【教科書に載ってないポツダム宣言・邦訳】終戦の日は、祈りを捧げる日。先人たちに感謝を。

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今日は、祈りの日。
ひとつしかない命を、「日本の未来」のために投げ打ってくれた先人たちに、
(彼らが守った)未来そのものである、私たちが祈りを捧げる日。

そして、不甲斐なき現代日本に対し恥じると共に
次なる一歩につなげるための口惜しさを噛み締める日。

令和を迎えた。
思えば、昭和、平成と三つの時代を生きることになるのだと気づく。来年には、新しい元号でこの日を迎えることとなりましょうが、【敗戦国として押し付けられた憲法】ではなく、「我が国の憲法」で参拝できる日でありたい。

いまを生きる私たちだからこそ、今しかできないことを頑張るとお誓い申し上げました。一つしかない命を、国家のために捧げてくださった先人たちがおります。国粋主義的な観点から論じる意図ではなく、当時の「国家の未来」とは何であったかを考えて頂きたい。それは、いまを生きる私たちを含むことは疑いありません。

私たちのために捧げてくださった英霊の皆様に、安らかにお眠りくださいと、感謝を込めてお誓い申し上げす。

 

▼我が国を取り巻く情勢。
いま我が国は、CHINA・北朝鮮など緊迫した東アジア情勢に対処すべき時期にある。
戦後70年以上、国防という国家の一大事をないがしろにし、「見て見ぬふり」をしてきたツケだ。誰しもが、平和も安全も”誰かが与えてくれる”と根拠なく盲信し、政治家も国民も当事者意識を著しく欠く。

今日、この日、英霊に謝りたい。
すでに北朝鮮のミサイルは、我が国の迎撃能力を超えた。
近接迎撃装備であるPAC3は、最大射高が30km。戦闘機やノドン級を想定しており、さらに高速の、ムスダン級以上に対しては効果は発揮できない。

BMDの要たる、イージス艦から発射されるSM3も約800?1000kmが最大射高。これに対し、北朝鮮のミサイルは3000kmクラスとなっており、弾道頂点には届かない。さらに難しい問題として、SM3は、高度70km以下の目標に対しては迎撃が困難であり、低高度を高速で飛行するディプレスト軌道の場合は(付近にPAC3があればだが)PAC3のみでの迎撃となる。

これは高空を飛行するB29に対し、我が国の高射砲が届かなかった、要撃戦闘機があがれなかった状況に酷似していると言えよう。我が国の地方都市は、かつて空襲を受けた際と同様、すでに丸裸に近い状況だ。にも関わらず、イージスアショアの配備にまで反対活動。自衛すら許されぬということか?

70年を越えてなお、この状況。
英霊たちに申し訳ない。
情けない、思い。
怒り、叫んでしまいたい思い。

 

PAC3の配備状況と、防護できているエリア(地図で図示化)

 

SM3の性能限界と、北朝鮮のミサイルの性能
(※ 特にディプレスト軌道については覚えておいてください。)

 

PAC3の配備に反対する勢力もいる。”思想信条は自由”ゆえ反対することは自由だが、「何を考えているかわからない」と論評する自由も、同じくある。

 

 

以下、ポツダム宣言の邦訳(及び現代語訳)と、
先人たちの姿を動画でいくつか。

▼ポツダム宣言・邦訳
ポツダム宣言の邦訳は、恐らく保守陣営もほとんど知らないんじゃないだろうか。
教科書には掲載されていないかと思います。

現代語訳も探してきたが、読んで頂けるとわかると思う。
非常に高圧的な内容であり、「いろいろな問題」が発生するためだ。
理由は、読めばわかると思います。
流石にこれは、ね。

 

▼豆知識
8月15日は、「終戦の日」と呼ばれますが、厳密に言えばこれは間違い。
人によっては「いわゆる終戦の日」などとも表現します。
私の場合ですと、混乱を生じてもあれですので「終戦の日」で書きますね。

日本軍が「停戦した日」がこの日で、本当の終戦はサンフランシスコ講和条約でしょう。
まぁ、そう言いますと沖縄の本土復帰の話はどうなるんだ等の話もでてくるのですけど、便宜的に「終戦の日」と言わせて頂きます。

少なくとも「終戦記念日」は使わないし、「敗戦の日」とも呼びたくありませんけれど。

 

 

 

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(OGP画像)
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ポツダム宣言
ひどく高圧的な内容だ。
受諾して「戦争が終わって万歳」という気分になるような代物ではない。

日米関係にも様々な支障をきたす。
CHQの指導でもあったのでしょうか、これを知る日本人は少ない。

 

ポツダム宣言(現代語訳)

一 合衆国大統領、中華民国政府主席およびイギリス総理大臣は、自国の数億人の国民を代表して協議した上で日本国に対し、今回の戦争を終結させる機会を与えるということで意見が一致した。

二 合衆国、英帝国および中華民国の巨大な陸、海、空軍は西方から自国の陸軍および空軍による数倍の増強を受け日本国に対して最終的な打撃を加える態勢を整えた。右軍事力は日本国が抵抗を終止するまで同国に対して戦争を遂行する一切の連合国の決意によって支持され、かつ、鼓舞されているものである。

三 覚悟を決めた世界の自由な人民に対抗するドイツ国の無益かつ無意義な抵抗の結果は、日本国国民に対する先例を極めて明白に示している。現在、日本国に対して結集しつつある力は、抵抗するナチスに対し適用された場合において全ドイツ国人民の土地、産業および、生活様式を必然的に荒廃に帰せしめたのに比べ、計り知れないほどにさらに強大なものになるぞ。我らの決意に支持される我らの軍事力の最高度の使用は、日本国軍隊の不可避かつ完全な壊滅を意味すべく、また、同様必然的に日本国本土の完全な破滅を意味する。

四 無分別な打算によって日本帝国を滅亡の淵に陥れたわがままな軍国主義的な助言者によって日本国が引き続き統制されるべきか、あるいは理性の道を日本国が進むべきかを日本国が決定すべき時期が到来した。

五 我らの条件を左に述べる
我らは右の条件を絶対に離脱しない。これに変わる条件は存在せず、我らは遅延を認めない。

六 我らは無責任な軍国主義が世界より駆逐されるまでは平和、安全、および、正義の新秩序が生じ得ないことを主張する。従って、日本国国民を欺瞞して世界征服の暴挙に出る過ちを犯させた者の権力と勢力は永久に除去する。

七 右のような新秩序が建設され、かつ、日本国の戦争遂行能力が破壊されたことの確証が得られるまでは連合国の指定する日本国領内の諸地域は我らの指示する基本的な目的の達成を確保するために占領されるべきだ。

八 カイロ宣言の条項は履行されるべきで、また、日本国の主権は本州、北海道、九州および四国と我らの決定した島嶼に限定されるべきだ。

九 日本国の軍隊は完全に武装を解除された後、各自の家庭に復帰し平和的かつ生産的な生活を営む機会をえさせるべきだ。

十 我らは日本人を民族として奴隷化しようとしたり、または、国民として滅亡させようとする意図を有するわけではないが、我らの捕虜を虐待した者を含む一切の戦争犯罪人に対しては厳重な処罰を加える。日本国政府は日本国国民の間における民主主義的傾向の復活強化に対する一切の障害を除去すべきだ。言論、宗教、思想の自由、ならびに基本的人権の尊重は確立されなければならない。

十一 日本国はその経済を維持し、かつ公正な損害賠償の取り立てを可能にするように産業を維持することを許される。ただし、日本国に戦争のための再軍備をさせるような産業はこの限りではない。右の目的のための原料の入手、(原料の支配は含まない)を許可される。日本国は将来世界の貿易関係への参加を許される。

十二 前期の諸目的が達成され、かつ、日本国国民の自由に表明された意思に従って平和的な傾向を有し、かつ、責任ある政府が樹立された場合には、連合国の占領軍はただちに日本国より撤収する。

十三 我らは日本国政府がただちに日本国軍隊の無条件降伏を宣言し、かつ、右行動における同政府の誠意によって適正かつ十分な保障を提供することを同国政府に対し要求する。右以外の日本国の選択は、迅速かつ完全なる壊滅があるだけだ。
ポツダム宣言の全文が教科書に掲載されていない理由が悲しすぎる

 

以下が外務省による邦訳である。

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戦争に負けるということ
たった、これだけのことすら教科書に記載されていない。

きっと戦勝国にとっては、「後世の日本人に伝える」には、
【恥ずかしい内容】だったのでしょうね。
そして【都合の悪いもの】だったのでしょう。

ネットでは「隠された真実」の発掘に躍起であるが、
名前だけは有名なポツダム宣言についての言及は、実は少ない。

 

責めたり、批判したり、という意味ではない。
無論、バカにしている意図もない。

知らぬ方がそれだけいるという現実が、
「戦争に負けること」なのだと、それを伝えたい。

 

 

では。
知らななくていいのか。

そうではない。
私はそう思う。

なぜならば、私たちのために、命を捧げてくださった方がいるのだから。
目を背けることは、許されない。
いまを生きる日本人としての責務だと思う。

 

 

 

今日、見て欲しい動画集
お勧めしたい動画はたくさんありますが、いくつか好きなものをセレクトしました。
全て見ると凄い時間になるため、気になったものを選んでください。
タイトルの横に、再生時間を付記しております。
改行して動画の解説を少し。

 

【史実】神風特攻隊の手紙が凄すぎて、涙が止まらない!(3:44)
特攻隊の手紙、遺書。実際の画像を多数。
29万再生。短めなので、せめてこれだけは。

 

回天?後を頼みます。出発します?(7:27)

「回天記念館を訪れたことがきっかけで作成した動画です。」という説明文。
かなり映像処理能力に優れた個人が作成したものと思われます。
回天記念館を訪問した気持ちになれる、実際の回天基地周辺の風景を撮影したもの。
遺書、手紙、当時のやり取りなどが記載。
長さを感じさせない動画。12万再生。


 

泣ける【静ちゃんへの手紙】?神風特攻隊員の兄と幼き妹?(8:57)
ある兄妹に焦点を合わせた実話。
映像は当時の実写(動画)が多数。
やり取りがテキストで挿入されている、もしこれが自分の家族であったら、と想像して見て欲しい。
250万再生。


 

【GMV】戰艦世界-零れ櫻(05:06)

CGを主としたもので、少し系統の違う動画。
戦争の悲惨さを家族をも観点に進めており、その意味でも毛色が異なるもの。
100万再生。


 

ザ・コクピット 音速雷撃隊(24:46)
シリーズとしての有名、この絵柄をご存じの方は多いのではないか?
ザ・コクピットで桜花を描いたもの。
フルバージョンがあった。24分の動画だが、アニメゆえに往時を想像することができるだろう。23万再生。

 

いかがでしょうか。

 

 

 

祈りと感謝
我が国が、あれだけの痛みを受け
あれほどの血が流れたのに
それが集結した際の宣言文、
我が国が受諾した文章を、外務省の邦訳だってあるのに
それを教えない。
おかしいと思わないのですか?

だから、終戦を語ることに、これほどの言葉を要す。
前提を冗長になど書きたくはない。
だけど、これを書かないと、何を言っているのか意味がわからないんだ。
何が伝えたいのか、それすら伝えられないのだ。
おかしいと思わないのですか?

都合が悪いから、教えない。
教科書から消していく。
例えば通州事件だってそうだ。

終戦という、この8月15日にあって
このブログを読んだ方の中にも
「ポツダム宣言を読んだことがない」
という人が多いのだろうけれども
「知らなかった。」「見たことがなかった。」ことに
疑問を感じて欲しい。

 

だが、今日の日付が変わるまでは、罵倒や罵声は控えたい。
70年以上前の今日、ボロボロの身体を、やっと休めた方々がいる。

叫ぶ日じゃない。
静かに過ごしたい日なんだ。

 

怒りを胸に秘め、誓いを新たに。
一歩前に出る勇気、先人に恥じぬよう。
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重要
せめて一度は、この「音」を聴いておいてください。

・ミサイル攻撃時の、J-ALERTの音源
・【マニュアル】武力攻撃やテロなどから身を守るために(内閣官房)

 

テロに屈したと全国から批判された決議に賛同した者(敬称略)
桜の会(議長会派):小原義和(公明)、西岡淳輔(公明)、(死没のため略)
市民の会(いわゆる野党会派):藤木巧一、二保茂則、鳥井田幸生、大池啓勝、工藤政宏、瓦川由美、西本国治
共産党会派:?永克子(共産)田中次子(共産)

 

詳しくはこちら。

 

私なりのケジメ

【爆破予告】テロに屈した議会に討ち入り。忠臣蔵、切腹の美学。地方議員の覚悟【テロに屈しない人はシェア】

 

 

最後に。
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記事を書くたび、こちらでも投下します。
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コメント (頂いたご意見は、他SNSに比較し最優先で目を通しております。)

  1. 加藤 義浩 より:

    英霊、あの戦争の犠牲者へ深謝。
    平和のありがたさを、感謝いたします。

  2. 草莽の団塊です! より:

    12時、亡くなった母親、父親の写真に黙礼したのち、靖国神社にむけて黙とういたしました。

    大東亜戦争でなくなった多くの英霊のかたがた(240万柱以上だそうですね)、一般民間人のかたがたに追悼の気持ちを込めて黙とういたしました。

    小坪先生のアップしてくださった動画はお気に入りとして保存いたしました。

    大事なことをわすれていました。

    ポツダム宣言・邦訳、、、70歳の今日、初めて眼にいたしました。ありがとうございます。
    日本人として覚醒したつもりでいても、自分でポツダム宣言を探そうとはしていなかった・・
    まだまだですね、、これからも自分でわからないことは探す努力をいたします。

  3. 非行橋市民 より:

    行橋市議会議員 小坪しんや様

      など?

      ロシアが最も危険に決まっているではありませんか!
     
      ロシアが国後択捉で軍事増強しているのは何のためか?北海道の近くで軍事演習を繰り返しているのはなぜなのか?

      勿論、北海道に侵攻する為です。  他に理由があるというなら教えて下さい。

      北海道民の命は風前の灯火です。

      それなのに安倍晋三は戦車の数をさらに減らす!人でなし!売国奴!   

      朝敵を支持するものは朝敵ですぞ!違いますか?  

  4. 名無しさん より:

    戦艦ミズーリ号の甲板上で調印されたポツダム条約(1945・9・2)には日本語の正文は存在しません。条約正文を協議して準備する暇がなかったのです。あるのは外務省の邦文訳だけ。

  5. 波那 より:

    ✳ (2016年)12月8日、セナカ・ウィーララトゥナ/Senaka Weeraratna というスリランカの弁護士が発表された『日本の真珠湾攻撃が西欧の支配からのアジア解放の引き金となった』という論文です。大東亜戦争で果たした日本の役割と意義について教科書には決して載せられることはない、戦後GHQ と売国奴の左翼日教組やマスゴミ朝日らに仕組まれ自虐史観まみれにされ戦後、多くの日本人が知らずにいた事を丹念に書いて下さっています。

    《本稿ではまた、日本が異様に不名誉な扱いをされていることに対して、弁護をしたいと 思う。言い換えれば、日本は決して、アジア諸国に不法と掠奪を働く犯罪的な意図を持っ た侵略国ではなかったということを訴えたいのである。そのような誤解は、巨大な西欧の 宣伝工作に誘導された結果である。実際には日本は、西欧の支配からの独立を求めて全アジアにひろがった戦いを燃え上がらせることになった火花だった。》

    🔻日本の真珠湾攻撃が西欧の支配からのアジア解放の引き金となった

    (途中から)
    本稿の目的は、誰に責任があったのか、誰は責任を負う必要がないのかを追及すること ではない。真珠湾攻撃は全面的に日本に非があったわけではないという明白な証拠が現在 ではたやすく入手できるようになっているので、責任の所在については、簡単な善玉悪玉 論で片づけられる問題ではなくなっている。というのも、1941年7月、米国は重大な 結果を予見しながら、ことさらに日本への石油禁輸に踏み切ったからである。それゆえ、 日本は、国家としての存立を維持するために必要な石油を確保するために、避けることの できない状態の下、戦争以外の選択肢のない状況に追い込まれたのである。

    本稿の目的は別の所にある。日本が真珠湾およびアジア各地の西欧植民地を攻撃したと いう事実が、当時大部分が西欧の植民地支配を受けていたアジアの人々の心理と士気にど のような影響を引き起こしたかを検証することである。さらにまた、戦争初期には、日本 軍は反植民地闘争のリーダーシップを取り、連戦連勝を重ねたという事実がある。これに よって、アジアの自由の戦士たちがどれほどに鼓舞され、激励されたかという問を投げか けようということである。言い換えれば、外国の占領からの解放を目指し、独立を達成し ようという戦いを進めるためにどれほどの助けになったかを検討しようということが本稿 の目的なのである。

    二十世紀初頭の論争の余地なき事実は、西欧の植民地主義からの解放を求めて公然と挑 戦した国が日本だけだったということであり、かつまた、それを遂行する能力と資質を持 つ国は日本だけだったということである。「アジア人のためのアジア」が日本の戦いのスローガンとなった。中国やインドを含めた他のアジア諸国の中には、そのような汎アジア 的理想を唱える国、あるいはそのような軍事的実力を持った国は存在しなかった。

    真珠湾攻撃の翌日、すなわち1941年12月8日に渙発された詔勅は、日本の戦争目 的を宣言していた。「(戦争の目的は)日本の自存を保障し、東南アジアからヨーロッパ の植民地主義を排除し、この地に安定をもたらすことである」。
    日本の東条英機首相は、1941年12月8日に、天皇の宣戦の詔勅を全国民に向かっ て読み上げた。その概要は次の通りである。

    「帝国が米英と干戈を交えるのやむなきに至ったのは、避けることができないことであり、 決して我々の望む所ではなかったのである。
    「米英両国は、東洋を支配せんとの不当なる野望を実現しようと躍起になって、東亜の禍 乱を助長して来た。そればかりでなく、この両国は、他の国々に従属を要求し、帝国の周 囲で軍事的な準備を増大させて我々に挑戦して来た。彼らは、あらゆる手段を使って、我々 の平和的通商を阻害し、ついに経済関係を直接的に断絶するという策に訴え、帝国の存在 に重大な威嚇をして来た。」
    「我々は、我が政府が忍耐強く平和状態を回復することになろうとの望みを抱いて、忍耐 強く待ち、長期に亘って耐えて来た。」
    「しかし、我が敵は、妥協の精神をいささかも示すことなく、解決を無法にも引き延ばし、 その間にも、経済的政治的圧力を強化し、それによって帝国に服従を強いたのである。」
    「事態の変遷がこのまま修正されないで続けば、東亜の安定のための帝国永年の努力が無 意味にものになってしまうばかりでなく、我が国家の存立まで脅かされることになる。」
    「このような状況であるので、帝国は、自存自衛のために、武力に訴え、行く手を阻む障碍を粉砕する以外の選択肢はない。」

    ルーズベルト米大統領は真珠湾攻撃を「屈辱の日」と呼んだ

    ルーズベルト米大統領は、真珠湾攻撃を「屈辱の日」と呼んだ。チャーチル英首相は、 真珠湾攻撃は「唖然とする打撃」であり、「香港を失ったことにより、わが国の威信が傷 つけられた」と述べた。1942年始め、インドで植民地主義に対する大規模な抵抗運動 が進んでいる最中に、チャーチルは下院で証言し、大西洋憲章の規定は、「植民帝国(大英帝国)の有色人種には適用」されず、また、「『主権、自治、国民生活』という用語は、 合衆国および欧州の国民にのみ適用される」と述べた。

    日本の戦争政策は、欧州への依存からの完全な脱却を目指しており、それは、破産に瀕 した欧州の文化的伝統を拒絶し、さらには偉大なる国家の基盤として、アジア人の自覚(欧州とは違うという意識)とアジアの文明的価値へ復帰することを含めていた。西欧化がと めどなく進んで行く中で、民族の生存にとって重要なことは、一つには政治的文化的再生 を実現することであり、今一つには、日本の指導の下に汎アジア的連帯を達成することだ った。後者は、西欧帝国主義に抵抗するアジア新秩序として明確に述べられていた。

    日本の外務大臣松岡洋介は、1940年8月に、「大東亜共栄圏」を宣言した。日本の リーダーシップの下に植民地支配から脱却するという考えは、アジア全域で広く反響を呼 んだ。1942年に米国のハーバート・フーバー元大統領が述べたように、「白人は、中 国人、マレー人、インド人、日本人のいずれからも広く憎悪の対象になっている」という 事実があったからである。そして、憎まれる理由は、何百年にもわたって、植民地の主人 として、無慈悲で悪意ある行動に終始していたからだった。

    1905年の日本海海戦における日本の軍事的成功がアジア・アフリカの人々の自由を求める夢を掻き立てたドイツの皇帝ウィルヘルム二世は、全ヨーロッパに向けて、「黄禍」の脅威が高まって 行く現状に鑑み、小異を捨てて大同につき、キリスト教および欧州文明という「神聖なる 財産」を守らなければならないと訴えていた。日本が1905年にロシアを破ったのは、ドイツ皇帝が「黄禍」の危険に警鐘を鳴らし てから10年も経たないうちだった。これに刺激されたオックスフォードの若き講師アル フレッド・ジマーンは、ドイツ史の講義をほったらかして、学生たちに向かい、「歴史上 一番重要な事件が起った。いや、我々が生きているうちにも、これより重要な事件は起こ らないだろう。非白人種が白人種に勝利したのだ」と宣言した。

    この二十世紀初頭の日本の目覚ましい軍事的勝利およびそれがアジアの知識人たちにど のような衝撃を与えたかについては、パンカジ・ミシュラ(Pakaj Mishra)の『アジア再興・ 帝国主義に挑んだ志士たち』(白水社)(The Revolt Against the West and the Remaking of Asia)を読むとよく分かる。この作品は、19世紀末と20世紀初頭のアジアの知識人、および汎アジア、汎イスラ ム、反植民地の闘争における彼らの役割について研究したものである。本書の始まる所は、 西欧の支配からの解放を目指す闘争における電撃的な瞬間である。すなわち、1905年 5月の日本海海戦に於ける、日本海軍の目覚ましい勝利の瞬間から始まる。この勝利が、 植民地主義の桎梏に喘いでいたアジア・アフリカの人々に衝撃を与えたのである。
    http://www.amazon.com/From-Ruins-Empire-Against-Remaking/dp/1250037719

    • 波那 より:

       この、小国ではあるが勃興しつつある日本の海軍が、欧州の列強の一つに数えられてい た帝国主義大国を打ち破ったのである。老若を問わずアジアのリーダーたちの想像力をど れほどに掻き立てたかは想像に難くない。

      ジャワハルラール・ネルー、マハトマ・ガンディー、孫中山(孫文)、毛沢東、若きケ マル・アタテュルク、さらには、エジプト、ベトナムなど多くの国々のナショナリストた ちが、日露戦争に於ける日本の決定的勝利を、陶酔せんばかりの情熱をもって歓迎したの だった。「そして、彼らはみな、日本の勝利から同じ教訓を引き出したのだった」とパン カジ・ミシュラは述べる。「世界の支配者・白人はもはや無敵ではない」という教訓を。

      インド総督のカーソン卿でさえ、「この勝利の反響は、東洋人の間で、遠い雷鳴のよう に口伝えで伝わって行った」と述べている。それでもまだ、アジア人の目には、欧州は道徳的政治的権威を維持していたが、それも、引き続いて二つの世界大戦が起こったために、 甚だしく影が薄くなってしまった。「しかし、長い目で見れば、西欧の退場の幕引きは対日本海海戦から始まったと言っても過言ではあるまい」ミシュラは結論する。

      1905年の日本のロシアに対する勝利は、アジアの人々にとっては励ましのニュース となった。中世以来初めて、非ヨーロッパの国が、大戦争でヨーロッパの強国を地に這わ せたのである。そして、日本の勝利に続いてやって来たものは、数知れぬファンタジーだ った。欧州に国土を支配される屈辱に耐えていた人々の心に、国民の夢、民族の威信あ るいは単純な復讐心を吹き込んだのだった。中でもマハトマ・ガンディーの洞察は深かっ た。「日本の勝利の根は極めて深く極めて遠くまで伸びているために、そこから生じる果 実の全貌を把握することは今なお不可能である」と評したのである。

      国際聯盟に於ける日本の人種平等の提案

      パリ平和会議(1918~19)および国際聯盟の設立に際して、日本は欧州の植民地 支配の下での諸民族の平等を擁護した。日本は、国際聯盟規約の改正を提案した。それに よって、「あらゆる点で、人種国籍のゆえを以て一切の差別をすることなく、法に於ても 事実に於ても、平等かつ公正な取り扱い」を保証しようというのであった。西欧の植民地列強は恥ずべきことに、人間相互の間に於ける平等の観念を拒絶したのである。この観念 が、白人の優越性と非白人を抑圧する植民地秩序に対する挑戦となることを恐れたのだっ た。しかし、日本は、全ての人間の平等を認めさせようというこの提案によって、有色人 種の「理論的リーダー」として、アジア人とアフリカ人からの尊敬を勝ち取ったのである。

      第二次世界大戦に関して、ジャワハルラール・ネルーは次のように述べている。
      「西欧民主主義国家は改革のために戦っていたのではなく、旧秩序を恒久化(永続)させ るために戦っていた。そのことは、いよいよ明白になってきた」。そして、連合国側も、枢軸国側も戦争目的に何の違いも持っていなかった。いずれの側も、白人の優越性と植民地の現状を維持することにしか関心を持っていなかった。ネルーによると、両陣営とも、 「帝国と民族的優越性」の夢に耽り、戦後になってもそれを肯定し、「古い帝国主義が今 なお機能している」と信じていたのである。

      世界を震撼させた 1941~1942 の日本の軍事的勝利
      日本海海戦から36年、アジアに駐留する欧州の強国に対して、日本はかつてなかった 決定的な打撃を与えた。白人国家であれ、非白人国家であれ、まったく前古未曽有の出来 事だった。これが真珠湾攻撃だったのだ。1941年12月8日から90日の間、日本は 東アジア、東南アジアの米英蘭の領土を席巻した。占領した地域はフィリピン、シンガポ ール、マレー、香港、蘭印、ビルマ(ミャンマー)に及んだ。

      1942年初期までにはイ ンドの国境を伺うに至り、その迅速な作戦で世界の目を瞠らせた。アジア全域で、支配さ れていた人々は、西欧の植民地強国に強制的に併合され占領されていた国々に日本軍が進 軍して来たのを見て喝采した。1942年初頭、シンガポールが日本に降伏する数日前に、 オランダ亡命政権首班のピエトル・ゲルブランディは、チャーチルなどの連合国のリーダ ーに対して、次のように不安と懸念を表明した。「日本軍が白人住民に障害と恥辱を与え ることになった場合は、速やかに相当な処罰をしない限り、白人の威信は取り返しがつか ないほどに傷つけられるであろう」。

      マレーシアの元首相マハティール・モハマドは、「大部分のアジア人は、欧州の植民地 支配者に対して劣等感を抱いており、独立を実現可能な選択肢と考えることは滅多にない ことであった。植民地というものは、原料や天然物資を欧州に供給するように組織されて おり、だからこそ従属国家だったのである。しかし、日本が英国を排除したために、我々 の世界観は変化した」と説明している。これによって、日本人というアジア人種が白人を 打ち破ることができるということが証明され、その事実によって、「『意志さえあれば、 我々も日本人のようになることができる』という意識に新たに目覚めたのである。我々は 自分の国を統治し、欧州人と同じ土俵で競う能力を持っているのだ」。したがって、 日 本軍の占領下に苦しんだこと、また、戦後英国人が戻って来た失望にも拘わらず、「奴隷根性」という足かせは打破されたのだった。マハティール・モハマドはこのように述べ ている。同様に、シンガポールのリー・クワンユーは、日本が英国を打ち破ったことが、我々の世 界を完全に変えた、と証言している。

      日本に対する称賛と感謝の表明

      日本はアジアの共通の敵に対して、世界を震撼させる軍事的勝利を得た。これによって、 アジアの人々は、誇りを取り戻し、顔を挙げてまっすぐに立つことができるようになった。

      「第二次世界大戦の前には、英国はアジアを植民地にして、アジアの人々を奴隷化しよう としていた。英国はインドの人々を180年にわたって支配してきた。アジアの大半の地域から英国人を放逐したのは日本だった。そして、その地域の国々はみな、後になって独 立を達成した。」

      「日本は第二次世界大戦に敗れはしたが、しかし、日本の参戦の結果として、東南アジア の全ての国々およびインドは、長く待望していた西欧植民地列強からの独立を、戦後15 年以内に達成したのだった。」
      英国の歴史家アーノルド・トインビーは「日本はアジアに於ける西欧の植民地主義を完膚なきまで壊滅させた」と言っている。トインビーはさらに、次のように述べた。「第二次世界大戦に於て、日本は偉大な歴史 を遺した。自国のためばかりでなく、この戦争から得るもののあった国々のために偉大な 歴史を遺したのである。その国々とは、日本が提唱し、短命に終わった大東亜共栄圏に含まれる国々のことである。日本の人々が歴史に遺した最大の業績は、世界を支配していた 西欧人が「打ち負かすことのできない神々」ではないという事実を明らかにしたことだっ た。

      タイのククリット・プラモード元首相は、日本を称賛した

      タイの元首相ククリット・プラモード氏は、当時「Siam Rath」紙の主任編集長であり、 1973年に首相に就任した。氏は次のように述べている。
      「アジアの全ての国々が独立を達成したのは日本のおかげである。母なる日本にとっては 多くの苦しみを生み出した難産だった。しかし、彼女の子供たちは速やかに健康かつ頑健 な成長を遂げたのだった。
      今日、東南アジア諸国の市民たちが、米英の市民と並ぶ平等な地位を確保することがで きているのは誰のおかげだろうか。一にも二にも、我々全てにとって母の役割を果たして くれた日本が、我々に慈善を施してくれ、自己犠牲の偉業を成し遂げてくれたからである。 12月8日(1941年)は、我々にこの重要な教訓を与えてくれた母なる日本が、乾坤 一擲、我が身を顧みずに我々のためを図ってくれた記念日である。さらにまた、八月十五日(一九四五年)は、我々の敬愛する母親がもろくも崩れて苦し んでいた日である。この両日(十二月八日と八月十五日)は、いずれも決して忘れてはな らない日なのである。」
      http://www.japanese-greatest.com/mentality-culture/animation/kukrit-pramoj.html

      日本は意図的にあるいは意図せずに、植民地の人々のナショナリズムを高揚させた。と ころが、西欧列強は、植民地の国々が隷属するのに長く慣れてしまっていたので、この戦後のナショナリズムを余りにもひどく過小評価していた。植民地の人々は、もとより欧州列強には敵意を持っていた。それなのに、列強は、そういう人々の対していまだに影響力 を残しているという甚だしい誤算をしていた。不毛な討伐作戦が行われ、全面戦争になる こともあった。それにもかかわらず、特にインドシナでは、反植民地運動は速やかかつ異様なレベルで広がって行った。

      ビルマ(ミャンマー)では、1935年以前には、成熟したナショナリスト運動はほと んど見られなかった、それでも1948年に独立した。インドネシアのオランダ人たちは、 残存軍が米英の援助を得て抵抗したが、スカルノに率いられたインドネシアのナショナリ ストたちは、最後には敵を圧倒し、1953年にとうとう駆逐することができた。終戦後 の混乱の中で、マレー、シンガポール、ベトナムは長い反乱と戦争の期間に入ったが究極 的に欧州人が撤退しなければならなくなることは目に見えていた。

      インド独立闘争の蔭に隠れた日本の役割

      英国によるインド統治は、三世紀にもわたったが、その間の苛斂誅求、不平等な貿易条件、闇市の横行、意図的な飢餓政策などによって、本来防ぐことができたはずの飢饉を惹起し、何百万人ものインド人が死ぬことになった。日本は、インドの独立運動に重要な役 割を果たした(その多くは評価されていない)。ネタージー・スバース・チャンドラ・ボ ースがインド国民軍(INA)を設立するのを援助したのである。事情を知っている人々の間では、ボースの INA がなかったならば、インドは決して独立 を達成することはなかったであろうと主張されている。

      その主張には理由がある。INA はインド・ビルマ国境のコヒマおよびインパールで、日本 軍のインド侵入作戦の一環として戦い、軍事的には敗北した。しかし、INA は、1945年 に、デリーの法廷で、英国植民地政府に再び挑戦する機会を得た。三人の INA の将校が、 反逆罪の容疑で、レッド・フォート(デリー城)で裁判に掛けられた。起訴されたこの三人は、ムスリム教徒、シーク教徒、ヒンズー教徒だったが、いずれも植民地となった国の 国民を解放する役割を正当化する弁明を行い、インドの大衆の同情を集めた。
      これによって、被告たちに対する支持が全国に広まった。その中には、英印軍の軍人で あるインド人も含まれていた。俄かに先鋭化した軍隊は、1946年にインド亜大陸全域で、英国の占領に抵抗して、ストライキを行い、暴動に訴えた。かつては堅固だった軍の 基盤が中核まで揺らぎ、広汎かつ大規模なデモが起り、陸海空軍が1857年の反乱(セポイの乱)よりも大きな反乱を起こす可能性が生じて来た。ここに至って、英当局も、荷物をまとめてインドを去る時期が来たと判断した。1947年8月15日、英当局は、イ ンドの独立を認めた。

      インド亜大陸の分割の仕方は極めて愚かしいものであり、これによって、二つの民族国 家が果てしない闘争を繰り返すことになった。この闘争は、1947年、英国が屈辱の中 にインドを去って行った際に残した痕跡とでもいうべきものである。ジャンポール・サルトルは、フランツ・ファノン(Franz Fanon)の『地に呪われたる者』 (1969年 みすず書房)( Wretched of the Earth)に序文を寄せ、その中で、「ヨーロ ッパは至る所で水漏れをしている。従来は我々が歴史を作っていた。今では、我々を材料 にして、歴史が作られている」と主張した。西欧が東洋の植民地から撤退したということは、単一の出来事としては、二十世紀の最も重要な出来事だと言って過言ではあるまい。

      本稿ではまた、日本が異様に不名誉な扱いをされていることに対して、弁護をしたいと 思う。言い換えれば、日本は決して、アジア諸国に不法と掠奪を働く犯罪的な意図を持っ た侵略国ではなかったということを訴えたいのである。そのような誤解は、巨大な西欧の 宣伝工作に誘導された結果である。実際には日本は、西欧の支配からの独立を求めて全アジアにひろがった戦いを燃え上がらせることになった火花だった。アジアの人々は、日本の壮大な戦争努力、日本人兵士の血の犠牲によって救われたのだ。今や、日本が受けるべ き正当な名誉を与えてやってもよい時期になったのはないだろうか。

      現在の風潮は、日本だけを選択的に取り上げて戦争犯罪容疑で咎め立て、一方、第三世 界で西欧各国が犯した罪についてはダンマリを決め込むことになっている。日本もドイツ も補償金をきちんと支払っている。西欧諸国に対してもそれを要求しなければならないは ずなのに、見て見ぬ振りをするとは、正義を虚仮にしていると言わなければなるまい。今日、気になることは、西欧の覇権に関して、驚くべき、かつ道徳的に不快な郷愁が広 まっていることである。多くの著名な米英系の指導者たち、また奴隷根性を持ったアジア の政治家たちや NGO の関係者、さらにはネオナショナリズムの旗手となったコラムニスト たちもこの病に染まっている。彼らはアジアを、極めて狭い視野で眺めようとしている。つまり、西欧の植民地的利益を擁護し、西欧の植民地支配の暗黒時代の間の歴史的記憶、 およびその期間にアジア諸民族を苦しめた集団的経験を検証しないままに終わらせようと する狭い視野に捉われているのである。

      植民地化と外国の占領は、人道に対する犯罪を構成する。この二つの罪は、国家の主権 に対する最も重大な侵犯であり、国際法違反である。そして、アジア、アフリカ、南北アメリカのほとんど全ての地域に於て、植民地を占領する列強は人道に対する恐ろしい犯罪を犯し続けて来たのである。この罪を犯した犯人たちは、未だに責任を問われたこともなく、その大量虐殺の罪のゆえを以て国際法の下で裁かれたこともない。

      アジア人の心を植民地主義から解放し、日本に感謝の意思を表明しよう

      アジアの人々に課せられた責務は、自らの心を植民地主義から解放し、第二次世界大戦 の前およびその最中に於ける日本の行動を新たな目で眺めてみることである。日本は結果 的には戦いに敗れることになったが、その軍事的努力は空しくはなかった。当時アジアの 広大な地域を占領していた西欧の国々、すなわち英国、フランス、オランダ、ポルトガル、 米国などは、日本によって相当な打撃を受け、士気を喪失し、その結果、遠からずしてア ジアを手放さなければならなくなったのである。アジアが西欧の植民地支配から解放され る時期を速めるために、日本は独特の貢献をした。その功績はもっと称賛されて然るべき であるのに、現実にはそうなっていない。ポリティカル・コレクトネスという思想、そし て第二次世界大戦の間の日本軍の残虐行為をことさら取りあげるなどのためである。

      二十世紀に日本は、欧州の植民地主義をアジアから駆逐するために断乎として立ち上が って戦った最初の国となった。悲しいことに、その英雄的な貢献と犠牲は滅多に評価され ることがなく、稀にしか敬意を表されることがなく、ほとんど感謝の対象と看做されるこ とがないのである。日本に対して、アジアの感謝の意を表し、歴史のストーリーを書き変えるのに、決して 遅すぎることはない。

      セナカ ウィーララトゥナ
      Senaka Weeraratna

      <日本語訳文、全文>
       http://hassin.org/01/wp-content/uploads/Senaka.pdf
      <英語の原文>
       http://www.sdh-fact.com/essay-article/886/ 
      <セナカ・ウイーララトゥナ氏のプロフィール>
       http://www.sdh-fact.com/auther/senaka-weeraratna/

  6. 名無し空を飛ぶ より:

    後に続く日本人を信じ戦い散ったというのに、何かを1つずつ知るたびに、恥ずかしく思い、そして悲しくなります。
    私なんて、国民としての存在価値なんて無いと思ってます。
    でも、日本が普通の国になるまで、少しでも頑張ろうと思います。
    先人の方々には感謝しかありません。

    • 常磐本線 より:

      自分は、人生折り返し地点だけれだけど、知らなかった事も多く恥ずかしい限り。
      しかしながら、日教組とかの特・あの別動隊が意識して、史実を教えなかった事もあると思う。
      兎に角日本が悪かった等々の一本調子でね。
      向うが仕掛ける形でのダンカンは、完遂を願う。

  7. より:

    地元、明石の中崎公会堂近くに大変立派な忠魂碑(東郷平八郎揮毫)があります。

    この忠魂碑を見るたび、戦後教育に毒された自分を恥ずかしく思うと同時に、
    先人の方々が悲しんでいらっしゃるように感じます・・・。

    ところで、先月28日、パピオス明石で「日本の歴史文化研究会」のパネル展がありましたが、
    主催者の方が、新日本婦人の会や共産党の妨害により、今回は市の後援を得ることができなかった、と仰ってました。

  8. 宮崎マンゴー より:

    終戦の日…確かに戦争は終わったのでございましょう。しかし、戦後74年の我国に於いては戦いは終わってはおりません。命がけでアジアの独立の為、我々日本国民の為に沢山のご英霊の方々が尊き命をかけていどみ護って下さったと申しますのに、受け継ぎし我々は未だ本当の安心安全なる平和すらこぎつけていない…日出づる国大和を守ろうと立ち上がっておられる愛国の無名志士なる方々は、独自で「自分の番」として動かれてます、ひた押しという正義のもとで。けれど、握りしめられた拳は怒りと悔しさを前にして突き上げられないままでございましょう…そしてその有志の誰もが、海の向こうの国にて焼き捨てられたり、踏み潰された日の丸へ心が凍りつき唇を噛み締めた事でございましょう。
    安倍総理の御英霊への献花の御姿と御言葉は誇らしい限りでございました。ただ此処に来て、何故お伝え下さらないのでございましょう、御怒りにならないのでしょう…終戦の日すら笑う者達へ、声高々に怒鳴る心無き者達へ、たった一言でも良いのです。
    「ここは日本!日本の平和は日本人皆で取り戻す、日本の全ては日本人で決める」と…
    我々はいつでも強い安倍総理について行きましょうに。先人の方々から受け継いだ国旗冴え、国歌冴え、安心して掲げられない口づさめない現状日本。耐え難きに耐え、忍び難きに忍び、そして寡黙に遺憾の意の日本人のままは余りにも悲し過ぎます。尊き先人の方々へ申し訳なく存じます…
    そう遠くない日に、一日の終わりに、新設された日本独自の国営放送にて、
    「新しい日本の幕開けです!日本を取り戻しました!家々に国旗を掲げましょう!」というテロップが流れたならと希望を託し。祈

  9. 櫻盛居士 より:

    **********************************************************************
    共産党は2016年9月13日からの警告を無視し続けましたね。
    ならば、下記は決定事項と承諾したものと見做します。

     ・『テロを利用する共産党』
     ・『テロリストの味方である共産党』
     ・『テロに屈する共産党』

    **********************************************************************
     
     
    日付は変わってしまいましたが、こう言う日だからこそ真剣に未来の国防について考えのも良いでしょう。

    戦争と言えば、日本人はついつい大東亜戦争の印象が強い為、軍部主導の総力戦で無差別空襲で多くの民間人が犠牲になり、兵員は劣悪な環境で無理な戦闘を強いられると言ったものを思い浮かべるのではないでしょうか。

    勿論、将来的にその様な状況に陥ら無い保証はありませんが、世界の軍事趨勢を見ればその様な状況に陥る可能性は低いと言えるでしょう。
    但し、国民の多くが軍事アレルギーで、軍事に関するリテラシーが極端に低い場合は、アノ戦争の同じ轍を踏む可能性が飛躍的に高まります。

    これは病気を忌み嫌って病原菌やウィルス、遺伝子に関する研究を医学者が放棄すれば、病気を予防したり治療する事は実質的に不可能になるのと同じです。
    病気に精通した”病気の専門家”の養成こそが病気予防の策を打出せるのと同じ様に、戦争を防止するには”戦争の専門家”が必要である事を認識する必要があります。

    更には結核等は従来の抗生物質が効き難い耐性菌が出現していますし、それに対する対処も進化していますが、戦争も同じでその原因も変わって来てますし、それに対処する方法も変わって来ています。
    所が戦争自体から目を背けて戦争を探究して行かないと、リアルタイムに沿った対処を導き出す事は不可能になり、結果的には戦争に巻込むにはチョロい国の出来上がりです。

    そして馬鹿でも分かるのが、戦前と戦後の国境の変遷です。
    戦後、我が国は地続きの国境が無くなりました。
    これは、戦前と比べて平時の国防に陸兵力が飛躍的に削減出来る事を意味します。
    言い換えれば徴兵が有効に活かせる歩兵や輜重の定員が少なくて住む一方で、”徴兵などしても、余り有効で無い”事を意味します。
    つまり、おパヨク様が頻りに口にする「徴兵がー」が、時代遅れの知識と感覚である事が論理的に証明出来てしまう訳です。
    それはスマホが常識の現在に、「○○電話局の電話交換手がー」と喚き散らす位に馬鹿げた話しだったりするのと同様です。

    次に、戦術と兵科の役割の変遷です。
    先ず現在では乗馬して戦う騎兵は機械化や機甲科にとって変わってますし、数押しの歩兵突撃など非効率的な戦術を用いる事はありません。
    つまり、嘗てと比べて歩兵を必要としない戦闘形式になってますので、ここでも「徴兵がー」が時代遅れの知識と感覚である事が論理的に証明出来てしまう訳です。

    この様に、ほんの少し国防の事を考えるだけで、今の我が国の風潮が非現実的である事が理解出来る筈です。

    ほんの少しだけでも良いので、国防について考えてみる事をお勧めする次第です。

  10. 琵琶鯉 より:

    光と闇の戦いの主戦場はこの日本で現在進行形で行われています。
    日本人が明治維新から150年に及ぶ歴史の中で最初に間違った時空間を開けてしまった事が、事のはじまり。その結果が先の大戦であり、其の後に続く、日本破壊工作。その真実は、少しずつではありますが、日本の草民の間に広がり、ネットと言う武器によって、学び、行動する事の大切さを知った。若芽達は、ネットを自在に操る為により賢い。彼等が実社会で経験を積んで行けば尚、日本の草民は強くなるでしょう。

    私達、旧き者は、彼等が同じ苦労をしないように
    英霊方とまでは行きませんが、路を塞ぐ岩や倒木、雑草などを刈り取り、ゴミを拾い、そして掃き浄め、彼等が日本人として真の仕事に集中出来る環境を用意する事。

  11. BLACK より:

    ポツダム宣言の和訳、初めて読ませていただきました。
    感情的な文章に驚きました。
    白人社会が如何に日本を恨んでいるかがわかる言葉の数々と、解釈させていただきました。

    戦後から現在までのアジアの在り方と日本の平和は
    戦死なされた方々のアジアと日本を想う志の賜物であったと感謝しております。

    決して、憲法9条や、反戦・反核運動のおかげではないと、私は思っております。
    反戦・反核は当たり前のことではありますが
    日本一国の反戦・核を持たぬ国の反核など、ただ危険でしか、亡国でしかないと、私は思っております。

    様々な立場で日本を護ってくださった方々に深く感謝申し上げます。

  12. 華龍 より:

    昔はハルノートって何?とかポツダム宣言の内容はなぜ触れられないの?とか疑問に思っても何らかの回答を得るまでの労力は大変なものでした。いまではインターネットに貴重な資料が公開されており大変ありがたいことです。
    ところで最近気になり始めている事はGHQが日本の軍票を無効無価値化させた理由です。周辺国との関係を悪化させるためだったんでしょうか。

  13. Lauterkeit より:

    ブログ主の言葉にポツダム宣言は「高圧的だ」とありますが、当然でしょう。
    勝敗が目に見えている段階で、勝者が降伏を勧告することは国際慣行上「義務」ではありません。降伏勧告を受けず、また(日本が)降伏を申し出ず戦いを続けていたら(日本は)どうなっていたでしょうか?
    それこそポツダム宣言が述べているように徹底的にやられたでしょう。さらにソ連の日本本土上陸もあったでしょう。高圧的に「降伏せよ」といわれるのは当然で、これによって日本は救われたのです。

    私はポツダム宣言をよく勉強してきました。
    当時の状況、力関係を理解しない議論は、危険ではないかと思います。

    なお、自衛さえ満足にできないふがいない日本という点には、その通りだと思います。
    しかしそれはポツダム宣言やGHQのせいではなく、日本の保守陣営が「平和憲法」論をきちんと論破し国民を納得させられなかったからです。
    ポツダム宣言「高圧」論では通用しません。

  14. 匿名で。 より:

    ポツダム宣言の全文が教科書に掲載されていない理由が悲しすぎる
    http://matome.naver.jp/odai/2136232117008395701

    ポツダム宣言の全文が教科書に掲載されていない理由が悲しすぎる(魚拓)
    http://archive.is/JMtM4

  15. unknown より:

    号泣しました。

  16. Lauterkeit より:

    支那事変の大義

    ブログ主は
    >ポツダム宣言の邦訳は、恐らく保守陣営もほとんど知らないんじゃないだろうか。
    と嘆いておられるが、この指摘が真実だとすれば、日本の保守陣営はずいぶんと不勉強だとあきれてしまう。

    既に投稿したとおり、ポツダム宣言はその後の日本の針路を決定づけた極めて重要な文書である。何よりも日本を(米軍の攻撃による)徹底的な破壊から救い出した、という意味で感謝すべき文書である。

    >戦勝国にとって構成の日本人に伝えるには恥ずかしい内容だった。(だから教科書に載せなかったのだ)
    (きっと隠れた内容があるに違いない)
    と述べている。

    またコメントの中にも
    >日本の真珠湾攻撃が西欧の支配からのアジア解放の引き金となった
    との言葉に代表されるような色褪せた「大東亜戦争肯定論」が出てくる。

    こういう議論の根本にはいわゆる「支那事変」についての評価が未だに定まっていないことに起因する。「未だに」というのは1941年2月斉藤隆夫の議会での質問でこの問題が取り上げられていて、斉藤は「この未曽有の大戦争をどのように処理(終了)するのか。またそもそもこの戦争の目的は何か」と質問したが明確な答えはなかった。とりわけこの戦争の目的は何かについて誰も答えることが出来なかった。

    あれから75年以上経っている。日本にとっての「大義」は何だったのか、当時から答えのないままにずるずると大陸での戦闘が続いた。張作霖爆殺事件(1928)、満州事変、第2次上海事変そして支那事変と戦火は拡大し、その都度占領地は拡大した。1941年当時志那派遣軍は100万とも200万ともいわれ、戦死者は10万に達していたという。

    大義のない、あるいは不明な、つまり目的のはっきりしない戦争はどうすれば終わらせることが出来るか、の方針が立てられないからだ。

    75年以上前から今に至るも支那事変の(日本にとっての)「大義」は明確になっていない。
    だから議論がとんちんかんになってくる。

    とんちんかんの一例は「大東亜戦争によってアジアの植民地が解放された」という評価論である。確かにインドやビルマなどは解放された。
    しかし当時の支那はどうだっただろうか。日本や西欧列強のような独立国とは言い難く、全国的に租界地が広がり事実上植民地となっていた。日本が特別広かったことは言うまでもない。日本はこれら半植民地状態を解放どころかどんどん広げていった。結局そのために(防共どころ火)共産国中国の誕生につながったのだ。最大の植民地国家、中国を除いて植民地の解放をたたえるのは論理矛盾ではないのか。

    支那における戦火の拡大に怒ったアメリカがいくつかの段階を経て石油禁輸に踏み切り、日本はそれに反発して東南アジアの石油確保に軍隊を出し、真珠湾に通じるのである。

  17. 柏城(大保守)耕介 より:

    終戦の定義についてはともかく8/15当日は台風接近の最中で人気の
    少ない状態でしたが護国神社のみたままつりに出向いておりました。

    チャラい感じの者共がオールドメディアの内容を利用して空気ガー、
    などと発言してマウンティングしているかの如き今の現状を英霊が
    観ていたとすれば草葉の陰で呆れてしまうのではないかと思いたく
    なるような感じもします。

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