「さよなら日米占領軍 ここは琉球國」の旗、沖縄県全戦没者追悼式にて。過激なスローガンと静かな祈り、守られるべきはどちらか。

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沖縄県全戦没者追悼式

6月23日は、太平洋戦争末期の沖縄戦から79年となる「慰霊の日」でした。 (1945年の)6月23日において、沖縄戦での日本軍の組織的な戦闘が終わったとされる。県民の四分の一もが犠牲になりました。私も哀悼の誠を捧げさせて頂きました。

実際にはその後も戦いは続きます。そこには沖縄のみならず全国からの将兵がおり、共に沖縄を守るためそして我が国を守るため戦いました。同じく福岡の先人を弔うため参列しました。

 

 

 

議員としての大前提を述べます。
有権者の思いの発露を抑止する意図はございません。しかし、静かに祈りたいという方の願いを踏みにじることも許されはしません。

一部には私には(仮に努力したとしても)理解しがたい主張、中にはイデオロギーを持ち込む方もおりました。皆様はどのように感じますか?

 

どうお感じになりましたか?とは、追悼の場にふさわしいか否か、です。
ここは政治主張の場ではなく、スローガン合戦でもありません。私が問いたいのは「静かに慰霊を祈りたい」方にとって、その方々の権利も侵されるべきではないという観点です。

※ このことは広島の事例も含めて少し後述します。

 

警察も手をこまねいているわけではありません。
県警の警護も含め手厚いものだと感じました。

以前では考えられないことで、このあたりは広島の慰霊における市議会の条例・警察対応なども念頭に置かれているのではないかと感じました。そういう話も沖縄県の地方議員たちとしていたりします。

総理大臣、ならびに防衛大臣が列席していたことも関係あるのだろうかと思いました。

 

 

ロープにて動線を確保、式典の静粛性が保たれていました。

 

 

その外で琉球新報が特別号を配っておりました。

県議会においてオール沖縄が劣勢となったいま、私も「平和、次代」という言葉を噛み締めました。

 

 

 

岡島実弁護士の事務所を来訪

追悼を祈りを捧げたのち、平和記念公園にて岡島弁護士と合流。
ある意味での沖縄での(裏ミッションとでもいいましょうか)私がお受けしている案件で、情報共有を行いました。
ご存じの方も多いかと思いますが、正論をはじめ保守論壇にも登場してくる先生です。ブルーリボンバッジ訴訟の弁護団の一員でもあり、私なりの業務連絡も頻繁にとっている弁護士の一人。

 

大きな声では言えませんが、今回は少し高コストになってしまいました。
那覇で宿泊していたのですが式典は糸満市です。ここが実は地味に遠い。沖縄県は、県ですから普通に広いんです。島と言えば小さいと思っているのは大きな誤解で、空いていれば3~40分でしょうか。(また沖縄には電車がない。)

さらに会場周辺は大変に渋滞するため、レンタカーを借りても単独で赴くにはちょっとハードルも高い。そのため贅沢にもタクシーで行きました。少し寄り道もあったので移動費が2万円近くに。
※ 式典中はは地方議員含め誰も捕まらない。

 

ですが、とても良いこともありました。
それは車内で岡島弁護士と相当に深堀した話もできたし、途中でランチミーティングを持つこともできました。一応概略は軽く後述します。

 

岡島弁護士の事務所は二度目なのですが、前回は写真を撮っていなかったのでパシャリ。

 

※ ちなみに元から保守系で活動していた先生ではありません。逆に裁判はすごく強いというか、戦略の立て方が保守に固執しないというか(ようは保守受けを念頭に置いた戦法をとらないので)ニュートラルかつフラット、幅広い観点から戦います。実際、相当強いと思う。

 

ご相談した内容は、ブルーリボンバッジ訴訟。
一審二審で厳しい結果となっており、最高裁にあがったとのことですがそのあたりの空気感や状況についてお伺いした次第です。実は前回の沖縄入りの際も詰めた話をしており、双方がPCをもって事務作業に集中。(つまり一週間前。)また、前回の上京の際にも実務者会議を組ませて頂いており、会食とか懇親ではなく、ガチで実務を一緒にやらせて頂いておりました。

岡島弁護士を含む(他の弁護士も含めた)共同作業がひと段落。
追悼式典の前日において大きめの会談があったのですが、その報告も行いました。

 

岡島弁護士は、今後の沖縄にとっては重要な立場になっていく弁護士のような気がします。保守系の動きにも理解を示し(そりゃ正論に執筆するぐらいですから。)、かつ広範囲の弁護ができる経験豊富な人材は沖縄県では相当に貴重だと考えるためです。

 

 

 

豊見城市議会の同志たちと

夕ご飯は豊見城から議長はじめ保守系の先生が集まってくださり、情報交換の場を持ちました。

多分・・・なのですが、沖縄で初めて接点をもったのは豊見城市議会です。赤旗の一斉意見書送付のとき。陳情や請願の処理についての電話連絡がスタートでたぶん十年前。流れでいえば電話で大田議員、直接あったのは宜保議員が最初だったかと。

 

右より、新垣亜矢子議員、宜保(ぎぼ)安孝議員、外間(ほかま)剛議長、大田 正樹議員。
※ 某youtuberが各議員の名字を激しく読み間違えてた(たしか過半数)ので協議の結果、沖縄独自の方にはフリガナを振るようにしました。

 

外間議長とお会いするのは二度目になりますが、しっかり話したのは初めて。
式典参加もありお疲れのところお時間をとってくださりありがとうございます。

大田議員に託したのですが、私のことを触れた新著。中身は赤旗の件。その名も「「赤旗」が、白旗を上げる日 ~日本共産党の終焉~」です。これには私の活動も一章まるごとを割いて特集されており、一般質問を繰り返して戦っていった姿や自民党本部の動き、また行政に通用するロジックが網羅されています。ある意味での小坪特集みたいな本。

新垣亜矢子議員と県議選のときに話題になっていたのですが、ちょうど大田議員も来られて話題になっていた一冊です。とはいえ重要な沖縄県議選においてあまり油を売っているわけにもいきませんから、次の機会にと言っていた一冊です。

他の章においても、各地方議会で赤旗とどう戦っていったのかが血風録のように網羅され、各議会ごとのロジック、そして部数の推移なども記されているという、もはや「これさえ読めば、どの地方議会でも赤旗の質問ができますよ」ぐらいの指南書になっています。

ちなみに豊見城は共産党の偉人が輩出されたこともあり、議会構成においては(他県に比較すると)かなりの比率で共産党議席がおります。そのうえで赤旗等の質問が繰り返されてきた市議会でもある。

頻繁にではありませんけれど、思えば長いお付き合いに。

 

本日の式典においての一幕、かつてその場で何があったのか等。
そして広島市がどう戦っていったのか、私の知っている情報を共有しました。また沖縄県の地方議員からは、広島の慰霊にも参加したいという声もありました。
(込み入った話はネットで公開できないため、過去記事を関連として紹介しておきます。)

 

関連
厳粛かつ静謐な平和式典を。有志市民が立ち上がる。~広島市議会、「厳粛」と定めた条例を可決 

 

 

 

沖縄県防衛議員連盟 花城会長、西銘幹事長

式典参加の前日のことになります。前入りさせて頂きまして、非常にぼ多忙な中、ご参加を頂きました。慰霊の日の前日ですから、どんちゃん騒ぎなどはしておりません。(窮屈な時代ですからいちいち書く必要もないことまで触れておかねばなりません。)
僭越ながら当選のお祝いをお伝えしました。先般当選した、沖縄県議です。

沖縄県防衛議員連盟 花城大輔会長。

 

沖縄県防衛議員連盟 西銘啓四郎幹事長。
(さらに前日において不信任案に反対討論をしておられた西銘恒三郎衆議院議員の弟になります。)

※ 真ん中は、シンバホールディングス株式会社 代表取締役社長(COO)の安里 享英さんです。
何度も一緒に選挙を戦ってきた同志で、行橋議選の応援にもわざわざ沖縄から駆けつけてくれました。私も、安里繁信予定候補者を旗として掲げた際から。

 

 

 

ぼそっと書いておきますが、飲み会の幹事ぐらいと笑う方もおりますけど、大変なんだぞ、と。
実は私の私的な懇親会の形をとらせて頂きましたが、県議選を終えた直後の議員は大変にご多忙で、日程調整や場所の予約、移動経路等。

沖縄県議がわざわざ参加してくださっているのには、当然それ以上の主賓もおられるわけで警備も含め警察対応も行いますし、うん、二度と幹事の安請け合いなんてできないなと誓いました。(総理ではありません。)

 

このあたりは誰が何を話したかは触れることはできないので、あくまで楽しい時間、そして(先輩ではありますが)同志議員の当選をお慶び申し上げました。

翌日に控えた慰霊の日、かつて79年前においても、この青い空と海を見た日本人がいる。沖縄を助けるべく、本土から向かった英霊たちがいる。あるものは飛行機で、あるものは艦船で。ほぼ確実に命を引き換えにせねば向かうこともできぬ沖縄に向け、沖縄県民を守るために向かった者たちがいる。

 

(那覇に向かう機内から。)

 

なかにはスカートこそ履いているものの水着のような恰好の方もおられ、楽しそうにはやなぐ姿はとても喜ばしいことなのだけど、慰霊に向かう私には複雑な思いもあった。同じ空を、同じ海を見ていた、79年前の英霊はどういう思いで見ていたのだろうと。

 

私には分からなかった、分かっていなかった。
6月23日の慰霊の日が、沖縄県にとって県民にとってどのような意味を持つのか。

ほんの少しとはいえ沖縄とご縁を頂いた私には、どうしてもこの日は行かねばならぬ日だったのです。わからない、いまもきっと分かっていない。その思いや心は。これからも分からないのかもしれない。

だから分かりたいので行くのだと思う。

 

 

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コメント (頂いたご意見は、他SNSに比較し最優先で目を通しております。)

  1. BLACK より:

    「さよなら日米占領軍 ここは琉球國」
    この旗の半分は、その通りではないかと、私個人は思っています。

    沖縄・琉球にとって、日本と米国が占領軍であると言う見方はある、と私は思っています。
    沖縄戦で米軍が上陸するずっと昔に
    薩摩軍が上陸し、薩摩藩に、そして後に日本に組み入れられている歴史から考えれば
    琉球・琉球王国にとって、日本も米国も占領軍であると言う言い方は出来ると私は思っています。
    (私の歴史認識に齟齬があったら陳謝します。)

    けれど、それを理解しても、「さよなら」はあってはならない、と私は思います。
    日米の為では無く、沖縄・琉球の為に「さよなら」は危険過ぎると私は思うからです。

    基地はあるものの、それ故の不利益はあるものの
    現在の沖縄の平和は、その旗の言葉を借りるならば「占領軍」が居てこその平和だからです。
    「占領軍」が去り、琉球が独立した後に何が起きるか
    誰もがわかり切っていることではないでしょうか。
    琉球の独立=中共の占領
    それを、その旗を掲げる人たちは望むのでしょうか。
    その旗を掲げることは
    中共による琉球占領を望んでいるのと同じだと私には思えます。

    「独立」とは正当な望みではあると思います。
    けれど、その正当な望の結果が、現状よりも悪い形での占領であるならば
    それがわかり切っていて、それを望むのは
    沖縄に対して、沖縄の未来に対して、これからの沖縄の子供たちに対して
    あまりに無責任、あまりに非情だと私は思います。

    「本土」と言うことで言うのなら
    沖縄程の占領度ではありませんが、本土も米国による占領だと私は思っています。
    実際に日本国は独立国では無いと、私は思っています。
    けれど、日本が現状で真に独立を果たして
    米国占領軍が本土から撤退したら、どうなるかは私はわかっています。
    ですから、決して「さよなら」とは言いません。言えません。

    沖縄も本土も
    平和を望むのなら、「さよなら」とは言えないのではないでしょうか。
    現状、「さよなら」とは、中共による占領を望む言葉と同じではないでしょうか。
    (本土の場合は、それに露軍が加わるはずです。)

    「独立」「占領」「平和」「安全」「基地反対」「反戦」と言って、占領を誘う、占領を望む。
    これ程の非道、これ程の人権侵害がありましょうか。
    理想を言って、美しい言葉を言って、人々を不幸に導く。
    一番私が嫌うことです。
    一番私が恐れることです。

    以上 文責 BLACK

    • BLACK より:

      琉球が独立したら中共に侵略される
      と言うのは言い過ぎ、または一方的な決めつけだ
      その証拠に
      日本に組み込まれるまでの琉球王国は
      清と日本の間で、バランスをとって独立していたではないか
      と言う反論はあるかも知れません。

      琉球王国のバランス外交とその苦心は見事なものだったと思いますが
      それは「清」と言う国が相手であったから、でもあると思います。

      当たり前のことですが
      中共は「清」ではありません。

      以上 文責 BLACK

  2. 常磐本線 より:

    沖縄が戦場になったのは史実、然しながら、大和旗艦の最後の連合艦隊が嘉手納へ向け出航したのも史実。
    沖縄を見捨てたなら、大和を東京湾に回航させ、お台場の46cm砲としたのでは・・・・・・

    各地に雨子の無差別空襲を実施している、あなた方(沖縄)だけが不利益を受けた訳ではないですよ。
    特に、工都と言われたところも、艦砲射撃とかで酷い事になっていました。

  3. 櫻盛居士 より:

    **********************************************************************
    共産党は2016年9月13日からの警告を無視し続けましたね。
    ならば、下記は決定事項と承諾したものと見做します。

     ・『テロを利用する共産党』
     ・『テロリストの味方である共産党』
     ・『テロに屈する共産党』

    **********************************************************************
     
     
    サンフランシスコ講和条約の公布・発効が1952年(昭和27年)4月28日。
    対し、沖縄返還が1972年(昭和47年)と、本土と比べて沖縄の戦後は更に20年の歳月を経る必要がありました。

    それ故に、沖縄以外の人間との大東亜戦争の感覚的な差はあっても当然と言えるでしょう。
     
     
    しかし・・・。

    さよなら日米占領軍 ここは琉球國
    日米中国ではない

    本エントリーとの主旨から外れるのは分かってますが、思わずツッコミたく成りますね。
    史実を軽くでも知って居れば、これはちょっと恥ずかしくて表明する事は出来無い筈なのです。

    先ず、沖縄が日本復帰を望んだ結果、米国も抑えが効か無く成り、結果として返還と言う形に落着いたのですから。

    欧米列強が多くの植民地を失い、一旦それが落着いたのは1970年代に入ってからの事です。
    琉球列島米国軍政府の支配下とは言いつつも、1946年(昭和21年)には沖縄民政府、臨時北部南西諸島政庁が設立してます。
    臨時北部南西諸島政庁は奄美群島を統治する機構で、この命名は米国に対して沖縄と区別する事で、沖縄が返還に至る前に、サッサと日本に復帰してしまおうとの意図があったとされて居ます。

    1947年(昭和22年)に、宮古民政府、八重山民政府が設立。
    1950年(昭和25年)に入ると、それぞれ沖縄群島政府、宮古群島政府、八重山群島政府、奄美群島政府に改変。

    1951年(昭和26年)には日本復帰の声が強く成り、それぞれ分割して居た統治機構を統合し琉球臨時中央政府に更に改変。

    時はまだ欧米列強が多くの植民地を所有して居た時期から、沖縄では日本復帰への闘いを繰広げて居た訳です。
    その様な時代ですから、欧米列強の感覚では統治領拡大はまだまだ現役で、必然的に米国も米国領沖縄自治区的な日本から沖縄を分捕る形を模索して居た様です。

    1940年代から東南アジアから独立の機運が立込め、それが世界中に飛び火し1970年代に掛けて続々と中東、アフリカを含めアジアの多くが独立を果たしました。
    そう言った流れの中で、沖縄は民意として琉球独立では無く、日本復帰を選択した史実は変える事は出来無いのです。

    この史実を以てすれば、今更琉球独立などとほざくのは、沖縄の先人達を愚弄した行為にしか映りません。

    尤も、「お前さん家の法事に、他人が来てゴチャゴチャ供養と関係無いプロパガンダやスローガンを掲げに来たらどう思うの?」と言うレベルの、エチケットとかマナーの問題なんですけどね。
    そんな非常識な不義理を働く奴なんか、ハブられても仕方がないでしょうね。

  4. 生え際 より:

    少し疑問に思いました。
    これは旗(のぼり?)の裏側なのでしょうか。

    憎しみより 愛を
    赦すから 赦される

    と書かれているように見受けられるのですが、米軍を赦していないのってこの当人たちだけなのでは?
    誰に、何を主張したいのでしょうか?

  5. 早く秋になーれ より:

    そういや最近アサシンクリードってゲームの最新作でポリコレによる日本への歴史修正が話題になってますけど、保守の人たちってどこまで把握してるんですかね?

    • 櫻盛居士 より:

      所詮、ゲームと言う創作世界の話ですからねぇ・・・。
      躍起になって抵抗するだけ無駄と言うか、そんな事に労力を割きたくは無いと言うか。
      同じリソースを割くなら、実利の得られる方向で動きたいですね。

      そもそも、アサシンクリードを史実に合せて修正させたとしても、勝利条件と成るかも怪しい訳ですし。
      現在この件で批判をして居る主力は外国人です。
      日本に妙な幻想を抱く外国人や、多様性疲れやポリコレで実害を被ってる外国人が戦ってくれてるのですから、任せておけば良いかなっと。

      案外、中国を先進国だと思い込んで居る外国人は多いのですが、これらに対抗するには外国人の味方を増やす事が不可欠ですので、その方向で利用出来れば良い程度の話ではないでしょうか。

    • カルライン より:

      発売日が「ドラゴンクエストIII HD-2D」とほぼ同時ということもあって、たぶんあまり売れなさそう…(10万本は難しそう…?)

      新規IPにもかかわらず好評だった「Ghost of Tsushima」とは間違いなく比較されるでしょうね。

      結果として「結局、(Ghost of Tsushimaと違って)日本人には受け入れられなかったようだね」という評価になるんじゃないかな…

      あとは、実際にプレイした人が色々と感想(売れなかった理由の考察とか)かけば良いかと…

    • カルライン より:

      海外のことは、実際にポリコレが酷くて困っている海外の人に主に任せたほうがうまく行きそうなので…

      我々にとっては、首都東京の首長がおかしなことにならないようにするほうが喫緊の課題かと…

      マスコミが勝手に、主要候補とか決めちゃっている人以外にも、候補はいるので、政策とか見て(都民なら)投票に行くなり、都民の知人に知らせるなり…

      https://x.com/himasoraakane/status/1773748329589125537

      https://x.com/himasoraakane/status/1805590500956684364
      ↑たとえばこの人とか…

      上のは…選りすぐりの食材を使って「味は」とても良いらしい…
      独身男性の漢らしい自炊飯なので…見た目のほうは…(ネット上では「ミイラの煮付け」だとかなんとか…みんな、そんなたとえ、よく思いつくよなぁ…)

    • 早く秋になーれ より:

      なるほど、ここの方々にとって史実とはビジネスの対象であってブランドの対象ではない、ということなのですね

      ご返答いただきありがとうございました

      • カルライン より:

        「アサシン クリード シャドウズ」の問題って…根底にあるのは「日本テレビ ドラマ版 セクシー田中さん」と同じかんじに見えますね。

        アサシンクリードのナンバリングって…世界で売り上げ1,000億円とかのプロジェクトだから…UBIの連中が「ビジネスとして確実に成功するのが第一」ってなるのは…「まぁ…彼らの立場なら、そうしたいわな」というかんじ。

        「今までの成功の方程式」通りに作って、「最近流行のポリコレ要素」を付け加えれば、それなりに確実に売り上げが見込めるもんが出来る…という安易な発想。

        UBIの連中に「日本文化に対するリスペクトが足りない」ってのも、「ドラマ セクシー田中さん問題(日本テレビ側に、原作に対するリスペクトがほぼ皆無)」とほぼ同じかと。

        売れなくなれば…UBIの連中の方針転換するでしょ。

        「ポリコレ バドワイザー(バドライト)」も、売り上げが激減したら…速攻で方針転換したしね…

        結局…最終的に決め手になるのは「ビジネス」の話かと。UBIも営利企業だしね。

      • 櫻盛居士 より:

        歴史書や学術論文ならいざ知らず、ゲームと言う創作世界に史実を求めるのは無理があるでしょう。
        その様な事をすれば、ゲームとして成立しないのでは?

        昨今はめっきりTV時代劇が減りましたが、史実に則したものであるべきとするのであれば、多くの時代劇作品にもクレームを付けないと成らなくなりますが、一々そんな事するでしょうか?
        江戸町奉行所を題材とした時代劇によく登場する御用提灯なども、多くの作品では提灯の正面にデカデカと「御用」と記してありますが、訂正を求めたりしないと思います。
        時代考証に忠実であるべきならば、提灯の正面は番所名、左右に御用と記さなければなりませんが、そこまで再現した時代劇って殆ど無いんですよ。
        要はそこまでしなくても、楽しめれば良いと言うのが根底にあるからですね。

        娯楽でしかないゲームに史実求めても、意味があるのか疑問に思います。

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