自分と異なる考えの人間になることを「洗脳された」と呼称するサヨク

[執筆日:H13/1/17][病理:罵倒中傷癖]

 筆者はサヨクが洗脳されていると主張している。サヨクもまた、ある人が戦後問題を告発する書物などにふれてサヨク問題に目を向けるようになった状態を「洗脳された」などと時折主張する。
何でもカンでも「洗脳」にするな。サヨクは一般にモノの程度を把握する常識感に欠けるのは先刻承知だが。

 一般に洗脳は以下の要件のいくつかを満たす。

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1 洗脳の要件

(1)「人格の崩壊→再構築」という手順

 洗脳とは、「人格の崩壊→再構築」という手順で行われる。
サヨクの反日洗脳とはまさにこれである。サヨクは「反日教育の刷り込みによる日本人としての人格崩壊→共産支那の忠犬としての再構築」という手順で洗脳を行う。 支那への贖罪意識を心理の奥深くに刷り込まれれば、日本人としてのアイデンティティが崩壊する。サヨク教師は、学生に対してまず日本人を汚辱の歴史を背負った罪深い民族だとさい悩ませて、民族のアイデンティティを崩壊させる。その後、「ニホンのセンソーハイザイを見つめるユーキのある人」という人格(つまりサヨク)で再構築する。
このように再構築されると、後に共産支那やサヨクの反日プロパカンダの嘘歪曲ぶりを看破した情報にふれたところで、「ニホンのセンソーハンザイをゴマカソーとするもの」の一言で思考停止するようになる。なぜなら自分が「ニホンのセンソーハイザイを見つめるユーキのある人」という立場であることが、その人間の存在意義と直結しているわけだから。自分の存在意義を守るためにも全力で思考停止する。

(2)監禁や軟禁された場所で行う

 洗脳は、一般に物理的に閉ざされた場所で行われる。共産支那の戦犯管理所や、サヨク教師が牛耳る日本の教室、自己啓発セミナーなどがこれにあたる。教師など圧倒的に強い立場の人間が、反対意見など言えない雰囲気の中で刷り込みを行う。日本共産党が査問を行う場合も、当然のことながら閉ざされた場所で行う。
人はその場に適応しようとする本能がある。場がそういう雰囲気になれば、いかに異常な状態でも常識化してしまう。

(3)恫喝や罵倒や時に拷問による心理的抑圧

 洗脳を行う場合、よってたかっての罵倒嘲笑や恫喝、更に時に拷問が行われる。それにより正常な判断ができない状態に追い詰めた上で思想等を刷りこむ。
普段は冷静に思考判断のできる事柄であっても、罵倒嘲笑や拷問などで心理的に抑圧されれば人は冷静な判断が困難になる。「日本軍残虐捏造物語」みたいなものをリアルに捏造され、それをもとに叱責されまくれば、うろたえ動揺し事象の信憑性に対し客観的な判定ができなくなる。
むろん共産支那ではおなじみだ。日本の教室でも、サヨク教師は反対意見の学生を「○君の意見に賛成の人!」などと見せしめつるし上げを行う手法をとる。

(4)圧倒的な物量による繰り返し

 物量を用いた繰り返しは、洗脳の要件の一つである。一度の情報では、刷り込みは軽度にしかならない。繰り返し行うことにより、刷り込みはより強固になる。
そういった点を共産支那や朝日新聞やNHKは熟知しており、共産支那の大量の暴虐を隠蔽つつニホングンのハンザイネタを繰り返し繰り返し毎日毎日国民に刷り込む。それにより支那人はニホングンへの憎しみをかきたて、「ニホングンから解放した」とされる共産党軍への感謝を感じるようになる。また日本人は共産支那への心理的な贖罪意識を刷り込まれ、共産支那による圧倒的な暴虐を看過しODAを当然のごとく貢ぐようになる。

 ↑これらを行うことで人は洗脳される。これが洗脳なのだ。要するに洗脳と呼びべき要件とは、刷り込む内容ではなく手法にあるわけだ。
一方、↓これが一部サヨクの言う「洗脳」。

2 サヨクの言う「洗脳」

(1)戦後問題を告発する書物などにふれて戦後(サヨク)問題に目を向けるようになった状態

 書籍や漫画や筆者の書いている本文を読んで、サヨクの意図しない方向に考えを改めたり補正したりすることを、サヨクはおうおうに「洗脳された」と呼称する。なんじゃこりゃ。

A:事象αと認識していた。→十分な根拠と共に事象αが誤りだという情報を得た。→事象αを誤りだと認識した。
B:事象αと認識していた。→十分な根拠と共に事象αが誤りだという情報を得た。→根拠やその情報に思考停止し、 事象αを信じつづける。

 AとBのいずれを「洗脳されている」と言うか。当然Bである。
Aのケース、すなわち事象を認識し、考えを補正したり変えたりすることは「洗脳」とは言わない。逆にBのように思想的アイデンティティに反する事象を認識せず思考停止する有様、そうやって自分の思想的アイデンティティを狂的に保守しようとする有様は、洗脳されていると言える。本文に思考停止するサヨクなどは、その典型例だろう。

 言葉を用いるにあたっての常識的な判断力が、恐るべきほどに低い。サヨクは一般にモノの程度を把握する常識感に欠ける。というか、欠けるからこそサヨクのプロパカンダに簡単に呑まれサヨク化してしまうわけだ。

 はっきり言ってしまえばサヨクは自分が洗脳されていると言われたので、同じ言い回しで言い返しているというだけの話だろう。要するにガキの口喧嘩。

 国民「(具体的事例を示しつつ)サヨクは洗脳されている存在だ。」
サヨク「(全然『洗脳』に該当しない事例を示し、あるいは何一つ示さず)洗脳されているのは、おまえだあ。」

 アホクサ。

余談:教育を行うにあたって洗脳的な手段を用いることは実は必ずしも間違っていない [執筆日:H13/1/22] ある程度閉ざされた場所での罵倒や叱責の繰り返しによる「人格の崩壊→再構築」という手順による人格改造(すなわち洗脳)は、必ずしも間違ったやり方ではない。例えば、その人格そのものがずばぬけて社会性の欠如した身勝手なものである場合だ。
具体的には以下のような「洗脳」は肯定される。

肯定される「洗脳」の例1:子供に社会人としての常識を身につけさせる「洗脳」

人はそもそも生まれながらに身勝手なものだ。生まれたばかりの赤ん坊は全く他人の事を気遣わない。所かまわず泣き叫ぶ。大小便を垂れ流しその処理をさせる。食わせろ食わせろと要求する。こういった身勝手の限りをつくしながら、なんら自省しない。朝昼夜一貫して自分の欲求のみに目を向けなんら他人を気遣わない。もちろん赤ん坊とはそういうものであり、それでいい。
そこで教育の出番となる。成長度に応じて他人との関係を理解させ自らを相対化させ、他人を気遣う社会人としての常識を身につけさせるのだ。もちろんそれにはある程度閉鎖された空間での罵倒や叱責や時に暴力を伴う場合もあろう。要するにそれは「洗脳」である。
「洗脳」により人はある事柄を頭ごなしに信じるようになる。「自分ははた迷惑な事をするべきでない」「自分は誠実であるべきだ」などという事柄を無条件に頭ごなしに信じる人間になにか害があるだろうか。全く無い。益のみがある。

肯定される「洗脳」の例2:犯罪者に社会人としての常識を身につけさせる洗脳

刑期が著しく短くなる代わり、教官により恐るべき罵倒と叱責に満ちた猛訓練が繰り返されるプログラムがアメリカにある。言うならば赤ん坊同様の身勝手な受刑者の人格を破壊し、社会性のあるまともな人格に改造するプログラムだ。本人の希望により入ることができ、訓練に耐えられず脱落した者は即座に普通の刑務所生活に戻されるものだ。
テレビで見たが、それはすさまじい罵倒と叱責に満ちた訓練である。入所した囚人はまず坊主頭にされる。教官がその切った髪を床に捨てる。そして囚人に自分の髪の毛を拾いバケツに入れさせる。また教官はそれを床に捨てる。囚人はまた拾う。まずそれの繰り返しだ。拾う作業をもたもたしていると元の刑務所に逆戻りだ。囚人は懸命に這いずり回って自分の髪の毛をバケツに入れる。その間も罵倒と叱責が続く。こういった儀式が延々と続くのだ。
一般に米国の前科者の再犯率は70%以上とも言われるが、そのプログラムを満了した者は再犯率がなんと20%未満だという。見事な成果である。
筆者はこのプログラムは特に青少年犯罪者の矯正に有効だと思う。日本でもぜひ取り入れるべきだ。
このプログラムで行われていることは明らかに洗脳であり人格改造だが、なんら間違っていない。「自分の利益のためなら盗みも殺しもOK」という腐った人格を破壊し「盗みや殺しを行うべきでない」という人格に再構築するものだからだ。

逆に以下のような洗脳は明らかに異常であり行うべきでない。

異常な洗脳の例1:子供を反日日本人とするための洗脳

共産支那政府が支那人に行う洗脳やサヨク教師が学生に行う洗脳。「物事を多面的に評価し思考するべき。」という人格を完全に破壊し、「共産党政府の問題点を全く思考せず盲信する。旧日本軍や日本政府については悪しき情報のみを無条件に盲信し、無条件に罵倒し不信を抱く。」という人格に再構築するもの。

異常な洗脳の例2:捕らえた外国軍兵士を祖国売国宣伝要員とするための洗脳

共産支那政府が戦犯管理所で元日本軍兵士に行った洗脳。「嘘をつくべきでない。祖国日本への愛国心を大切にするべきだ。」という人格を完全に破壊し「共産党政府への盲目的な感謝と忠誠心。その忠誠のためなら嘘ついても戦友に冤罪を着せてもOK」という人格に再構築するもの。

異常な洗脳の例3:物品を売りつけたり、集会やセミナー参加費用を貢がせるための洗脳

英会話教材の販売や、一部新興宗教や自己啓発セミナ?で行われている洗脳。若者をたくみに事務所などに誘導し、集団で取り囲み物品を販売するなど。

これらの洗脳は明らかに異常なものだ。

「時に洗脳を行うことも必要。」などと言うと「まあ恐ろしい」などと眉をひそめる人もあろう。しかし極端な例だが「自分の利益のためなら盗みも殺しもOK」という腐った人格は、大切にするべき人格だろうか。筆者は破壊するべき人格だと思う。そういった腐った人格を洗脳により破壊し「盗みや殺しを行うべきでない」という人格に再構築するほうが、本人にとっても社会にとっても望ましいことだと思う。
洗脳もまた手法であり技術である。科学技術や催眠術などと同様、手法や技術そのものにはなんら問題は無い。いかに使うのか、何を目的に使うのかが重要となる。
洗脳という行為自体は間違っていない。どのような人格からどのような人格に洗脳するのかが重要なのだ。

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