実態に近くで見た、参政党の実態。現場に知り合いがたくさんいた衝撃。

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かなり乱暴な分析や論評が目立つ。私は参政党員ではないし、支持政党も別にあるのだけれども(メディアも含め)苦言を呈すため本稿を上梓する。また、各党におかれては対策案の一つとしてお読み頂きたく思う。彼らの、少なくとも一部においては”素人”ではない。偶然の遭遇であったけれども、参政党の街頭演説に遭遇し、そこに知り合いが多数いたため感じたことを記す。

少なくとも「おまえらは間違っている!」とか、「陰謀論を信じやがって!」と罵詈雑言をぶつけてもどうにもならない。また「排外主義者どもがぁ!!」と報じてもノーダメージだろう。

※ 私は自民党より、支部推薦を頂いている立場として述べます。

SNSは収益化され、またコロナ過で一気に政治に参加する人口が増えた。それよりももっと前がある。
例えば安倍政権において、盤石なる立場を背景に”保守系論客です”と言えばどこでも珍重され議員会館がフリーパスの、ちょっと大きな顔ができた時代とか。のち岸田政権になって、関係性は冷え込むのだけど。
それより以前のこと、いつまで続くか分からない、民主党政権。自民が下野していた時代。緊張感や危機感はまったく違っていて、そこに身を投じていった「民間ボランティア」たちがいた。かつて次世代の党、さらに前はたちあがれ日本がそれにあたる。

人に歴史ありと言うけれど、私が政治家を目指した原風景に『就職氷河期』がある。私自身は上場企業に就職することができ、いわゆる勝ち組ではあったのだけども、製造派遣の解禁を皮切りに日本の形が変わっていった世代。ゆえにこのblogも初期においてから「責任世代って何さ!!」と苦言を叫びまくった時代もあるし、それほどに麻生政権末期において、生活を犠牲にしてまで戦った日々があった。

期待もあった、夢もあった。
最終的に(長らくの無所属時代を経て)私は自民党に落ち着くのだけれど、振り返れば麻生解散が2009年だから16年前。あのころ、右も左も分からずにオロオロする私の姿があった。そして現場で指揮を執った時代でもあり、共に駆けた仲間たちがいる。長いこと、大型選挙を戦ったもので、戦友のような友人もたくさんできた。

その一部が、参政党の現場にいた。概算だけど人数は4~500人。かつて次世代の党にて支部長を務めた友人と一緒のときに鉢合わせたのだけれど、道路誘導とか非常にてきぱきしてて美しかった。ふと顔を見ると、知人。ある意味では狭い業界だから、現場に出ていたメンバーの1/4ぐらいが面識があると思う。(二人あわせてです。)

一人一票なのは違いはないけど、単独で30票とか40票を出力できる「個人」というのは普通にいて、選挙に手慣れている民間人。創価学会員は上手なのは知っていると思うけども、負け続けて負け続けて、勝てなくて、悔し涙を流しながら「参考に」学んでいった、元新兵はどんな戦力だろうか、という話。

これは県にもよるのだろうけれど、その濃淡があるにせよ、かつての同志たちが現場に在ることは厳然たる事実。
もちろん参政党が頑張って獲得してきた党員らもいるのだろうけども、ネットを発祥とした古参保守のベテランたちがサポートに周っていることも一つの事実として述べたい。ある意味での彼らの名誉のために。

報道各社にも言っておくけれど、どれだけメディアで「排外主義だ!」と叩いても意味はないと思う。むしろノーダメージで、勢いづかせる効果はあっても効果はない。理由は、もっと酷い扱いをずっと受けてきたから。

このあたりは保守系媒体や論客が書けばいいと思うんだが、書くことはできないだろう。例えば沖縄の県知事選で、現場に出てきている保守系論客は皆無に等しく、後半で辺野古にちょっと来たぐらい。実際の現場スタッフと交流があったり、面識があるレベルの方はいない。何週間単位で選挙応援に行った人じゃないと分からないし、沖縄の保守活動の現場の人じゃないと判別はできない。特に、旧・次世代の党の関係者とかフェンスクリーンプロジェクトとかの、現場まで入って人じゃないと分からないと思う。だから保守系媒体も、なぜ手慣れた人がいるのか説明ができないのが実態ではないか。

当時のことを投影しながら述べるけれど、そのため敢えて我々と言わせて頂くが、かつて就職氷河期を背景に持つ者らが熱望したものがあった。麻生政権末期の、中川昭一財務大臣らに対する恩義であったり期待である。初めて政治に目を向けてもらった感動。ギャンブルパンフの時代の話。のちネット保守の中核をなしていくのだけれど、それは次世代に行ったり、私のように自民に合流して行ったりしたのだけれど、いまは国民や維新、もしくは参政党に動いたように私には見える。

ゆえに、新規に立ち上がった政党組織とは別に、リアルの基礎票を抱えた運動員が大量にいる感じ。
ここは強い、メンタルも含めて。市議だと4期5期の後援会役員と同等レベルだと思う。だから「間違ってる!!!」とか言われても、「はい、そうですか」と受け流せるし、多くの現場スタッフは実はネットインフルエンサーでもない。下手するとROM専で、情報は受動的にしか得ていない。発信をしていない場合すらあるということ。逆に言えば、議論を求めてもいない。だから論破してどうこうできる層でもない。

自分で考えて、自分で決める。
上から言われてどうこういう感じではない。
そしてリアル票をすこぶる持っている、手慣れた戦力が。ある意味では、私も含めて共に種を撒いていた層が、その現場にいたとき。いまは党が違うから、「こんにゃろめ」と思う本心もあるのだけども、見知った同志もいるなかでクソ味噌に叩く気分にはなれなかった。

もちろん新興勢力ゆえニューカマーもいるのだろうが、そうではない戦力も確実にいる。
三橋貴明氏は、かつて自民党から国政出馬したこともあるし、その時は私が応援にまわったことも。一緒に(自民の)全国比例を手伝って勝ったこともあるし、ネット選挙の初勝利とも言われた。都知事選も一緒だったし(私が自民入党前)、初めての市政報告会は弁士が三橋さんだった。アクセス数は同じ1であっても、積み重ねてきた分の重みというか、筋金入りの兵力みたいのはそれぞれが持っていたりして。それは坂東忠信さんだって同じだし、ようは単にネット部隊というわけではない。

さらに厳密に言えば「岩盤保守」と言われる層とも微妙に違う。それは新聞や保守媒体が勝手にラベリングしただけで、生の運動員の声なんて聞いてもらったことはないし、当時から生活に困窮していた氷河期世代だよ、経済政策を求めていたり社会保障費の高騰ふくめ可処分所得の問題を述べていただけの層だよ。ぶっちゃけ単に国防とかいう括りでもないし、せめて次の世代には少しでも楽させてあげたいだとか、そういう祈りみたいなものがあったよ、現場では。当時ね。私もそこにいたから。そして保守系媒体は、どこもいなかったから。塹壕の中で震える私たちのもとには、誰も来なかったよ。

そういう前提のもと、どう対処していくかとかを各党は考えた方が良いのではなかろうか。
今回、自由民主党は相当に苦しい。公明党もやばいという前評判だ。衆院が少数与党で、参議院選挙で過半数がないならば、それは単なる野党である。誰も総理をやりたがらず、自民が総理を預かり続ける可能性はあるけれど、二院制ゆえに国家としての議決機能は喪失するのだろう。

各党が急にネットに着眼したり、相手に対して様々なレッテル貼りをして、撃つ必要もないものを撃ったり、右往左往して傷つけあうのが見ていられない。擁護もしないし、援護でもない。むしろ実像に迫るのは、利益にもなると思って私なりの考えを書く。究極的には、歴史が違うんだよ、という話になる。

(※ これは新たに党員になった方を対外的に勝手に論述しているわけではないので、その点は悪しからず。私に見える層だけを書きます。)

 

 

 

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ようは、嫌になった。こっちを向いてくれないから。

キレた!とかではないと思うんだけど、嫌になっちゃったんだろうなって。
もう、それだけかと。

特に沖縄は大変だったんだ、自民党員も大変だったけども身を投じた民間ボランティアだって大変だった。
そりゃ有休を一週間近くとったりとか、自営業なんだけど毎日選挙カーの運転してくれたりだとか。少ないとこだと二名で交互に運転してて、ドライバーも倒れかけ、とか。これは市議選とかの話。

最初は素人なんだけど、だんだん上手くなるわけで。

 

基本スキルとして、告示の日(出陣式)の証紙貼り。
ポスティング、長時間のお手振り。ウグイス嬢、カラス。運転手。
後援会員や支持者カードへの電話かけ、選挙カーのルート切り、期日前投票の呼びかけ、連れ出し(投票所まで依頼があれば連れて行く。)
期日前の投票数の確認と組織化、選対会議の朝礼の次第作成、バナーデザイン、選挙公報の字句修正。
ポスター貼りとか、街頭演説の説明、道路誘導や駐車場の案内。

自分の市議選を3~4回ほどやれば、だいたい覚えるのだけれど。
歴戦の運動員は「これを全部やれる」人って、それなりにいて。

 

SNSで拡散してる人を悪く言うわけではないし、軽く扱うわけではないことを再三にわたって述べておくけど、仕事を休んでまでこんなことしないでしょう?
けどね、してた人たちがいるんだよ。

私のblogの読者も同じだけど、特に古参はね。麻生政権末期や下野していた時代の人はね、「報酬は日本の未来」とか合言葉にして、滅私奉公で戦ったの。誰が褒めてくれるわけでもないのに。

つまりネット保守の古参って、リアルの選挙活動ができるの。

 

 

ある意味での座敷童みたいなもんだと思うんだけども。

当時は「いてもいなくても、どっちでもいい」みたいな扱いだったし。

それに分かりにくいし、見えにくい。

単に熱狂的な支持者に見えたろうから。

 

そこにいた私しか、もしくは長らくいた人しか分からないと思う。

 

一緒に行っていたボギー手登根さんは、かつて次世代の党の支部長で、国政に出馬したこともある。
そして辺野古で最前線に立っていた一人であるし、ずっと沖縄でラジオをしている。沖縄の保守でこの人を知らない現場の人はいないから、みんな会釈していた。あと、「ついに参政党に来てくれましたか!!」と凄い喜んでる人もいた。

私は、まぁ、なんか、ごめん、みたいな感じで。
相互に会釈してただけ。ポスター貼りとか一緒にやった人たちだったんだもん。

 

二人の合算で100人近くは知り合いがいたと思う。

ま、嫌にもなるだろうなぁって、うーん、って二人で言った。

このあたりの層は、手登根さん以外からの声は受け付けないような気がする。過ごした時間が違い過ぎるから。

 

 

 

現場の保守活動の凄み

私のblogさ、一番最初の記事って実は手登根さんなんだよね。
まだ個人名を明かしてない時代のことで、保守活動に身を投じる前からの友人だったりするの。行橋市議会で、突然名前が公開されましてね、そのことに異議を述べた記事が最初の記事だったと思う。

フェンスクリーンプロジェクトというのがあって、米軍基地を汚損する、左派のデモンストレーションみたのがあって。基地のゲートがずっと汚損されるの、テープで。それを淡々と綺麗にする活動をしていて、後半は中に釘をいれられたり、そりゃ酷いこともあって。朝も早くから仕事に行く前とかに、みんなで集まって掃除するの。何日も、何年もかも。当時のオール沖縄の勢力ってすごくてね、一人二人でやるのは危険だって認識もあって。

ま、相手からすれば「綺麗に飾り付け」したとか思ってるだろうし、テープを張るのも何時間もかかるだろうから。そりゃもうすごい長さがね。汚損と掃除の繰り返しをね、米軍基地に認識される規模まで長時間継続した人たちがいるの。手登根さんは、そのリーダー。本当は、ただのPTA会長で、とても個人情報を出せるような立場じゃなかったのに、娘さんが高校を卒業したころだったか顔出し実名に改めたというね。そういうわけで、私の方が保守活動の先輩だったりする。(年齢は逆だけど。)

 

こういう人たちが、選挙をしてたの。
最初は駄目さ、全然ダメ。

それこそ創価学会を見習おうぐらいの思いで、悔しい思いをしながらね。フレンド票のもらい方とか考えたり。
清掃活動を、左派との衝突を繰り返しながらやるような人たちだから、そりゃ意気投合もするだろうしさ。匿名の文化が強い時代だったから、参加者の多くも秘密で。秘密組織を作ろうとしたわけじゃないんだけど。

少しずつ選挙カーの運転をしたり、少しずつポスティングが効率化されていったり。
少しずつ電話かけがうまくなったりね。時には次世代の党から出馬してみたり、最終的には(次世代の)和田先生が自民に合流したことで一定層が自民選挙に身を投じたり、いまは別の党に行ってたり、と。

 

この人たちは、単にネットのアクセスでは計れない存在。
バズったからたくさん票が入るかと言えばそうではなくて、単純に、リアルで物理的に集票活動に動く。航空劣勢の状態で、身を隠しながら選挙応援してる時代だったんだよ。

 

大変だったよ、本当に。
左派にバレて職を追われた人もいるし、この経緯で職を失った有名な方と言えばロバートエルドリッチ博士。
ゲート周辺での出来事を目にして、録画データを水面下で渡したことが発端じゃなかったかな。他にもね、色んな人が職を失ったり社会的に苦痛を味わいながら、それでも石にかじりついて選挙してました。

気合が違うから、頭の下げる角度が違う。
倒れるまでポスティングする。応援に入った時、宿泊費が尽きかけたときがあって、知り合いの民宿を紹介してくれたり。懐かしい。

 

何人が参戦してたのか、私は分からない。
全員が参政党に行ったわけでもないと思うけど、この人たち、ネットしてない人もいてて。
「別に発信しなくていい」ぐらいに思ってたり、会社勤めの人はバレたくないからリアルのみ、みたいな人もいて。
けどね、いまは恐ろしく集票能力持っていると思う。

負けまくったからね、負けて負けて負け続けて、
それでも立ってた人たちだから。選挙慣れしてるし、心の強さが違う。

 

チャンネル桜の沖縄支局もあったり、手登根さんはラジオをずっとしてるけども、その視聴者とかいれたら何人の選挙スタッフを錬成したのか分からない。一部は私も(一緒に選挙しながら)教えたんだ。

 

道路誘導がさ、すごく上手でさ。
感動したんだよ。

「お、違うなって。」
そしたら知り合いだった。あっちもこっちも。

党が違うから照れくさそうに会釈だけしてね。

 

 

 

叶えたい夢はあった、共に見た夢も。現実に舵を切るものも。

たぶんね、大事にしなかったからだと思う。
これは自民党が悪いって意味ではないし、そういう批判的な意味ではない。
ただ、結果的には大事にされなかった。

企業からの協力で来ているスタッフさんもいるんだと思うし、本土の国会議員事務所から応援に入る人もいる。
色んな所からいろんな応援が入るのだけども。

民間ボランティアとの差は、分からない。
単に一生懸命にやる運動員がいるなぁ、と。
保守活動から入ったボランティアと、通常ルートの応援スタッフって見分けがつかないの。

(私は保守活動もしていたから、たまたま分かる。あと呼んできてた本人だし。)

 

上から目線で命令してるとか、顎でつかうとかではないんだけども。
普通に体育会系というか、選挙ごとって指揮命令系統は大事だから。
時によっては命令口調にもならないといけないし。
それは誰も文句なんて言ってなかったんだけど、それでもね、比較すると大事にはされてなかった。

例えば手登根さんは、ある意味では知事選も含めての、ちょっとした象徴だしキーパーソンなんだけど。
沖縄の政治家で彼を重用しようという人はまずいない。左派に目をつけられるし、手登根さんは活動家でもあるから、たまに発言もぶっ飛んでるし。彼は、彼なりの生き方があるのだろうから、それはそれで納得してるんだろうけど、彼を慕う者はそうは思ってないだけ。

 

参政党を見て、手登根さんが感動していた点は一つ。
後ろを振り返って会釈した時。後ろにもね、身に来てくれてる人がいたの。
余裕がある候補ならできるんだろうけど、あっちも余裕のある選挙をしているわけではないし。「目線がね、自分たちに近いんだよなぁ」って、手登根さんが言ってたのは印象深かった。

私が感じたのは、内と外を切り分けてる点、敬意を示す感じで。
通りかかった通行人とかにも丁寧なんだけども、まさにプロ、うまいと感じるぐらいに。
けどもね、スタッフさん同士の会釈の仕方が違うのよ、例えば同じ社内の人を、社外で敬称つけないじゃない?
ああいう特別感というか、「中の人だよ、貴方は」という感じの。

これね、沖縄の民間ボランティアたちが一番して欲しかったことだと思う。
ずっと外様に置かれてるって、少なくとも当事者たちは悩んでいたから。
「きっと俺たちなんて」と。

 

それは単なるミスコミュニケーションで、相互の誤解なんだとは思うけども。
ちょっと違う敬意の払い方とか、大切にする方法って、きっとあったんだろうなって参政党の街頭演説に鉢合わせて感じました。

この人たちに「排外主義だ」とか、「政策が間違ってる」とか言っても無駄だと思うよ。
全然議論が嚙み合わないから、それじゃ、違うから。

聞いて欲しかったのはさ、「生活がもう苦しい」「可処分所得がマジでない」とか、「せめて次の世代に何かしてあげて」とか、とりあえず聞いて欲しかったんだと思うんだよね。

(これは問題発言として参政党から怒られるかもしれないが)政策なんて、どうでもよかったのかもしれない。彼らは実際に不遇の扱いだったし、少なくとも本人たちは政治に対して気おくれしていたのは事実だから。間に私は入ってたんだけどね、もう彼らは決めたんだと思うから。

鍵は、手登根さんとか、10年以上の付き合いのある人の言うことしか聞かないと思う。

 

 

 

坂東忠信さんは、好き。

いま投稿することは物議も醸すだろうと助言も頂いたのだけど、参政党の有力支援者と会ってきた。二人で。仲良くオッサン同士、スイーツを食べながら。何を話したのか、なぜアップするのか書く。

「私たちまで喧嘩する必要ってあるのかな?」というメッセージ。
「いま投稿すると、小坪さん、怒られちゃわない?」と、街頭演説に登壇する直前の、坂東忠信氏。
「あまりに過激な衝突が目に付く」とは、共通認識だろう。

それぞれ支援政党はあっていいと思うのだけれど、友人関係はそれとは別で。
行き過ぎた”推し活動”の結果、例えば論客同士でも喧噪が絶えぬことには、彼も不安を感じているようだ。

揉めそうなタイミングなのに会ったのではなく、別の講演日程があったので久々に会わない?って事前に連絡をもらってた。けど、当日は、相互に超複雑な状態に。
私は、岸田元総理が来賓参加の(自民の)総決起大会の直前。
坂東さんは、小倉駅での参政党の街頭演説に登壇前のこと。

「いやぁ、今回は、そちらはお強い」という素直にエール。
「必死だよ」みたいな回答だったと思う。
「色々と物騒な時代だから、暑さも含めてご安全に。」とは相互に。
「自民も参政も共倒れて、立憲(もしくは国民)が勝つ選挙も出るようだ。」
「沖縄、大阪、香川あたりはきついかもね」と切り出すと、二人ともピリリとするんだけど、これ以上は言うまい、と。

かつて氷河期世代の苦しさを体現する形で、政治に身を投じた私。デビュー時期は坂東さんとほぼ同様。推す政党も近かったし、広い意味では一緒だった。個別の政策は違うし、言うことも違う。いまでいうスピ系なんだけども、保守がそもそも少なかった時代だったから。

少し振り返る。
①SNSが収益化され、大きな力を持つようになった。参加人口も増えた現在。
②安倍政権が盤石で、『保守というだけで大きな顔』してた10年ほど前。
③いつまで続くか分からない、自民が下野していた民主党政権。食うや食わずの、です。

②ですら古参と言われる時代で、③の下野時代を知る者は多くはない。私と坂東さんは、あと三橋貴明氏も、さらに前の『麻生政権の後期』から。ネット保守なんて数が限られていて、みんな面識があった時代があるんだよ。
(ちなみに私の初の市政報告会の弁士は三橋さんでした。)

いまの方たちを軽視するつもりはないけれど、例えばたちあがれ日本であったり次世代の党であったり。そして麻生解散も含め、複数会の沖縄の県知事選。「勝てなくて悔し涙」を流した数が違う。

彼らに付き従うのは、何度も何度もリアルの選挙を経験した、ある意味でのベテラン兵。SNSでぽっと出で集まったメンバーではなく、少なくともその一部に(民間人なのに)「選挙の手練れ」が混じってる。20年近く選挙を戦っていた、もはや民間人というよりも選対を切り盛りできるような人材。最初はね、私も含めて新兵だった。この層はね、「おまえは間違ってる!」とか「陰謀論だ!」とか言われてもテコでも動かんよ、だってもっと酷い時代を越えてきてるから。

タイミング的に(会うの、やめとく?)とは相互に思ったのだろうけれど、それでも会ったし、撮った写真もアップもやめとく?と言われたんだけどね。出すわ、俺と言ったら「大丈夫?大丈夫?」と心配されて。言いたいことがあったから。

支援政党が違うからと言って、「俺らまで喧嘩しないと、駄目なのかい?」というのは相互に疑問としてあってね。行き過ぎた過熱に一石を投じるため、言うことにした。

自民下野、私も浪人中、坂東さんも著述業になりたて。苦しい時代があってさ。
互いに叶えたい、日本の未来もあった。二人とも追いかけた未来があった、それだけじゃない、皆が同じ方向を向いていた。

安倍政権下、私は現実路線で自民党に、のち入党。
手探りで夢を追いかけ続けた友人もいる。どちらが正解というのはない。
相手を否定する必要もない。(※ 二人羽織とか数年単位で粘着された場合を除く。)

選んだ道は違えども、揉める必要もない。
政策論争なら受けてたとうじゃないか、コーヒーでも飲みながら。
スイーツ食べてるだけで言いたいことがある人もいるだろう、けどね刻んだ歴史が違うんだよ。

選挙はさ、私も応援している候補がいるからね、必死に戦う。
かと言って仲違いして罵り合う必要がないと言いたい奴もいるんだよ。

選挙戦も終盤、熱中症に気を付けて相互にエールを送る、心の余裕は欲しいね。こんな時だからこそ。

 

 

 

 

下野していた時代の頃からの、インフルエンサー

まだインフルエンサーという名前もないころ。

それでもネットで選挙していた時代があって、三橋さんの最初の選挙のとき。あのときは選挙期間中は更新が停止しないとダメって運用だったと思う。のちネット選挙が解禁されていくんだけども。まだSNS黎明期というか、そういう時代で。私はSNSの運営者会社の経営者という立場もあったり、実は保守専用のSNSを日本で初めてオープンした当事者で、最大だと2憶PVとか出してたと思う。昔の話だけど。

だから、まとめサイトとかの管理人さんとかはうちのユーザーさんだったり、そりゃ話が早いよね。自社システムの中だったから。サーバー内で、運営者がどういうデータをチェックするとか、それなりに分かったのってそういう理由で。

普通に三橋さんの選挙も応援してたしね。
うん、あのころって、ネットで同志を募った後、「さぁリアルで選挙をやるぞ!」っていう時代で。

 

古参の、インフルエンサーが持っているアクセスって、
ネット上の1アクセスじゃなくて、運動員の数なの。

個人情報であったり、昼に動けるかどうかとか、いろんな制約はあるけども。
みんなで力を合わせて少しでもリアルの選挙事務所を、なんとかサポートしようっていう時代があったの。

下野してた時代だったかなぁ。

 

SNSが収益化されて参加人口は爆発的に増えたけども、こういう文化は廃れてしまって。
一番持っているのは、麻生政権末期からやってる人だと思う。
次が下野していた時代の人。

安倍政権が誕生してからの論客とかインフルエンサーは、運動員のボランティアまでしようって人は多くはないと思う。そんなわけで、古参の参戦は、リアルの運動員の純増になってるという見立てをしています。見立てというか、行ったらいたから間違いなく古参兵は相当数がいる。もう、みんな引退したかと思ってたんだけども。

人に歴史ありっていうけども、本当に歴史が違うの。

 

「おまえの間違いを指摘してやるぅううう!」と挑みかかっても、そもそも相手がROM専だったら意味ない。

一定数のベテランが入ってるとね、選挙事務所って一気に稼働率があがる。恐ろしくあがる。

上手く言えないけども、厳密に言えば自民党支持者でもないんだよなぁ。

そして「岩盤保守」ってラベリングしたのは、自民党だったり保守媒体だったり、後発のインフルエンサーたちでしょう?多分そこから間違ってる。

 

最初から経済だった。
就職氷河期世代は、少なくともそう。だから中川昭一財務大臣を大切に思ったのだし、あの暑い夏の、ギャンブルパンフがあるのよね。

三橋さんなりに自民党と仲良くした時代はある、実際に自民から出馬してるし。
自民党の応援をしてくれたこともある、私は一緒にやった。あれは12年前の参院選。うちにも来てくれたりね。いまは違うけどもね、支持政党は。

けど、飲まなかったじゃないさ。
三橋さんや他の人たちが求めた政策は。実現もされなかったし、手登根さんたち同様にさ、あまり重視されなかったと思うよ。悔やんでたもん、当時は。迷ってたし悩んでたし。

私はだいぶ長いこと無所属を貫いてきて、いまでも議員人生の半分以下なんだ、自民党歴って。
それでもそれなりの長さは党に属させて頂いているし、私を取り上げた党本部通達を三本も出してもらってるし、脱退一時金とか法改正もして頂いているから納得しているんだけども。彼らには、そういうのはなかったから。

国保の外国人のもやらせてもらった、聞いてもらった。
外国人の扶養控除のときは、会計検査院が動いてくれて財務省に凸ってNHKも報じてくれた。

私は、だから自由民主党に入党してよかった。
ネット世論にも貢献できたと思う。

 

けど、そうじゃない人もいた。
特に経済対策とか、就職氷河期問題をやっていた人たちは、ほんと、ストレスだったんだと思う。

ベテラン運動員と化していた、彼らの支持者や読者も含めて、「えーーーい」ってなったんだと思う。

神谷氏もいろんなことがあって頑張ったんだと思うけども、党員たちも頑張っていると思うし、あの面子を見るとね。古参としては「ぶん殴れ!」とは言えないかな。

 

やっぱり、ちょっと苦言と言うか批判もします。
大きなアクセス数でぶん殴っても効果がない層っているんです。
はっきり言いますが、この層は(読んでて分かるように)「ネット保守の始祖」みたいなもんで、新興インフルエンサーのご先祖様的なポジションです。

政治の酸いも甘いも知り尽くして、むしろ酸いばかり知ってるような人に、最近出てきた人が大所高所から偉そうに講釈を垂れても無駄です。発信しないからと言って選球眼が甘いかと言えばそんなことはなくて、相当に政治に精通してる。そのぶん、実際に自分の生活を切り詰めて運動員してるわけで。いい加減な、デマみたいなアジテーションを繰り返しても、聞くわけがない。だって、いまのインフルエンサーのほうがレベルが低いから。麻生政権末期からの運動員って、帝国陸海軍の軍人に、そこらの不良が殴り掛かるぐらい失笑ものなので。明確に、いまのほうが程度が低いんです。正確にいえば危機感。下野して、闇法案が続々と出てきて、身バレして失職が相次ぐような危機感はないじゃないですか。

だから政策論争はしてもいいけども、バカだのなんだと言っても意味ないというか、正直に言えば滑稽。
これは参政党というよりは、その党に支持者として参入した古参兵たちのことを指します。このあたりは本当に強い、覚悟が違うというのは、なんだろう、ライバルながらも名誉のために言っておきたかった。

各党も、参政党が気になっているなら、氷河期世代が過去から言っていたことを、今からでも実施したほうがいいと思う。諦めみたいなものというか、麻生政権末期なら間に合ったんだ、俺たちもいくらか若かったから。家を建てるとか結婚とか諦める年になって、それで政治に諦めも覚えてるだろうけども、そういう動きだと思うから。なんか、そんな顔してたから。(支持者たちが。)

とはいえ掲げる政策を、良いものだとか実現可能性が高いと私が思ってるわけじゃないよ。
もしもそうなら、私も向こうに行っているから。政党運営や政策については、明確に違うよ。そこははっきりさせておきます。

 

 

 

うちも、参戦する。

参院選は、相当に厳しい結果になるんだろう。
そうならぬよう、私も精一杯やってみようと思う。

どうしても手が離せない案件があったから、少し参戦が遅れてしまったけども。

うちの部隊だとどれぐらいかな、あまり多くないんだけどね。
いまのYoutubeチャンネルとか数十万という登録者でしょう?

うちは、どうかな、2000人から3000人ぐらい。
個人献金を頂いたり、一緒に選挙をしたり、会ったことあったり、県外で車を出してくれる「小坪団」はそれぐらいしかいない。けど、まぁ、5票ずつぐらいお願いして、1万を上積みするぐらいの力はある。
(もうちょっとあるかもしれない。)

 

中途半端に入ることも含め、すごく迷ったけども。
さて、私も選挙戦に身を投じましょうかね、そんなに強くはないけども。
古参の名に恥じぬよう。

今回は、本当に厳しい選挙区に入ることになるだろうから、読者には負け戦をさせてしまうかもしれない。
それでも、かつての同志が最前線に立ってる姿を見るとね、私もやるしかないって思ってしまったんだよ。

いざ尋常に勝負。
昔の自分たちと対峙するようでね、不思議な感覚。

 

この記事は、私なりの覚悟だから。禊みたいなもんだし。
ルーツはさ、しっかり示さないと。支持層の流れから言えば、行ってても不思議じゃないと言われたから。だから言おうと思った、自分のスタンスとか思うこととか。あと、いい加減なことばかりを好き勝手に(運動員を含む彼らが)言われているのを見て腹が立ったのもある。

 

 

 

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コメント (頂いたご意見は、他SNSに比較し最優先で目を通しております。)

  1. ta より:

    政治の世界での大所高所の人達は「あなた達の為に我々がいる!」とか言いつつ、足元の「あなた達」と対話しなかったということでしょうか。
    自分は今までと同じように票を入れるので死に票になるのかなあ。
    でもやっと脱退一時金とかの光が見えて来たしね。

  2. 三森羊一 より:

    経済メインなので、自民党には見切りを付けられ、現在は参政党を応援中の三橋先生のブログ。
    愛弟子の「さや」さんが東京選挙区、全国区ではあんどう裕先生の当選を目指されています(ちなみに三橋先生自身は、参政党員ではない)。

    投票の輪
    https://ameblo.jp/takaakimitsuhashi/entry-12916545978.html

    30年以上も経済成長をストップさせ、実質賃金を40か月連続でマイナスにしている「自公政権」を過半数割れに追い込むのが、今夏の参議院選挙の目標。小坪ブログには無い視点のご参考にどうぞ。

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