日本人なら知っておくべき、戦後動乱時の状況です。
朝鮮半島からの引上げにおいて、どのような悲劇を日本人は受けたのか。
日韓関係が「あるべき状況」に推移しつつある昨今、紙媒体で綴られた当時の情勢を振り返りたい。どれほど酷い目にあってきたのか、私たちは知る責務がある。
これは平成の世の私たちに託された、
先人たちの、戦中戦後世代からの贈り物です。
お恥ずかしながら、web上の拾い物から、、、となります。
当方において全ての書籍を購入し、それぞれ確認したわけではありません。
引用時における誤字脱字等、チェックしきれておりませんので、その点はご容赦を。
代わりに、検索できる限りの書籍情報を調査し、
存在が確認できるものはamazonのリンクを付すと共に、ISBN等の書籍情報を掲示しております。
実際にソースを確認したい方は、ISBNを元に図書館を利用するか、購入のちご自身でご確認をお願いいたします。
重要
せめて一度は、この「音」を聴いておいてください。
・ミサイル攻撃時の、J-ALERTの音源
・【マニュアル】武力攻撃やテロなどから身を守るために(内閣官房)
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(OGP画像)
朝鮮戦争の真実―元人民軍工兵将校の手記
朱 栄福著
そもそも朝鮮は、朝鮮側からの要望もあり日本統治され、
発展し、朝鮮人の寿命が伸びた事実があります。
戦時中は、共に戦いましたが、
日本が負けた事を知るとソ連の戦争参入に便乗して日本人を虐/殺したり、
日本人女性が強/姦されたりした事は、紛れもない史実です
台湾 にいた日本人は、台湾 人と涙ながらに別れて引き揚げて来ました。
しかし、朝鮮半島からは、「命からがら」逃げて来たのです。
終戦1週間前の1945年8月8日、
ソ連が日ソ中立条約 を破って対日宣戦を布告して満州と朝鮮に侵攻して来ました。
窓も門も開け放しのまま去った
日本人の空き住宅、商店、倉庫等にアリのように人間が群がった。
家財、衣類、食器、装飾物、楽器、娯楽品、靴、傘、書籍、自転車、
あらゆるものをかっさらい運び出すのに忙しかった。
町全体が怒鳴り合い、奪い合い、誰もが目を皿のようにして走っていた。
ある人はトランクを担いで逃げる。
皆走る、ぶつかる、ののしる、宝物を求めて、より大きい高級住宅に入る。
引揚げの惨事は北朝鮮 だけに起こったのではない。
南朝鮮(韓国 )においても、日本人に対し朝鮮人はあらゆる悪事を働いた。
北と南に民族性の違いはないのである。同じ朝鮮人、当然でしょう。
(書籍情報)
朝鮮戦争の真実―元人民軍工兵将校の手記
朱 栄福著
単行本: 454ページ
出版社: 悠思社 (1992/10)
言語: 日本語
ISBN-10: 4946424350
ISBN-13: 978-4946424359
発売日: 1992/10
正論 2005 年 11 月号
引揚民間人を襲った略奪・暴行・殺戮の嵐
北朝鮮で農業を営んでいた老夫婦は、年頃の娘二人を連れ、
辛苦のすえやっと38度線近くの鉄原にたどりついた。
そこで見たものは、日本人の娘が次々にまずソ連兵に犯され、
ついで、韓国の保安部隊に引き渡されて、更に散散にいじめられたうえ、
虐殺される光景であった。
朝鮮保安部隊の略奪と暴行は、残虐を極めた。
夜中に雨戸を蹴破って侵入してきたソ連兵は、
17 になる娘を父親からひったくるように連行。
娘は明け方になり無残な姿で、涙もかれはてて幽鬼のごとく帰ってきたという。
皆、ソ連兵を韓国人が案内したのだった。
部落ごとの保安隊の関所では、厳重な身体検査が行われ、
金や着物や米などが取り上げられた。
一糸まとわぬ姿にされ、取調べられた若い女性もあった。
城津での惨状は言語に絶した。韓国 人の男女が数十名の団体で押しかけ、
干してある洗濯物から赤児の着物まで剥ぎ取って掠奪され、
あげくは婦人の「提供」を要求した。
(書籍情報)
正論 2005 年 11 月号
ASIN: B008X42I4Q
発売日: 2005
寸法: 21.4 x 14.6 x 1.8 cm
生きて祖国へ〈5(朝鮮篇)〉死の三十八度線
引揚体験集編集委員会編
日本敗戦後一年が過ぎても北朝鮮 内の日本人の移動は禁じられていた。
筆者のグループは賄賂を使ってトラックを雇い南朝鮮への脱出を決行する事になった。
昭和21年9月中旬、朝鮮警察のトラックを使用する。
料金は一人千円ということで、赤ん坊も含めて、私は六千円を支払った。
市辺里で全員トラックから下ろされ、後は徒歩になったのだが、
牛車が2台待っていて使用を強制され、荷物を載せて身軽で歩いた。
牛車代は多額が要求され、次の部落では次の牛車に載せ替えられて
また金を巻き上げられる。山の中腹に煙が見えた。
そこはチゲ部隊の交替地であった。
もうこの頃には、醵出する金は無くなっていたが、物でもいいと言われ、せっかく、
わざわざここまで運んできた物を大部分取上げられてしまう。
稜線まできたチゲ部隊に、
「こんな少しばかりで、お前ら、日本へ帰れると思うのか。もっと出せ出せ!!」
と威かくされ、残りの物まで投げ出し、疲労困憊の老幼男女は、狂気のように
この38度線の山稜を駆け下る。
(書籍情報)
生きて祖国へ〈5(朝鮮篇)〉死の三十八度線
出版社: 国書刊行会 (1981/06)
ASIN: B000J7X8U8
発売日: 1981/06
寸法: 20.4 x 14.2 x 3.6 cm
私の三十八度線突破記録
梶山緑
文坪の町も日に日に治安が悪くなっていた。
しばらく鳴りを潜めていた朝鮮過激分子の跳梁が始まってきた。
元山でも朝鮮人が暴徒と化して、日本人経営の店や住宅にまで押しかけて
暴行、略奪を始めたという噂が入ってきた。
ソ連兵は保安隊員の先導で日本人の住宅地区にやってきて、
家中を物色しありとあらゆる家財道具を略奪し始めた。
その内のめぼしい物がなくなってくると今度は、
「女!女!」と言って若い女性を連れ出すようになってきた。
私達若い女性は、頭髪をぷっつり切り落とし丸坊主になり、
貧しい男の子のように薄汚れた服を着るようにした。
ソ連兵や保安隊員が来ると、いち早く床下に隠れたり、
前もって準備して掘った穴に身を潜めた。
・・・私の三十八度線突破記録 梶山緑
(書籍情報)
こちらは書籍としては刊行されているかは不明。
平和記念展示資料館(総務省委託)において、以下のようにpdfで公開されていた。
http://www.heiwakinen.jp/shiryokan/heiwa/12hikiage/H_12_356_1.pdf
韓国・朝鮮と日本人
―韓国・朝鮮人の嫌いな日本人 日本人の嫌いな韓国・朝鮮人
北鮮に入って来たソ連軍は、満州におけると同様、
略奪、放火、殺人、暴行、強/姦をほしいままにし、
在留日本人は一瞬にして奈落の底に投じられる事になった。
白昼、妻は夫の前で犯され、
泣き叫ぶセーラー服の女学生はソ連軍のトラックで集団的にら致された。
反抗したもの、暴行を阻止しようとした者は容赦なく射殺された。
ソ連兵に触発された朝鮮人の暴行も多かった。
富坪の避難民3000名中、その半数が死/亡した。
一日も早く引揚げさせてくれという要望はソ連軍当局によって無視され、
日本人はただただ餓死を待つよりほかない状況に追い込まれた。
在留日本人社会では「38度線さえ越えれば」というのが唯一の悲願となった。
やせこけた身体に乞食のようなボロ をまとい、
山を越え谷を歩き強盗にささやかな所持品を奪われ、歩哨の銃弾に倒れ、
人々は南に辿り着いた。
(書籍情報)
韓国・朝鮮と日本人
―韓国・朝鮮人の嫌いな日本人 日本人の嫌いな韓国・朝鮮人
若槻泰雄(著)
単行本: 347ページ
出版社: 原書房 (1989/10)
言語: 日本語
ISBN-10: 4562020733
ISBN-13: 978-4562020737
発売日: 1989/10
商品パッケージの寸法: 19.2 x 13.2 x 3.2 cm
「大東亜戦史 8 朝鮮編」
池田佑編 富士書苑
悪夢のような数日の怒りがこみ上げてくるのであろう、
「畜生、ロ*ケのやつ」「山賊朝鮮人め!」髪を振るわして、
朝鮮人の顔役がズラリ顔をそろえてやって来て、打つ、蹴る、殴るの「見せしめ」が始まる。
この日も悪い奴がやって来た! と思ったが、炊事当番の人々が知らぬ顔をしていると、
「負けたくせに生意気だ」と食って掛かって来た。
あまりの雑言にきっと目をすえると、「これでも食え!」と言いざま、
足もとの土砂をすくって、パッと味噌汁の鍋にたたきこんで逃げていった。
久しぶりのご馳走というので、窓、窓には笑顔が並んでいたが、
この光景に、窓の表情はたちまち青ざめた憤りに変わった。
今日もまた「命令」と称して朝鮮人のトラックが乗りつけて来た。
カーキー色のものは服といわず靴といわず、一物も余さずかっさらって行く。
これらは軍需品だから没収するというのである。
これから寒さに向かうというのにシャツ1枚でも無駄にはできない、
その貴重品をトラックに山積みにして今日も引揚げていく。
避難の人々は、最後の1枚を没収されないためにチエを絞り出した。
明日もまた現れるであろう没収団の為、有り合わせの染料で他の色に染め変えてしまった。
その翌日、朝鮮側の命令は例のとおりやってきた。
一同は一夜で変わった黒や青色の服で列を作ったが、
予想に反して今度は服装には目もくれず、意外な命令が言い渡された。
「今度は一切の所持金を提出しなければならない。
もし、この命に違反し、一銭といえども所持していることが後で分った場合は銃殺される。
では、本日ただちに提出するように」有無を言わせない強制処置である。
今後何か月かかるか分らない長い苦難を前に、金こそは命の綱である。
その命の綱を一銭残らず供出したら
――今までに子供がおなかをすかせれば芋の一つも買ってやれたのに、
無一文は死の宣告も同然である。
しかし、銃殺で脅かされた一同は、泣く泣く最後の一銭までも提出してしまった。
その夜、カユをすすった避難民一同は絶望の中に寝られぬ夜明けを迎えた。
その朝も、恐怖の的である命令が来た。
1日1日この命令で心臓を締め付けられてきた一同は、
伝令の姿が現れると、もうそれだけで体が震え出した。
「命令」冷厳な、その命令は疎開本部代表に針のような鋭さで伝達された。
「17歳以上、50歳までの男子は、ひとり残らず軽装で集合せよ」
十分の猶予が与えられて男子は校庭に集合した。
この部隊はそのまま朝鮮保安署に連行された。
残された婦人たちは「いつもの使役だとよいが…」と冷たい雨の中を去っていく
男子部隊をいつまでもいつまでも見送っていた。
この雨中の別れが、長い長い別れとなった。
この男子部隊はその夜、移駐を命じられ、遠くシベリア送りとなったのである。
(書籍情報)
大東亜戦史〈第8〉朝鮮編 (1969年)
池田佑編 富士書苑
417ページ
出版社: 富士書苑 (1969)
ASIN: B000J9E2V0
発売日: 1969
商品パッケージの寸法: 19.6 x 16 x 3.4 cm
<紙の力>
ネット全盛の現代でありますが、紙には紙の力がある。
書籍として刊行されれば国会図書館に収蔵され、かつISBNを始め付番が振られます。
いまでは入手困難になった物も多数あるかと思いますが、
それでも、困難であったとしても、それでも。
どこかの屋根裏、倉庫に眠っているのです。
少なくとも国会図書館には、一冊は存在する。
一度、発刊された書籍。
「紙」を全てなかったことにすることは、極めて難しい。
かつて独裁者ら、また近代においては共産主義者らが「焚書」を行いました。
それほどに紙には紙の力があるのです。
<紙の優位性>
スマホと異なり、電池がなくとも機能を満たせます。
パソコンより軽く、携帯性に優れ
パソコンより衝撃に強く、頑強な情報メディアであり
発火しない限りは熱への耐性も強く、「機能」を満たす。
冗談で言っているのではありません。
これは本気で言っております。
理系の、元技術屋として、事実として本心から述べております。
特に、ソースとする場合は優位である。
ブログ等の電子媒体と異なり、「誤字修正」すら受け付けぬ。
出版社・著者ともに法的責任を負う。
出所が確かで、追跡可能であり、
かつ、確認の手段は(ネットメディアに比較し)煩雑とは言え、誰しも確認が可能。
紙には紙の、優位性がある。
<先人からの贈り物>
日本人なら知っておくべき、
戦後動乱時の状況です。
書籍情報をご覧ください、どれほど古い本をソースとしているかを。
カテゴリが古書となっているものもある。
これは平成の世の私たちに託された、
先人たちの、戦中戦後世代からの、贈り物です。
我が国には、祖先がおります。
誇るべき祖先がおります。
いまの世を生きる者として、
多くは鬼籍に入ったやも知れませんが
先人らの思いを、託された物としてしっかりと受け取りたく思う。
<孤独な戦いであったと思います。>
左派メディアが全盛、ネットの援護もない時代。
見向きもされずとも、記した先人たちがいる、著者の意地。
多くは採算を度外視して刊行されたのであろう、出版社の意地。
戦場に倒れた戦友を思ってだろうか。
戦火に焼かれた家族を思ってか。
孤独な戦いであったと思う。
それら出版社の意地、執筆陣の意地。
報いるため、いま私たちができることやろう。
それぞれの立場で為すべきことを為そう。
為すべきことを必死に行った先人らが、私たちにはいるのだから。
時代を超えて、一人じゃない、と。
孤独じゃないと、ありがとうと、思いを込めて。
一人でも多くの方に、血の滲むこれらのテキストを伝えるため。
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一歩、前に出る勇気。
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【支援要請】戦うための、武器をください。
最後に。
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記事を書くたび、こちらでも投下します。
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コメント (頂いたご意見は、他SNSに比較し最優先で目を通しております。)
敗戦時に朝鮮人から受けた酷い仕打ちは、度々ネットで目にしています。
昔、中国残留孤児の番組がテレビで何度も放送されていましたよね。
終戦の混乱で生き別れた肉親を探す、というお涙頂戴番組。
子供心に、なんで中国にだけ残留孤児がいるのだろう?
朝鮮からの引き揚げも大変だったと聞くのに?…と不思議でした。
凄惨な事になっていたと知ったのは、ネットが普及してから。
朝鮮で生き別れた日本人孤児が生きていられるはずもない…。
併合中は日本の威光で中国で暴れ、敗戦した途端裏切り牙を剥く。
朝鮮が韓国と名前を変えても、本質は変わっていない。
確か、38度線から北と南で戦後引き揚げの際に受けた仕打ちがかなり違ったとゆう話が出ていたと記憶しています。
北のソビエト連邦、南の米国。
南から引き揚げた方達は、其なりに色々あったでしょうが北からの引き揚げ者よりは幾分マシだったとも。
だからといって、半島からの引き揚げは物凄く大変であったであろう事は、幼き時に祖父母より聞いておりましたけど…… 。
私は日本が半島を併合した事について何も言う立場でもありません、何しろその次代の人間ではないので「何が間違いか?」なんて言えませんもの。
南モンゴルの司令官と満州の司令官では、大きむ異なっていた。
南モンゴルの司令官は、国民を全員返すのが軍人としての使命だと悟って、武装解除に応じず帰還作業を進めた結果、大勢の国民が日本の土を踏んだのです。ところが、満州の司令官は、武装解除に従ったがためにロシア兵、朝鮮人の餌食なり、命からがら逃げまどって来たもの、命を果てた者、強姦された者、その姿は大きく異なっていたとのことでした。
軍人の使命は、国民を日本まで安全に帰還させることなのです。(この事は、自衛隊の教育で伝えていただきたいと思います。)
また、南モンゴルの司令官は、蒋介石の助けにより無事帰還され、その恩義に報われるように、GHQの目をかいくぐり、台湾に渡り、中国共産党軍の侵攻を止めた軍神がおりました。
だからこそ、日本は、台湾との同盟を締結して互いに守り抜く覚悟実行が必要です。
だからこそ、日本の総需要の拡大を図り、プライマリーバランスの枠を廃止し、GDPの拡大を図り、更には安全保障費2%以上にしないと、中国の属国化は免れません。
それにしても、政治家の勉強不足が日本を危うくしています。
財務省の緊縮財政至上主義は、省益であって、国益にはなりません。
改善を要求したい。
まだ、子供だった頃の時分に祖母が「戦争のときはね、本当にひどいもんだったよ」と満州からの引き揚げの苦労を一言言ったときがありました。また、知人の先祖も朝鮮半島の北側から引き揚げるときに、言葉にできない非道なことを受けたことも聞きました。本当に被害を受けた場合は自ら軽々しく言うものではないのです。それが真実だと思います。
敗戦後、GHQ の占領下で警察官さえ武器の携行を許されていなかった日本各地で俺達は戦勝国民と日本人の土地を奪い、命を奪い、婦女子を蹂躙して蛮行の限りを尽くした朝鮮人。ネットには時々、小さい時から祖父母に話を聞かせられてると言った書き込みを見ます。この人達が捕らえられもせず送還されもせずに通名を名乗って日本人に紛れて日本に居座り続けました。口を開けば差別が?と被害者ぶりながら、また何の為なのか、さっぱり理解できないヘイト法が出来てからは口を開けばヘイトが?です。加害者のくせに。
警察官さえ襲われ酷い目に合わされていた状況の中で田岡組長など任侠ヤクザの方達だけが朝鮮人に為されるがままだった日本で随分と朝鮮人成敗して頂いたようです。田岡組長の本は多分もう絶版だと思います。断片ですが見つけたものです。半島から引き揚げる日本人が受けた地獄の仕打ちについては国会議事録にも残っています。先生方は、お読みになるべきです。と言うのは、韓国にも沢山の日本人が居ますし、日本には日本人になら何をしてもいいと躾られたのか、教えられたのか、半島人が北朝鮮の拉致被害者みたいに自由を制限もされず、帰国を阻まれてもいないのに、しかも生活保護で食みながら何十万人も暮らしているからです。ネットで日本と日本人を口汚く罵りながら。
「田岡一雄自伝 電撃篇」(田岡一雄 一九七一年初版 徳間書店)より引用
敗戦、その日のうちに神戸は修羅場と変貌した。敗戦の報に茫然自失する市民とは対照的に、これまで過酷な労働で軍部から抑圧されてきた第三国人たちは欣喜雀躍とし、略奪、報復の火蓋をきったのである。
その日の午後七時。
徒党を組んだ三国人は国鉄深川駅構内の貨車を襲って配給物資を強奪。これを皮切りに市内随所で襲撃略奪事件を起こし、婦女子を暴行し、わがもの顔に跳梁しはじめた。
終戦当時、国内には二百万以上の三国人がいたが、とくに兵庫に多く、昭和一八年に一三万五千人、
四八都道府県の七%強を占め、大阪、東京につぐ三位という勢力をもっていた。三国人たちは闇市を掌握して巨大な利益をあげ、徒党を組んでは瓦礫と焦土の神戸の街をのし歩いた。通りすがりの通行人の目つきが気に食わないといっては難くせをつけ半ゴロしにし、 無銭飲食をし、白昼の路上で見境なく集団で婦女子を暴行する。善良な市民は恐怖のドン底に叩き込まれた。
彼ら不良三国人は旧日本軍の飛行服を好んで身につけていた。
袖に腕章をつけ、半長靴をはき、純白の絹のマフラーを首にまきつけ、肩で風を切って町をのし歩いた。 腰には拳銃をさげ、白い包帯を巻きつけた鉄パイプの凶器を引っさげ、略奪、暴行をほしいままにした。 警官が駆けつけてきても手も足も出ない。
「俺たちは戦勝国民だ。敗戦国の日本人が何をいうか」
警官は小突き回され、サーベルはヘシ曲げられ、 街は暴漢の跳梁に無警察状態だ。
昭和二〇年八月末、わたしは所用の帰途、女の悲鳴をきいた。人通りもすくない東山病院の裏手である。白熱の太陽がキナくさい焼跡に照りつけていた。一瞬、ぎくりと立ちどまり、悲鳴のあがる方角に走った。
途中で四、五歳の女の子が泣きながら夢中で駆け寄ってきた。
「どないしたんや」
「おかあちゃんが、おかあちゃんが」
少女はわたしに泣きじゃくりながらしがみつく。
この世のものとは思えぬ女の狂気じみた悲鳴がきこえつづけていた。
「ここにいるんやで。ええな」
私は少女をその場において一目散に走った。
少女の母親は木立の中で数人の男に犯されていた。飛行服の、朝鮮人の男たちだった。
彼らは不適な薄ら笑いで女の手足をおさえつけ、一人がその上に乗っている。女は狂ったように絶叫していた。
<汚ねえ・・・・>
うめくと、わたしは遮二無二彼らに突進していった。
昭和二一年二月、神戸生田署の岡政雄巡査部長が彼らに拉致されて暴行サツ害され、同年四月、須磨署佐藤進巡査部長がやはり彼らの手によって射殺された。そればかりではない、警察の威信を根底からくつがえす不祥事さえもちあがった。すなわち不良朝鮮人三百余人は兵庫警察署を襲撃し、署長はじめ幹部署員たちを人質として電話指令交換室を占拠したのである。
**********************************************************************
共産党は2016年9月13日からの警告を無視し続けましたね。
ならば、下記は決定事項と承諾したものと見做します。
・『テロを利用する共産党』
・『テロリストの味方である共産党』
・『テロに屈する共産党』
**********************************************************************
あの当時、8万5230名の日本人は生死不明のまま、朝鮮からの引揚げは昭和23年春に打ち切られた歴史があります。
米軍による軍政が敷かれた38度線以南と、ソ連の占領統治体制が敷かれた以北では、残留日本人の命運は雲泥の差であった事は容易に想像出来るでしょう。
昭和20年9月9日朝鮮総督府は連合国に対して降伏し、これまでに朝鮮総督と朝鮮軍(大日本帝国陸軍朝鮮駐屯軍)司令官によって朝鮮に自治権が付与され、これに併せて朝鮮人によって朝鮮人民共和国の設立が宣言されました。
ですがこれは連合国によってアッサリと拒否され米軍によりアメリカ軍政庁が設置され、続いてソ連軍占領地域ではソビエト民政庁が設置されています。
余談ですが、若しこの時朝鮮が敗戦国で無かったのであれば、この時朝鮮人民共和国が正式に発足していた筈ですが、明らかに連合国の敵国であった為、連合国による占領統治を受けています。
この経緯は朝鮮人が敗戦国人であった事を明白にする良い一例でしょう。
アメリカ軍政庁の方針が敵国人である日本人の朝鮮からの一掃であったのに対し、ソビエト民政庁の方針は分かり易く言えば日本人の奴隷化でした。
日本統治下に於ける朝鮮の工業化は、その冬期の気候の厳しさから半島北部を重点に行われて来ました。
ABCD包囲網により石油が入手出来無くなった事に対処する為に、液化石炭から人造石油の生成が行われていたのも半島北部の阿吾地や永安でした。
因みにこの人造石油生成の例は、数十万人もの慰安婦を連れ去ったと言う主張を覆す根拠の一つに成り得るでしょう。
人造石油を生成しなければならない程に追い込まれていた我が国にとって、数十万人もの慰安婦を輸送する為の余剰燃料など無かったのですから。
戦中、戦前のイメージとして我が国は立ち遅れていた様に思っている方が結構おられますが、これは間違いで大量生産に至らなかった為に一般に普及出来なかったと捉える方が適切です。
事実、帝国海軍の潜水艦には既に蛍光灯が採用されていましたし、レーダーも一部の海軍艦艇に装備されていたのが良い一例でしょう。
この様に世界水準で見れば最先端の技術を、当時の我が国は保有していたのです。
この技術を犯罪者とテロリスト、乞食ヤクザで構成された共産国家が見逃す訳も無く、当然接収などと尤もらしい理由を付けてソ連は日本の資産や技術を根こそぎ略奪しました。
勿論、その財物には日本人女性の性も含まれています。
かと言って設備や資料を巻き上げても、朝鮮人や低能な共産主義者共が直ぐに運用出来る筈も無く、結局日本人を抑留し強制的に使役しています。
つまり、38度線以北は日本人を如何にして帰さずに消費するかに注力したのです。
対し38度線以南では日本人の財産を没収する等、国際法的に問題のある行動も多々見受けられますが、ソ連占領地域から脱出して来た日本人を保護したりもしていますので、同じ地獄でも大きな隔たりがあったのは事実です。
そしてこの地獄を助長したのが、事大民族朝鮮人の存在です。
事例一つ一つを見ればケース・バイ・ケースではあますので、日本人を匿った朝鮮人や無料で診療した朝鮮人医師なども存在するにはするのですが、その様な朝鮮人は35年間の日本統治下に於いてほぼ脱朝鮮人化していた逸材としか判断出来無い程、朝鮮人の振舞いは目も当てられないものであったのも事実です。
これらの事実を一つ一つ紐解いて行けば、アカやパヨクの主張が如何に非科学的で、非現実的であるかが幼児でも分かる筈です。
韓国朝鮮の野蛮人はむかしも今も全く変わっていない。この野蛮な心は二千年以上に渡る属国根性で歪められ、精神的にも肉体的にも今後変わることは一切無いことを日本国民はいい加減肝に銘じて、彼らとは一線を画すことに専念した方がよい。
優しい日本人の譲歩や妥協が野蛮人に付け込まれて揺すりタカリと金品や財産、そして在日特権などの差別利権で搾取され続け、馬鹿扱いされてきたのであるが、もうそろそろ反撃に出ようではありませんか?
戦後丸腰の7年間、日本国内では韓国朝鮮人による残虐非道の限りを尽くされ、その貸しは返してませんよ。
知ってください。昨今の韓国の状況は日米中露から見放され、事大主義でしか生きられない朝鮮野蛮族の惨めな醜態がそこかしこに露わになってきましたね。どうやら統一と張り切って北朝鮮の広報官としてきた文在寅も梯子を外され、3.1独立式典は一緒に祝えないと通告されたらしいじゃないですか。南の韓国村では火病患者による暴動が各地でオッパジマリ、収拾がつかなくなりそうですね。
さてこれに連動して在日韓国朝鮮人や反日左翼が日本国内で最後の悪あがきを始めるかもしれないテロ行為をするかもしれない。インフラを破壊するのか、または人質をとるのか、無差別テロか。
やられる前に先手を打ちたいので、不穏な状況が近づいたときはこれ以上の入国は遮断し、必要に応じて国外退去処分でしょうか。収容所に収監でしょうか。渡航規制も帰国命令も即断ですね。
被害が出て、犠牲者が出て初めて動けるというのでは遅いのではないでしょうか。
テロ対策や反日征伐工程は政府がシュミレーションできてると思いたい。
嵐の前の静けさにあって、政権安定が大事な時期ですが韓国の挑発や野党の揚げ足取りで国民が踊らされてます。
自民党に代わる政権与党はないと思ってますので、各大臣の発言も大局を見極めたうえでのことと思いますので少しの失言に一喜一憂せずに落ち着いてほしいです。
保守分裂を狙ったTV局の切り取り編集、報道には悪意があり、メディアが国民を牛耳りたいということの表れではないでしょうか。民主党の悪夢の3年3か月と同じ穴のムジナである。
国民が豊かで健やかな生活をすることは本当は望んでないないのでしょうね。
国民は嘘情報に騙され続けろと言ってるのです。
TVでは韓国朝鮮系や左翼御用達コメンテーターの捏造偏向報道や事実歪曲を垂れ流し、TV局上層部の意向に沿った意見を間抜けなサラリーマンキャスターや局アナも同じようにどこかの勢力に忖度したような切り口で報道するのでウンザリします。そして国会での野党発言ばかり取り上げ、政府の怠慢だと誘導工作し洗脳するのである。真実を伝える気などサラサラないのですね。
与党政府を姑息に陥れ、さらに言えば来る選挙に向けて自民党のイメージダウンを毎日毎日放送しているのです。立憲民主党や日本共産党の不祥事はほとんどスルーです。
TV局は財務省の提灯持ちと聞いてますが消費増税の宣伝部隊として自民党を牽制してるのでしょうか。
メディアは政府の権力を監視する役目があると勝手に思い込んで得意満面でTVのまえのお花畑さんを虜にしております。
自分がよく利用する床屋ではお年寄りがほとんどで、いっつも床屋のオーナーはサンデーモーニングを点けてます。お客さんは戦争を知る世代とは思いますが、コメンテーターの話に食いついて観ておりました。お年寄りはTVが真実。新聞が真実。戦争の真実を捻じ曲げられ教育された最初の世代でもあると思いますが、本当のところ胸の内はどうなんでしょうか。
戦後の朝鮮人の蛮行はたぶん知ってると思いますが、口に出すのもはばかれるほど自制があるのかもしれません。なので近所のおじさんに朝鮮人の話をすると閉口してしまいました。
また近所のおばさんも熱烈な小沢一郎ファンであの物怖じしない語り口調に騙されてるようでした。いやあの当時は皆騙されていたのでしょう。
最近はTVには出ないので昔の幻想のまま時は止まってるのでしょう。あのもてはやされた時代の小沢一郎の記憶のままなんでしょうが、じつは岩手の奥さんにも見放されるほど薄情者というのが実態なんですが説明しても理解できないでしょう。韓国で日本の悪口をいう不届きものなんですがね。昔の民主党で今の立憲民主党も国益無視の日本下げ素人集団で悪夢の黒歴史といわれてます。
やはり出自が半島系では無理もないので議員資格の見直しが急務ですね。
真実をすぐにでも共有したいですね。
NHKが真実を語れば話は早いのですが、国体破壊放送局ナンバーワンですのでNHKが解体されればお年寄りたちもなぜ解体されたかに興味を示してくれるのではないでしょうか。
話はだいぶ逸れましたが、これ以上韓国朝鮮人をあまやかしてはいけません。
かれらはまた残虐性をみせ日本人に牙をむくのは明らかです。
永遠に日本人を恨むと宣言しましたから。親世代の恨みは子世代に受け継がれるというキチガイの発言がつい最近ありました。親の罪は子供にも罪として受け継がれると言ってました。
罪の継承だそうですが、そもそも罪など在りませんのでキチガイこそ罰を受けるべき時がきました。奈落の底へ落ちてゆく惨めな嘘つき韓国朝鮮人を見届けてあげましょう。
太平洋戦争犠牲者遺族会ヤン・スンイム(写真)会長は25日、世界日報との通話で「太平洋戦争犠牲者遺族会と大韓民国対日民族訴訟団は明仁日王の先に謝罪し、後に譲位するために明仁日王の訪韓招待を宣言する予定」とし、「万一、これ(謝罪)を実行せずに譲位が履行された場合、日王家の責任と悪業を再びナルヒト(徳仁)皇太子に相続されることを明らかにするだろう」と述べた。
小坪先生、情報ありがとうございます
>時代を超えて、一人じゃない、と。孤独じゃないと、ありがとうと、思いを込めて。
>一人でも多くの方に、血の滲むこれらのテキストを伝えるため。
>FBでのシェア・RTをお願いします。
拡散!拡散!拡散!いたします・・・
閑話休題・・・・
一言!韓国朝鮮人、ちょうしにのるなよ!と・・・
そして、在日朝鮮人のかたがたよ、日の丸を愛し!君が代を斉唱し、天皇陛下への敬愛の気持ちがある人々は帰化をして、日本人になりましょうよ!そうでない人たちは、どうぞ、朝鮮半島におかえりください!・・・とだけいいたいですね。
小坪議員いつも本当にありがとうございます。
本を調べて、買えるものがあったら買います。
たった1冊でもあるのとないのでは、大違いですからね。
いきなり色々とやろうとしても無理ですから、本当にわからないくらい小さなことをやっていけばいいのです。朝鮮人は、70年以上かけて頑張って残虐不法の限りを日本人にやってきました。彼らが全力を尽くして努力してきた事は実を結びそうで結びません。かえって滅びの時間を大きく早めました。この勢いはありがたいことに止めようがありません。
なにかの書物で読みましたが、「この戦争に負ければ、日本国は500年は大変なことになる。」とその当時の軍人の方が遺言に書いていたように記憶しています。それをたったの
70年ほどで取り戻せそうなのですから、日本というものは大したものだと私は思います。自分の先祖は本当にすごすぎると思います。ただ、その影には多くの弱い立場の日本人がたくさん殺され美しい女性たちも強姦をされ、子孫たちは未だに差別を受け続けているという事実を私はしっかりと受け止めたい。
朝鮮人のことは朝鮮人で決めれば良いと思います。幸いユダヤ人のように国がないわけではないのですから、自分たちの国に帰って、それなりに幸せな国を造っていけばいいのではないかなと。(私は朝鮮人の一部の考えには大賛成ですよ。差別はいけない。あなたたちは自分の偉大な国がある。)
また朝鮮人に感謝するとしたら、「朝鮮人でもがむしゃらに頑張れば70年間くらいは好き勝手できる。」ということが分かったということ。私たちは、日本の近代史の日本の黒歴史をしっかりと受け止めないといけない。受け止めて事実に目を向けるだけで、自分の身体、財産、子孫たちを守ることができ、さらにより良く繁栄することができる。
今回のブログ記事の本は、一粒の稲(米)ようなもの。あっという間に実って爆発的に増えて広がっていきます。事実が広がるだけで、彼らは滅んでしまいます。洗脳があっという間に消えてしまいます。
話変わりますが、余命本のシリーズで、「この本読んでみる?」とお勧めして素直に受け取った人には感謝されましたが、最初から「この本は読まない!」などと頑なに拒否した人からは嫌がらせを受けたので、一種の踏み絵のような効果がありました。
今回の本は、入手できたら、余命本で感謝された人にだけそっとお薦めしようかなと。もしくは「こういう本を読んでいて、色々と考えさせられた。」と感想を述べるだけにしようかな。なかなか読むのも苦しいと思うので。私ができることはこういう本を読んで、涙を流して、先祖に手を合わせることくらいですが、それでも何もしないで無知でいるよりはいい。
ふざけるような記述で申し訳ないのですけど、
これらの書籍とともに、スヒョン文書と花王文書もセットでお薦めです。
(頭を冷静にする為、感情的にならないため、用心するために定期的に読むようにしています。そのあと、日記に「日本人でよかった。これからの日本は、もっともっと良くなる。私たちの子供や孫はもっと幸せで楽しく生きていくことになる。」と日記などに書いて、心を浄化しています。)こうやって心を鍛えていくと、お花畑思想にならないので本当にお薦めです。
貴重な資料をエントリーしていただき有難うございます。
しかし読むのは2度目ですが、恐ろしくてなかなか読み進むことができません。
いつも「朝鮮人は日本人に何をしたか」の真実を明らかにするべきだ、と考えているにもかかわらずこの情けない精神。
もしかしたら、こういう弱さが広く日本人の中にあって、それが朝鮮人の蛮行をタブーにしているのかもしれません。
残虐極まりない朝鮮人を絶対的な被害者にしている日本人は、完全に狂っています。
あまりにも長い間隠されてきた問題ですが、いよいよこれから暴いていく時代です。
これからも小坪さんの活動に大いに期待します。
私の伯母は満州に居りましたが終戦時、短刀で自害したと聞いております。ロシア軍がやってきたのだろうと、手引きしたのは朝鮮人か。強い胸の痛みを覚えます。日本人が子々孫々二度と同じ苦しみを受けることが無い様、しっかり伝え続けたい。
本の紹介ありがとうございます。
この事実に怒りと無念でいっぱいになります。
日本人が受けた被害の歴史を伝える書籍から、私たちは学ばなければなりません。
大手メディアも教育界も、これらを無きものにして来ました。
草莽の私たちが口コミやSNSで広めていきましょう!
百田尚樹さんの「永遠の0」も口コミで広まりました。
私は、故児玉清さんがあるテレビ番組の本の紹介コーナーで、
絶賛しておられたのを見て拝読しました。
児玉さんは、この本が大手メディアで取り上げられないことを
とても残念がっておられました。
ちなみに最近職場の企画で、各自がおすすめの本を紹介することになり、
私は「永遠の0」の他、次の本を出しました。
「世界がさばく東京裁判 −−85人の外国人識者が語る連合国批判−−」
佐藤和男監修 (明成社:改訂版)2005年
若い世代の方から理由を尋ねられ
「私は小学生の頃、東京裁判はおかしいんじゃないかと思ったんです。」
と答えると、
「え、どうして?」とぽかんとしておられました。
数分の時間では伝えられませんでしたが、
これまでの「常識」という池に、ささやかな波紋を投げかけることが
できただけでも嬉しかったです。
小坪議員お疲れさまです。
体験談涙して読みました。
こういう体験をしないよう「慰安婦」があったのだと聞いたことがあります。慰安婦は「商売」ですから。北も南も残虐さは同じ人間とは思えません。中国大陸でも引揚者はいましたよね。残留孤児が多数いましたが朝鮮半島では聞きません。たしかに子供でも「働き手」として利用したけど、殺さずに養ってはくれました。勿論ひどい仕打ちを受けた子供もいたでしょうが、大半はまともだったようです。では振り返って朝鮮半島には「残留孤児」はいません。何故でしょう?そう、朝鮮半島には「鬼畜」しかいなかったからです。今でも「滅ぼせる」なら滅ぼしたいです。
こんな醜悪な民族と何故、国交正常化しようと思ったのでしょうか。
日韓基本条約すら遵守出来ない、未開な後進国。
国内に五十万人もいる在日コリアンの存在も恐怖でしかありません。
一日も早く日韓断交となるよう、日本政府には韓国人の反日感情を煽る経済制裁を展開していって欲しいです。
朝鮮戦争で貧困に陥っていた韓国にアメリカが関与させようと促したのかも知れませんが、何と言っても竹島漁民を取り戻す為だったでしょうね。抑留が始まってから既に13年経っていましたから。
竹島漁民を人質にされていた日本は朝鮮とは戦争して無いので賠償の必要は無かったのにも関わらず、無償を含めた経済協力金を8億ドルも韓国に与えています。当時、日本の外貨保有高20億ドル程度だった時代です。
紙媒体などの紹介は役立ちました。内容については間違いないと考えてよろしいですか?また、何かエビデンスを示せとなった場合は、議員の発言と共に紹介する事は構わないでしょうか。
ここで紹介された書籍はあちら側の人達に取っては都合の悪い物なのでしょう。念の為現在手に入るものについては、値段の折り合いが付くものについては購入しました。図書館に蔵書されているものについては密かに破棄されたり、汚損や焚書されないよう願う。
小坪さん、毎日ありがとうございます。
貴重な資料の紹介をありがとうございます。
「本」にするというのは大事なことですね。
ここに来られる皆さんの、改めての憤怒の感情がフツフツと感じられますね。
あいつらを絶対許さへんぞ、と。
明日のトランプ会談はどうなるんやろ。心配やなあ。
とにかくあちらの人とはこれからもできるだけ関わらんようにしたいですね。
「竹林はるか遠く」も、思い出しました。半島の凶暴性をときどき忘れそうになる鈍い人間ですが(汗)、小坪市議のおかげで再認識できました。むごい過去の現実ですが、成人の日本人であれば目を背けてはいけないのでしょう。
ネットで検索すると、朝鮮人が終戦直後の満州や朝鮮や日本で日本人に対して暴虐の限りを尽くしていた事実が山のように出てきます。
テレビや新聞はこれらの事実をほとんど報道しませんが、すでに多くの国民がその事実を知っています。
なぜテレビや新聞などのメディアはそういう歴史の事実を報道しないのでしょうね?多分関西生コン事件を報道しないのと同じ理由で報道しないのでしょう。
現在、ベトナムでは米朝首脳会談の真っ最中です。アメリカ政府は朝鮮戦争の終結を宣言し、いずれ在韓米軍は韓国から撤退するでしょう。
韓国にも日本のメディアにも、戦後の日本人への落とし前を付けてもらう時が近付いているようです。