【今日は何の日】大和、特攻。坊の岬沖海戦。沖縄を護るため、英霊が戦った日【4月7日】

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無謀とも言われる作戦だが一縷の希望に賭け、米軍の沖縄侵攻を阻止するため水上特攻が敢行された。
天一号作戦、大和轟沈。沖縄を見捨てぬため、一億総特攻の魁とならんがために。
サヨクは、「沖縄を見捨てた」等と述べるが、事実ではない。
ならばなぜ連合艦隊旗艦を務めた、戦艦大和は海上特攻とも言うべき突入戦を強行したのか。

出撃した艦艇は以下。
大和以下、軽巡矢矧、駆逐艦冬月、涼月、磯風、浜風、雪風、朝霜、初霜、霞。
日本海軍による最後の大型水上艦による攻撃となった。

すでに訓練を満足に行えるほどの重油はなく、浮き砲台とされた艦以外、
持てる艦艇のほぼ全てであった。

それでも大和には、戻ってこれるだけの重油が補給されたという。
(片道とする説は誤り。)
ただし、還って来れたのは、極僅か。

実は、この海上特攻(天一号作戦)のみがクローズアップされるが、菊水作戦と相互支援関係にある。
菊水作戦第一号(4月6日~11日)以降、第十号までの大規模航空特攻を伴う反攻作戦である。

海軍機は940機、陸軍機は887機が特攻を実施。
海軍2,045名、陸軍1,022名が特攻により戦死。

 

先祖を誇ることは重要なことだ。
その名誉を汚すことを許さぬ、明確にスタンスを示しておきたい。

ならば、今を生きる私たちはどうか。
それを問いたい。

軍令部総長が「菊水一号作戦」を昭和天皇に上奏した際、「航空部隊丈の総攻撃なるや」との下問があり、天皇から『飛行機だけか?海軍にはもう船はないのか?沖縄は救えないのか?』と質問をされ「水上部隊を含めた全海軍兵力で総攻撃を行う」と奉答。

大和の第二艦隊司令部長官の伊藤整一中将はなかなか納得しなかったが「一億総特攻の魁となって頂きたい」と言うと、伊藤中将は「そうか、それならわかった」と即座に納得した。

 

戦争も後半ともなれば、機体の性能にも開きがある。
整備や補給も満足に受けられない。
訓練だって完全とは言えず、硫黄島に至っては「ほぼ市民と変わらない練度」だった兵士も多く含まれていた。

かつて我が国では、我が国の未来を守らんがために、
一つしかない命を捧げてまで「産まれ来る子らのため」に身体を張った大人たちがいた。

彼らが命懸けで守った「未来」とは、まさに今を生きる私たちに他ならない。
先祖が偉いかどうかではなく、私たちはできるのか。
それを真剣に考えたい。

大和の画像、及び特攻の映像を紹介する。
実際に見て、それぞれ考えて欲しい。

 

 

 

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(OGP画像)

 

 

 

 

坊ノ岬沖海戦・参加戦力
第2艦隊からなる第1遊撃部隊が編成され、水上特攻を担当する部隊となった。出撃した部隊は以下の編制であった。参加兵力は計4,329名。平均年齢は27歳であったという。

 

第1航空戦隊
戦艦大和
(艦長:有賀幸作大佐、副長:能村次郎大佐、砲術長:黒田吉郎中佐):沈没。
被雷8本以上、直撃弾10発以上。戦死2,740、戦傷117名。

 

第2水雷戦隊(司令官:古村啓蔵少将)
軽巡洋艦矢矧(艦長:原為一大佐):沈没。
被雷7本、直撃弾12発。戦死446、戦傷133名。

※矢矧に座乗していた第2水雷戦隊司令官古村啓蔵少将、矢矧艦長原為一大佐は、ともに生還。

 

第41駆逐隊(司令:吉田正義大佐)
冬月(艦長:山名寛雄中佐):帰還。
中破。直撃弾2発(不発)。戦死12、戦傷12名。

涼月(艦長:平山敏夫中佐):帰還。
大破、艦首部に直撃弾を受け大破。
後進で佐世保に帰還。戦死57、戦傷34名。

 

第17駆逐隊(司令:新谷喜一大佐)
磯風(艦長:前田実穂中佐):至近弾により機関室浸水。航行不能になり処分。
戦死20、戦傷54名。

浜風(艦長:前川万衛中佐):沈没。
被雷1本、直撃弾1発。被弾で航行不能になった後、被雷し轟沈。戦死100、戦傷45名。

雪風(艦長:寺内正道中佐):帰還。
至近弾のみ。損傷無し。
戦死3、戦傷15名。ロケット弾が直撃したものの不発に終わった(帰還後判明)とする説もあるが元乗員らの記録では別の戦闘での損傷とある。

 

第21駆逐隊(司令:小滝久雄大佐)
朝霜(艦長:杉原与四郎中佐):機関故障を起こし艦隊より落伍、正午過ぎに敵機と交戦中との無電を発信後連絡が途絶えた。撃沈されたものと推定。隊司令及び艦長以下326名全員が戦死した。

初霜(艦長:酒匂雅三少佐):帰還。
至近弾のみ。損傷無し。戦傷2名のみ。

(艦長:松本正平少佐):直撃弾2発。
うち1発が機関室を直撃、破壊。航行不能により処分した。
戦死17、戦傷47名。

 

対潜掃討隊(第31戦隊 花月、第43駆逐隊 榧、槇)は瀬戸内海離脱後、命令により反転帰還。

 

 

アメリカ海軍
第58機動部隊(司令官:マーク・ミッチャー中将)
空母7隻
TG58.1-ホーネット(CV-12)、ベニントン、TG58.3-エセックス、バンカーヒル、ハンコック、TG 58.4-イントレピッド、ヨークタウン(CV-10)

軽空母4隻
TG58.1-ベローウッド、サンジャシント、TG58.3-バターン、TG 58.4-ラングレー

戦艦6隻
マサチューセッツ、インディアナ、ニュージャージー、サウスダコタ、ウィスコンシン、ミズーリ

その他の支援艦艇
大型巡洋艦アラスカ、グアムと多数の駆逐艦

空母艦載機 386機(367機)

 

 

 

 

 

坊ノ岬沖海戦・時系列
本日、4月7日、下記の戦闘が行われた。
沖縄を救うため、水上特攻がなされた日である。

 

4月5日
13:59 第1遊撃部隊に出撃準備下令。

4月6日
15:20 第1遊撃部隊が徳山沖を出撃。
19:45 第1警戒航行序列(対潜序列)。
20:20 磯風が敵潜水艦らしきものを発見、第二艦隊、米潜に発見される。

4月7日
06:00 第3警戒航行序列(対空序列)を取る。
06:30 大和が唯一搭載していた零式水上偵察機、本土に帰還。
06:57 朝霜(第21駆逐隊司令座乗)が機関故障のため随伴不能となり艦隊より離脱。
06:30頃-10:00頃 第5航空艦隊所属の零戦部隊による艦隊上空直衛が交代で実施される。
08:15頃 矢矧、水上偵察機を発進、本土に帰還。第1遊撃部隊、アメリカ軍の飛行艇2機に発見される。その後、艦隊は、アメリカ高速空母機動部隊から攻撃隊に先駆けて出撃したF6F戦闘機、F4U戦闘機計10数機の接触を受けながら、偽装航路を中止し、沖縄に向けて南下する。
10:00-10:30 奄美群島近海に展開していたアメリカ海軍第58機動部隊から、作戦機約400機からなる攻撃隊が、第1次攻撃隊と第2次攻撃隊とに分かれて、相次いで出撃する。
11:35頃 大和に搭載された対空電探が、約100キロの距離にいるアメリカ軍艦上機の大編隊の接近を探知する。
12:10 落伍した朝霜より、「ワレ敵機ト交戦中」との無電が入る。
12:15 大和以下の各艦が総員対空戦闘配置を完了する。第二艦隊、大島輸送隊とすれ違う。
12:21 朝霜より「九十度方向ヨリ敵機三十数機ヲ探知ス」との無電連絡が入る。この後、連絡途絶。この直後に沈没した。
12:32 敵攻撃隊の大編隊が雲間から降下し、第1遊撃部隊上空へ殺到し始める。第一次空襲が始まる。
12:34 大和以下の各艦が対空戦闘開始。
12:41 大和の後部に中型爆弾2発命中。電探室および主計課壊滅。
12:45 大和の左舷前部に魚雷1発命中。
12:47 浜風、轟沈。矢矧、航行不能。
13:00 第一次空襲終了。
13:08 涼月、前部砲塔付近に爆弾命中、大破。
13:22 敵機群第二波約50機来襲。
13:25 霞、爆弾2発命中、航行不能。
大和、初霜に通信代行を依頼。
13:33 第二次空襲始まる。
大和の左舷に魚雷3本が命中。大和の副舵が取舵のまま故障。
大和、涼月と衝突しかける[220]。13:45、舵中央で固定。
13:56 磯風、矢矧の救援中に被弾・航行不能。
14:05 矢矧、沈没。
14:20 大和、左舷に傾斜20度、総員最上甲板が命ぜられる。
伊藤長官が長官室に向かう。
14:23 大和、沈没(左舷側へ大傾斜、転覆ののち、前後主砲の弾火薬庫の誘爆による大爆発を起こして爆沈)。
14:23 伊藤中将の戦死により第1遊撃部隊指揮権を先任指揮官の古村少将が承継(この時点で漂流中)。
14:40 アメリカ軍の攻撃が終了。
16:39 作戦中止が下命される。
16:57 霞、沈没(砲雷撃により処分)。
17:42 初霜が古村少将(第2水雷戦隊司令官)を救助。
22:40 磯風、雪風の砲雷撃により処分。

4月8日
冬月、雪風、初霜及び涼月が佐世保軍港に帰投。

 

 

 

実写をベースに、一部をCGで再現した動画。

 

 

 

菊水作戦
米軍の沖縄進攻を阻止する目的で実施された日本軍の特攻作戦。
作戦名の「菊水」は楠木正成の旗印に由来する。

大和を含む水上特攻と相互関係にあり、作戦は第一号(1945年4月6日-11日)から第十号(6月21日-22日)まで実施され、その後も終戦までの間、断続的に特攻が続けられた。

特攻作戦と連動し、艦上攻撃機・天山、陸上爆撃機・銀河、艦爆・彗星などによる夜間雷撃や夜間爆撃も実施された。

 

少し長いため、折り畳もうかとも思ったが、できなかった。
「沖縄の為に」戦ったのだ。

知覧飛行場から出撃する特攻機と、見送る女学生たち。1945年4月12日

(画像諸元)クリックして下さい!
Hayakawa (早川) – http://www.k3.dion.ne.jp/~j-gunto/gunto_036.htm, originally:「毎日グラフ」1965年11月25日臨時増刊号〜続日本の戦歴 米軍が押収した戦場写真集/8月5日の連合艦隊
中島キ43一式戦闘機「隼」三型甲、第二十振武隊穴澤利夫少尉搭乗機、知覧飛行場、昭和二十年四月十二日

日本を法域とするこの写真画像は、(1)1956年(昭和31年)12月31日までに公表(発行)された。または、(2)1946年(昭和21年)以前に撮影(製作)され且つ起算日から10年以内に公表されなかったものである。これらの二つのいずれかであるため、日本の旧著作権法第23条及び著作権法附則第2条の規定により著作権の保護期間が満了しています。
アップロードする方へ: 画像の出典明記をお願いします。
(根拠: 法文) 旧著作権法 [1] (明治32年3月4日法律第39号、最終改正昭和44年法律第82号)

1899年(明治32年)7月15日施行、1971年(昭和46年)1月1日廃止
第二十三条【保護期間?写真著作物】
写真著作権ハ十年間継続ス
前項ノ期間ハ其ノ著作物ヲ始メテ発行シタル年ノ翌年ヨリ起算ス若シ発行セサルトキハ種版ヲ製作シタル年ノ翌年ヨリ起算ス
写真術ニ依リ適法ニ美術上ノ著作物ヲ複製シタル者ハ原著作物ノ著作権ト同一ノ期間内本法ノ保護ヲ享有ス但シ当事者間ニ契約アルトキハ其ノ契約ノ制限ニ従フ
第五十二条
3. 第二十三条第一項中十年トアルハ当分ノ間十三年トス

 

菊水一号作戦
「菊水一号作戦」・「第一次航空総攻撃」(4月6日 – 11日)

4月6日正午、海軍の作戦機は391機、陸軍は133機が九州と台湾の航空基地を飛び立った。うち特攻機は海軍215機、陸軍82機。

海軍第一制空隊30機が囮となり、さらに陸軍の司偵が東シナ海上にチャフを散布してアメリカ軍の防空網の目をひきつけ、沖縄本島上空に隙を作った。これを衝いて、特攻機がアメリカ艦隊へ突入した。特攻機の未帰還機は海軍162機、陸軍50機に及び、341名が特攻により戦死した。

6日15時、航空作戦と呼応して、大和以下の第2艦隊(司令長官:伊藤整一中将)第1遊撃部隊が徳山沖を出撃。7日、撃沈。

 

菊水二号作戦
「菊水二号作戦」・「第二次航空総攻撃」(4月12日 – 15日)

9日に「菊水二号作戦」と「第二次航空総攻撃」を発令したが、天候悪化により決行は先延ばしとなっていた。12日、作戦の決行が下令され、海軍の作戦機354機、陸軍の作戦機124機、うち特攻機として海軍103機、陸軍72機が出撃した。

12日の出撃には「桜花」8機が参加していた。うち1機は駆逐艦マナート・L・エーブルを撃沈、これは結局、桜花による唯一の軍艦撃沈事例となった。他にも特攻によりアイダホ」と戦艦「テネシーの2戦艦に損傷を与えた。特攻機の未帰還は海軍69機、陸軍49機であった。

 

ザ・コクピット 音速雷撃隊 MAD 「或る夏の一日」
桜花を描いた作品。(ショートバージョン)

 

 

菊水三号作戦
「菊水三号作戦」・「第三次航空総攻撃」(4月16日 – 17日)

16日、「菊水三号作戦」と「第三次航空総攻撃」が発令され、海軍は最大規模の出撃を敢行した。この日海軍は作戦機415機、陸軍は92機を投入。うち特攻機は海軍176機、陸軍52機であった。特攻機の未帰還は海軍106機、陸軍51機。この頃には既に陸軍の特攻機は実用機が不足し、旧式の九七戦や練習機を投入し始めていた。

空母イントレピッド、戦艦ミズーリなどが損傷した。さしものアメリカ軍も執拗な攻撃に悩まされ、サイパンにあったB-29を動員し、21日と22日に南九州の日本軍飛行場を爆撃した。

 

菊水四号作戦
「菊水四号作戦」・「第四次・第五次航空総攻撃」(4月21日 – 29日)

20日から22日にかけ、海軍は作戦機258機、うち特攻機26機を投入。特攻機の未帰還は3機であった。陸軍も作戦機11機を投入した。23日から26日の攻撃は低調に終わったが、27日から30日にかけて海軍は再び全力を動員し、作戦機587機、うち特攻機100機を投入、特攻機59機が未帰還となった。

 

菊水五号作戦
「菊水五号作戦」・「第六次航空総攻撃」(5月3日 – 9日)

5月3日、沖縄本島の第32軍は総攻撃を開始した。大本営がこれを支援する方策は特攻作戦しかなかった。同日、「菊水五号作戦」と「第六次航空総攻撃」が発令された。海軍は1日から4日にかけて、作戦機449機、うち特攻機160機を投入、特攻機の未帰還は65機であった。戦果は大きく、3日に駆逐艦リトルを撃沈、4日の攻撃は大規模なものとなり、リュース、モリソンの2駆逐艦が撃沈され、護衛空母サンガモンが損傷した。また、イギリス海軍の空母フォーミダブルとインドミタブルも損傷した。

 

米軍艦に突っ込む特攻機

 

 

菊水六号作戦
「菊水六号作戦」・「第七次航空総攻撃」(5月11日 – 14日)

11日、「菊水六号作戦」と「第七次航空総攻撃」が発令され、海軍は8日から11日にかけて作戦機345機、うち特攻機86機を投入、12日から15日にかけても作戦機237機、うち特攻機47機を投入した。特攻機の未帰還はあわせて95機であった。陸軍も作戦機80機、うち特攻機35機を投入した。
この最後の力を振り絞ったかのような攻撃によって、11日、第58機動部隊の旗艦である空母「バンカーヒル」に特攻機2機が命中、同艦は大破して戦死402名、戦傷264名という損害を受けた。

ミッチャー中将は旗艦を空母エンタープライズへ移したが、さらにそのエンタープライズも14日に特攻を受けて損傷し、この殊勲艦も終戦まで戦線から離脱させられた。ミッチャー中将はさらに旗艦を空母「ランドルフ」へ移さざるを得なくなった。アメリカ軍は再び南九州の特攻基地へのB-29による爆撃を強化した。

5月11日、空母バンカーヒル大破

 

写真諸元・ライセンス(クリックして下さい!)
English: The U.S. Navy aircraft carrier USS Bunker Hill (CV-17) afire after being hit by two “Kamikaze” suicide planes off Okinawa, 11 May 1945. Photographed from USS Bataan (CVL-29).

 

5月14日、空母エンタープライズ大破

 

写真諸元・ライセンス(クリックして下さい!)
The U.S. Navy aircraft carrier USS Enterprise (CV-6) being hit by a Japanese bomb-laden kamikaze on 21 May 1945. The ship’s forward elevator was blown approximately 400 feet into the air from the force of the explosion six decks below.

U.S. Navy, photograped from USS Bataan (CVL-29). – Official U.S. Navy photo 80-G-323565 from the U.S. Navy Naval History and Heritage Command

 

菊水七号作戦
「菊水七号作戦」・「第八次航空総攻撃」(5月24日 – 25日)

24日、「菊水七号作戦」と「第八次航空総攻撃」が発令された。この頃になると海軍でも実用機が払底し、練習機「白菊」を特攻機として投入する末期的状況を呈していた。

23日から25日にかけて、海軍は作戦機387機、うち特攻機107機を投入。特攻機の未帰還機は32機であった。陸軍は作戦機174機、うち特攻機61機を投入した。

 

菊水八号作戦
「菊水八号作戦」・「第九次航空総攻撃」(5月28日 – 29日)

28日、「菊水八号作戦」と「第九次航空総攻撃」が発令される。26日から28日にかけて、海軍は作戦機217機、うち特攻機51機を投入し、特攻機の未帰還機は26機。陸軍は作戦機71機、うち特攻機57機を投入した。

 

菊水九号作戦
「菊水九号作戦」・「第十次航空総攻撃」(6月3日 – 7日)

6月、沖縄本島では既に第32軍が首里を放棄し、地上戦は最終段階に至っていた。3日、「菊水九号作戦」と「第十次航空総攻撃」が発令されたが、もはや航空戦力も尽きかけていた。1日から7日にかけて、海軍は作戦機367機、うち特攻機23機を投入し、特攻機の未帰還機は5機。陸軍は作戦機71機、うち特攻機31機を投入した。

 

菊水十号作戦
「菊水十号作戦」・「第十一次航空総攻撃」(6月21日 – 22日)

23日、第32軍司令官牛島満中将が自決し、沖縄本島での日本軍の組織的抵抗は終わった。大規模な特攻作戦も、21日に発令された「菊水十号作戦」と「第十一次航空総攻撃」が最後となった。16日から22日にかけて、海軍は作戦機271機、うち特攻機67機を投入し、28機の特攻機が未帰還となった。

 

 

沖縄が、陥落。
これをもって、組織的な大規模特攻は沈静化していく。

 

 

 

特攻の、結果と影響
ここも意外に知られていない真実である。
wikipediaのままで申し訳ないが、お読み頂きたい。

 

沖縄諸島周辺での特攻作戦において、海軍機は940機、陸軍機は887機が特攻を実施し、海軍では2,045名、陸軍では1,022名が特攻により戦死した。そのうち133機が命中、122機が至近弾となり、アメリカ軍の艦艇36隻を撃沈し、主力艦艇の多数を損傷させた。

菊水作戦によるアメリカ軍とイギリス軍の戦死者は4,907名、負傷者は4,824名に上った。第二次世界大戦におけるアメリカ海軍の艦艇の喪失の7分の1は沖縄諸島周辺海域におけるものであり、その8割は特攻による戦果である。

 

 

>第二次世界大戦におけるアメリカ海軍の艦艇の喪失の7分の1は沖縄諸島周辺海域におけるものであり、その8割は特攻による戦果である。

特攻が無駄だったという説を、左翼もメディアも主張するが、果たしてそうだったのか。

 

以下は、特攻作戦の動画ではないが、当時の我が国の作戦機である。
貴重な、実機の映像資料であり、私も初見のものが多数あった。

この機体の映像を見て、「特攻は無駄だった」と、貴方は言えるのか?

 

 

 

 

祖先の名誉を誇れる生き様
先祖を誇ることは重要なことだ。
その名誉を汚すことを許さぬ、というスタンスである。

ならば、今を生きる私たちはどうか。
それを問いたい。

 

戦争も後半ともなれば、機体の性能にも開きがある。
整備や補給も満足に受けられない。
訓練だって完全とは言えず、硫黄島に至っては「ほぼ市民と変わらない練度」だった兵士も多く含まれていた。

かつて我が国では、我が国の未来を守らんがために、
一つしかない命を捧げてまで「産まれ来る子らのため」に身体を張った大人たちがいた。

彼らが命懸けで守った「未来」とは、まさに今を生きる私たちに他ならない。
先祖が偉いかどうかではなく、私たちはできるのか。
それを真剣に考えたい。

大和の画像、及び特攻の映像を紹介した。
実際に見て、それぞれ考えて欲しい。

 

神風特攻隊員たちの遺書

 

 

 

沖縄を、見捨てはしない。
我が国である沖縄県が他国の侵攻を受けた際、
かつて我が国の祖先らは、死力を尽くして守ろうとした。
歴史的な事実であり、海上特攻、度重なる航空特攻をもって英霊は覚悟を示した。

 

その祖先を私たちが誇りに思うのならば、
沖縄が苦境に陥り、あたかも他国に支配されつつあるならば、
今を生きる私たちも戦うべきだと呼びかけたい。

戦艦大和と乗員は、行ったんだ。

 

 

 

駆逐艦 涼月
私の後援会の名前は、涼月会。

先ほどの沖縄特攻の話において、
個人献金を賜った方には、
聴いたことがある名前が艦名の中にあったと思う。

 

私の後援会の名前は、秋月型駆逐艦の3番艦 涼月から頂いている。

戦艦の名前ではなく、敢えて駆逐艦の名から頂きたかった。
それは地方議員としてのプライドでもある。
装甲こそ薄いものの、凄まじい速力で一気に接近し、必殺の酸素魚雷。

撃沈のリスクを背負いつつ、常に最前線にある。
私のプライドは、そこにある。

 

涼月は、大和とともに沖縄特攻。
冬月とともに第41駆逐隊として、戦う。

この艦名を後援会名にした理由は、沖縄に特攻したからではない。
生きて還ったからだ。

大和が轟沈した坊の岬海戦で致命傷とも言える損傷を受けたが、生還した。
最前線を戦い、満身創痍となりつつも、生きて帰ってきた。

被害は甚大だった。
艦内電源が断たれたため消火活動が遅延、一番砲塔、二番砲塔も大破。
中央部も海面から甲板まで数十cmという状態。
艦首が沈下(前方傾斜10度)しており、前進すると船体が潜ってしまうため、バックで佐世保に帰還開始。

ただし、通信装置を失い、ジャイロコンパスも破損していた。
ほとんどの海図も焼失、地図がない。

帰着が遅く、すでに沈没してしまったと思われていた。
突然の帰還に佐世保海軍工廠はサイレンを鳴らして歓迎、
ここまで粘った涼月だが、入港時に後進から前進に切り換えたことで浸水が進行。
第七船渠内に収容するも、ドックの排水が間に合わずドック内にて着座。

ここまでの被害にも関わらず、沈没しなかった理由。
大破した前方区画のうち、前部弾薬庫は区画内部から防水処置がされていたため、である。
つまり、吹き飛んだ前方区画に「人が行き」「内部から完璧に気密作業」を行った。
内部から防水処置をすれば、完璧な防水はできる。

だが、中に入った者は脱出方法がない上、酸欠で死ぬ。
気密作業を行った3名の乗員は、後に酸欠死している状態で発見された。
うち一名、自決。

 

涼月は、単に戻ってきただけではない。
我が国の、役に立つために戻ってきた。

 

その艦命、その最期は、まさに祖国の礎となること。
ここまでの艦歴を有するも、他国であれば博物館にでも飾っておきたい船なのだが、戦後の日本には物資がなかった。

いま行橋市は、北九州経済圏として、雇用を含め恩恵を受けているが、
北九州の港の整備は、戦後復旧の要でもあった。

 

高い波を避けるため、防波堤が必要であり、若松港には軍艦防波堤というものがある。
涼月を含む3隻の日本軍艦艇は、土砂や岩石を詰め込まれ、沈設したものである。

平成の現在、もっと立派な防波堤も完成しているが、
いまでも駆逐艦柳の艦体をはじめ、実際に見ることができる。

沈まざる月は、いまでも海から私たちを見ている。

 

 

沈まざる月 ?駆逐艦『涼月』?
(ネット小説 5分ほどで読めます。是非ご一読を。)

 

 

実は涼月が致命傷に近い損害を受けたのは、坊の岬海戦だけではない。
瀕死の重傷を何度も受けながら、修復して戦線復帰。
沖縄特攻を敢行し、それでも戻ってきて、死んでも日本の礎となる。

 

 

4月7日。
沖縄を奪還するため、我が国が一縷の希望を賭け海上特攻を敢行した日。
連合艦隊旗艦を務めた戦艦大和が轟沈、そして私が後援会名に頂いている涼月が瀕死の重傷を負った日。

だけれども、戦い続けた日。

 

 

 

 

 

 

いま我が国は国難を迎え、

 

有事に直面する危機が現実味を帯びてきた。

 

戦艦大和を含む、大型艦艇による最後の作戦が決行された。

 

水上特攻、天一号作戦。

 

大和、轟沈。

 

作戦に参加した者の平均年齢は27歳であったという。

 

彼らが守ろうとした、我が国の未来には、

 

まだ産まれこぬ子らが含まれていた。

 

いまを生きる、私たちのために戦った。

 

その願いと祈りを託された者として、

 

私たちの生き様は、

 

英霊の血を引く者として、

 

正しい振舞いなのかと振り返る。

 

有事は、起きるかも知れない。

 

貴方も、家族も、死ぬかも知れない。

 

だけどオロオロするばかりで、

 

誰かのせいにしても始まらない。

 

せめて腹は括りたい。

 

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・【マニュアル】武力攻撃やテロなどから身を守るために(内閣官房)

 

テロに屈したと全国から批判された決議に賛同した者(敬称略)
桜の会(議長会派):小原義和(公明)、西岡淳輔(公明)、(死没のため略)
市民の会(いわゆる野党会派):藤木巧一、二保茂則、鳥井田幸生、大池啓勝、工藤政宏、瓦川由美、西本国治
共産党会派:?永克子(共産)田中次子(共産)

 

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私なりのケジメ

【爆破予告】テロに屈した議会に討ち入り。忠臣蔵、切腹の美学。地方議員の覚悟【テロに屈しない人はシェア】

 

 

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コメント (頂いたご意見は、他SNSに比較し最優先で目を通しております。)

  1. ミカンの実 より:

    沖縄戦で祖父が戦死しております。
    今回の記事は遺族として感謝いたします。ありがとうございます。

    • 常磐本線 より:

      一機の艦隊直掩機も無く、重油も不十分(各地の貯油タンクからかき集めて満タンだった言う説もあるようですが)ダメだ目から汗が・・・・・
      今の自分たちは、英霊に恥ずかしくない生活をしているかと問われれば、否となってしまう自分がいます。

  2. 旧新人類 より:

    先生が応援されていた候補は全員当選されたようですね。おめでとうございます。そしてお疲れ様です。どうぞ少しは休養してください。

    • 琵琶鯉 より:

      旧新人類様、情報ありがとうごさいます。

      小坪 先生おめでとうございます。そしてお疲れ様でした。次の戦いの為に1日2日はしっかりと休んで下さい。

  3. 名無しの案山子 より:

    日本が中国に勝つ方法は?

    日本の自衛隊が今後に於いて実際に戦うのは北朝鮮と韓国と中国になるでしょう。特に中国の軍事力は強大です。では、日本は中国と戦って勝てるでしょうか?、私は、日本は現兵力でも日本単独で中国に勝てると思います。

    中国は強力な軍事大国ですが、中国は陸軍大国であり海軍は強く無いです。海軍は急拵えの練度の低い軍隊です。そして中国人は利己主義者であり、勝ち戦では調子に乗りますが負け戦になると逃げ出します。但し軍艦の数が多いので、物量で押されると日本は苦戦するでしょう。

    なので日本は、中国の空母を撃沈する事に戦術を特化します。空母が撃沈されれば、航空支援の無い中国海軍は日本の攻撃を防げ無くなるでしょう。そして何より、中国の空母は中国海軍のシンボルです。空母の撃沈は中国海軍の壊滅を意味します。そして中国海軍の壊滅は中国共産党の壊滅を招きます。

    中国空母が炎を上げて沈んでいく映像が世界中に配信される時、その時が日本が中国に勝利した瞬間に成るでしょう。なお、中国空母を撃沈するのは難しい事では無いと思います。

    • たぬきねんね より:

      私は中国は経済戦争で破綻させるのが良いと思います。元々中国経済は地に足がついていない。変動相場制でもないハンデ貰っている状態。トランプ大統領がちょっとつつくとあの通り。今は空母機動群整備に馬鹿みたいな大金突っ込んでいますがハッキリ言って空母機動群を実用レベルで整備するのはアメリカ並みの経済力が無ければ維持出来ません。なので、日本は良質の軍備をそこそこの数整備すれば良い。日本が整備する量の数倍中国は造ろうとするので早晩破綻します。中国は内陸の陸軍にも莫大な経費を食うので陸海両方維持すれば完全に破綻。だから折に触れて中国がもっていない最新装備をリークして煽れば良い。自滅しますよ。旧ソ連同様に。

      • 常磐本線 より:

        敵の過小評価は、旧軍同様で油断となりえますが、シナがアメのように空母打撃陣を維持するのは容易ではないでしょう。現状では、海自潜水艦群の動く標的でしょうな。

      • 櫻盛居士 より:

        日本が中国に勝つ方法は、日中戦争は延々と先延ばしする事でしょう。

        現在の極東地域は米国の庇護下である事が前提で軍事バランスを保っており、中共はこの軍事バランスを崩すべく軍拡を推進している事は、皆様も御存知の通りです。
        これまでのバランスは、米軍が「中国軍なら絶対的に制圧出来る」と考えている事と、中共が「米軍には敵わない」と思い込む事で均衡を保っていた訳です。

        ではどれ位バランスを崩せば良いかと言うと、米軍が「中国軍と一戦を交えると、一定の痛手を被る可能性がある」と想定する程度に、中国の戦力が増大した時であり、中共もそれを目標としている事でしょう。
        これは戦争が政治的目的を達成する為の手段である限り、先ず変わる事は無いでしょう。

        それならば、中共が「日本+米国では敵わない」と思い込む事でも均衡を保つ事が可能と言えます。

        そうやって、日中戦争は延々と先延ばしして行くうちに、中国国内は共産主義体制による疲労衰退が進み、内部崩壊を始めるのではと考えています。

        その意味では、我が国も一定の軍拡と軍事関連法整備、経済活動の一定制限を規定する必要があり、このどちらか一方が欠けても平和維持に差支えがあると考える方が妥当かと推察します。

  4. 波那 より:

    沖縄を蹂躙しようと向かって来る大群の米艦船、空を舞う戦闘機に制圧されてしまった日本、沖縄を敵の攻撃から守る最後の盾となり壁になろうと命を投げ出す覚悟で沖縄へと向かわれた2498名の戦艦大和の乗組員逹は…もう2度とこんな悔しい思いの中で果てることはない日本であれとの思いを残され散華されたのではなかったでしょうか?沖縄の今の現状を思うと、またもや他国に侵略される危機を招こうとしているだけではないかとしか思えないのです。

    中国が南シナ海に建設した軍事基地は元はと言えば人二人がやっと立てるだけの小さな岩礁で、しかも満潮時には水没するだけの岩礁でしかありませんでした。中国はこんな岩礁にデタラメ領有権を主張、ヘタレオバマが何も言えずに傍観してた間にフィリピンを威嚇して忽ちの内に滑走路を敷き対空砲ミサイルを備え、原子力発電所を建設するとまで言ってます。もう建設したのか取りかかったのかは知りません。(南シナ海に放射能漏洩の可能性さえあります。漁は全滅します)

    ドゥテルテ大統領は現在、大量に侵入して来てフィリピンに脅威を与える中国船に対して自爆攻撃も辞さないと言っています。

    ?南シナ海、フィリピン支配域に大量の中国船 民兵も乗船か – 草莽崛起ーPRIDE OF JAPAN
    ttp://prideofjapan.blog10.fc2.com/blog-entry-10633.html?sp

    中国が大規模に埋め立てを行い滑走路を造成した南沙諸島のスービ礁=2017年4月撮影(AP)

     【シンガポール=森浩】南シナ海のスプラトリー(中国名・南沙)諸島にあるフィリピンが実効支配する島近くで、2百隻以上の中国船の航行が確認され、フィリピン政府は「主権の侵害だ」として外交ルートを通じて中国に抗議した。中国との協調を重視してきたドゥテルテ政権だが、南シナ海で露骨に支配域を拡大する動きは座視できないと判断したもようだ。

     中国の船舶が確認されたのはパグアサ(英語名・ティトウ)島周辺。地元メディアによると、現地では1?3月にかけて中国の漁船などが押し寄せて、旋回などの行動をしていることが確認されたという。米CNN放送はフィリピン政府筋の話として船舶の数は275隻に達したと報じた。

     フィリピン軍幹部は船舶に軍事訓練を受けた民兵が乗船している可能性に触れ、「船舶は釣りをせず、停泊していることもある」とも指摘した。

     比外務省は3月29日に中国に外交ルートを通じて抗議したもようで、4月4日の声明でも改めて遺憾の意を表明。ドゥテルテ大統領は中国に友好の情を示しつつも、「パグアサ島に触れるならばそれは別の話となるだろう。兵士に自爆攻撃を命じることになる」と発言し、中国を牽制(けんせい)した。

     中国の趙鑑華駐比大使は船舶について「知る限り非武装の漁船」との見方を示している。

     米シンクタンク、戦略国際問題研究所(CSIS)によると、パグアサ島は1974年から比が実効支配しているとされ、周辺には中国が軍事拠点化を進めるスービ(中国名・渚碧)礁がある。南シナ海の領有権に関連しては、2016年に常設仲裁裁判所(オランダ・ハーグ)が中国の権益主張を退けたが、中国は裁定を無視し、岩礁の埋め立て工事などを進めている。

    ?それなのに岩屋防衛大臣は地元への説明不足を理由にして宮古島駐屯地に保管されていた中距離多目的誘導ミサイルと迫撃砲の全弾薬を島外に撤去させてしまいました。防衛大臣の務めとは自衛隊員の命を守り、我が国の防衛を担い日本を守ることではないのですか?沖縄に巣食う反日異分子(非日本国民を含む)と中国に阿る(おもねる)ことなのですか?

    ▽宮古島から弾薬撤去で南西防衛に異常事態 陸自隊員「どう戦えばいいのか…」
    2019-04-08
    https://www.sankei.com/politics/news/190407/plt1904070047-n1.html

    岩屋毅防衛相は7日、南西防衛の一環として3月末に新設された陸上自衛隊宮古島駐屯地(沖縄県宮古島市)を視察した。

    地元への説明不足が原因で、防衛省は駐屯地に保管されていた中距離多目的誘導ミサイルと迫撃砲の全弾薬を島外に撤去したばかり。撤去を指示した岩屋氏は地元に謝罪したが、宮古島は空の発射機と軽装備での対処を強いられる隊員が残される異常事態に陥っている。

    「弾薬はすでに島外に搬出を終えている」宮古島駐屯地警備隊の隊旗授与式に臨んだ岩屋氏は7日、記者団にこう明かした。地元住民への配慮を優先したわけだが、防衛態勢には重大な欠陥が生じた。警備部隊が使える武器は小銃や機関銃などの軽装備に限られ、陸自隊員は「火砲やミサイルなしでどう戦えばいいのか…」と語る。別の隊員は「いざとなったら迫撃砲の筒で敵をぶん殴ればいいのかな」と自嘲気味にこぼした。
    2019.4.7 23:16

    日本が今、真剣に立ち向かわなければいけないのは中国の南シナ海への出入りの自由を阻む台湾を守ることと中国を迎え入れようとしている沖縄の反日異分子(非日本国民を含む)です。竹島を占拠し日本と日本人を執拗に貶めながら、毎度の事のように破滅経済を繰り返しては日本に頭は下げずに威圧的に日本は韓国を助けるべきなどと狂乱してる韓国など、どうでもいいのです。

  5. 匿名 より:

    小坪せんせい、いつもありがとうございます。

    命をかけて日本を守って下さったご先祖様を思うとき、感謝と共に自然と涙がこぼれます。
    自らが今出来る事を粛々とですね。
    日本は良い国です!

  6. 井上 龍夫(Tatsuo Inoue) より:

    私は同じ福岡、久留米の人間。
    とても大切な投稿ですが、これが出来るのであれば、行橋を盛り上げて下さい。
    俺は行橋の人間だと叫んでください。

  7. 草莽の団塊です! より:

    小坪先生、情報ありがとうございます

    いま、沈まざる月 ?駆逐艦「涼月」?を読んでいました。

    >ちなみに、軍艦防波堤の正式名称は、「響灘沈艦護岸」というらしいです。『涼月』と『冬月』
    >の姿はコンクリートに覆われて今は見られませんが、共に防波堤となった『柳』は一部が露出し
    >ていて見ることができます。訪れる機会は滅多にないでしょうが、
    >もし近くを通る機会があれば足を運んでみてはいかがでしょうか。

    涼月が軍艦防波堤として今なお、日本を守護していることを知りました。(`・ω・´)ゞ

  8. 日出処の天子  より:

    産経の様に長きに亘って保守層に寄り添うかの如く、
    保守層の信用を得て、ここぞという機会にミスリード
    する役割持ってたら怖いよね。多くのマスゴミの中
    に「掃き溜めに鶴の如く」なんて
    そんな事信じるのは如何かと思うな。
    虎ノ門TVみたくね。

  9. パコリーヌ(髭) より:

    橋下徹が創価公明を滅ぼす宣言したわね

    選挙協力で自民候補が居なく創価公明に譲った選挙区に維新の刺客を送り込むみたいね

    なんだかワクワクしてきたわ

  10. 名ナシ より:

    沖縄戦での特攻機最後の戦果は九三式中練によるものでした。
    複葉鋼管フレ?ムに羽布張りに340馬力のエンジン、後席にドラム缶を
    積んで増槽として250kg徹甲弾を搭載したものでした。

    発足したばかりの302飛行隊のF-35Aが消息不明とのこと、パイロットの
    無事を祈ります。

  11. 宮崎マンゴー より:

    小坪議員様、いつもお疲れ様でございます。
    ありがとうございます。

    御英霊の皆様へ御冥福御祈り申し上げます。

    二年前、知覧特攻平和会館にての想いが再び込み上げてまいりました。アジアと日本の平和を背負い飛び立たれて行かれた若き特攻隊の皆様の御姿と念が、今回の記事にて伝わり来ました。
    片道だけの戦闘機、正義を携えて突入して散りゆかれた特攻隊の方々の尊き命、魂、精神を我々は無駄にしてはなりません。何もなかった時代に簡素な金属の戦闘機でありながら
    、操縦席に乗り込まれ正々堂々と正義の先を見据え、あの日あの時大空へ向かわれた強き
    日本人の潔さを誇りに想います。
    人が途絶えた頃、平和の鐘を静かに突かさせていただきました…ありがとうございました
    お疲れ様でございましたの感謝の念を込めて
    。日本を平和へとお導きくださいませと。
    現状日本は、戦後74年、何を躊躇っているのでありましょう、何を怖れているのでしょう
    。確かに御英霊の方々、御先祖様のご意思を受け継いで来た筈なのに…
    日本人として生まれ来たことに誇りを思います。その日本に危機がそこに襲いかかっているというのに、まだ日本の誇りを持って立ち上がらないのでしょうか?
    この夏、再び出逢われましょう…蛍を。御英霊の方々、御先祖様の御霊です。頑張れ!と我々への光のエールであると存じます。我々が誇りある美しい日本を愛し護り続けていく様、毎年希望の蛍が現れ来られましょう。
    何も怖れることはございません…
    皇歴2679年の日本は、幾度の様々な危機を前にして、賢い民皆で戦い護り継いできたではありませんか。わたくしは、強き日本再生を願ってやみません。日本人として誇りたいです。信じたいです。立ち上がれ日本!祈

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