「脱亜論」を朝鮮人こそ感謝すべき理由?福沢諭吉の生きた時代?

 

 

前回のエントリからの継続になる。
前項においては、現在でも通用する「脱亜論?福沢諭吉」について触れた。

文末において、CHINA・朝鮮は、脱亜論を批判できない理由があると述べた。
本項はその答えとなる。

【資料】脱亜論の原文と現代語訳?福沢諭吉の生きた時代?

また、これら背景を知らず、脱亜論のみを習っていた方は、
日教組教育の毒牙にかかっていた可能性がある点も指摘しておきたい。

併せて、これは一部の情報を、あまりに上手にトリミングしすぎるネットのスキルの弊害でもあると指摘したい。

 

 

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(OGP画像)
OGP(脱亜論2)

 

 

▼中国・韓国を述べるにあたっての前文がある。
内容も明治維新から遡っている。
近代化の流れを水際で停めたい思いが滲み出ており、根底には日本らしさを失いたくないという思いが滲み出る。
その上で、近代化を受け入れざるを得ない状況であることを受け入れ、言論人としての生き方を説いている。

 

 

▼当時の世界状況に思いを馳せる。
「受け入れざるを得ない状況」とは、西欧列強の台頭であり
今で言うグローバリゼーションの急激な流れのようなものだろう、
その中において、我が国が独立を維持していくためには必要だ、というもの。

「日本における維新に相当するものが起きなければ」
守旧派が続投し、近代化の遅れれば致命的だ。
シナ(原文ママ)、朝鮮(原文ママ)への批判、「国交を断つべき」という意見は、実はここから派生している。

脱亜論で維新に触れられていたことを、ご存じない方も多いと思う。
表面的に見れば、ネットで行われる主張の本旨とは離れるように感じる人も多いだろう。
しかし、実は極めて重要なパートなのだ。

脱亜論は、
国際情勢を鑑み、近代化を嘆きつつも重要性を説き
維新がなぜ起きたのか、その経過を述べている。
その上で、ネットで有名な批判は行われている。

 

 

▼併せて知っておきたい背景
もともと福沢諭吉は、朝鮮を支援している立場であった。
これは形ばかりのものではなく、心からのものであった。

前段において「維新に近いものがおきれば」という前提を付記させて頂いたが、朝鮮における維新志士を支援していたのだ。

代表例は開化派(維新と読み替えてよいと思う)の金玉均。坂の上の雲でも出てくるし、同署をベースとした日露戦争物語(漫画)にも出てくる彼である。彼らを通じ、福沢諭吉は朝鮮半島の近代化を訴えていた一人であった。
朝鮮への理解を深め、ハングルの使用が朝鮮近代化と民衆の教化に必要だと考えていた。

 

 

▼朝鮮維新
朝鮮維新は私の造語ためご注意を。
甲申政変(こうしんせいへん)もしくは朝鮮事件と言われるもので、簡単に言えばクーデターだ。
一部のネットユーザーには「閔妃(みんぴ)」の話だと言ったほうが早いかもしれない。

これは清国の属国であった朝鮮において、朝貢を廃止するという意図を持っていた。
ゆえに彼らは独立派とも呼ばれていた。

1%の支配階級が、99%を支配する凄まじい差別社会であった朝鮮において近代化をめざし、クーデター時、その日の内に以下が発表された。
清国への朝貢廃止、税制改革、宦官を廃する、王室内の行事に透明性を持たせること。
(日本と同様に)皇帝陛下独立国の君主として振る舞うなど。

これは予定されていた、ではなく
実際に発表されたもの。

そして今回のテーマ、福沢諭吉が支援した、目指した姿であったのだろう。

 

 

▼朝鮮の坂本龍馬
恐らく私のブログの読者は「朝鮮の人=悪い人」と認識するだろうから、先に定義しておく。
金玉均は、成功していれば坂本龍馬のポジションだ。
そして失敗に終わった甲申政変とは、日本における明治維新に近い側面がある。

明治維新=無血開城という側面もあるため
「明示維新+西南戦争」のようなものかも知れない。

福沢諭吉はこれを支援し、金玉均は友達だった。

 

 

▼朝鮮維新の計画
重要なパーティーの開催にあわせ、付近で放火を行い、混乱を誘う。
混乱に乗じて高官を倒し守旧派を一掃。
朝鮮国王はクーデター発生を名目に日本に保護を依頼。日本は公使館警備用の軍を派遣して朝鮮国王を保護し、その後維新志士ら(開化派)が新政権を発足させ、朝鮮国王をトップとする立憲君主制国家をうちたてて、日本の助力のもとに近代国家への道を突き進む、というもの。

日本との違いは、朝鮮は独立国とは言えなかったこと。
また、1%の支配階級と99%の被支配階級という、近代化にはほど遠い社会構造であったこと。
当然、生産性、国力とも大きく削がれる。

独立国家となること、近代化を果たすことは朝鮮国王、そして閔妃にも充分メリットのあることだった。
多事総論あるが、朝鮮維新による真の独立、これを朝鮮国王らは支援していたのではないか、と私は考えている。

 

 

▼朝鮮維新の失敗
清国の属国をやめ独立国になること、近代化を果たすことは朝鮮国王、閔妃にも意味のあることであった。
しかし、閔妃は清国に密使を送り、国王と閔妃の救出を要請する。
結果、清は軍を派遣、事前に国王の依頼で王宮を守っていた日本軍と衝突。

袁世凱率いる清軍1500人が王宮を守る日本軍150人に攻め寄り、銃撃戦となる。
竹添進一郎(日本公使)は、日本公使館に火を放って長崎へ敗走し、クーデター派は敗退。日本公使館に逃げ込まなかった日本人居留民、特に婦女子30余名は清兵に陵辱され虐殺された。その有様は通州事件に似ていたという。

この部分は、本エントリの脱亜論に深く関連する部分なのでよく覚えて頂きたい。
ようは閔妃をはじめとした、朝鮮の王族らは「自らの身」が一番大切であり、下がるべきでない部分で下がっしまったのだ。

福沢諭吉らの願った流れではなく、
近代化の風に逆らい、保身に走ったのだ。

 

 

▼朝鮮維新、その後
開化派による新政権はわずか3日で崩壊。
計画の中心人物だった金玉均らは日本へ亡命することとなった。
文字が苦手な方は、日露戦争物語(坂の上の雲がベースのため拒否感のある方もいるかもしれない)をお読みください。

残った維新志士ら、及び亡命者ら処刑。また幼児を含む三親等までの近親者が残忍な方法で処刑された。
金玉均の妻子らも生死不明で行方知らずとなったが、10年後、東学党の乱を鎮圧中の日本軍が偶然発見し、ようやく保護される。(その時の2人は実に憐れむべき姿だったという)。

また金玉均は日本各地を転々とした後に上海に渡り、1894年(明治27年)3月28日に刺客洪鐘宇(ホン・ジョンウ)に暗殺される。金玉均の遺体は朝鮮半島に移送された後に凌遅刑に処せられ、五体を引き裂かれたのち朝鮮各地に分割して晒された。

 

 

▼脱亜論の、一か月前の福沢諭吉
ちょうど一か月前の2月26日、以下の記事を投じている。
朝鮮維新が失敗に終わったのは、その前年の12月である。

人間娑婆世界の地獄は朝鮮の京城に出現したり。我輩は此国を目して野蛮と評せんよりも、寧ろ妖魔悪鬼の地獄国と云わんと欲する者なり。而して此地獄国の当局者は誰ぞと尋るに、事大党政府の官吏にして、其後見の実力を有する者は即ち支那人なり。我輩は千里遠隔の隣国に居り、固より其国事に縁なき者なれども、此事情を聞いて唯悲哀に堪えず、今この文を草するにも涙落ちて原稿紙を潤おすを覚えざるなり。

? 『時事新報』明治18年(1885年)2月26日

現代語に意訳してみる。
これは私のカン、「私にはこう読めた」という程度のいい加減なものである。
(このような現代語訳に長けているわけでも、なんらかの訓練を受けたわけでもないことを付記したい。)

「この世の地獄が朝鮮のソウルに出現した。
私は、すでに野蛮な国というレベルでは足りず、妖怪や悪魔の地獄の国と呼ばせて頂きたい。
地獄絵図を作ったのが誰かと言えば、(保身のみを考えた)国家官僚らであり、その後ろ盾となったのはシナ人だ。

私は、遠く離れた隣国にいる、ゆえにシナ・朝鮮に縁はないのだけれど、
このような事情を聞くに
ただ悲しくてたまらず、言葉を紡ごうとは思うのだが原稿用紙に涙がおちてしまうのだ。」

私には、ただ友を悼む文である、
そのように読めた。

 

 

▼敗北宣言としての脱亜論。
これは近代化をうながすための、「明治維新」を朝鮮半島に輸出しようとした福沢諭吉らの敗北宣言の側面もある。
そして、「もう、わしは知らん!」と匙を投げた宣言でもある。
その側面は否めない。

 

 

▼朝鮮半島の愛国者に宛てた弔いの言葉
脱亜論は、友であった金玉均らに宛てた弔いの言葉たちでもある。
そして金玉均らは確実に愛国者であった。
その点は否定できない。

私は、維新の志士たちを実は一概には評価していないのだけれど(後述)
明治維新に携わった愛国者らと同様、自国を愛した、命を賭して祖国のために立ち上がった者に他ならなぬ。
それが他国であれ、愛国者には敬意を払うべきだというのが私のスタンスだ。

 

 

※特記 私は佐幕派
不器用でも古臭くとも、状況が悪くとも。
諦めず北の地まで戦い抜いた新撰組のほうが好きなのだ。
白虎隊とか会津とか、維新軍ってひどいよね、と思う。

赤報隊の件なんて最低だ、と。
いまのメディアの捏造報道、下請けに責任おっかぶせた件と変わらぬ。
KY事件とカメラマンのようである。

新撰組なんて、そこらへんの腕っ節のいいあんちゃんの集団じゃないか。
さして幕府に縁があるわけでもないのに、
いわゆるヤンキー兄ちゃんたちが刀に生きて、
そして裏切らず、少数精鋭でも戦い抜く。

松下村塾の教えを否定する立場ではないけれど
私は、愚直に幕軍のように生きたいね。
趣味のレベルではあるが、私は維新は好かん。
うまいごとやった坂本龍馬も好かん。あれはスラップ訴訟の走りだろ、と。
大阪維新の会が苦手なのはこれが発端。

 

 

▼シナ・朝鮮が批判できない理由
それはシンプルであろう。
自国の愛国者に、他の国から弔電が届いたのだ。
破り捨てることは、道義にもとる。

その愛国者らは、朝鮮半島の独立を夢見て、近代化を果たさんと命を賭した。
それに対し、三親等内の近親者を残酷に虐殺。

強く批判し、嘆きの言葉が出てくることは自然なことだ。
そこに込められた、友への弔いの念を思えば、脱亜論を批判・否定することはおかしい。

 

 

▼脱亜論の後の論説
半年をまたずして「もう匙を投げた」宣言。
明治18年8月13日の記事である。

「朝鮮人民のためにその国の滅亡を賀す(朝鮮滅亡論)」
国際情勢を鑑みれば、あの国の独立・近代化はもう無理っぽい。
国民としての栄誉、生命と私有財産の保護が行われないのであれば、イギリスやロシアの(植民地として)治めてもらったほうが、あんな朝鮮政府よりかは朝鮮の国民はなんぼかマシではないか、というもの。
その文末を記す。

故に我輩は朝鮮の滅亡、其期遠からざるを察して、一応は政府のために之を弔し、顧みて其国民の為には之を賀せんと欲する者なり。

? 『時事新報』1885年(明治18年)8月13日

現代語に意訳してみる。
「もう、近いうちにあの国は亡ぶだろうからさ
朝鮮政府には、一応、残念だったね、というけれど
そこに住む国民には、よかったね、と言いたいわけよ。」である。

完全に匙を投げている。

 

 

▼「脱亜論」前後の流れ
これがないと、脱亜論が何かわからない。

明治17年12月4日
「甲申政変、勃発」
本項では朝鮮維新と記した事件
のちクーデター政権は倒され、首謀者・その近親者の虐殺。

明治18年2月26日
「朝鮮独立党の処刑(後編)」
ソウルに地獄が出現した。
→涙ににじむ原稿用紙。

明治18年3月26日
「脱亜論」
→朝鮮政府への嘆き、友への弔電

明治18年8月13日
「朝鮮人民のために其国の滅亡を賀す」
→もう匙は投げました。

参考
相当に改変、追記をしているため出典ではなく「参考」とさせて頂きます。
物事の推移については原文ママの個所もあります。

wikipedia:脱亜論
wikipedia:甲申政変
wikisource:朝鮮人民のために其国の滅亡を賀す

 

 

▼福沢諭吉は、単なる文豪ではない。
実は、結構、えらい。
偉いのは知っていると言われそうだが、それは文豪としてではないのだ。
度々、政治の場に出てくる。
没後は衆議院において満場一致で哀悼を決議。

下級藩士の産まれであるが、維新前後を経て政界にも強いパイプを構築、
現在、議員に対して思われるような政治家のイメージではないが
政治活動家であり、国家に強い影響を有する実力者であった。

 

 

▼福沢諭吉に感謝すべきは誰か。
ネットの嫌いな朝鮮半島のことを悪く言ってくれたゆえ、保守層が礼賛する。
これはこれで悪くはないが、本当に感謝せねばならないのは、朝鮮人たちだ。
ここで言う朝鮮とは、かつて統一されていた、清国の属国であった朝鮮半島に住む者、住んだ者、その末裔たちである。

朝鮮の独立と近代化を真剣に考え、
必死に支援した「朝鮮人が感謝すべき存在」が福沢諭吉であり
横暴な朝鮮政府に対しての嘆き、友への弔電として脱亜論はある。

朝鮮のことを思ったがゆえの脱亜論であり
朝鮮に住む国民を思うがゆえの、「朝鮮人民のためにその国の滅亡を賀す(朝鮮滅亡論)」である。

さじを投げた、と書いた。
それまでは、必死に朝鮮のため、近隣諸国の近代化のため粉骨砕身、努力していた当事者なのだ。

 

 

再度、昨日、紹介した脱亜論をお読み頂きたい。
文末には、クイズと書きましたが、その答えに相当するのがこちらのエントリです。
【資料】脱亜論の原文と現代語訳?福沢諭吉の生きた時代?

情報リテラシーの側面があるとも書きました。
目の前に出てくる言葉たちは、恐らく昨日とは異なる物として目に映ることでしょう。
ネットで拡散されている要約には、明治維新のくだりが欠けており、その時代背景の詳述がないためです。

また、教育現場で触れる際も、朝鮮の維新に相当する甲申政変、その関連を触れていないからです。
その時代に生きた者が、その時代において見たであろうものに思いを馳せることができねば
当時の文章などは読み解けはしないのです。
当たり前のことです。

これが私が皆様に伝えたかったことです。

興味深いな、大事なことだな、と思って頂けましたら
FBでのシェア、RTで拡散して頂けますと幸いです。

 

 

 

最後に。
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コメント (頂いたご意見は、他SNSに比較し最優先で目を通しております。)

  1. Augusta より:

    文化の成熟度において、朝鮮半島、中国大陸は致命的に低い。
    学ぶ事が出来ないのは、謙虚さが足りないからでしょう。

    朝鮮半島の文化において、与えるのは奴隷で、奪うのが支配者です。今の中国大陸もほぼ同じです。
    文明の形を与えれば文化に目覚めると考えたのは、日本人の傲慢さですね。その結果、多大な犠牲を払うことになった。

  2. 元自衛官 より:

    小坪先生、毎日拝見させて頂いてます。
    ローマ法王の言葉が思い起こされました。
    朝鮮人、支那人は亜細亜人ではなく亜人だと思います。

  3. TOM より:

    お疲れ様です。
    香山リカ氏、自白しましたね。

  4. vine より:

    『脱亜論』現代語訳の「isa」こと諫山陽太郎氏は、『マンガ・特撮ヒーローの倫理学―モノ語り帝国「日本」の群像』などの著作がありますね。

    『脱亜論』現代語訳が載ってた元の”isaの同時代フィールド・ノート”は消えてますが、以下に再録があります。

    脱亜論試論(isa訳脱亜論他一編、再録)
    http://plaza.rakuten.co.jp/isanotiratira/diary/200604190000/

    また、諫山氏が大学在学中に朝鮮総連のオルグを受けて、危うく北朝鮮に拉致されそうになった体験談「知・拉致等ダイアリー」も興味深いです。
    その時の誘い文句は
    「行って、自分の目で見なければ批判なんかできないよ」
    だったそうです。
    http://plaza.rakuten.co.jp/isanotiratira/diary/?ctgy=8

  5. オルグイユ より:

    近現代史は、一国、あるいは近隣国のみを見ていては、ただの半可通となります。
    日本が、なぜ日清日露の戦争をせざるを得なかったのかも、なぜ日米開戦に踏み切らざるを得なかったのかも、その背景たるグローバルな視点を持たないと、偏った理解となるでしょう。
    (日教組の教育が該当)

    特に、朝鮮半島絡みの歴史は、グローバルな視点で見ないとおかしなことになります。

    参考:近代の日本側一次史料が豊富です。
    きままに歴史資料集
    http://f48.aaacafe.ne.jp/~adsawada/siryou/index.htm

  6. 草莽の団塊です! より:

    小坪先生、こんばんは

    2回にわたり、脱亜論そしてその背景にあるものをご紹介いただき、感謝です。
    脱亜論の背景にあるものについて、全くといっていいほど、知りませんでした。

    それを気づかせていただきました。本当にありがとうございます。

  7. 七子 より:

    ガーディアン紙がネパールでの韓国人の人身売買組織を報道、世界に配信しました。
    ▼Nepal quake survivors face threat from human traffickers supplying sex trade | World news | The Guardian
    http://www.theguardian.com/world/2015/may/05/nepal-quake-survivors-face-threat-from-human-traffickers-supplying-sex-trade

    救援隊の名の元にネパールに入り込んで少女達を誘拐してる。毎年、15000人程の女性達が連れ去られインドや韓国、遠くは南アフリカの売春宿に人身売買している韓国人のネットワーク組織があるらしいです。

  8. ももこ より:

    拾い物ですいません!

    【拡散】 朝鮮人の組織票で旭日旗消去事件 (怒)(怒)(怒)(怒)(怒)

    朝鮮人の虚偽による反日工作を許せない方はご署名をお願いします! m(_ _)m

    大日本帝国海軍と海上自衛隊の名誉回復にため署名をお願いします!!
    https://www.change.org/p/wargaming-net-world-of-tanks-let-s-rebirth-the-navy-flag-of-japanese-rising-sun-in-world-of-warships

  9. osg123 より:

    歴史の紐解き・政治史、情報リテラシー(掘り下げ)、読み物、政治心情のあり方、
    のいずれとしても興味深いエントリーでした。

    翻って、このような分析・記述のできる情報発信・受信場所は日本にいくつあるだろうか?
    保守、革新、リベラル、そう多くはないでしょう。
    特にマスメディア側には極小でありませんか? 
    むしろ、ネット・ブログにしか存在しないかもしれない。

    それはマスメディアの衰退を象徴示しているように感じます。

    P.S. シナ・朝鮮には存在し得ない、と思っています。

  10. たろう より:

    補足すると福澤諭吉は脱亜論のあと、朝鮮を見捨てたわけではないようです。
    ずっと気にかけて、その後もいろいろ発言していたとか。
    金玉均の実像は朝鮮ではかなり歪曲されていると思います。
    日本でも日本史用語集などに一切掲載されていません。
    金玉均の残した有名な言葉は「日本が東洋のイギリスであるとすると、朝鮮は東洋のフランスになる」という言葉です。フランスはヨーロッパを代表する文化をもつ歴史のある国家であり、金玉均の祖国への深い自信がうかがわれます。
    福澤諭吉の朝鮮への貢献はなんといってもハングルの復活の契機を与えたことではなかったでしょうか。
    日韓併合時代には日本語と同時にハングル語も授業で教えられました。つまり日本の教育が普及するにつれてハングルの識字率も向上したのです。
    もし福澤諭吉などがハングル復活を推奨しなければ、日韓併合時代にハングル語が授業で教えられることなど無かったかもしれないのではないか。

  11. m より:

    興味深く読ませていただきました。

    金玉均の維新のくだりと福沢諭吉の関係の話ですが、こちらのサイトに肯定的な者には理解しやすいのですが、左翼脳的な人々は当然として、一般人には、金玉均の維新=クーデター、福沢諭吉はそのクーデターを応援したかった? としか読まれるのではないでしょうか?

    保守層視点からは、清国の属国であったことや両班の支配、非常に貧しい国民の暮らし(写真はたびたびネットでUPされますが確度が分かりません)がありますが、一般層に訴求する材料として、その維新(クーデター)を肯定する客観的な材料があったほうが、より一般層へも訴求できるのではないでしょうか。

    基本的には小坪議員のご活動の賛同者ではございますが、私自身ができないことを、僭越ながらコメントさせていただきました。

  12. ななし より:

    現代でもシンシアリー氏やバンタービルド氏など国を憂う人々がいますが、やはり主流派になるどころか石もて追われるような状態ですね
    これは日本にも言えることで国を憂うなんていうと攻撃されないまでも白い目で見られたりします
    まあ国のあり方に異常がなければ国を憂う必要はそもそもないわけで、これは仕方のない現象かもしれませんね

  13. 増雄 より:

    いくら時間が経とうと、朝鮮人、中国人は変わらない、常に裏切りと恨(恨み)の構造社会。日本は、朝鮮は国としては、無視するべきで、全く付き合う必要はない。 毒社会とはつきあわない。中国は、さらに裏切りとしたたかさの大きな敵国、日本は朝鮮、中国の真実の姿を理解して見るべき。

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