入ってきた歴史とその長さを考えれば、クリスマスとハロウィンを
同列に論じ得ない感じです。
高度成長時代、アメリカものが大変なブームになったことがあります。
車からファッション、音楽まで。そのことを心底心配した人もいました。
このままじゃ、日本はアメリカになってしまうぞ、と。
今思えばアホみたいなことですが、そういうことを真剣に語られていた
時代が確かにあったのです。上の言葉、言ったのはまだ髪がふさふさ
だった頃のさだまさしです。
ご承知の通り、日本はなくなっていません。日本人もさほど変わってはいません。
中国が世界一だった時代には、遣唐使を送ってその文化をガンガン取り入れ
ました。鎖国を国是とした江戸時代には、世界一の海運力を誇るオランダ
からその文化を学びました。20世紀に入ると日の沈まない国とまで言われた
イギリスと結び、ドイツが勃興するとその制度を取入れ、アメリカに戦争で
負けると今度はアメリカからガンガン文化文明を取り入れました。
その瞬間だけを見た人はきっと、今の小坪さんと同じ思いをしたのでは
ないかと思うのです。
多様な文化を取り入れて、日本流にアレンジしてゆくこと。それこそ
日本人が大の得意とすることでしょう。
いつもそうしてきたのです。そして、日本人の創意工夫と相まって
それがいろいろな形で文化として定着し、またそれを壊して新しい物を
作り、また取り入れては壊して作り。そんなことを繰り返してきた民族です。
どんなもので変わってゆきます
面白ければ賑わい、つまらなければ廃れる
お祭りも同じでしょう。とくに思想を強要されるわけでなし
楽しめるならそれでいいのでは。
端午の節句とかひな祭り、七夕など、みなぞろ目です。
あれは中国では縁起の悪い日とされていて、その日は
家の中で過ごしましょう、って日だそうです。
そもそも、中国からきた文化です。
それをお祝い事にしてしまったのも、日本の商業主義に過ぎないのでは
ないでしょうか。千歳飴を作って売り、鯉のぼりを作って売るために
作られた祭日なのではないでしょうか。
それが欧米からきたものに、市場を奪われただけのこと。
イベント構成力の欠如が招いた失態、だと思います。
お祭りは神聖なものじゃありません。楽しむものです。そのことを
忘れて伝統に頼った日本人のイベントが、廃れてゆくのは当然の
ことではないでしょうか。
ところで、ハロウィンがこれほど急激に市場を拡大させているのは
すでにブームになって久しい「コスプレ」と簡単にリンクできるから
という側面が見逃せません。インスタの存在も後押ししていますね。
そういうツールを利用することを、日本のお祭りは忘れているのでは
ないでしょうか。そうである限り、これからもどんどん廃れてゆく
ことでしょう。
しかし、一般市民たる私たちはそれで何も困りません。そうやって
他国の文化をどんどん取り入れて新しいものにしてきた。それこそ
日本文化の強みです。なにも、心配など及びません。
まだハロウィンに興味がある人はそれほど多くないような感じもしてます。先日某天気サイトからハロウィンに関する問いかけがあったので答えたのですが、興味なしだったと思う(やらないだったかも)のですが、かなり高い割合を占めていたと記憶してます。
それでもハロウィンがこれだけ認知され、強制的?に盛り上げられているのは、やはりマスゴミが原因だと思います。昨日も夕方天気予報を見ようとテレビを点けたら、ハロウィンですからね。
こんな印象操作みたいなことをしていたら、確実に何年かあとには、日本中がハロウィンになってしまうような気がします。
**********************************************************************
共産党は2016年9月13日からの警告を無視し続けましたね。
ならば、下記は決定事項と承諾したものと見做します。
・『テロを利用する共産党』
・『テロリストの味方である共産党』
・『テロに屈する共産党』
**********************************************************************
日本の祭りは、地域や近所との信頼関係が無いと、催す事すら困難なものが多いのも一因かと考えております。
神輿を組立てたりするのだって、複数人で組上げないとなりませんし、担ぐのもそうです。
多くが実行員会にあたる組織が必要で、新参者が入って行く隙きが無い事が殆どでしょう。
端午の節句、桃の節句は子供が居無いと意識する事は少ないでしょうし、天長節は格式高いので馬鹿騒ぎは憚られます。
それに対し、クリスマスだのハロウィンは、地域や近所との信頼関係も不要ですし、個人単位で勝手に馬鹿騒ぎ出来る手軽さが、浸透速度を早めているのではないでしょうか。
まぁ、カップラーメンみたいなものですかね。
その意味から言えば、この手の外来イベントは日本人にとって「インスタントお祭り」なのかも知れません。
子供の頃から一番好きなお祭りが七夕でした。
織り姫さんと彦星さんが会えるように祈りを短冊に書くのがすきでした。
その次がクリスマス。
小さなプレゼントを作ってサンタに化けて家族に配るのがとても嬉しかった。
今は保守の中で口にすると攻撃されそうなやさぐれクリスチャンですよ。(笑)
でも日本人ですね、祭という祭は楽しみます。
一つ気がかりなのは確かに小坪先生の仰るように日の丸の数。
私が若い頃まではまだそうでもなかったのに、旗日の日の丸はのんびり休みの日を、
何かの祝いを一緒に祝うかのようにゆるくそこここではためいていたのに。
ここ15年くらいでしょうか…日の丸を掲げることが右翼宣言のように忌避されるようになったのは。
誘導した連中はさぞかしやほくそ笑んでいる事でしょう。
ところが意外なところから持ち直しがきまして。
まず外人観光客が日本文化をちやほやし始めた。
若者が化繊で作れるようになって安くなった着物を着るようになった。
中国で作られた安い浴衣を着るようになった。(苦笑)
20年前くらいからすれば倍以上。お祭りにさえ洋服だったのが浴衣娘大発生。
コスプレ様々。そこから和物が浸透する。巻き返す。
ならば日本のお祭りも巻き返せます。
ひな祭り、端午の節句…町内仮装パレードで町内で子供の成長を祝う日に。
社会で子供を育てるという日本の伝統文化を残すのにはうってつけ。
着物を子供の頃からなじませるというのにもうってつけ。
新嘗祭はこのままではそもそも意味が通じないので『新嘗収穫祭』にして頂ければ
あちこちでとれた今年のものを持ち寄って鍋祭り。
それぞれに日の丸、桃花、菖蒲の花、稲穂を振って頂けば。
あとはどんな企業がどんな利を得られるかで宣伝効果は大きく変わりますね。
『日本伝統文化振興』を世界的に商売にしていく企業が出てこないかしら…
日本の伝統文化産業は各個撃破されてしまいますよ、参謀・司令官が必要。
難しいなと思うのが天長節。クリスマスと違って代ごとに日が変わりますので。
もうこれは、この間話題になったように、ツイッターでおめでとうございますを言うところからやっちゃって構わないのでは。
『天皇誕生日おめでと あんま絡みないけど、素敵な82歳にしてね 』あれは衝撃的に素敵でした。(笑)
子供がこういう風にお祝いを言っていいのだと言うことで。
大人もこの行動力は見習った方がいいかも。もちろん大人としての言葉で。
1億人から「おめでとうございます」が行くような天長節になるといいですね。
ツイッター、FB、バースデーカード、お手紙。
天皇陛下もツイッターなどなどなさってくださって「ありがとう」なんてありましたらもう、感激です。
…陛下と国民の間がわりと離されてしまって、間に入るのが侍従と週刊誌というのがなんとも恨めしい今の成り行きです。
ハロウィーンは集団コスプレイベントの日。
このままでは商業的に売り上げが小さいので、小さな子供を取り込む企画が進むだろうが、個人の創作性が必要なので限定的な事と、日本人の深層に、これ以上イベントを増やされても迷惑との冷ややかな目も有ると思うよ。
平成11年8月13日から、日本国の国旗国歌が正式になった。それまでは、自衛隊のような暫定的なものを、オリンピック等の表彰式に使い国民は感動していたってわけだ。
いまだに、「建国記念日」の無い、情けない国だよ。
.
おいらの子供のころ 正月 祝日 に家の前に日の丸を掲げていました
町内同じでした 何故か 父親が 日の丸を出さないで良いだろうと
言ったのです なぜか いつごろかも思い出せませんが そのころ
町内も出していない光景が 記憶にあります 掲げていた記憶から
掲げていない記憶が今に続くのです
明治維新はなぜ起きたか 明治維新の前に 日本は西洋と戦っています
長州と薩摩ですね ことごとく負けましたそれも日本の最強藩ですね
それが負けた後日本人は周りの国を見渡すと チャイナも植民地に
されています 日本の植民地になるのは時間の問題でした それを
阻止するために 明治維新と憲法だと思います その憲法に9条があれば
日本は植民地に完璧になっていたでしょう 今の時代も植民地のまま
だと思います それで 白人世界に日本人は負けたのです 今
中東で起きていることは この白人の身勝手だと思いますが この
日本で起きていることは まったく違います この時代に侵略国家
であるチャイナがますます侵略を戦争をしようとしているのです
南シナ海だって一時期平和な島で軍事目的では無いと言っていましたよね
嘘ですね 日本人の皆様もう一度日本を守る時が来たのです
この前の危機より今回の方が もっと難しい防衛戦になると思います
それは 日本の中に紛れ込んでいるからです これは こんご
大問題になる可能性があります 兎にも角にも今回憲法を改正する
必要があるのだと思います。
知ったかぶりして 己だけが正しいという
狭い考え
前に進むだけですね
>知ったかぶり
誰しも自分の知識をベースにコメントを書いているのだから、知識が不足している側の目にそう映るのは当然だろう。
あなたは違うようだが、私は専門知識の持ち主のコメントは、自分と異なるものほど、賛成反対は別の話として有難みを感じつつ読んでいるよ。
>己だけが正しいという
私がどこでそんな対応を取りましたか?
私は根拠ある発言には耳を貸しているし、間違いを指摘されたり相手の発言内容に理があると思った時は意見や対応を変えている。
妄想のダダ漏れもいい加減にしなさい。
「推測」「思った」を根拠に、自分語りをねじ込むあなた個人の問題だよ。
最低限の検索くらいしてから書き込むようにしなさい。
話題が本筋を離れますが、ブラックバスは、湖北などの水のいいところの魚を、肋骨の脂身を丁寧に取り除き、フライにすれば美味しいです。ご参考まで。
先生の記事を読んで、ふと思いました。
「保守の文化」は「家族」を念頭に置いた文化ではないかと。
端午の節句やひな祭りはその典型のような気がします。
現代は親も子供も忙しいですから、個人や友達関係に的を絞った行事やイベントが
流行るのでしょう。しかしそうした経験が積み重なってゆけば・・・。
日本人のこころに今なにが根付こうとしているのか・・・心配です。
駄文ですみません。
日本の伝統行事が廃れて行くのもまた仕方なし。というご意見もありますが、日本が日本である所以は「やたらとマメに記録する」「大事に取っておく」ところにもあるのではないかと思います。
京都になんであんなに全世界から観光客が来るかと言うと古い神社仏閣がたくさんあったり、古い町並みが残っているのが面白いからで、それは世界的にも貴重な訳です。
日本のひな祭り、端午の節句だって七五三だって、昔は乳児死亡率が高かったから子供が無事発育するというのは大きな喜びで、それを願い、祝っていた訳ですよね。
今は高齢化社会ですから、国会議員の誰もが理解しつつ大票田に打撃を与えるのを恐れて高齢者医療負担増などは言い出しませんけれども、早晩社会保障制度は破綻すると考えられ、そうすると戦前(のレベルにまで落ちるか分かりませんが)のように田畑を売って一家の大黒柱のみ、病院にかかれる。という程度まで医療アクセスが悪化する可能性もあろうかと思います。
するとただでさえ診療報酬で冷遇されて数が減っている小児科は(今も絶滅危惧種ですが)もっともっとアクセスが悪くなり、また桃の節句、端午の節句の時代くらいまで医療レベルが落ち込む可能性も(このまま少子高齢化と高齢者医療の厚遇に対して何も手を打たないなら)十分ある訳です。
なので日本人としてはこういう心の原風景足りうる無形文化財?のようなものも残して行きたいですね。時代ごとのアレンジは必要かと思いますが(ミニチュアおひな様など)。
社会保障制度はすでに破綻してます。
目立ってないだけです。
今までが安売りしすぎてたんだと思います。
救急車問題しかり、生活保護しかり、外国人医療問題しかり、、、
そういえば、子供の頃は親戚の家に集まって
豪華な雛人形を飾ってたのが、今では全く見なくなったなぁ。( -ω-)
伝統行事の勃興については、小坪氏と同じく、
複雑な思いはありますね。(>_<)
カボチャをくりぬいて生首に見立て、木の枝に吊るすと言うのは良く考えるととてもグロテスク。
コスプレもゾンビやら魔女やら、陰性のイメージのキャラクターが多い。
日本の祭りにはそぐわないな。
尤も、渋谷やらで騒いでるのは単なるパロディ仮装大会。撮影してネットに上げたり、テレビのニュースに映ったりするのが目的。
雛祭りを商業的に成功させている例があります。
日本全国で3月?4月にかけておこなわれる「雛めぐり」です。
私が住んでいる新潟県村上市では「町屋の人形さま巡り」というイベントがあります。古い家並みのお座敷に雛人形を中心に色々な人形を展示し、観光客に公開しています。
元々は隣の庄内地方で「雛街道」として始まったイベントを村上の老舗の主人が自分の町でもやろうと声をかけたものだと聞きました。
地元テレビ局やJRにPRしました。それが成功し、今では「ひなめぐり」で検索すれば全国で数え切れないほどの同様のイベントが開催されています。
旧い町並みも人形もずっと昔からあったものです。「観光資源」だと気がついたことが成功でした。行橋市でも同様のイベントがおこなわれていませんか?
工夫次第でもっと日本の良いところを知らしめることはできます。
マンガでも「ちはやふる」(かるた)、「あさひなぐ」(なぎなた)、「とめはねっ!」「ばらかもん」(書道)「ましろのおと」(津軽三味線)「3月のライオン」(将棋)などがあります。どれかを手にとっていただけるとうれしいです。
リベラルな安倍政権では望めないが、
高橋是清や池田隼人の様な政治家が内閣を組織して
政府支出を増やしてやれば子供も増えてひな祭りや端午の節句の様な
伝統行事も復活する。
何故なら、
〇日本人は子供好きであるから子供ができればやりたい人が増える。
〇政府支出と国民の平均所得の間には強い正の相関がある。(経済の常識)
保守の皆さんが応援する安倍政権が続く限りは伝統行事の復活は
難しいと思う。
はじめてのコメントで失礼します。
ちょっと気になりましたので老婆心ながら私見を書かせていただきます。
しきたり事は家庭を持つ持たないでずいぶん違いますよ。
内のことだから手順もいろいろ出大変。
雑煮一つでも出汁から決まりごとがあります。
神事があるところはもっと大変でしょう。
あ、ちなみに数えでの歳は一斉に元旦に取っていたので誕生日を祝うこと自体西暦が来てからの習慣ではないでしょうか。天皇誕生日に関しては大正天皇についてのこともありますし。
こちらの田舎では初七夕というものもあります。一斉に全国一律で祝うという考え方も伝統を重んじた場合、実は無理があります。お祝い事で食べるものも元々は地産のもので違いますしね。商業利用のために一律にしてあるのではないでしょうか。そして地域振興の名のもと新しいお祭りも作られています。でもこういう官製のお祭りって実は人気ないんですよね。皆さん人を集めるのに必死なわりに条件が面倒なことがほとんどで。でも日田のお雛様とか、柳川のさげもんは成功例だと思います。
ハロウィン、クリスマスは友達が騒げるイベントでしかない。ミサに行くわけでもないですからね、ほとんどの人は。でも、自由に騒げる場所も必要なのかもしれません。ちょっと趣は違いますがコミケなんかの隆盛もそういうことなのでしょう。みんな集まって騒ぎたいのにしきたりや伝統でガチガチで既存のお祭りには参加すらさせてもらえない。(祇園山笠なんか外部の手が入らないと維持できないのに相手の立場によって扱いがずいぶん・・・。まあ男衆にはわかりにくいことかもしれません。)
ポルトガルのどんたーくをもじった博多どんたくが現在は延べ100万人の人出があり、ディズニーのパレードも参加。その中で神事は地域の人たちが脈々と営んでいらっしゃる。
こういう緩いのもいいんじゃないかと。
長文失礼しました。
2600年の歴史を持つ我が国において、ハロウィーン的な行事は既に江戸時代において、似たような仮装行列を文献で見た事があります。
また、京都の祇園では「お化け」と言われる行事があり、男が女に 女が男に扮するものも有ったかと・・・
日本人は基本的に祭りが好きで、また、日本にいらっしゃる神様方もお好きかと思います。大勢の人混みに混じって地上を楽しんでおられるかも。
ちなみに我が家では、お雛様を飾らないとお嫁に行けない。と言う言い伝えがあり、娘達自身に飾り付けをさせております。
ハロウィンは各地方の伝統行事が廃れ都市部の人が新しいお祭りを望んだ結果ピックアップされた、地方の衰退と都市への集中の象徴なのかなあと思ったりします。
海外と取り引きしてるとハロウィンの広告でサマータイム終了に気付けるので個人的には割と便利な風物詩ですw
日本の伝統の祭りというのは原則として地域のものであることを鑑みて、現代的かつ国全体で盛大なお祭りにしやすそうなのは陛下のお誕生日ぐらいでしょうか。
ハローウイーンはクリスマスなどと違ってキリスト教の祭典ではありません。
ケルト人(シーザーのガリア記のガリアはケルト人の棲みかを示し、中欧全体に広がっていました。)の宗教ドルイド教の祭典で、日本でも世界中で催されていた秋の収穫を祝う、アニミズム的な行事でした。
キリスト教はハローウインを容認したり、残忍な邪教の儀式として否定したりしていました。
カブのランタンは日本の縄文時代の土偶を彷彿とさせられないでもありません。
日本の祭日・祭は正月(元旦)以下、建国記念日(2月11日)、みどりの日・昭和天皇誕生日(4月29日)、こどもの日・端午の節句(5月5日)、文化の日・明治節(11月3日)、勤労感謝の日・新嘗祭(ハローウインと同じ秋の収穫祝い11月23日)、天皇誕生日(12月23日)等が有ります。
私が疑問に思うのは、藩政時代より日本の風物詩にもなっている盆と正月のうち、盆休みが祭日にない事です。
仏教の先祖供養と言う宗教が絡んでいるから政教分離の精神からかも知れませんが、民族の大移動の様な国を挙げての伝統の大行事を国家として無視することに疑問を感じます。
そもそも釈迦の仏教は諸行無常と縁起を説き、アートマン(自我・霊魂)も無常であるから不滅のアートマンも否定しました。これはバラモン教のカースト制に論拠を与えた輪廻転生思想を否定するものでした。
龍樹の大乗仏教の時代になって唯識論などの難解な教義が説かれ霊魂は在るかも知れないし、無いかも知れないと言ったファジーな様相で日本に伝わりました。
日本はケルト人と同様で、アミニズムと一神教から貶されようが、縄文時代より八百万の神に畏敬と感謝の念を捧げてきました。
日本社会はこのような中で独自の神仏習合の文化を根付かせ、盆には先祖供養の為、都会へ出た人々は故郷へ藪入りし墓参りをする風習を築いてきたのです。
日本人は外来のどんな風俗や作法が入って来ても、大多数の国民が一神教や唯物論に心底から囚われることの無かったように、思慮深さと対応力を兼ね備えており、自らを失う事なない国民だと思います。
バレンタインデーもクリスマスも同じ。
日本に根付いた理由は男女の色恋の為。
男女の結びつきに特化したような行事。
日本の伝統行事にはちょっと見当たらない。
クリスマスは家庭の団欒を作るので、良い面もあります。バレンタインも学生時代は甘酸っぱい想い出もあり、同様かと・・。でもハロウィンだけは別です。仮装するのは構いませんが、馬鹿騒ぎをして他人に迷惑をかけるというのは感心しません。
昨今のライブでもサーフだのモッシュだので、馬鹿騒ぎをして他人に怪我をさせたりと、「自分の楽しみのためには他人に配慮しない」というのが、既に当たり前になっているようです。
当然この世代が結婚をし、子供を生みますので、もはや手遅れ。日本という国は30年もしない内に多民族国家になり、今とは全く違う国になるのでしょう。残念ですが・・
この伝統のない国は欧米でも多く、ハロウィンを拒否する家は結構あります。ひょっとするとリベラルメディアが世界戦略的に広めているのかも知れません。こんなぼろや小物を購入して着る位なら、世界中が憧れ、日本の伝統文化そのものを体現していながら、業界全体が消滅、技術継承の危機に瀕している着物を着る機会が、僅かにでも増える事を望みます。
自分の家になくとも習い事や行事で必要となると、いつの間にやら親戚筋や知人などから、おじいちゃんおばあちゃん始め、誰かが大切に着ていた着物や衣装が、どこからともなく集まってきます。高価な新品でなくても、インターネットでリサイクル品の購入も可能です。こうした伝統文化や行事が戦後、意図的に巧妙に代替イベントや習い事にすべて置き換わった事が、文化消滅の危機を深刻化させています。チョゴリなど着せるくらいなら、全国の公立校で浴衣や着物の着方を教えてはどうでしょうか。
会食、展覧会、寺社皇居参拝、初詣で、着るきっかけは幾らでもあります。近隣の伝統文化イベントを探して参加する事も有意義です。自治体や寺社主催なら安く誰でも参加できます。たまの休日に着物で寛ぐ事も、心のゆとりに繋がります。伝統消滅の危機に対し、本来機能するはずの行政や報道は全く期待できません。国民一人一人が意識していかないと本当に大変な事になります。
日本に入ってきた外国のモノは基本的に、魔改造を施され、再輸出される。
それは昔も今も変わっていませんよね??
カステラやら天ぷらやら学ランやら…
カルタ遊びだってそうです。
スパゲティだってナポリタンから始まって、めんたいスパとか和風しめじとか、名古屋に行けば鉄板に乗ったスパゲティが出てきます。
それが行事になった、というだけじゃないですか??
特に海外の方々からは「日本のハロウィンが一番クレイジーで最高だ!!」と言われているそうですよ。
ハロウィンは簡単に説明すれば、日本のお盆です。
昔の盆踊りって、もっと真っ暗にしてほっかむりして誰が誰だかわからないようにした、ってお話を聞かれたことはありませんか??
お盆で里帰りしてきたご先祖様が入ってきやすいように配慮されていたようです。
そして、いろいろ話が飛ぶように思うかもしれませんが、こんな話を聞いたことがあります。
四国八十八ヶ所巡りを修行としてしているお坊さん。たまに歩いていると、疲れとは別に脚が動かなくなることがあるそうで、そんな時は飴玉を少し舐めてから道路に投げるんですって。
そうしたら、また急に脚が動くようになるんだそうです。
そういえばお盆の施餓鬼供養ってお菓子をおそなえしますよね。
疲れは憑かれとも書けます。
よくわからないものに、唾液を付けた食べ物を囮にしてその場を離れる、というのは身代わりのようなもの。昔の狩人はそうやって餌撒いたとか聞いた覚えがあります。
なんでこんな話をしたかというと、共通点があると思いませんか??
お化けの仮装→暗闇でのほっかむり
お菓子をくれなきゃイタズラするぞ(Trick or Treat)→金縛りと施餓鬼供養のお菓子
西洋も日本も、大昔からの行事の裏の意味は同じところに行き着くって話だと思います。
収穫祭も間違ってないと思いますけどね。
でも、どこの地域でも祭りってモノが好きなのも、新しいモノを受け入れて魔改造を施してしまうのは、日本人らしいじゃないですか??
まぁまぁカッカせず。
迷惑かける人は論外ですが、非日常を楽しむことくらい、イィんじゃないでしょうかねぇ。
迷惑をかける人はハロウィンとは関係なく迷惑だし、だいたい祭りには頭がおかしくてウェーイ☆なおバカなんて、いつの時代もいたんじゃないでしょうか。
「祭と喧嘩は江戸の花」とかそんな言葉ありませんでした??
日本人ってお調子者はトコトンだと思いますよ。
どじょうすくいとか、鼻の下に割り箸二本刺すとか「何でそんなこと思いついたの??」って思いませんか??
日本人は真面目で謙虚です。でも遊ぶ時はトコトン羽目を外して全力で遊べるんですよ。
だからこそ、すごい発想力が生まれるんじゃないですか??
古い伝統ももちろん大切です。でも、同じくらい新しいモノも大好きなのが日本でしょう。
新しいモノを受け入れて、独自の色に発展させていくのが一番日本らしいと思いますし、それが ‘和’ じゃないですかね??
ハロウィンも、日本独自の文化に入り始めただけなのだと、私は思いますけれど…。
伝統と革新が共存できる国
それが、日本の姿じゃないですかね??
私は日の丸も君が代も旭日旗も和服もカッコいいと思います。好きな和柄は御所車です。
戦艦より戦闘機が好きです。金鷲とコブラの尾翼に萌えを感じる人です。
リベラルとかパヨクなんて言われるとカチンときますので、そこは否定しておきますね。
伝統文化はとても大切です。しかしその場にも新しい技術が入ってきたりします。
新しいモノにカリカリせずに、共存できるような道を選んでいってもらいたいものです。
こういった外国から入ってきた物は、全て企業の営利が目的ですよね。
「儲かれば良い」全てここに帰結します。
明治になって、武士の力が衰え、諸外国の考えに飲まれた「金が全ての商人」が幅を利かせる様になってから、イカれてきたのでしょう。
ハロウィンもクリスマスも明治節や天長節にかかっており、こういった日本の心ともいえる風習を潰す為に仕組まれたとしか思えません。
「儲けようぜ」という、自分たちが持つ弱さに付け込まれて(自発的かもしれませんが)文化破壊の一端を担う多数の企業。なんと憐れな事でしょうか。
ケーキだのチョコだのと体に毒でしかない砂糖をふんだんに使った商品で、日本人の心身を破壊し、病気を増やし薬や美容品を買わせる。
「ありがとう」ではなく、「物をよこせ」という強欲さを炊きつける風習。
これらを見るに、金の亡者共は、「儲かるし文化も日本人の精神も破壊出来てラッキー♪」位にしか考えてないのでしょう。
煽り抜いて金を使わせ、金の為に心身を壊すまで働かせ、ストレス解消や薬などの為に金を使わせる。精神的に退化させる。なんと見事な悪魔の如き流れでしょう(笑)
戦後の世の中の流れ、金が全ての世の中になった明治以降の流れ。
今の我々が向き合うのは、こういった世界との戦いだと思っております。
元々、日本の精神や文化は「奥ゆかしさ」であると言われておりますね。
諸外国の様に、言わなければ伝わらない、派手に宣伝しなければよろしくない、発言しない事は肯定すること など、どこか攻撃的というかそういったものではありません。
穏やかな水の流れの中に、何かを見て感じる事が出来る。これが日本人であります。
静の中に動があり、動の中に静がある。これが日本の神髄であります。
「祭祀の様な静かなお祭り」と「賑やかなお祭り」は分けて考えるべきだと思います。
日本の神道は、八百万の大神に感謝すること。派手に馬鹿騒ぎするものではありません。
WGIPによって、精神性の破壊が際立ってきた現在は、表面のみ騒げれば良いと言う事に捉われて、内面が見えなくなってきています。
一日頑張った時に浸かる風呂の心地よさ、お腹が減って減ってどうしようもなくなった時に食べる御飯の美味しさ、ふとした時に見上げる空の美しさ。
あぁ、今自分がこういった気持ちになれるのも、この国を作り上げてきてくれたご先祖様や命を賭して国を護ってくれている方々がいるからだ。
毎日、国民の安寧を祈ってくださっている天皇皇后両陛下がいらっしゃるからだ。
そして、大自然の恩恵あってこそだな。有難いなぁ?。
こういった感謝の心こそが、日本の淑やかなお祭りの本質ではないのでしょうか。
そういう理由もあって、企業の利益と祭りを結び付けて考える事に危機感を覚えます。ここをどうにかしなくてはならないのではないでしょうか。
とはいえ、その一方で、本来の日本人の気質として「賑やか・楽しい事柄」は、欧米人以上に好きでしょうから、そういった「馬鹿騒ぎ出来るもの」そして「企業の利益にもなる」様な「騒ぐお祭り」(文化破壊に関係無いもの)を考案出来ないものかと悩んでおります。
企業が利益の為に動けば動くほど、日本古来の心が輝くようにするという逆転の発想を地で行きたいのです。
しめやかな日本のお祭りを知り、賑やかな祭りを作り出す。両方の相乗効果が日本の精神性にも企業にも恩恵をもたらし、結果として日本が内外共に豊かに力強く発展していく。
そうすれば、日々の小さな事に感謝すること、即ち、しめやかな日本の心を取り戻す事に繋がるのではないかと考えます。
或いは、ハロウィンやクリスマスによって、日本文化に静と動の偏りが少なくなり、精神的な中庸に向かって来ているのかもしれません。
ハロウィンやクリスマスを凌駕し大騒ぎ出来る「日本らしい」祭りを考案し、日本人の精神を中庸に保ちたいものです。(陰と陽を知って中庸になると考えますので、今は一時的にその時期なのかもしれませんね)
ハロウィン繋がりで…いや違いますか。
「エガタマキ」でしたか?
大阪の旦那衆が女性陣に太巻き頬張らせてニヨニヨしていたのが元と、
ネットのどこかで見た記憶があります。
静岡出身で関東在住ですが、太巻きは切って食すものという認識です。
ハロウィン自体は否定しません。
仮装して騒げる西洋のお祭りは、画的にも盛り上がり、
南瓜のお菓子や便乗セールでお店もセールが出来ますから。
宗教や由来無視で遊べるのは、日本人に合ってるんでしょう。
雛祭りや端午の節句は、子供がいないと行事自体行わないし
せいぜい小学生まで。
それに、雛飾りや五月人形の高価な事!
準備する爺ちゃん婆ちゃんも大変ですよ…(汗)
本当に古来からある伝統文化も大事ですが、それはトップダウンな文化です。それとは別に、ボトムアップ的に突発的に流行する庶民文化というのは昔からあります。江戸時代に流行ったお伊勢参りもそうですし、土用丑の日のウナギもそうですね。それぞれ流行った理由には当時の時代背景があります。そしてそれも含めて大衆文化で、むしろ大衆の活気を示します。
紹介したサイトは、江戸時代のコスプレ文化を表します。昔から日本人はコスプレが好きだったw
http://fundo.jp/103269
そもそも、文化や伝統というのは変わらないものではなくて、どんどん新陳代謝をしていってこそ、生き生きと発展するものです。上でも若干議論があったようですが、「神道」も時代とともに変わって言っています。戦後や戦前、明治時代、江戸時代、鎌倉、平安、飛鳥時代、おそらく同じではないでしょう。
「神道」のベースにある自然崇拝、アニミズムは同じではないか?というご意見もあるでしょうが、灌漑技術や農業技術が発達した江戸時代以前と以後では日本人の自然観はどう変わったでしょうか?
そして、20世紀の科学技術時代以降、コンクリのジャングルしか知らない人々にとってはどうでしょうか?とはいえ、私は「神道」が無くなるとは思っていません。そのベースにあるアニミズムとともに、その時代に合わせた形が形成されていくのだと思います。
過去記事へのレスとなってしまい恐縮ですが、上で少し議論になっていた新嘗祭についてです。古くは、天皇がこの日に新米を召し上がるまでは庶民(農家も含むでしょう)もこれを食さないという風習があったそうなのですが・・・調べてみても地域と時代がよくわかりません、畿内あたりに限られていたのかもしれません。わからないなら書くなよというお叱りも受けそうですが、隅っこに書いてしまう私です(汗)
上で議論になっている事柄ですが、もうひとつ・・・
天皇は江戸時代までは庶民にろくに知られていなかった、すべては明治以降の政策によるものだ!!
という見解ですが・・・私は疑問を感じています。
少なくとも、お伊勢参りの江戸時代の流行は、伊勢神宮が天皇と深い関係があるからこそでしょう。どこのだれにゆかりがあるかわからない神社を、庶民がありがたがって足を運んだりするものなのかと疑問に思います。天皇の個人名は(失礼にあたりますから)知らないとしても、「朝家(天皇家のこと)祖先の神を祭祀している」ことは参拝者は知っているんじゃないですか? ムハンマドを知らずにメッカに参拝したがるイスラム教徒ぐらい、意味がわからないことだと個人的には思っています。
ほかにも、短歌や書道に関心のある方ならば、子供のときから三条天皇などの天皇歌人や、達筆で有名な嵯峨天皇の名前は知っているでしょう。百人一首かるたにも何人も天皇が登場します。お茶という植物の日本への定着にしても天皇が途中で関わってきますし、・・・要するに「日本文化」に少しでも関わったり興味をもったりすれば、いやでも「○○天皇」「○○院」の名前は目に入ってくるのが普通の日本人の生活ではないのでしょうか。
ハロウィンですが、私の周囲ではやっていませんし、私も年を取ったせいか(汗)、あの飾りつけを見ても面白味を感じなくなりました。異教(ケルト)のおどろおどろしさを感じます。近所の商店などでは、飾りつけされていましたけれどね。クリスマスのほうは、我が家では少し上等な食事を身内で楽しむだけですね。
駄文の長文で失礼いたしました。