ネットで育てられた政治家という意識は持っている。
議員歴も10年、当選直後からBlogを始めていたわけではないが、このBlogも古参となってきたのだと思う。そろそろデザインをリフレッシュしようかなという計画もあったりで(それなりに費用もかかるので計画段階ですが)、ふと振り返ってみるとネットも随分と変わった気がする。
当時は今ほどSNSは強くなくて、そもそも動画サイトよりもBlogが強かった時代でした。
そっちに流れることも考えなかったと言えばウソになりますが、議員は文書で戦うものですから私はテキストの世界からは逃げませんでした。
部会の情報などをネットに開示しはじめたのは、(いまは参議院議員ですが)当時、衆議院議員だった赤池まさあき先生が初めてだたっと思います。当時はmixiとかの時代で、日記に動画が張り込めるようなったことは画期的で、ネット上での保守チャンネルとして桜が立ち位置を示し始めたころだったと思います。
のち様々な保守系番組が誕生していくのですが、国産SNSは廃れ、Facebookに移行し、私はやっとこさTwitterに力を入れ始めたら、いまはインスタが主流なのだという。写真を上手に撮るのは、ちょっと私には手が出せないかなぁ。あれもこれも、手を出しても疎かになるから今後もBlogという文字の世界で私は戦いたいと思っている。
動画は出そう出そうと思って全然つくれてなくて、そのあたりは申し訳ありません。素材というか、撮ったものはたくさんあるのですけれど。
まぁ、そんなわけで私が辿ってきた、(ネットの歴史全体から見れば短いのでしょうが)それなりの期間において、ネットと保守、ネットと政治というものを見てきた一人として、その変化について述べたいと思います。
いま思えば黎明期なのでしょうが、政治家がSNSをもっていることなど稀で、どこまで行っても「議員さん!」という感じでした。様をつけるかのような扱いで、やはり遠い存在だった気がします。のち、相互に発信できるという文化から、段々とハードルは下がっていきました。私はその流れを歓迎します。
しかし、政治家が「反論」することを許されるか、
より正確に言えば「反撃」することが許されるのか、
実は、私の体感にはなりますが、やはり反撃は許されていなかった時代だったと思います。
私はたまには撃ち返すのですが、それも実は稀で。
いちいち相手にしていられないというのもあるし、一つ答えれば、あれもこれもと連打で来る。端的に言えば、アンチとか荒らしって「反応させて楽しむ」傾向もありますし、対議員の場合は”継続的に事務負荷を奪う”ことを目的とする場合もあります。
ネットスラングにもあるように【反応したら負け】って言葉は、正しかったと思います。
今でも間違っていたとは思いませんが、”これから”を考えると異なる選択も視野に入れるべきなのではないかと思います。
ようは、議員はサンドバックなわけです。
犬笛を吹くようにフォロワーをファンネルのように飛ばす。時には私も使用している手法ではありますが、匿名ユーザー(手続きをとれば匿名でもない。)らに叩かれ続けた場合、実は議員のほうが不利だったりします。
名前も住所もすべて出ている、こちらだけは丸裸。
某鬼と戦うアニメで主人公が自らが属する組織のことを述べるにあたり、鬼と夜たたかっていること、人間側が不利なことを訴えるシーンがあるのですが、私は議員のことを思いました。
ネットが力を持ち始め、SNSや動画サイトの力が伸びつつある中、「普通の地方議員」では耐えれぬレベルの罵詈雑言もある。私は、鉄板の支持者に囲まれており、それは自身でも誇りに思っているのですが、いくばくかの成果も挙げさせて頂いていますし、淡々とそれを見守ってくれている読者を信じるのみです。
また、あまりこの部分は深くは言いたくないのですが、保守媒体側が間違えている場合もあります。それを虚偽だとまでは言いませんが、保守論客も売れねば困るし激しいワード、保守好みの部分だけをトリミングします。媒体側も、紙主流の際は編集部が抑制的だったと思いますが、台頭する民間youtuberに対抗する形で先鋭化が進みました。より速く、より激しく。結果、裏取り不足や取材不足が露呈する事態もあり、リアルと大きな乖離を産んでいきます。
つまり、実は保守媒体側が作った潮流、それが実はリアルとはもはや異なるレベルのものであった場合、現場を戦っている政治家が巻き込まれると「なんでこれができないだ!」「いいから、こっちをやれ!」とわけのわらない世論が(ネットから)リアルにフィードバックされ、巻き込まれるとモミクチャにされるという事態です。実は何件かあり、これは両者にとって不幸なことです。
各保守媒体の読者らは”これをやってほしい”とか、”きっとこうなるんだ”と願うわけですが、実際には何も議論もなかったりして、肩透かしをくらうというか、ストレスだけ残ってしまうような。
国会議員ならまだしも、地方議員レベルになると暴風には耐えきれないようになるのでしょう。
これから先の地方議員を考えて行くと、「反応したら負け」とばかりは言っていられないのかもしれません。私は、自前のBlogを運営させて頂き、何よりもの価値として読者がおり、もうそれはそれは長いことファンとして支えてもらっておりますから、そこを強く信じています。だから私はなんとかなる。
だが、他の議員はどうなのだろう。このあたりは、国会議員も悩むところはあるようです。
政治家は、反撃して良いのか。
以前から思っていたのですが、安倍元総理があのような形で命を落とされました。
どこかで「当たり前」とか、(例えば表現の自由として)「許さないといけないのかな」と思っていた、私の中の常識もガラガラと崩れていったのです。
確かに、議員という立場は強いのだと思います、現実においても(実は私も)抑制的に動いています。
ただネット空間という場では、考えて見れば一方的に不利な条件で戦っているともいえ、マスが増えてくるとそうも言ってられないのかな、と。
「議員なのだから」とか「相手は有権者」みたいな議論は、現実世界でも元々あった話です。私はそれをネット上でも守ってきたし、守ろうとはしてきました。反応したら負けという言葉を、大切なものと考えてはおります、いまも。
爆破予告犯に対する民事訴訟なども「やり過ぎ」という声だってあったんですよ?けれど、模倣犯を抑止するためには政治家としての責務だと信じた。
日本では「黙ることが美徳」みたいな風潮もある。あまり騒いで言って、何個も何個も抱えるのも面倒ではある。
だが、それでは外務省を批判はできないだろう。ようは(私以外を含む)「政治家は、ただサンドバックになれ」と思われますか、という話です。私は皆様いるので防御力も半端ないわけですが、最近は一発一発の弾も大きくなってきてる(ネットの台頭)状況下、ただ耐えろは無理なのかなという話です。
これから、どうしていきましょうね。
反撃や反論、やっていくのかどうか。私のことではなく。
物事を、もっとはっきり言ったほうが良いような気もしているのです。
皆様はどうお考えでしょうか?
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沈黙が美徳とは思えません。
言論で結果を出す職業故に、全てにおいて公平で有るべきだからこそ、するべき反論や指摘はすべきではないかと思うところです。
強くそう思い、そう願います。
日本という国の政においては、国会議員や地方議員は民間企業で云う中間管理職程度の位置付けになってしまうのでしょう…
為したいけど制度上の問題で成せない、若しくは為そうとすれば立場が悪くなって結果的に成せない etc.
昔から思っていた事ですが、大なり小なり中間管理職が上と下の板挟みになる事は、国政だろうと地方政治だろうと民間の企業であろうと、フラクタル構造の様に繰り返される縮図になっているのでしょう。
結局は各々の目線でしか物が見えていない人がとても多いのです。
自分が支持した者の執政が思っていたものと違うなど、どれだけ自分に都合よく考えて居るのかという事でもあると考えます。
私の勝手な解釈ではございますが、ならぬことはならぬもの。
今の日本において思想の左右を問わず必要な事だと思わされる内容でした。
「黙っている事は認めている事と同じ」
と言う保守派の言葉が有りました……。その通りだと思います。
保守VS左翼 だけでは無く
保守VS保守でも、「同じ土俵では戦えない」と言う心情が読者としても感じることがあります。
ですが、相手はその「同じ土俵では戦えない」と言うこちら側の心情も
逆手にとって有利に戦おうとしていると思います。
一読者の私が感じているのですから
議員の先生たちのご心情はいかばかりかと思います。
安倍(元)総理のご心情はいかばかりであったかと思います。
そして、現在の昭恵夫人のご心情を思います。
今日は、小坪氏が問いかけてくださった問いの答えを出せません。
普段の私でしたら「反撃してくれ」「戦ってくれ」と言うかも知れません。
けれど、現在のネット空間の罵詈雑言と得体の知れない底なしの悪意に
私は「同じ土俵で戦って下さい」と言うことが出来ません。
以上 文責 BLACK
政治家こそ反論すべきだと思います。
それをみている国民は、きっと反論、反撃のやり方を少しずつ身につけていくことができると思います。
政治に沈黙、タブー化した結果、政治は多くの国民から離れていきました。政治だけではありませんが、国民生活の中でタブー化されてしまった分野(政治、経済など)は、一部の悪意を持った人々に牛耳られ、ねじ曲げられることとなりました。(政治の世界のお作法であったり、正しい経済感であったり)
政治家だけではありませんが、やはり議論(反論、反撃)を投げ出してはいけないと思います。おかしな主張に対する反論や、違法行為に対する法的措置も含め、間違いを間違いと指摘することは、民主主義社会の維持のためには欠かせないことと、感じています。
情報開示やら政治の透明性やら政治実務サイドからの説明やらを欲する言動を取りながら、それが自身の願望に沿わないと聞く耳持たず弱腰だ優先順位が違うんだと怒るケースには辟易しております。政治サイドの歩み寄りすら攻撃、裏切りだと言い張る硬直した知性にはもはや変化を望むべくもありません。手間が増えて大変でしょうが、必要とあらば反撃してください。
SNS対サヨク戦闘常勝無敗の私の私見ですが、デマについては、いくつか流れてるデマコメントの要点をまとめて、流してるやつの目的も理解したうえで、急所を潰す形でしっかり反論するのがひっすですし、ベストですよ。
無論、無視するのがベストなものは無視で良い。サヨク捨て垢の挑発コメは、ニコニコブロック多用して対応するべきです。
これは、議員に限った話ではありません。
ただ、重要なのは、北朝鮮工作員に牛耳られてるメディアが切り貼りするという前提で見直すこと。
もし切り貼りしたら刑事、民事で必ず告発すること。
悪い例えですが、N国の立花の対応がすごく参考になります。
小坪議員様、
政治家は勿論、我々一般国民でも言われなき誹謗や理不尽な事には堂々と反論すべきです。私達日本人は沈黙し過ぎ
ごく一部のマイノリティが騒ぎ、実態と異なる世論が形成され、更には政策そのものが誘導されていく、今の風潮が心底恐ろしくなります。
時には沈黙という手段も必要でしょうが、沈黙自体は美徳でも何でもないと私は思います。寧ろ更なる誤解と暴走を招く無責任な振舞いにも成り得る。
国民の負託を受けた政治家は堂々と反論する権利がありそれが責務でもあると。
ただ不特定多数のネット民を相手に対峙する膨大な労力を考えると、政治家が最も対峙すべき相手は第四の権力であるマスメディアではないかと思います。
安倍元総理暗殺後の、一連の報道の惨状を目の当たりにして、更に強く思いました。
『報道犯罪』『言論暴力』に対峙して頂く政治家がもっと多くなれば、メディアリテラシーが磨かれていく国民が今よりもっと増えるきっかけになり、結果としてもっと健全なネット空間、言論空間が作られていくのではと思います。
反撃はすべき。と思いますが、同時にそれが保守の中だけで「やった!」ではなく、全国民に周知される(する)方法も考えなければいけないですよね。
きっとメディアは報じないか、歪んだ方向で報じますもんね。
そもそも反論・反撃しないから、余計にやりたい放題になっている面がありませんか?
政治家の皆様には、できる範囲でここぞという時だけでも構わないので、ぜひ反論・反撃をしていただきたいです。そしてできるだけ広範囲に連携をとって、一般人に伝わる様にしていただきたいです。
そうでないと、私の様な一般人には実際のところどうなのか、議員さんがどう考え、どうしたいのか伝わりません。伝わらないから、間違っている情報に流される事も有り、それを議員さんに「ガッカリ」と言われたら、こちらだって「なら伝えてくれれば良かったのに。ガッカリ。」なんです。
逆に、伝われば、一生懸命やって下さっているなと興味や信頼が増し、私にも何かできればと思います。
大手メディアが安倍元総理の功績をまともに伝えなくても、あれ程の人が献花や記帳に足を運んだのをみて、情報を出していただければ伝わるし、できることをしようとする人も増えているのではと思いました。(政治家の皆様からみるとどうなのでしょうか。)
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共産党は2016年9月13日からの警告を無視し続けましたね。
ならば、下記は決定事項と承諾したものと見做します。
・『テロを利用する共産党』
・『テロリストの味方である共産党』
・『テロに屈する共産党』
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この問題を解決する方法を模索するには、概ねの勢力を整理すると良いのではないかと考えます。
■保守陣営
[保守系議員]-[保守系有権者]
殆どの保守論客や保守系インフルエンサーも、[保守系有権者]のカテゴリーに入ると考えます。
この構図でしばしば起き得る事態を考えるにあたり、役立つのが現在交戦中のウクライナとロシアの戦闘です。
ロシアが得意とする戦術は、戦闘初期段階で大火力による砲撃で一気に畳み掛けて、交戦相手が攻勢に出る隙きを与えない様にし、その間に機甲部隊を侵攻させて勢力圏を拡大させると言ったものです。
この戦術は攻撃目標への攻撃正確性はある程度無視出来る為、精密兵器の精度が高く無くても侵攻が可能です。
これに対してウクライナに供与して居る西側の兵器は、精度の高いものが多く、ピンポイント攻撃も可能な精密兵器が含まれて居ます。
2022年4月~7月迄はロシアは南東部戦線で大量の弾薬を運び込み、得意の戦術を繰広げウクライナ軍を苦しめて来ましたが、7月中旬から西側兵器の訓練を終えた部隊が戦線に投入され始め、ロシア軍の武器弾薬集積所を狙ったピンポイント攻撃の効率化が図れた事から、ロシア軍の得意とする戦術が封じ込まれつつあります。
この対ロシア戦の構図を念頭に置き、我が国での政治的な面で考えると、やはり武器や弾薬と言ったものは情報に置き換える事が出来るでしょう。
[保守系議員]は精度の高い武器を所持して居るのに対して、[保守系有権者]の殆どは数撃ちゃ当たる方式の武器しか無いのが実体です。
而も、殆どの人は集積所に積まれた武器弾薬を使って射つだけの義勇兵です。
統合コントロールの下で訓練され展開して居る訳ではありませんから、必然的に同士討ちも発生してしまいます。
保守論客、インフルエンサーを含めた殆どの[保守系有権者]サイドは、俯瞰的に戦況を分析し戦略を練って居る訳では無く、目前の戦闘に必死になってるに過ぎませんから「あっちからも攻めて来たぞ!このままじゃ、俺達死んじゃう!!早く敵に大ダメージを与えてくれっ!!!」と、[保守系議員]に右往左往して言ってる状況に近いものがあります。
とは言っても[保守系議員]サイドからすれば、限られたリソースから合理的な戦略を選択して居る訳で「無茶言うな!」と言うのも事実でしょう。
勿論、保守論客、インフルエンサーに話題性の承認欲求や、金銭面での欲が無い訳ではありませんので、その辺りが鼻につくかも知れませんが、これは戦闘単位での勝利条件と戦術すら明確で無い為に、現場で兵が迷走して居る状態と捉えた方が良いでしょう。
つまり、[保守系有権者]サイドが見て居るのは単位辺りの戦闘、[保守系議員]サイドが見て居るのは戦争なのです。
[保守系有権者]サイドが認識して居るのは「戦争に勝つ事が目的」と言った、朧げ且つ曖昧なもので、その為の過程や戦略、具体的な勝利条件を理解して居る訳では無いのです。
ただ目の前にある武器で、目の前の敵と対峙して居るだけです。
而も投入されてる戦線が各自バラバラなので、立場とタイミングによって言う事が異なる事もしばしば。
対処に追われるばかりで、全体戦況を見て居無い為、不安も大きくそれによって激しい言葉を用い出すと言う悪循環が発生して居るのが、この状況の正体でしょう。
これに対して反撃を行う事が根本的な解決となるかは、かなり懐疑的に想定しておいた方が良いのではないでしょうか。
確かに特にジャーナリストを自称する保守論客であるなら、「取材くらいしろ」と言うのも理解出来ます。
本来はそうすべきでしょう。
ですが何故それが出来無いのかは、ヒアリングの余地がある気もします。
何れにせよ、見せしめで飛ばしを多用する保守論客は自滅させる必要はあるかも知れませんが、それは上手に選ばないと、逆効果に成り兼ねないのも問題点の一つと言えるでしょう。
これらを考慮した場合、[保守系議員]サイドに保守論客やインフルエンサー向けのスポークスマン的な人が居れば、この問題はかなり緩和されるのではないでしょうか。
中型以上のトラックなどでは当り前の排気ブレーキも、一般的には知って居る人が少ない様に、政界の当り前は案外知られて居無いと考えます。
それ故の認識齟齬が大きく働いて居るものと考えます。
この悪循環の根本を排除しない事には、反撃で撃破しても、また撃破した筈の存在に取って代わる者が現れるでしょうから、反撃の繰返しと言う鬱陶しい状況は不可避なのではないでしょうか。
同時に保守政治家がサンドバッグになって貰うのも、有権者側としては非常に困ります。
ですので、やはり如何にして認識齟齬を埋めるかの方が良いでしょう。
因みにここまでは保守の括りの中でのお話ですから、反日勢力に対してはいくら反撃しても構いません。
この場合の反撃で効力を発揮すれば、飛ばしが常態化して居る保守論客やインフルエンサーは、泣きを見る事になるでしょうから、結果的には同じ事に成ってしまうのでしょうが・・・。
サンドバッグ状態で打ち返さないのであれば、おかしな方向に進んでしまい、取り返しのつかないことになると思います。
かといって打ち合うスタミナもないのであれば、大阪港湾MOUのケースのようにカウンター級のクリーンヒットを狙っていくのが良いかと思います。
世の中、100%正論は有りませんので、必ず反論や攻撃される部分は曲解であっても存在するものです。
意図的に集中攻撃されれば、正論の論点がズレてしまい意図せぬ方向へ。
保守は論点ズラしが苦手、左派は得意に見えます。
保守は責任を持とうとしますが、左派は言ったもん勝ちで責任は負わず?
反撃は、対象しだいと味方の多さによるかと。
世論が二分し易い対象や、メディアによって多くが洗脳?されている対象は、火傷しますよね。
正解は有りませんので、是々非々にて適度に・・・
.
沈黙は美徳。
全てに反論していてはキリがない。
そういった時代はそろそろ終わりつつあるように思います。
ある程度反論しなければ、認めたも同じというような言説もありますのである程度の反論は必要でしょう。(見せしめ的な意味でも)
そして、キリがないというのも最近ではITを駆使して変わりつつあるように思います。
実務手続きの自動化や効率化、ビジネスモデルを駆使しての動きなど様々な手段で「対応していたらキリがない事」に対して対応できる手段が生まれつつあるように思います。
例えば、著作物の無断使用に対する利用料徴収、完全成功報酬型の誹謗中傷に対する少額訴訟
昔では不可能だったものがシステムやビジネスモデルである程度少人数で人海戦術的に対応できるようになってきているように思います。
もちろん行き過ぎれば言論弾圧にもつながりかねない手法ではありますが、逆に言えば個人でもそういったことができるようになってきているとも言えます。
だからこそ、今までのようなやり方をしていてはじり貧となる。
ある程度は対応を変えつつやっていかなければならないと私は思います。
ツイッターとかで事実を指摘したり事実確認をしようとすると、
即座にブロックしたり「訴えてやるぞ-!」と脅迫する国会議員がいますね。
下を見ても仕方が無いですがw