「公明党から、推薦は受けない」そう決めた国会議員がいた。当時は異色とされ、変わり者だとせせら笑う声すらあった。
理由はシンプルだ、選挙が苦しくなるから、である。しかもそんなに強くもなかった。私はその場にいた。衝撃を受けた。理由は、選挙に強いとは言えなかったからだ。同じ理由だ。
ネットだと受けるのだろうし、その理由を『自公の連立に異議を述べている』と誤ったレッテルを貼ろうとするのだろう。本人には明確な理由があるし、述べておきたい。国会議員を支える立場の地方議員は、地方選において自民と公明は争うわけであり、自分だけが楽をするわけにはいかない。
敢えて”選挙に弱かった”とは書かないが、相当にヤバい状況があった。
麻生解散で落選、つまり民主党政権が誕生する際にバッジを失う。一期を務めただけの、まだ40代。苦しい苦しい浪人生活、しかも民主党政権だ。やっとの思いの解散で、さて政権を奪還!という際のこと。
「公明党の推薦を、受けまいかと思う。」と。
私はかろうじて市議に初当選したばかりのころで、一応は二度の選挙を経てはいました。熊本の事務所は、実は人もまばらで。認めたくはないが、公明党の支持者は選挙にも慣れている。正直に言えば、選挙スタッフは潤沢ではなかった。にもかかわらず、受けまいかと思う、と。
即座に(いや、そこは受けようよ)と思いました。
そして(なんでそんなことを言うん?)と、わけわかめでした。
別に公明党から「おまえはダメだ」と言われたわけでもありません、そもそも議員生活自体がほとんどなく、敵でも味方でもなかったはずなのに。
私は何度も応援blogを書いておりますが、毎回毎回苦しい。
詳細に過去記事を読み返したわけではありませんが、比例重複出馬を断ったうえで、命綱を断ったうえでの戦いもありました。
毎回「もうダメなんじゃないか」と肝を冷やしながら応援していました。命綱を断った理由は格好よくて、熊本県が減区(小選挙区が減る)になった際に、現職議員があぶれてしまい、どうしても比例名簿に県内の仲間を載せて欲しい、と。九州各県および沖縄からの自民の比例票を優先的に使いたいというわけで、その際に熊本は「わかった、熊本の小選挙区の支部長は、全員、比例復活は無しでいい」と決め、かつ「比例は自民!」と言い続けて選挙を戦うのです。
じゃ、公明党と仲が悪いのかと言えば、そうではない。
ネットも言論人も”勝手にレッテル”を貼る。現実はそうではない。分かりやすい解釈を垂れ流して、それで儲けるやつもいる。
だから明確に私は否定しておきたい。かつて私は斎藤国交大臣に、大臣室で公式に会わせて頂いたことがあるのですけれど、それは公明党の国会議員が同席してのものでした。しかし、ある意味でのご縁は他ならぬ木原先生より頂きました。
推薦を受けぬ以上、相当に強気の交渉もできるのでしょう。
かといって敵意もない。本音で党益をぶつけあうこともできる。それが無益かと言えば、相手方にとっても有益だったわけです。ゆえに、公明党に対する相当に強力なネゴシエイト能力も持っている。事実、私は木原先生から悪意みたいな批判は伺ったことはない。
ここらへんのことは、たぶんググっても出てこない。なぜなら本人もあまり書いていないから。
記事もない、取材をお断りというわけでもないだろうけど、あまり内情をペラペラ出さない。総理補佐官が長かったけども、ある意味での秘密保持に長けた事務所だから。後述する、言論人による打撃の過去も影響があるのだと思う。(ゆえに厳しい判断もされると思う。)
もう何年のお付き合いになるのだろう、干支が一周以上とのみ。
拉致問題でも具体的な予算をつけてくださったのは木原先生が財務副大臣のとき。外国人の国保もだった。私が爆破予告を受けたときはすごく心配してくれたし、赤旗の一般質問で苦悩しているときにも相談した。
まだ浪人中だった。私は市議選に敗れただけの、ただの民間人だった。そして木原先生もそうだった。
二人でラーメンを食べに行ったり、保守のことを語れる、ちょっと政治に詳しい兄ちゃんぐらいに思っていた。
私が初当選した際の市議選では、(県外なのに)わざわざ出陣式にも来てくれた、まだ民主党政権だった。
どこかで(公明党の推薦を受けたらいいのに)と思う私をよそ目に、というか陣営の誰しもが(ねぇ、なんで?)(ていうか、強くもないんだけども)とハラハラしながら、それでも支え続けた結果、いまは恐ろしく強い選挙態勢を築いていたわけです。日華議員懇談会、つまり台湾議連の事務局長を長らく拝命。
あと、保守を装った言論の被害者でもある。
戦争法案だと野党から批判を受けていた安全保障法制が、まさしく審議されるとき。まだ政権基盤の強くはなかった安倍政権にとって、本命とも言える政策が国会にかけられるとき。安倍派の若手を糾合するための集会が開かれ、それは(出世コースともされる)青年局長である木原先生が主催。しかし、集会において経団連などに言って、沖縄2紙のスポンサーを剥げだの、それなりに激しい発言があった。その発言は、いまは保守の名を政党名に関する言論人がしたものであり、木原先生は何も述べていない。しかし、野党からの攻撃のまえに、安倍総理は国会での謝罪にまで追い込まれ、何も悪くない木原先生は青年局長をある意味で、更迭されてしまう。流石におかしいだろ!と全国の都道府県連の青年局長が嘆願したりするのだけれど、
その際に、奥様の表情は、とんでもなく凄まじいものがあった。
木原先生も見ていないと思う、見えない位置にいたから。
ついに国会議員に復帰し、そして「青年局長に就任しました」という晴れやかな国政報告会が開催されるはずだったのです。当日、木原先生は役職を停止され、喜びの報告のはずなのに壇上で頭を下げておられました。奥様も、壇上におられて深々と頭を下げていた。会場の空気は何とも言えないもので、田原坂の戦いまで持ち出すわけではないけれど、県民性というものはある。ノリは、九州各県でも違うけれど、少なくとも九州には九州の気質はある。その際、会場にいた県議や市議たちは、何も言わずに見ていた。何も言わないからと言って、何も思わないわけではない。その時の奥様の表情を、静まり返った会場は静かに見ていた。たまらない思いだった。
いま、官房長官に就任。
別の意味でもたまらない思いだろう。
あまりこういうのは書くべきではないのかもしれないが、勝手に書き散らかされる前に述べておいたほうがいいと思う。
この事務所は、絶対に玩具にはできない。ある意味での鉄壁で、簡単にコメントがとれるような人でもない。補佐官時代の性なのだとも感じる。公明党の推薦の有無なども、論客からすれば「印象操作の良い材料」になるだろう。牽制という意味ではないけれど、私はそれは述べておきたい。知らない人が、勝手に決めつけて論調を作らないほうがいい、この人はその被害を最大限に受けてきた人だ。そして苦悩し、やっと立ち直った人でもある。だから、周囲も含めて厳しく行くよ、私もね。
そして、押し紙問題を取り上げた際に登壇してスピーチした議員でもある。そんな逸材が、日本の官房長官になった。
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思えば10年前の写真になりました。
私が初当選を飾った際の出陣式の一コマで、私が小さい頃から遊んでいた地元の神社の近くになります。
ここには、ブルーリボンをつけた男が三名、写っております。
マイクを握っているのは、赤池まさあき参議院議員です。
奥に見えるのは、木原みのる衆議院議員です。
(私の隣は後援会長)
この時、全員が下野しておりました。
誰もバッチをつけておりません。
私は29歳で出馬、僅差で落選、これは二度目のチャレンジでした。
木原先生・赤池先生は、麻生解散で落選、浪人中でした。
この写真の三名は、誰一人として現職ではありませんでした。
小選挙区の先生が県外の支援に入ることは基本的にありえません。
政令市でもない、地方都市において(現職経験すらない)新人候補の応援に入るなど。
木原先生は、遠路、自動車で熊本から。
赤池先生にいたっては、山梨から(恐らく早朝3時とか4時とかに出て)羽田→北九州空港、自分でレンタカーを借りて自走で。
この一枚は、現在の役職で見れば凄まじい写真ですが
それ以上に、これが福岡県の片田舎の写真であること、
新人候補の出陣式であることが異常なのです。
恐らくブログで触れていない話が多々あり、現在よりも極めて危険なことをやっていました。
市議現職となった今、相当にセーブしています。
この場で多くは語りませんが、共に戦った政策課題が相当にたくさんあるのです。
ゆえにこの一枚の写真があるのです。
写真も要望書の原文も下記にアップしております。
【拉致を風化させるな!】教員への研修予算は「2~3億」に増額して欲しいと要望した。
予算化されたときの記事です。
拉致問題”教員に研修”、政府が予算化。アニメ”めぐみ”の上映等【その時、国が動いた】
当時がどういう状況だったかと言えば、めぐみの上映を市議会で求めたところ、教育長の不適切発言があり、私が駆け回っていたときのことです。
それで文科省や拉致担当大臣まで動いて頂き、やがて大臣連名の通達が出たという時代。
当時の記事は、こちらにまとまっております。
拉致問題を教育しないのは、日教組の選挙戦略の影響か?文科省の責任を問う。【時間がない】
そのタイミングにおいて、木原財務副大臣(当時)に要望をしておりました。
予算化され、新聞の一面に掲載された次第です。
政府は教育現場で北朝鮮による日本人拉致問題への理解を促進するため、小中学校などの教員を対象にした研修を平成30年度から開始する方針を決めた。授業で拉致問題を取り上げている教員による講義や、被害者が拉致された現場への視察などを通じて拉致問題の教え方を学んでもらう。拉致を知らない小中学生が増え、風化しかねない懸念から、教員研修を通じて啓発活動を強化する狙いがある。
政府の内閣官房拉致問題対策本部が要求し、30年度予算案に事業費1500万円が計上された。
研修では、拉致現場のほか、横浜市の海上保安資料館に展示されている北朝鮮の工作船などを見学する。拉致問題対策本部はこれまで教育現場などから要望があれば、啓発活動に出向いていたが、拉致問題が風化しないよう本部側が主導して啓発活動に乗り出す必要があると判断した。
研修初年度は、まず小中学校や高校の教員を指導する立場の教員を対象に実施する。その後、一般教員にも対象を拡大する方針だ。
政府は、中高生を対象に、拉致被害者の横田めぐみさん(53)=拉致当時(13)=に関する作文コンクールなど啓発活動を展開してきたが、教育現場によっては拉致問題を教えることに消極的なケースもある。
福岡県行橋市の教育長が今月、市議会でめぐみさんのドキュメンタリーアニメ「めぐみ」を学校で上映しない理由について「(在日韓国・朝鮮人への)いじめが起こる懸念を排除できない」と答弁した。発言は後日、撤回されたが、教育現場の拉致問題への消極姿勢を裏付ける対応として受け止められている。
アニメ「めぐみ」は、めぐみさんの拉致事件を題材に、家族の苦悩や救出活動などを描いた作品で、政府が拉致問題啓発のために制作し、全国の小中学校や高校など3万7256校に上映用DVDを配布している。拉致問題対策本部がDVDを配布した全国の学校に活用状況を調査(回答は任意)したところ、12月までの集計で「児童らが視聴した」と回答した学校は2881校で、全体の7・7%にとどまった。
内閣府発表の「外交に関する世論調査」では、北朝鮮の関心事項に拉致問題を挙げた人が14年以降で最低になり、特に若年層の関心が低かった。拉致被害者5人の帰国から15年がたち、拉致を知らない小中学生も増えていることから、啓発活動は急務となっている。
紙でご覧いただきたい。
かなり大きな紙面だ。
一緒に熊本のラジオに出演したこと、何度もあります。
ラーメンも食べにいきました。
色んなことを習いました。
生き様とか、格好の付け方とか、
不器用な生き方とか、やせ我慢の仕方とか、
多分、「得にならないことばかり」を習ってしまいました。
そして、木原先生はもっと得にならないことばかりの人生を歩んでおりました。
私は何も悪いことをしたとは思っていません。
新団体の立上げにおいて、講演会を挙行。
沖縄メディアの批判に移り「スポンサーを降りてもらえばいい」という複数の発言がありました。
私も「そうだ!」と思います。
木原先生は、この場にいた役付きということで、
また立ち上がろうとしていた団体は、安倍首相を支える若手の保守の勉強会だったと記憶しておりますが、その幹部として、その場におりました。
ゆえに、青年局長を更迭されました。
ですが、木原先生自身が発言したわけではありません。
繰り返しますが、木原先生が何か発言したわけでもないのに処分されました。
「こんなことばかりしていたら、若手が委縮して何も言えなくなるぞ!」と、私の小選挙区のT先生(現・副幹事長)が庇ってくれたと後で知りました。
木原先生から聞かされました。
私が何かしたわけではありませんが、誇らしかったです。
木原先生は、文句も言わず、この処分を受け入れました。
資格停止は早期に明けました。
私は「党組織」に憤りました。
ですが、いまは(当時、キレた私は)間違っていたのだと思います。
組織として、チームとして、全体で活路を見出す。
その際に、黙って詰め腹を切る姿こそ、誇りある政治家の姿だと思うからです。
少なくとも公開の場で、木原先生はこの発言者を責めたことはありません。
ご自身のこととして受け入れられ、ひたすらに建て直してこられました。
だから誰のせいにもいたしません、悪口も言っておられません。
冒頭で述べたように、すべての熊本の小選挙区支部長は、比例重複出馬を辞退したことすらある。
そして、またしても木原先生は公明の推薦を受けません。
公明党の推薦を受ければ、楽になるのでしょう。
苦しい選挙をしていました、相手は野党の一本化です。
九州・沖縄ブロックは、比例議席に余裕がありませんでした。
ゆえに、選挙区での敗退は、即死となる危険性だってありました。
公明の推薦を受ける選択は、「個人にとっては」良い選択のはず。
ただし、推薦を受ければ「比例は公明」を求められます。
5区から4区に減区された熊本には、5人の現職国会議員がいました。
比例に回ってもらった園田先生(故人)は、「比例票」でしか当選できませんでした。
いま、苦労している小選挙区の同志を守るためには、茨の道を歩むしかないのです。
それが震災復興の、そして日本の一番の助けになるからです。
腹は最初から括ってる。
とても恰好がいい先生です。
ですが、偉い先生が、「すごく格好いいこと」をやりますと、現場はとても大変なことになります。
私は、熊本一区を奪還した際の衆院選に、スタッフとして入っておりました。
行橋→熊本間は、片道3時間ほど。
議会中のことでしたから、委員会を終えて、自走で向かい、事務所を閉めて行橋に戻る。
往復もしんどかったですが、それ以上に選挙はしんどかった。
公明党の方は、選挙慣れしているのですが、事務所にはノウハウのある方は極僅か。
私は、行動隊B班の隊長を拝命していました。
主たる業務は、駐車場の誘導などの指揮。
望んで現場に出してもらいました。議員バッチははずし、一人の運動員として通い詰めました。
そうしたかったからです。
格好をつけるのを「見る」だけならば、気持ちいいのですが
格好つけた先生を「支える」のは、楽ではありません。
木原先生は、素晴らしい。
どうか、このまま恰好をつけさせてあげて欲しい。
今回、私は熊本に常駐していませんから、現場の労苦を共にしているわけではありません。
ですが、どうか、熊本の皆様に、木原先生を支えて欲しいと願ったのです。
そして、今後は我が国の官房長官として支えて欲しいと願うのです。
押し紙問題、実際の被害者が登壇。木原先生もスピーチ
私のことも書いておきます。
市議を辞職せよと爆破予告を受けたのですが、発端は西日本新聞のいい加減な記事でした。私が書いてもいないものを、イロンナ(産経のオピニオンサイト)が勝手につけた見出しを、私の著作物であるかのように記事にしたのです。そして敵を呼ぶような笛を吹いて、まぁまぁ酷い目にもあって、爆破予告を受けました。イロンナで見出しを付けて、その後にバックレた者の名前は「白岩 賢太」と言います。私は今でも許していません。火をつけるだけつけて逃げた白岩のことも、そして西日本新聞のことも。のち、私は数年がかりの訴訟戦術も経て、名誉回復決議まで数年の時間を浪しました。だから、皆さま、産経の白岩なるものは絶対に信用しないほうがいいです。代表的なちぇりピッカーであり、悪意なく政治家を潰して、いいようにされますから見かけたら取材を断って逃げたほうがいい。
それもあって、私は押し紙問題を国会で集会を行いました。白岩と西日本新聞のせいです。
木原先生は壁耳取材のことがあったからではないでしょうけど、登壇してくださいました。
衆議院議員の木原稔先生の演説、そして私、行橋市議会議員 小坪慎也のスピーチです。
特に木原先生の話は、非常にわかりやすく、スパッとはっきり述べられています。
違法か否かは最終的には司法が判断するものではありますが、そもそも法が規定されております。
様々な法律に言及されたうえで、刑法「詐欺罪」について触れ、懲役10年と量刑についても発言。
また報じられない理由として、クロスオーナーシップについても述べられています。
5分ほどの動画ですので、是非とも聴いて頂きたい。
私の挨拶は、会としてのトリでもありましたから、少し包括的な話をしております。
右派・左派、保守・革新と異なるイデオロギーがある。
私と黒藪さんは、違うイデオロギーに基づいていることを相互に把握しつつ、一緒にやっていること。
だいたい右と左は喧嘩もすればいい、と。保守と革新も議論をすればいい、と。
(ただし暴力を伴う極左・極右はダメと述べたうえで。)
それが言論というものだと認識しておりますが、その土台が壊れていてはどうしようもない。
まずは(右・左、保守革新ともに)土台を修復しましょう、という思いです。
【木原稔】(5分)
【小坪慎也】(24分)
【会場からの発言(14分)
この集会は、弁護士ドットコムでも大きく報じられました。
新聞「押し紙」シンポ、保守系議員ら「必ず表に出す」 求められる自浄作用
私は、シンポジウムの主催者として現地におり、記事にも登場しているのですが(そもそも私も木原先生もサムネイル画像なのですが)、新聞社はたくさん来ておりました。ありったけのプレスリリースを行っており、いずれもメディアも注目はしていたのです。しかし、絶対に入室はしなかった。廊下で聞いてるだけ、いずれも社も入らない。すごい数が来ていました。どこも報じませんでした。
そして、登壇した国会議員は、木原稔先生だけでした。
国権の最高機関である国会、
その国会の施設で勉強会が開催された。
主要新聞には、直接のプレスリリースも送りました。
しかし、報じた新聞社は存在しない。
ここに、報道しない事実が実在することが証明された。
のち、押し紙訴訟において、歴史的な判決を得るに至ります。
ネット上で言われている、あの裁判を支援した地方議員は私でした。
木原稔先生のホームページでも取り上げられていることを報告します。
地裁「押し紙」認定
「押し紙裁判」佐賀新聞と元販売店、双方が控訴 舞台は福岡高裁へ
「チェリーピッカー」という言葉がある。
ようは良いとこどりみたいな話なんだけど、マーケティング用語らしい。
バズるワードだけをセレクトし、議員を望まぬ戦線に、紙面上に勝手に配置して、勝手に突撃させる論客もいる。
実際にそういう被害事例はあった。クロスオーナーシップも含め、ちゃんとした定義や法的な建付けを理解している人は多分いない。だって登壇する気概のある議員は限られていたから。
実際に訴訟までやろうとすると、膨大な資料が必要で、地味な資料が求められる。そういうものを「バズらせたいだけ」とか、「人の名前を盾にして、論じたいだけ」の人は読まない。そこだけ欲しいと、チェリーをピッキングしようとしてもそうはいかない。特にテレビなどに出たい保守系言論人は気を付けたほうがいいと思う。
もしも、何かの形でチェリーピッキングがなされたならば、私は別の意味でご迷惑をかける方法は知っているし、都合よく人を使おうとした(テレビに出たいだけの)人には、電波で使いにくい状況になるやり方はわからんでもない。だって、私自身が、この件でそうなのだから、同じカテゴリに引きずり込むぐらいの覚悟は持っている。実は泥沼の戦場はいまも続いているわけで、その実務者の泥沼に引きずり込むという選択を私が無理矢理にとれば、その保守系芸人、もとい言論人は電波には乗りにくくなる。膨大な事務負荷を十年近く背負うほどの政策課題というものはある。
チェリーピッキングに関しては、前述の白岩のように同様のことを私はコメントする場合がある。
公開での謝罪なら、いつか受けるかもしれない。メディアがどうのこうのは、私には関係ない。こちらが削られた人生と同じだけを彼らも払うべきだと私は思うし、それが報道だというのならば、報道に関係する形で名前を出し続ける。そういう被害を受けた、代表的な国会議員もいる。やったのだから、弊害も受け入れたほうがいいと思う。これは参考事例であり、同じことは保守系がレッテル張りを行ったときも私は同じようにしたいと思う。
保守を標榜するチェリーピッカーは実在する。
結果としてその議員は、相当な政治負荷を吸い取られる。だからこそ、チェリーピッカーには同様の「負担を分担させられる」前例は必要だと思うし、祝いの記事で触れるかは迷うけれども一番怖いのはここだと思う。
知らんぷりして来るさ、似た者たちが。
そして過去の政権の一部も、それで潰された。保守の仮面を装って、自らの利益のために政治家に近づくもの。
流石に二度目は難しい、相当に警戒しているからだ。私も含め。
外国人への福祉問題について
下記の動画は平成25年のものです。
令和の、いまは母数が増えたネット保守層から見て、この二人の掛け合いはどうでしょうか。
私は一期生の市議、そして木原先生は(ながらくの浪人を経て)二期目の復職を果たしたばかり。収録時は、まだ参議院は過半数を回復していなかったと思う。
現在では興味を持たれる方も増えたテーマですが、恐らくは初出にあたるもの。
ビデオレター 第7回 「民主党の置き土産、外国人への社会福祉問題」
防衛政務官 衆議院議員 木原みのる(熊本一区)先生とCS放送の収録。
木原先生のHPでも公開されていました。
(のちHP改修でいまは閲覧不能)
【木原稔】民主党の置き土産、外国人への社会福祉問題[桜H25/2/22]
【小坪慎也】地方から正す外国人福祉政策問題[桜H25/11/12]
ついにスタジオ収録させて頂きました!
報道でのスタジオ収録(CS放送)は初めてです。出だしは少し緊張してますが、後半は言いたい放題、言いました。
本問題に対し、有効な対策を編み出しました。自治体側で可能な「対処法」として「行橋方式」を報告しています。
どうでしょうか。
外国人への福祉政策に関して、私がお伝えしたい、木原先生との(少なくとも当時の)政策です。
いろんな選挙に行きました。
他にも述べたいことは色々とあるのですが、特に沖縄の選挙には何度も入られておりました。
私も一緒に行ったことが何度もあります。二人で応援に入った日もありました。
官房長官と行ったわけではありません。
当時は、どこにでもいる、事実上の一期生同士が、そりゃ立場の違いこそございますけれども、「どこにでもいる二等兵」でした。
泥まみれでの戦いで、もはや制空権を失った選挙ばかりでした。
特に沖縄はそうだった。オール沖縄の全盛期で、いまほどネット保守が強い時代ではありませんでした。
状況が有利になってから来た先生もおられます。
それはそれで有り難いのです、感謝しかありません。
しかし、劣勢が確定している状態で、それでも前に進む者への信頼は、全く別の意味を持ちます。
このことは、沖縄にとっても格別な意味をもち、私はずっと兵卒のままでいるのでしょうけれども、ただ、当時における兵士の思いとして証言いたします。
もう一度言います。当時における兵士の思いとして証言いたします。
信頼できる方だ、と。
私が信頼できないという方は、過去の政策活動の事実をご覧ください。
ある意味では、すべてを失った者が、
しかも保守を標榜する勢力のいい加減さによって全てを失い、
努力の成果を毀損され、大打撃を受けた中、
どなたの悪口も言わず、ただ静かに立ち上がった経緯を忘れないで頂きたい。
だから私は何度でも言う、この人は信頼できる、と。
私は、官房長官を守る。政権を守ると、意味は同じなのだけれども、私にとっては違う。
しんどいことがあっても、ある意味では自分の政治生命がつぶれかけても守ると思う。
どれほどのイバラ道を歩んだか、保守政策を掲げる結果、保守とメディアに潰されかけた、
どれほどの月日をかけて復活したことか、二度目はない、二度目はないよ。
二度目はない、二度目はないよ。どれほどの月日をかけて復活したことか、
官房長官の就任を祝う方は、拡散をお願いします。
個人献金のお願い~全力で活動、気持ちよく使い切りました。もうすぐ資金ショートします。
一歩、前に出る勇気。
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