【安倍元総理の命日に】拉致問題の風化阻止。貴方の代わりになれずとも、誰かの勇気になりたくて。1900議席の名を預かる長として。

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命日は、故人に対して報告をする日だと思っている。それはお盆だという方もいるのかもしれないが、私なりの矜持もある。「安倍元総理の意志を継ぎ!」と、様々な人が言う。本当かな?と思う。故人ビジネスに見えて嫌だった。そうやって他者を持ち上げて、チヤホヤする風潮も嫌だった。で、そういう行為に怒りをぶつけて悪態をつく日なのかと言えばそうではない。

私は報告をする日だと思っている。
安倍元総理が命を奪われてのち3年。
「遺志を継ぐ!」とキリっと格好をつける日ではなくて。

もしもご存命だったならば、日本はどうであったろうか。
その埋め合わせを、どこまで努力できたのかを自問する日であった。
誰も安倍元総理の代わりになどなれはしない、当然、私は無理だ。

しかし、安倍元総理はいないのだ。
もう、いない。いない現実を受け止めたうえで、「もしご存命だったら、何をなされたろうか」であったり、「奪われたことにより、遅滞する政策は何か」を考えて奮闘するのみだ。

私は安倍元総理の前でマイクを握ったことは一度きり。
司会が櫻井よしこ先生だったのでよく覚えてる。テーマは拉致問題で、地方の動きを報告するもの。各党幹部が列席してくださった。私のスピーチ後、拍手してくれた。嬉しかった。

「このままでは拉致問題は遅滞するだろう、風化するのだろう」そのように仮に北朝鮮がほくそ笑むのだとすれば、私はどうしてもそれが嫌だった。救う会幹部は悲嘆にくれた、家族会にだって激震が走った。ある意味で、現場は大混乱に陥った。

指揮官が凶弾に倒れた、泣いて悲嘆にくれるのが兵卒の仕事ではない。
「立って戦え!」と、その激を飛ばして欲しいと西岡力会長に、物凄く失礼なのだけれども私は噛みついた。

のち、ブルーリボンを守る議員の会が編成。私は会長に就任。
広報啓発を主たる実務とする、「私はブルーリボンバッジを着用する」という共同声明は、1900議席を数えた。かつては自民党の中でも右派とされる議員しか着用が見られなかったのだけれども、着用状況の可視化は一定の効果を発揮したと評価されている。

本日、私はできたことを報告する日でいたいと願った。
あの日から願った、願っていた。すべてができたわけではないけれども、故人を忍びつつ、静かに報告する。
せめて、この問題の、風化阻止だけは。我が身を体当たりさせてでも、絶対にやり遂げるんだ。そういう悔しさを噛み締めた3年前。本日、私なりの誇りをもって報告ができた。

安倍元総理の前で演説させて頂いた際の動画を紹介する。

 

 

 

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ブルーリボンバッジ着用率100%の自治体がうまれた理由、アニメめぐみ上映率100%~安倍元総理の前で報告

【拉致問題】ブルーリボンバッジ着用率100%の自治体がうまれた理由、アニメめぐみ上映率100%~安倍元総理の前で報告【地方行政にできること】

 

 

 

 

ブルーリボンを守る議員の会

記事において、見出しが「遺志を継ぐ」となっているが、これは記者らの意志であって私の思いとは異なる。
タイトルは編集権と言って報道側がつけるもの。当時は、まだ140議席だったようだ。300人を目指すと言っていたと記事にはある。

この記事は、8月27日付け。
総理が命を奪われてから、一カ月と少し。必死に呼びかけた議席数が140議席。私の友人らは、よく呼応してくれた。会の設立、共同声明の準備、署名を頂いてからアップするまで。それでも一カ月と少しが必要だった。

 

 

web用のテキスト版

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ブルーリボン守る超党派の会設立 安倍氏の遺志継ぐ

 北朝鮮による日本人拉致被害者救出を願うブルーリボンの着用を宣言する超党派の政治家有志が今月、「ブルーリボンを守る議員の会(議員の会)」(会長・小坪慎也福岡県行橋市議)を設立した。拉致問題に取り組んできた安倍晋三元首相が死去したことで、問題が停滞することを防ぐ狙いがある。26日時点で全国の地方議員を中心に約140人が賛同しており、同会は今月中に300人以上を目指す。

 議員の会は、各都道府県の地方議員単位や国会議員のみで構成される既存の「拉致議連」とは異なり、全国の地方議員を中心に首長や国会議員が隔てなく参加。活動内容は議員のブルーリボンの着用の促進に特化しているのが特徴だ。

 立ち上げにあたり、同会は共同声明を発表。拉致問題について「単に拉致被害者の人権侵害というだけではなく、日本の国家主権の侵害の問題」とした上で、ブルーリボンは「拉致被害者救済活動の象徴的な存在」と強調し、「覚悟をもって着用する」と宣言している。

 きっかけの一つに、7月に安倍氏が奈良市内で演説中に銃撃されて死亡した事件がある。拉致被害者家族を中心に、拉致問題の停滞を危惧する声が広がったからだ。

 「議員の会」は、安倍晋三元首相の死去が設立のきっかけの一つとなった=令和元年12月
今月11日に開かれた大阪拉致議連の総会では、「北朝鮮に拉致された日本人を救出するための全国協議会(救う会)」の西岡力会長が、政治家のブルーリボン着用について「(拉致問題の解決に向けた)一層強い意思を示すため、内外に示していただきたい」と呼びかけていた。総会に出席していた小坪氏は「拉致問題の沈静化を危惧する国民の閉塞(へいそく)感を打破したい」と、拉致問題に取り組む議員らに呼びかけ、議員の会を立ち上げた。

 今後は地方議員や国会議員、首長などに幅広く賛同の輪を広げる予定で、超党派の大阪府内の地方議員有志による「大阪拉致議連」加盟議員も参加する見通し。小坪氏は「ぜひ自分の住む街の議会に賛同を呼びかけてほしい」と訴えている。

 長年、北朝鮮による拉致被害者救出のシンボルとなってきたブルーリボン。着用することは国民の拉致問題に対する意識を高める一方、北朝鮮に対するアピールにもなる。ただ、議員間でも着用にはばらつきがあるのが実情だ。

 ブルーリボンは、日本と北朝鮮を隔てる「海」と、両国をつなぐ「空」をイメージ。救う会によると、平成14年に拉致被害者5人が帰国する直前、救う会のメンバーが中心になって提唱し、ブルーリボン運動が始まったとされる。

 だが、年月がたち拉致被害者家族の高齢化や問題の風化も懸念される中、「北朝鮮による拉致被害者家族連絡会(家族会)」と救う会は昨年11月、拉致被害者の救出の意思を国内外でアピールする必要性が高まっているとして、全国の首長や地方議会、全国会議員に、「北朝鮮人権侵害問題啓発週間」の期間中(12月10~16日)にブルーリボンの着用を求めた。

 これを受け、東京都議会では小池百合子知事ら都幹部や警視総監、大阪府議会でも吉村洋文知事ら府幹部、府警本部長が着用したほか、岸田文雄内閣でも全閣僚が着用して閣議に臨んだ。一方で、全議員が着用しているわけではなく、外相経験者にもかかわらず平時は着用していない議員もいる。

 今回立ち上げた議員の会ではそうした議員にも着用を呼びかけていく構えで、救う会の西岡力会長は「党派を超えた議員がブルーリボンを着用し、拉致問題が政治的立場によるものではなく人権問題だと示してもらうことで、日本中が拉致問題を忘れていないということを北朝鮮に訴えることができる」と評価している。

 ブルーリボンは、拉致問題に取り組む関連組織に申し込めば購入できる。

 救う会は、定番の形のピンバッジに加えて、ちょう結びのバッジも1個500円で2個から販売。救う会ホームページに記載の案内に従い、郵便振替を使った振り込みや銀行振り込みを利用して申し込む。

 また、大阪市など複数の自治体では、ブルーリボンを手作りする手順をホームページで案内している。

ブルーリボン守る超党派の会設立 安倍氏の遺志継ぐ
北朝鮮による日本人拉致被害者救出を願うブルーリボンの着用を宣言する超党派の政治家有志が今月、「ブルーリボンを守る議員の会(議員の会)」(会長・小坪慎也福岡県行…

 

 

 

超党派拉致議連のお許しのもと、自民民主党の、党としての賛同を求めた。

自由民主党から了解を得たく思った。その前に、超党派拉致議連がある。
我が国の国会で最大の、国会議員連盟。
地方議員主導で、地方の声として届けさせて頂きました。

拉致議連(北朝鮮に拉致された日本人を早期に救出するために行動する議員連盟)の事務局長の、北村経夫参議院議員に直接お会いし要望を行いました。併せて、当会の”拉致被害者救出のため強い覚悟をもってブルーリボンバッジを着用する共同声明”に目の前で直接サインして頂きました。

(写真 右より北村経夫参議院議員、会長の小坪慎也、大阪拉致議連事務局長の西村ひかる大阪府議)

 

拉致議連事務局長、北村経夫参議院議員が共同声明に賛同。当会は500議席を目指す。

 

 古屋圭司・拉致議連会長のもとへ、ブルーリボンバッジを着用するという共同声明500名を、北村経夫事務局長のお取り計らいで提出させて頂きました。現在の賛同者リストの提出は、国の拉致議連において幹事長を努めた西村眞悟先生のご子息である、また大阪拉致議連の事務局長の西村ひかる 大阪府議より、提出させて頂きました。
 併せて、笠間昇(綾瀬市議)から古屋会長に本共同声明に対しての賛同が要請され、目の前でサインして頂きました。

 

古屋圭司・拉致議連会長が共同声明にサイン。500名の賛同者リストを提出

 

ここまでが九月。安倍元総理が命を奪われて約二カ月。
絶対に手を緩めない、ここで足を止めたら二度と立ち上げれないと思ったからだ。

 

 自由民主党には党として拉致対策本部が設置されています。党本部の”北朝鮮による拉致問題対策本部長室”において、山谷えり子本部長に現在の賛同議員リストを提出させて頂きました。

 

 先んじて、令和4年10月3日において、自民党本部の事務局長室において阿部事務局長に報告を行っております。

 お盆過ぎに始まったこの共同声明。想定よりも速いペースで賛同者が集まっていたこともあり、大きな動きとなっていることから党本部への報告したいと要請したところ、大変ご多忙な中、応じてくださった次第です。お時間を賜り、誠にありがとうございます。


自由民主党拉致対策本部長室にて、山谷えり子参議院議員より賛同署名

 

10月。800議席を突破。

 

自由民主党は、組織として動いた。
自民保守派の底力でもあった、しかし私はそこをゴールにはしていなかった。
「自由民主党は、党として了解を頂いている」として、次に向かったのは公明党だった。簡単な調整ではない。高いハードルを自らに課した。

政権与党としての動き、友党からもご了解を賜り「政府与党」という姿を目指した。
次の動きも見据えてのこと。

 

 

 

公明党拉致対策委員長の竹内譲衆議院議員が署名

賛同を頂けたのは、追悼演説の当日のことでありました。

極めてご多忙のところ、30分もお時間を頂きました。
この日は、奇しくも安倍元総理への追悼演説がなされた日です。
自民であれ公明であれ、立憲や維新や国民であれ、政党幹部クラスの日程は凄まじい過密状態にあります。

直前で指し代わることも多々ありますし、閣僚がそうであるように(基本は一コマ15分)簡単に日程が組めるわけではありません。
当初の予定通りに、しかも安定して30分間、お時間を頂けるということは実はその時点で凄いことなのです。
心から感謝いたします。

 

また万が一にもこの会談がズレないよう、自民党の国会議員事務所が十重二十重の協力をしてくれています。元大臣経験者の事務所だけでも複数、議連事務局長級も、また党組織そのもののバックアップ体制も実態としてございました。また公明党側においても事前調整はなされていたものと確信しております。この部分は、おそらく大道市議をはじめ京都の公明党地方議員からの調整があったのだと考えております。

 

潤沢な時間のもと、様々な話をしました。
エピソードとしては前後しますが、「今年の冬も、手が凍えるだろうから」という話をしました。

拉致の人権週間、12月10日。
街頭に立つ、私も立ってきた。家族会とともに立った日もある。

かつて私が新人議員であったとき、「若い市議さんね、ありがとうね」と言われたこと。人前では泣けず、トイレに駆け込んだこと。

何がありがとうなのだろう、何もできていない政治家がかけらていい言葉ではない。
つないだその手は、とても冷たかったこと。

12月、誰しも忙しく、人々は無視して通り過ぎて行く。
頭を下げる、去っていく人並み。街には楽しい音楽な鳴り響き、楽しそうに手をつないだ人もいる。その明るい雰囲気の中、お願いします、お願いしますと懇願し、私がつないだその手は凍えていた。

安倍元総理が亡くなった。
皆、落ち込んでいる。

例えば、コロナ禍で勇気を与えたいと花火をあげる人もいる。
今年の冬も、きっと手が凍えているだろう、サンタさんにはなれないが、私はプレゼントがしたいんだ、誰かの勇気になりたくて。

 

(サインをする竹内先生)

 

 

いま、自民右派、もしくは保守系と。
公明党には溝がある、そのような空気の中だ。

事実については分からない、しかし(特に私が保守だからこそ)うまく行っているという空気は感じないことも素直に述べました。

 

もしも、もしも、です。

「自民党と公明党が、足並みを揃えて動いたならば」

「それはどれほどの驚きをもって、迎えられるでしょうか。」

「どれほどの勇気を人々に与えるでしょうか。」

「公明党の支持者や地方議員にも、そして自民党の地方議員や支持者にとっても」

「何より、家族会に、救う会に。」

無理を承知でお願いしました。

『公明党の役職をもって、サインをお願いします』と。

 

(頂いたサイン)

 

 

竹内先生からは、「公明党の国会議員(や地方議員たちも)サインできるものだろうか」という問いがありました。
私は「もちろんです」とお答えしました。

拉致議連の事務局長、北村経夫参議院議員の政策秘書にも同席して頂いておりました。
北村事務所からは「拉致議連としては公明党から賛同を賜ったのち、彼(小坪市議)は自公がまとまったということで、各党に挨拶に周りたいと要請を受けております。アポイントについては全面的に協力する。各党への挨拶を完了させたのち、拉致議連としても所属国会議員に賛同を求めて行く動きです。」と報告してくださいました。

(十重二十重に、そしてリアルはさらに先に話が進んでおります。ここで書く以上に。)

続けて「私の各党への挨拶に先んじて、公明党側の国会議員が独自に賛同を集めて頂けるのであれば、これほど有り難いことはありません。」とお伝えしました。

 

竹内先生には、白紙状態の署名簿を複数、お渡ししておいます。

大切に、大切に大切にお受け取りくださいました。

自公が足並みを揃える、ブルーリボン着用。公明党、竹内譲拉致対策委員長、共同声明に署名。【驚いた人はシェア】

単なる記念撮影ではなく、これは記録の意味を持ちます。

 

 

握手をしての撮影。
すべての調整を完了させてのち、の。

目を見て頂けれは分かると思う。
それ以上のものはない。

 

 

 

市議会議長会を含む、地方公共六団体の動き。

9月。
当職は、『地方公共6団体および47都道府県議会・20政令市議会に対し、ブルーリボンバッジ着用に関する共同声明の協力要請』を行った。西岡力会長からも要請書の添付を許された。

 

 まだ情報が浸透しきっていないため、要請の形をとってはおりますが、情報提供を意図して当会は以下の文書を発出しておりますので報告させて頂きます。

送付させて頂いたのは以下の団体・議会になります。
・地方公共6団体(全国知事会、全国市長会、全国市長会、全国都道府県議会議長会、全国市議会議長会、全国町村議会議長会)
・47都道府県議会
・47都道府県の、それぞれの市議会議長会
・47都道府県の、それぞれの町村議長会
・20政令市議会

 

これに呼応し、同9月。
大阪府市議会議長会が呼応。のち、全国市議会議長会が全国すべての自治体議会に文書発出。

 以下が、実際の資料です。

 

 

 

超党派の、広報啓発のうねりを地方から。

自由民主党、公明党の与党がまとまったとして、主要各党に要請を行いました。

いずれも当時の肩書になります。

 

立憲民主党の松原仁衆議院議員(拉致対策本部長)に共同声明の賛同者リストを提出させて頂き、ご賛同を賜りました。

 

 

「日本維新の会 拉致対策本部長」として東徹参議院議員よりご賛同を賜りました。

 

 

「国民民主党幹事長」として榛葉賀津也参議院議員よりご賛同を賜りました。

 

地方からの声は、確かに国政に届いた。
届けることができた。

 

ここに政府与党が足並みを揃えたとして、野党を含む主要各党の合意はなった。
令和4年11月、1100議席を突破。
安倍総理が命を奪われて4カ月が経過しようとしていた。

 

 

 

自由民主党・拉致対策本部、ブルーリボンバッジ着用を要請。党所属国会議員および47都道府県連に対して通達。

『自由民主党は、党所属の国会議員および全ての都道府県連に対して「ブルーリボンバッジ着用」を要請する通達を発出しておりますのでご報告いたします。
特に地方組織において、当会の「拉致被害者救出のため強い覚悟をもってブルーリボンバッジを着用する共同声明」が紹介されておりますので、賛同を頂いている地方議員の先生方におかれましては所属県連に確認のち、党所属議員への呼びかけをお願いいたします。』

 

 

 

会の軌跡

簡単な会の系譜を公開いたします。

 

令和4年8月10日 共同声明文 最終稿確定
令和4年8月11日 大阪拉致議連の総会
令和4年8月22日 ホームページ公開
令和4年8月24日 賛同議員100名を突破を報告
令和4年8月26日 第一次提出・北村つねお事務局長(100名)
(※ 500名の賛同をハードルに、古屋会長への面会要望を北村事務局長に要望)
令和4年9月 7日 賛同議員500名を突破
令和4年9月 8日 第二次提出・古屋圭司会長( 500名)
令和4年9月15日 賛同議員600名を突破
令和4年9月16日 第三次提出・ブルーリボン訴訟において627議席の署名を提出
令和4年9月27日 賛同議員700名を突破。安倍元総理の国葬儀
令和4年10月3日 自民党本部にて、事務局長に報告
令和4年10月5日 第四次提出・自民党本部・拉致対策本部室にて山谷えりこ参議院議員に提出
令和4年10月5日 北朝鮮に拉致された日本人を救う会全国地方議員連盟会長の松田良昭神奈川県議会議員に報告
令和4年10月11日 賛同議員800名を突破。
令和4年10月20日 賛同議員900名を突破。都道府県別のソート作業。
令和4年10月25日 第五次提出・公明党拉致対策委員長の竹内譲衆議院議員に提出。自公の足並みが揃う。
令和4年11月 8日 賛同議員1000名を突破。
令和4年11月11日 賛同議員1111名を突破。
令和4年11月25日 第六次提出・拉致問題を取り組んできた主要各党にご挨拶と報告。立憲、維新、国民が賛同。
令和4年11月25日 自由民主党拉致対策本部より各都道府県連会長・幹事長に、共同声明を紹介の形で通達を発出。
令和4年12月 2日 賛同議員1200名を突破。
令和4年12月16日 賛同議員1300名を突破。
令和5年 1月22日 賛同議員1400名を突破。
令和5年 2月 6日 第七次提出。救う会全国協議会西岡力会長、自由民主党阿部事務局長。
令和5年 2月27日 賛同議員1500名を突破。
令和5年 3月13日 賛同議員1600名を突破。
令和5年 3月16日 賛同議員1700名を突破。
令和5年 5月15日 賛同議員1800名を突破。

 

いまは1900議席を突破していたと思う。
これは衆議院議員参議院議員、ならびに市区町村議員などの地方議員など、我が国の全ての議員の約5%に相当します。

のち、本件はブルーリボン訴訟に関する、拉致特における質疑、そして官房長官のコメントとして結実していく。

その話はまたいつかしたい。

 

 

 

安らかに眠れますよう、そう静かに言うために。

安倍元総理は、いない。その現実を受け止める。
非常に残念な思いがあるのだけれど、いない。いないのだ。

いない者にすがりつくような情けないことは私はしたくない。

 

ウルトラマンが強敵に倒されてしまった。
科特隊は泣き崩れて戦線を放棄したのか?
違う、ただの生身の人間たちがゼットンと戦った。

上官が打ち取られた兵卒は、その場で膝をつき泣き崩れるのか。
だからこそ「立って戦え!」と激を飛ばすのだ。絶対に戦線崩壊などさせはしない。

 

私たちがしっかりしないと、眠れなどしない。
「もし安倍元総理がご存命ならば」という者がいる。私だって、そう思う。

故人の名前を利用して自らを大きく見せるような人物になり下がるぐらいならば、
「安倍元総理がご存命であるならば、進んでいたはずの政策を守り抜く」以外に私の選択肢はなかった。

代わりなんて、とてもできない。
たった一つだけ、本当に少しだけ、
それが100分の1だろうと、1000分の1だろうと、絶対に進める。

そこに空白が産まれてしまったならば、「私がカバーに入ります」と突貫するよりない。それが二等兵だろうと兵卒だろうと関係ない。私がやるか否かは、私が決める。

 

私は言いたい。
「安倍元総理がご存命であるならば、進んだであろう政策でありましたが」
「あのような形で命を奪われましたが、その空白を埋めるべく。」
「せめて戦線が崩壊するようなことがないよう、二等兵として必死の叫びのもと、同志らに「立って、戦え!」とげきを飛ばして」
「私は、私は、ただの末端の、何もない地方議員に過ぎないけれども、」
貴方の前でマイクを握ったから、そして貴方が私に拍手をしてくれたから」
「だから私はやったんだ、ここまでは、ここまでは、せめて風化阻止だけは。戦線崩壊だけは止めたんだ」って、

そう、言いたいんだよ。

 

 

 

遺志なんて継げやしない、簡単に言うなと思う。

いなくなったけれども、せめてなんとかしてみせるから

見ててくれって、そう報告したかった。

いろんな追悼の仕方があるだろう。

政治利用や売名に見える者もいる。

「どれだけ商売のために、死体までしゃぶりつくすのか!」と憤りは覚えるけれども、それはそれでいい。

他者がどうであるかよりも、自身が何をしたかで決まるんだ、こういうのは。

私は、私の追悼をする。

これが私の追悼だ。

地方議員を中心とした1900議席の名を預かる長として、私は貴方になれないけれども、その空白を埋める努力を最前線で指揮する。これからも、ね。

 

 

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コメント (頂いたご意見は、他SNSに比較し最優先で目を通しております。)

  1. 東北の小坪クラスタ より:

    暑い中、お疲れ様でございます。
    小坪先生の文章を読んで涙が溢れてきました。
    これは小坪先生なりの追悼文であると同時に
    覚悟を決めた人々への檄文であると解釈いたしました。
    願わくば一刻も早く問題が解決しますように、
    そして、市井の一員ながら自分なりの追悼と
    覚悟を示したいと思います。

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