たまには硬派なことも書いておこうと思う。
ネット受けするような記事を書いてしまった後は、
アクセスが集まるのは嬉しくはあるのだけど、
そこはかとない虚しさも漂う。
子供の日、端午の節句を祝うような記事ではないが
今日、この日、「大人たち」に申し上げておきたいことがあります。
※本エントリは、行橋市議として行った研修視察、その調査レポートをベースに加筆修正したものです。
市に特化した部分は削除・縮小、特に訴えたいテーマに関しては加筆、またブログ用に改行・段落構成を変更しています。
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調査研究報告書 調査概要
~第9回全国市議会議長会研究フォーラムin岡山
第9回全国市議会議長会研究フォーラムに参加した。今回の開催地は岡山県であった。同フォーラムは、一年交代で西日本・東日本で開催されている。日頃は知り得ない、他府県の地方議会の動向を知ると共に、その雰囲気を知ることができた。
今回の講演において特に注目されていたのは、「自治体が消滅する」という人口減少の話であった。あまりに有名な試算であるが発表した本人自身が講演をし、質疑応答も含め直接行うというもの、質問者・パネラーも含め非常にレベルが高い。会場の熱気、つまり地方議員らの雰囲気も凄まじく真剣なもので、全国の議員が真剣に取り組む様を直接見ることで、行橋市議会も負けてはいられないと私も強く奮起を促された。
しかしながら、やや冷ややかな目で講演を見ていた部分もある。
私は、29歳で出馬(一度目は惜敗)二度目も同じ政策テーマを掲げて出馬したているが、「やっとなのか」という思いもあるためだ。製造派遣をはじめ、若者のワーキングプアの問題は深刻であり、経済的な事情が障壁となり結婚・出産が難しくなっている。また、雇用を求め若者が地方から流出していっている問題。これはまさに私が主題として掲げ続けていた内容である。
地元にも同級生は、言うほどは残っていない。
多くが県外に出た。いい高校を出て、いい大学に行き、親にも地域にも誉められた者は、そのままいい会社に入り、県外で活躍する。私自身がそのコースを歩んだ一人だ。大学の友人の中には、そもそも国外に出ており日本にいない者もいる。この問題と、地域の弱体化、地域力の向上、これを訴えての出馬が29歳であった。
あれから7年が経とうとしている。
当時、20代であった私も36歳になった。ほどなく40歳となるのだろう。当たり前のことを述べるが、私は年をとる。そしてさらに当たり前のことを書くが、私の友人ら、同級生らも年をとる。残酷なまでに人は年をとる。20代後半であれば軌道修正の可能性もあった若者たち、いまは若者と言える期間も残り少なく40代にさしかかろうとしている。
いま、全国が、やっと、やっと夢中になり、私たちの世代に目を向けてくれた。嬉しくはあるが、複雑な思いもある。時間とは残酷であり、「間に合わない」という部分が、確実に出てくるからだ。政治が変わるには時間がかかる、少なくとも私たちの世代には、間に合わないのだろう。私が守りたかったもの、そこには手は届くのだろうか、と。
安倍政権は経済面も含め、その全てを礼賛するものではないが、よくやっていると評価する立場だ。特に外交面の立て直しは凄まじい成果である。確かにこの道しかない。しかし、若者の生活環境・労働環境が短期間において劇的に変化するとは、残念ながら思えない。数年に渡り、現状維持もしくは若干の上向きにとどまるだろう。20代後半であった若者たちが、40代となり職を含めた人生が固定されてしまうのは、残念ながら覚悟せねばならぬのだろう。
併せて思うのは、私たちの世代を「福祉財源」と勘違いしてはいないか、という点だ。非常に嫌味な表現にはなるが「若者」や「責任世代」という言葉を論じる際、私たちをして「財源」と勘違いしている節がある。政治だけではない、メディアだけではない、有権者それぞれが、だ。このことを強く主張したい。邪推と言われるかも知れないが、どうしても透けて見える、少なくとも私たちから見ればそうなのだ。その点はご理解頂きたい。
私たちの世代が稼げねば、当然、団塊の世代の福祉はない、ありえない。ここまでボロボロになっていった私たちの世代に、さらに何を背負わせようというのか。甚だ疑問でもあり、悲しく感じている。その上で、少子高齢化だ、車を買わぬだ、色々と騒がしい。虚しさは募るばかりだ。
私たちは生きている。
自動車産業を牽引することは大切だ、裾野の広い業界であり我が国の国益の一翼をなす。かつて私もその一陣にいた、重みはよくわかっている。その上で、私たちは自動車産業のために生きているのではない、と言わせて頂きたい。また、福祉を支えるために子を産み育てるのではない、自らの子がかわいいゆえ大切に育てるのだ。
はっきり言わせて頂くが、この点を勘違いしている者が多いように思う。私は理系であり数字を繰る者だ、しかし数字を繰るのみに終始することを嫌い、数字の向こう側を見ない者を嫌う。一面のみをトリミングした、都合の良い数字の虚構を嫌う。サヨク嫌いは、数字をバカにしていると感じるゆえ、という部分も大きい。
特に社会とは大きなシステムであり、その全景を見る必要がある。社会とは、また予算とは、一か所のみ帳尻をあわせても正常に動作するようなシステムではない。それは素人のすることだ。かつての若手技術者であった私であれば「バカのすること」と言うところだが、いまは議員であるため素人のすること、と表現を抑える。
全景を見た上でのでバランス、その上での選択と集中。これが理系を売りにする私の矜持である。
私は、身体の弱ってきた高齢者を見捨てよ、とは言わない。思ってもいない。しかしながら、与えられて当然という風潮には疑問がある。福祉は世代間の助け合いであり、国や行政が仲介するとは言え、結局のところ、支えるのは私たち若者だ。
私たち当事者のことを、あまりにもないがしろにしすぎではないか。国が負担するわけでも、行政が負担するわけでもない。「国の負担・責任」「行政による施策」と堅い言葉に変換することで、その先にあるものを直視することから逃げてきた、と言っているのだ。結局は、私たち、もう若者とも言えなくなりつつある層が負担する、この事実から逃げていると言っているのだ。福祉を必要としていく高齢者も、秒読みとなった団塊の世代も、このことを忘れ過ぎている、または意図的に見ないようにしているように思えてならない。
もし見ているのであれば、以下のような議論も出てくるはずだ。「今までと同じ規模の福祉」という受け取る側の発想のゴリ押しではなく、団塊の世代が「どれぐらい支えたか」という実績に基づいた「支える側の発想」だ。私たちの給与が下がったのであれば、その割合に応じて「支える額」も調整すべきだ。若者が減ろうが増えようが、「支える側」の負担率で論じてくれてもいいではないか。なぜ受け取る側が不変で、支える側だけが変動せねばならぬのか。
さらに踏み込めば、団塊の世代と同等の比率で、「まず生活費や子育てにかけるコスト」を捻出させて頂きたい。それら、今後福祉を必要とする層が現役であった時代、自ら裁量できた比率と同レベルで生活費(教育費などの子育てのコストを含む)にまわさせて頂き、残った分から福祉コストを背負う。
もっとシンプルに言えば「いくらまでなら払えますか?支えることができますか?」という、私たちの観点における問いかけがない!と言っているのだ。どちらにせよ負担はせざるを得ないのだろうが、請求書だけ回されても困る。使うにあたって、お伺い程度はあってもいいのではないか?
異常なことなど言っていない、異論などではない。これは正論だ。
まず現役が生活でき、その余力の中から「助け合い」として福祉があるのが社会である。福祉の根幹を直視していないがゆえ、異論に感じるだけであり、これは暴論でもなく正当な話、基本に忠実な意見だと述べさせて頂きたい。
また、以下の観点も欠落していると指摘させて頂きたい。
ただでさえ乏しい中、もうすぐ若者ではなくなる世代は「ない中で必死に供出していく」わけだが、受け取る側も「出された予算」の中で上手にやりくりして頂きたい、ということ。過大な福祉サービスがあれば、受け取る側が自ら辞す、廃止するぐらいの声はあがらぬものか。満足度、利用率が高かろうともコスト面から折り合わねば廃止せねばならぬし、「私たち若者の生活力」にあわせた福祉に縮小しようという声は聞こえない。
このような声が出てこないということは、与えられて当然と考えているからであり、それはつまり私たちの世代は「ただの福祉財源」と思われているに過ぎないのだろう、そう思うよりない。便利なATM程度にしか思っていないのだろう、若者に過度の負担を強いることが当然だと思っているのだろう。乾いた雑巾を絞るように、私たちはさらに衰弱していくのだろう。
自治体消滅にしてもそうだ。同じことが言える。いま行政が夢中になっているのは「自分の自治体が消えては困る」からだと思う。生まれ育った町を守りたい、その思いもあるのだろうが、雇用としての「庁舎」や職場としての「議会」が消えること、自らの身に降りかかると認識したがゆえ、地方議員・地方自治体の公務員が必死になっている側面もあるように思う。言い換えれば、自分のためにやっていることであり、私たちの世代のためにやっているかは、やや疑わしい。
会場においては、どの議員も真剣に講演を聞き、必死にメモを走らせていた。その必死さは、本当に私たちのことを見てのことだろうか。見据える先に、私たちはいるのか。自らのバッチであったり、市職員らにとっては自らの老後であったり、彼らが見ているのはそちらではないかのか?
無論、私にはわからない。ゆえに、少し冷ややかな目になってしまうのだろう。
とは言え、やっと目が向けられたことも事実。世論が追い付いてきた、世界が動きはじめた。遅きに失した感は否めないが、それでもやるしなかい。やらないよりは、やったほうがいい。私は、講演に集中しつつも、恐らくは少し違うことも考えていたように思う。会場の皆が見ていたものと、私が見ているものが少し違うからだと思う。
間に合わない。
私たちの世代は、もう間に合わないのだろう。それを覚悟した上で、間に合わぬと理解した上でさらに歩を進めねばならない。虚しさに包まれあがらぬ足を、諦観が拘束する腕を、精神力で振り払って、それでも一歩前に出る覚悟。
割れんばかりの拍手に包まれる会場、
強い覚悟をもって、見据えていた。
日本の未来、行橋の未来、若者の未来、
まだ産まれ来ぬ者たちの、我が国の将来を。
行政施設が残るか否か、議員の数がどうなるか、そこは私の主題ではない。眩しい光の中、盛大な歓声の中、その思いが明確になっていった。脳内が、心が、クリアになっていく。私が政治家になったのは、誰のためか、何のためか。
恐らくは講演の本旨とは離れるのだろうが、多くの地方議員らと共に講演を受けることで、私が受けた影響は以上である。その影響は、私にとっての原点であり、覚悟を決める素晴らしいきっかけとなった。非常に有意義な研修であった。
最後に。
西日本、東日本と交互に開催していくことにも大きな意義があるように感じた。確かに県名は聞くが、あまり訪れることもない岡山県。旅行気分ではいけないが、様々な自治体を歩くことで、都市計画や町の雰囲気、触れることで見えてくるものは多々ある。行橋との違いを比較し、実感・体感することは想像以上の効果があったように思う。
行橋市議会議員 小坪慎也
私は、確かに市議の範疇を飛び越え、国政マターにも手を出しているのかも知れない。
しかし、それは政治家としての原点に立脚したものである。
福祉財源の適正化、これを本気で進めるためには共産党と対峙する必要がある。
それは当然の帰結でもあった。
一例を挙げよう。
行橋市民の多くは、生活保護費がいくらなのかを知らない。
市報に掲示されていないためだ。HPを含むどこにも、web上にも公開されていない。民生費(福祉予算)に、混ぜて発表されている。
我が行橋市の歳出予算は270億円。(平成27年度)
そのうち民生費(福祉予算)は110億円であり、42%を占める。まずこの比率がおかしいと感じはしないのか。
家計収入が27万で、祖父母への仕送りに11万円を送れば家計はもたない。
(子育てや若者向けの福祉予算も含まれてはいる。)
私が市議になった際、3年前は福祉予算は70億台であったと思う。この数年でここまで増加した。
福祉を取り扱う文教厚生委員会において副委員長を拝命していたが、その際の生活保護費は30億を超えており、福祉予算の半分近くが生活保護費であった。
この、生活保護費が30億を突破という数字は、委員会で問うたものだ。暴露などではなく市議にとっては常識の数字なのだが、「市民は知らない」のだ。実際にググってみるといい、どこにも数字は出てこない。
いまの数字がどれほどかは、委員会を変わったためわからない。ただ、福祉予算の半分近くが保護費で占められている現状を知らされず、その上で政治を論じることに嫌気がさした。
余談になるが、私が文教の副委員長を拝命していた時代、実際には収入がある保護者に対して、行政として訴訟を起こし、相当に厳しくなる契機となっている。
福祉予算の適正化を論じるのは、一重に、「私たちは生きて行く」という思いゆえだ。
外国人が憎いとか、保守だからではない。
私は単純に数字に正直なだけであり、保守は保守でもシステムの保守と言ったほうがいい。
バグがあったので訂正しようとしているのみ。
外国人の扶養控除にしてもそう、国保の海外療養費にしてもそうだ。
全てはこの観点よりスタートしており、私の中では軸は通っている。
共産党と正面から撃ちあわざるを得ないのは、福祉予算の適正化において避けれぬ状態であるからだ。
私たちの世代の生存権を賭けて、やるしかなかった。
政治は次の世代への贈り物だと考えている。
直近の先輩たちには、恨みもある。その復讐として私がとった方法は、あとの世代に尊敬され感謝されること、だった。
私は、間に合わぬことも覚悟した上で歩を進める。
なぜならば、また投票用紙も持たぬ中高生らに、先輩たちの時代は頑張ってくれたんだな、って思って欲しいから。
そして、どのような時代であろうとも、私たちの世代は生きて行くのだから。
これが若い議員としての、世代に対する責任と覚悟。
政治家としての生き方、私の基本スタンスです。
「それで良い」と思って頂ける方は、
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最後に。
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小坪 様
先日の赤旗撲滅作戦に通じるのです。
自己犠牲の真の公共の福祉を追及される、日本で僅少な議員。
自分のバッジや老後の生活ではなく、まだ投票権を持たぬ、若しくは生まれてすらいない後輩のために、又は議員ご自身が生きている間には、成果が見えない日本の未来のために、ご自身を犠牲にしてでも、あらゆる受給乖離その他非道徳的な不平等の是正への尽力。
私も、いつの日か、福祉貴族や似非弱者という言葉を使うようになりました。
自主自立あっての福祉だと考えたのです。
何ら生活に不自由無きペースメーカー内臓者の1級障がい者待遇、健常者の生活保護受給、などなど、あらゆる問題に首を突っ込み、爆弾を投下する。
結局、誰かがやらねばならないことであり、放置して、正直者がバカを見る社会にしては、誰一人も誇れない母国になり、反日左翼の思うつぼになってしまいますから。
横軸に年齢を、縦軸に政策予算を、
というプロットをすれば、
世代に対してフラットではないことは、
(もちろん、勤労世代が低いのは当然としても)
体感的にも明らか。
なんらかの補正を行っても、間違いなく、
高齢者に偏重していることだろう。
このプロットと、年齢vs投票率のプロットと、
を比較してみると、何かが見えてくるかも。
要するに、票になる政策が優先される。
昨日の番組とスポンサーの関係にも似ている。
利益を生まないものは切り捨てられる。
であるのなら、利益を生むことを示せばよい。
利益とは何か?
票である。
まずは投票することからすべてが始まる。
そう考える私は、子供たちも含め、投票を続けている。
組織票に負けない、そういう選挙を強く願っている。
乱暴な意見は覚悟の上なのですが、「安楽死」ってそろそろ認められるべきと思うんです。父親が癌で苦しんでいますが、日に日にQOLが下がり、出来る事が少なくなっていき・・・日本の終末期医療制度は残酷だなぁと、当事者の一人としてかみしめています。
年齢条件とか犯罪歴が無いか等はしっかり審査した上で、本人の希望や意思を最大限尊重した上で安楽死を認められないか?と、個人的に思います。そうすれば、本当に必要な所に支援の予算を注力出来るし、全体の効率が上がると思うんですよね。
「長生きするリスク」があるから、みんなお金を使わないし、貯金してしまう。本当に必要な福祉に予算が割けるようになれば、税金も安心して払えるし、お金も安心して若いうちに使えるので、結果として経済が活性化する。こうなれば、若い人が支えるまでも無く、仕組みが回せると思うのですが・・・ちょっと乱暴かもですね。。。。。
自らの国、民族に誇りを持てない様では、政治に関心をよせる道理もありません。
当然、行政にも関心を示さないし、それらに関わる数字なんて見るのもまどろっこしく感じる事でしょう。
当にサヨクの思う壺ですね。
> 行橋市民の多くは、生活保護費がいくらなのかを知らない。
> 市報に掲示されていないためだ。HPを含むどこにも、web上にも公開されていない。
関心を示さないので、追求もされなかったと言うのが背景にあるのではなかろうかと推測致します。
第一次ベビーブームで出生した団塊世代は、モロに公職追放で教育者がサヨクに置き換わった頃に教育期間に入った世代です。
団塊世代の親は当然戦前戦中派ですから、一定の抑止は効いていたものの、学生運動がトレンディーになった位ですから、相当な後遺症を背負わされた世代とも言えるでしょう。
そして、親世代を否定して来た世代とも言えるのではないでしょうか。
本音と建前を使い分け出来たのは団塊世代の親の世代で、日本を立て直したのもこの親世代です。
団塊世代の親の世代は旧制の教育で鍛えられていたので、黙して語らずただ粛々と日本に尽くしてきた世代です。
対し団塊世代は、親世代が地均しした滑走路を使って離発着した飛行機の様な世代で、見た目は華々しいのですが、滑走路をメンテナンス出来る世代が減ってきた途端に、離陸も着陸も出来ない状況になってしまった様です。
余談ですが、とある救急隊員の方のお話では「戦後生まれの年寄りは気をつけろ」だそうです。
戦前生まれの年寄りは、少々の事なら精神力で保ち直すそうですが、戦後生まれの年寄りは呆気無く他界なさる様です。
保ち直しても、八当りの様な文句を言うのも戦後生まれの年寄りの方で、Wで注意が必要なのだとか・・・。
投票率の低さにしても、根底は誇りの持てない教育によるものかも知れません。
いくら政治を行う側が、素晴らしい日本を訴えても、聞く側に誇りが無いと下地がありませんので、共感出来ないのでは無いでしょうか。
そう言った意味では、この問題は相当根が深そうです。
小坪先生、こんばんは
団塊の世代(昭和22年?昭和24年生まれ)の一人の眼から、今日は小坪先生の論説を読ませていただきました。
読みながら、私の心のなかに、是非、小坪先生に切り分けてご検討頂きたい問題が二つあるようにおもいます。
(1) 日本人高齢者の生活支援の問題(66歳以上の高齢者への生活支援(年金もありますし、介護等もありましょう))
(2) 在日朝鮮人が受けている生活支援の問題(年金を支払わっていないにも関わらず年金を受け取れる!また、外国人である在日朝鮮人がなぜ、生活保護を受け取ることができるのか?そして、日本人の生活保護受給にくらべ、在日朝鮮人が異常に高いのがなぜ、放置されているか?)
まず、(1)日本人高齢者への生活支援の問題ですが、小坪先生の以下の論説に肝があると感じました。
>「今までと同じ規模の福祉」という受け取る側の発想のゴリ押しではなく、
>団塊の世代が「どれぐらい支えたか」という実績に基づいた「支える側の
>発想」だ。私たちの給与が下がったのであれば、その割合に応じて「支える額」
>も調整すべきだ。若者が減ろうが増えようが、「支える側」の負担率で論じて
>くれてもいいではないか。
>なぜ受け取る側が不変で、支える側だけが変動せねばならぬのか。
まったく、おっしゃるとおりだとおもいます。そして、これ、是非、数値化していただきたいです!
東京都55歳さんのコメントにもあるように、横軸に年齢を、縦軸に政策予算というプロっとがいいのではと思います。是非、日本全国の各市において、該プロットが数値化され、それを日本国民がネットでいつでもチェックできるようになったら、さすがに高齢者の意見もかわる!とおもいます。あんた(私かな・・)が公開請求してやればいいじゃん!といわれそうですが・・・。
是非、(1)、(2)について、日本国民のすべてで共通認識を持ちたいとおもっているものです。
小坪市議さま、こんにちは。
連休に実家に帰って老親の家事をしてきました。
少子化で子供は県外で就職、生活して親と離れて暮らすことも多くなりましたが、
やはり、地方の街は衰退が目立ちます。街も歯抜けですし。(隣県ですが)
特に産業もなければ、国立大を出ても就職先がないなど・・・。
就職先がないから都会に出るか、都会のいい大学を出た子がUターンで戻ってくるから地元の大学を出た子が就職できず非正規雇用にならざるを得ない場合もあります。
非常に悩ましい問題です。
インフラの整備もさることながら、どんな業種でもそれなりに生活できた一億総中流が正解ではなかったかと思うこのごろです。(TVでは格差を煽ってますが)
私はやはり最近の若者はイメージに弱い気がします。
TVでも、製造業など体を使う仕事の取材で「今の若者にはきつい」って、実際に仕事に携わっている人が言いますよね。サービスなどの接客業も同様です。
そのイメージで求人を出しても敬遠されている気がします。・・・で、なおその仕事についている人に負担が増える・・・ますます辞める人が増えるという悪循環です。
女性の活用を考えているなら、パートの時短、週に2.3日のシフトなどは条件の一つとしてあっていいと思います。
私も含め周りのお母さん方は、核家族でも学校役員、町内会や子供会の役員をしながら働いてます。何とか家事と仕事を両立させようとしている人ばかりです。でも、軸足は家事育児においてます。それで県外の親の介護も入ってきた時、どうすればいいのでしょう?。到底 体が持ちません。
少子化も同様「子育てにはお金がかかる」と大人が口をそろえて言いますよね。
幼児教育や習い事などをいろいろやらせれば、そりゃお金はかかります。
仕事にしても、育児にしても、結婚にしても、長所・短所はあります。
どうして短所ばかり、ないものねだりばかりクローズアップするのだろうと思います。
自分で調べたり、体験してもみないで勝手に決めつける人が多い世の中で、もっといいところ、工夫するところにも目を向ければいいのに。といつも思います。
例えば子供の費用にしても、うちの中学校は今年の修学旅行費用を前もって学校便りで教えてくれたので、それに向けてお金を準備しておくように心積りができました。そういう前もっての準備がとても大切だと思います。(子供手当もこういうところに活用してほしいですね。家計の負担が重いので。)
まずは教育で、義務と責任を先に教えるべきですね。
親も小さい時から子供には厳しすぎるくらいきちんとしつけるべきですが、最近の親子を見る限り「親は無くとも子は育つ」の意味を「放任(無責任・事なかれ)主義」とはき違えてる親が多いような気がします。
年老いた親のことも、ホームに入れたりして人任せな子供が増えてきました。親が施設を変わったことすら知らない子ども(私よりも年上ですが)が多くいます。こんな親子のコミュニケーションでいいのでしょうか?。
政治を行う側は、実際に街を歩いてみて地方の問題を肌で感じてもらいたいです。大通りや高速道路を車で通りすぎるだけでは何もわかりませんから。
現場第一主義を希望します。
以前から本ブログで話題になっていた産経の加藤ソウル支局長の出国禁止の件ですが、加藤氏の所感が雑誌・正論に発表されました。
「出国禁止8ヶ月、韓国からの帰国」加藤達也
「それにしても八ヶ月は長かった。冬が過ぎ、桜の季節も終わって娘は大学生になっていた。」
「帰国はできましたが私が起訴されている状態に変わりはありません。そもそも裁判について私は裁判が開廷された以上は、自分の身の潔白 ? 自分の行為が刑事罰を負わされる類いのものではないという民主主義社会の常識、良識といってもいいと思います ? 逃げずに勝ち取ろうと法廷で戦うことを決意しました」
「闘う」ではなく「戦う」の漢字を使っていることに悲壮な決意を感じました。
加藤氏の文章を読んで、韓国は中国と同様に「愛国無罪」の国であることがわかります。
初公判終了後に加藤氏が乗った車に暴漢がへばりついたり卵を投げつけられても、警察や裁判所の警備陣は平然として、「日本の悪い奴が悪いことをしたのだから少々のことは放っておいてもいい」と馴れ合い状態だったようです。
「もし、ああいうことが仮に日本で起こると日本で警備に臨んでいる人は恥と考えます。そうした責任感、倫理観が彼らには乏しいのです。」
「日本大使館前では、何でこんなことが許されているのだと首を傾げたくなる光景が頻繁に繰り返されてます。」
「このような目を覆うような出来事が常態化していることも、こうした出来事を容認する社会的な素地があるからだと思います。」
加藤氏は将来も韓国について取材を続けたいと記載されていますが、私などは、もう十分である、早く日本に帰ってきて日本や韓国以外の国で取材を続けられたらいいと心底思いました。
韓国の発狂ぶりは、もう取材を積み重ねなくても十分知りつくされています。
これ以上、加藤氏が韓国にいると命が危ないと思われます。
国民の命を守る観点から、加藤氏の韓国への渡航を国家が禁止するべきだと思います。北朝鮮の拉致被害者を帰さなかった事を前例とすれば十分かと思います。
小坪議員のおっしゃる通りです。
40台も半ばを過ぎ、現役で働く時間も残り14年を切りました。
子供たち世代の為になんとかこの国を良い方向に軌道修正したいと
願いながらの日々です。
年金改革にしても支出の議論・批判はするものの歳入の議論は
あまり聞かない、都合の悪いことはオブラ?トに包んでという感じですか。
ここにちゃんとメスを入れなければ解決は無いと思います。
間違っても共産党の甘言には乗りませんけどね。
先日地方の過疎の町の故郷に行きましたが、水田に行く道路は地割れし、昔は何十軒もの農家が作っていた水田もわずか1件になり、雑木林や草原になり、水田に戻すには土地改良をしないと難しい状況になっており、小坪議員の「間にあわない」の言葉をかみしめてきました。
この問題に深い関心があります。
5年位前の話ですが、生活保護者の話を聞いた事があります。
●18歳以下3人の子供の母子家庭
受給額月24万円位、医療費無料、教材費給食費免除、市県民税無し、
公共住宅に優先して入居可、年金・保険料は免除?等など
●自営業を辞め生活保護受給
年金は無く生活保護にて生計の為賃貸アパート入居
保護費は2人で20万未満だと思いますが、アパート入居後、駐車場を借り
臨時の自営業を役所に内緒ではじめた様子
●見た目元気な30歳代在日朝鮮人の別性の生活保護受給のご夫婦が、
保証人も必要無く賃貸アパートに入居
●40歳代ご夫婦、自宅所有で求職しながら生活保護
高級で正社員の仕事を希望
●20代無職の独身男性、荷物が多く3LDK希望の生活保護受給予定者
●借金の返済でもあるのか、保証人に保護費のピンはねされてた方もいました。
以前瀕死の状態で「おにぎり食べたい」と無くなった親子がいたかと思いますが、私の知っている生活保護者は、生活保護の制度があるから利用しなきゃ損とでも考えているのではと思います。実際生活が立ち直ったから受給を辞める方の割合はいかほどなのでしょう?
市役所等での申請の審査は厳しいようですが、受給後はざる状態かと思います。
領収書のいらない仕事ならいくらでも出来るでしょうし、車を買っても解りません。
豪華な旅行をしても解らないし、身内の車を提供を受けても証拠が有りません。
正当な理由で正当な手続きで受給し、その金で生活する方に文句を言ってる訳ではありません。
働けるのに怠けて受給してる人が多い様に感じます。一方少ない年金で努力し恥ずかしくない生き方をしてる人もいるのです。
医療費も教材費も全て免除などせず、生活保護費内で賄い不足分は都度申告して受け取る様にしては?
そもそも生活保護は廃止し、必要なら、医療費の補助、生活費の補助、家賃の補助等、必要な項目で援助し、それらで足りないのであれば衣食住の整った施設で生活し自立の助けをすべきでは。
補助が有れば自立できる人が、お金の為に生活状況を生活保護に合わせようとします。良い例が、親と同居してると生活保護が受けられないから別に家を借りるのです。親は広い家に1人で暮らし、近くのアパートで母子家庭の子供が暮らすのです。
やたらプライバシーを尊重しすぎで世間から隠す事が結果不正受給というおかしな事になってます。大阪市の保護費の使用状況もわかるプリペイドカードも良いと思います。
身近にいる若者はいい子が多いですが、政治に関心は無いようです。話題はアニメ・雑誌・飲み会等、毎日のニュースの話題さえ知りません。新聞を読む事も無いようです。
選挙に行く方は、税金を安くして頂きたいです。国民として国を想い参加してる者に特典を!
かかった医療費が少ない者に、少しでも保険料の還付か年金を割り増しして頂きたい。
幼稚園・小学校・自治会、介護の職場や清掃、イベントの手伝い等のボランティア活動にポイントを与え、将来の自分の年金や介護にポイントが使用できるようにして頂きたい。
結婚し子供を産み育てる家族に、広い一軒家の低額で貸し出しをして頂きたい。
20歳までの子供がいる親子3世代で暮らす家族に、市県民税を免除して頂きたい。
低所得の親子3世代の転入者には、広い戸建住宅を低額で3年間提供して頂きたい。
65歳以上の無職の方に、公共のアルバイトを積極的に斡旋して頂きたい。自宅でうつ病や孤独死も防げますし、暇で病院に行くのを防げます。
出来る事から1つでも2つでも実行して欲しい。
<<>>
まさにこれなんです!! 大変判りやすい例を教えてくださいましてありがとうございました。
こういう卑怯者にだけはなりたくないというのが私の人生哲学なのです。
具体的な政策の難しさを知らないので机上の推測しかできませんが・・。
日本人の国民負担率は米国より高いが、西欧より低いという位置にありますが、今後は西欧型に近づいていくんでしょうね。
日本の人口ピラミッドから見てあと50年くらいの福祉をどうやってもたせるかです。この期間は、人口が減るのをマイナスと考えずにプラスと考えればいいと思います。過去何十年かはゆるやかに産業革命が起こって、どんどん労働需要が減っていきました。たしか地方にとっても繊維関係の労働者人口がこの数十年で100万人くらい減っています。ものすごい減少で、これは必ずしも中国に奪われたわけだけではなく技術革新や産業効率化の影響もかなりあると思います。
今後もすさまじいと思います。大量輸送も物流トラックなどは数十年後に自動運転になるでしょう(するとこれでまた100万人労働需要が減ります)。
たとえば海外から移民いれて衣食住などの需要を伸ばしても、それと比例して労働需要は増えないし大きくアンマッチです。(移民をいれたら車の購入数がふえ製造数も単純にふえて周辺の工場労働者も比例して単純にふえるというのは難しいと思います)。土木関係はある程度継続するでしょうが、常時相当量があるわけではない。
けれども、それら労働を機械に置き換える高度な需要ができて、その需要に対応できる技術革新をやりつづけることで日本は科学技術立国として世界で生き残ることができます。
冷酷かもしれませんが、ひょっとすると現代は人口が減りつづけることが、ちょうど多数の失業者が発生しないための天の配剤かもしれません。
人口が未来永劫減り続けるかというと絶対にそれは有り得ないと確信します。その理由は子供をつくりたくないという遺伝子が100年くらいで序々に淘汰されるためと、子育てというのは人間にとって最大の娯楽であり快楽であるからです。
大東亜戦争開始のころ日本人の人口は7300万くらいでした。そこまで減らなくても大幅に減るのを一応肯定的に受け入れるしかないように思われます。
ではそれまでどうやって持たせるかというと、合理的に考えて、都市への集中化しかないと思えます。それは東京や大阪への一極集中ではなく、地方の核となる都市部への集中です。(ただしもしブレイクスルーとなるようなエネルギー革命でも万が一起こったら別です)。
こういう時代には各地域でいろいろなアイディアを出して、うまくいったケースがあれば横展開するのが良いと思います。ある地域では個性的施策で活性化して出生率が2を超えたそうです。
ただし、その多様化競争が地域間の非情な競争や弱肉強食の関係にならないように適度にコントロールする必要はあると思います。
非常に高度な頭脳産業や肉体労働は別として、多くの人間が将来回帰していく産業はおそらく農業のイメージに近いと思います。都会ではストレスが多くて精神疾患が増えています。やはり人間はできれば自然に近いところでのびのびと働くのが良いのでしょう。あと20年くらい経ったら東京と福岡は超伝導リニアで1時間10分くらいの通勤圏内になります。今からは想像もできないほど産業や労働も変わるかもしれません。
私は小坪先生にくらべたら取るに足らない小物ですが、個人的にはどんな苦労があろうとも戦時中の兵隊さんの苦労にくらべたら、その千分の一の苦痛だろうといつも考えるので超楽観的です。家族には「便所掃除をしてでも死ぬまで働く」というのが口癖です。
私は40代を過ぎたあたりで年金は諦めました(笑)
単純に年金に対する気持ちを述べますと「この嘘吐き野朗め!」がはじめに出てきます。
今更言っても始まらないのは判っていますが、私が高校を卒業して就職する際1979年に「60歳になったら還ってくる保険みたいなもの」とか「国の制度なので心配するな」など学校の先生をはじめ、就職先や社会保険の窓口?で口を揃えて言っていたじゃないか!となってしまうわけです。まずスタートの時点が大ウソ。
更に自営業や厚生年金とでは受け取る金額の違いが大きくて、なんだか真面目に企業でコツコツがんばれる人はいいけど、独立心が強い人や、一度レールから落ちると不公平だな!と思いました。
その後、私はしっかりとレールから落ちましたが(自己責任ですよ、爆笑!)
フィリピンに移住している日本人も年金を収入の糧にしていらっしゃる方が多いのですが、為替が動くたびに一喜一憂状態で、最近はボヤキばかりになりましたね。
それでも貰えるだけいいじゃないか、とか合計で今までいくらの年金を貰ったの?とか内心思うのですが、そういえば感謝の声は耳にしませんね。
これからの人は60歳で定年退職が出来ても支給開始時期が変わったので人生計画が狂ってしまい困っている人が沢山いらっしゃるのが心に痛い時がありますが。
今後は70歳から?などの話もきこえてきましたしねぇ?。何が100年アンシンだ?皺寄せを全部若い物に背負わせやがって、テメーらだけは収入確保かよ!
一度、国中がパニックになってしまうほどの年金計画を作り直さないと、いまのように部分的修整の繰り返しでは絶対にダメでしょう。
話は変わりますが「生活保護」には大変感謝を致しております。なぜならば、私が中学生までの間は母子家庭で長年お世話になったからです。福岡市・大阪市ありがとうございました。
多分、これが私の考え方に影響を及ぼしているのかも知れませんが「国や都道府県からもらえる物は最後の一滴まで絞ってでも貰う」という気持ちにはなれません。
子供手当てもその他の手当ても一切頂かなくて済むような生活をしたいと心がけています。当然、手続きしませんでした。
周りの人からは「もったいない」といわれますが、過去も現在も国にお世話になってきた以上自分でやれるのであれば自分でやります。いつまで出来るかわかりませんが。
現在の年金システムは事実上ねずみ講なので、いずれ破綻するのは当然のことです。
極端な話、65歳以上の健康保険・年金を含めて福祉を全てやめてしまえば単純計算で年60兆円浮くわけです。国家公務員の最高年収を1200万円にして退職金を2000万円以下に抑え、天下りの渡りを徹底的に止めさせれば、どうでしょう、年10兆円ほど浮くんじゃないでしょうか。
赤字国債の償還分45兆円を引いても25兆円残ります。これ、全部子育て支援に突っ込めばまだ間に合うんじゃないかと思います。
世界一の長寿国だなどと自賛していますが、現実は若者から搾取した金で延命しているだけ。例えば、年寄りの人工透析など、100%自己負担で十分です。
と、極論ですが、未来にも日本を存続させるためにはどこかで覚悟を決めねばならぬと思うのです。子孫に残すものが、高税率、理不尽な年寄り優遇では国が滅ぶ。サヨクや団塊(イコールですかね)はそれが本望かもしれませんが、多くの日本人は違うと思います。
例えば、年金を受け取る=選挙権返上 なんてどうでしょうか?
ハローワークにいくと、福祉人材足りませんという掲示物が多いですね。。。そして、若者が福祉資源として見られてる感は、たしかにあります。実際私の高校の卒業生は、3分の1が福祉関係に就職してます。社会が福祉を求めるが故に、ニーズに応えて福祉分野に多くの若者が流れていっております。ただ、その福祉を賄う財源は税金で御座います…。公共事業として見るにしても、モノ作りではありませんから乗数効果も、それほど高くはないかと存じます。ただ福祉は必要です。必要ですが、いままでの福祉制度は見直す必要がいずれでてくるでしょう。一律に富者も貧者も、同じ負担ではやっていけません。。。そして、不正も是正する必要があります。福祉は無くす必要はありませんが、正しい福祉の在り方というものがあると思います。
こんにちわ。
この問題に対し、五ゲン主義(現場・現物・現実、原理・原則)に
立ち返って考え直すべきですね。
問題提起と新たな視点、支持します。
なんか…怖いです
この頃、保守ブログなどで高齢者福祉を縮小すべきという論をよく見るようになりました。
団塊の世代が老齢期に入り、現役世代ではとても支えられないからという理由で。
ところで、この高齢者福祉の益を受けているのは当の高齢者だけでしょうか?
否、この高齢者の子世代も益を受けています。手足が弱まり、頭も怪しくなり、さらに認知症も患う高齢者を子供だけが看るのは不可能だからです。
かくいう私も実家の両親をデイケアとヘルパーさんとにサポートしてもらっています。
一人娘だから、両親の世話の責任は私だけにあり、子育て中で実家から車で40分ほどの距離に住んでいるから週一しか会いにいけない。
数年前、父の入院に伴いまだ診断をもらえてなかった認知症の母を4ヶ月程世話したことがあるが、精神的にかなりきついものがありました。
私は自営で時間の融通が効くからなんとかなったが、会社員であれば離職も考えなくてはならなかったでしょう。
当時引き受けていたPTAなどの会議にも母を伴うようにしてなるべく一人にしないようにしたが、どうしても一人で留守番してもらわなければならないこともあり気が気ではありませんでした。
長々と自分語りをしてしまいましたが、それは高齢者福祉を縮小すると自分の親を一人で抱え込んで、離職したり、心を病んだり、心中したりというケースが増えていくと思うからです。
それと今高齢者福祉を縮小したら、将来にわたって高齢者の福祉は縮小したままになりそうだからです。
50代の私たちも、3、40代の方々も20代の若者だっていずれ年寄りになります。
手足が動かなくなり、頭も怪しくなります。
認知症は記憶力がなくなるだけでなく、理解力や判断力がなくなります。
今は「ああはなりたくない。その前に安楽死したい」と思っていても判断力のない高齢者になれば、子や孫に迷惑をかけても自らの生に執着します。
社会制度としてある程度社会に面倒を看てもらい、子や孫に出来る範囲の世話をしてもらうのか、例え生活が破綻したとしてもすべて自らの子や孫に面倒をみてもらうのか…。
子や孫が居ない人も介護の知識のある専門家ではなく、たまたま近所に住んだお人好しの赤の他人が面倒をみる…なんてことになりそうです。
考え過ぎですか?
「現役世代の負担を減らすために高齢者福祉を縮小すべき」という意見は財務省の財政出動減のための罠ではないのですか?
平成 26 年 8 月 3 日
(※※専決等不可:要本人伝達)
人権団体 代表者 各位
報道機関 代表者 各位
政治団体 代表者 各位
国会・地方議会議員 各位
地方公共団体 首長 各位
教育・福祉・人権担当部局・課所長 各位
外 管理職 各位
法務大臣 殿
事務次官 殿
人権擁護局長 殿
総務大臣 殿
事務次官 殿
行政評価局長 殿
厚生労働大臣 殿
アフターサービス推進室 御 中
事務次官 殿
大臣官房総務課長 殿
行政相談室長 殿
大臣官房地方課長
地方支分部局法令遵守室長 殿
職業安定局長 殿
社会・援護局長 殿
外 国家・地方行政関係団体・施設 代表者 各位
■ ■ ■ ■
社会保障制度等の是正について(行政相談)
現在,国民年金第3号被保険者,健康保険被扶養者,生活保護不正受給者・合法的不要受給者及び心臓への高性能ペースメーカー内臓者並びに自作自演の視聴覚障がい者等をはじめとした,所謂「逆差別」,「擬制困窮者」,「似非弱者」又は「福祉貴族」が問題になっており,ウルトラ佐村河内な彼らに,私ども真の困窮者若しくは弱者又は健常者も,日々,猛烈な憤りを覚えております。
真の困窮者こそ,制度の狭間に位置して,さらには声を上げる力すら残っておらず,救済されないままの状態になっており,一方,暇と体力と悪意を持て余し,制度の抜け道を,己が潜在能力の総てを出し切って探索・精査せしめ,自作自演に大袈裟に声を上げ続け,不当に一律優遇・擁護される福祉貴族たち。
また,高収入者である(であった)健常高齢者の不当に高額な厚生年金支給と言った制度も,個人ではなく,行政庁同士が国へ強く継続的に,是正を求めるべきです。シニアの娯楽又は贅沢は,公共の福祉ではありません。
生活保護は,一律現物支給を貫徹(キャッシュではなく,初月に日用備品を支給し,各月に食糧,燃料その他日用消耗品を支給。)し,ペースメーカー内臓者は障がい者から完全除外し,手術等の医療行為ごとに,必要に応じて助成金を支給するようにし,障がい者福祉諸制度(手帳の交付(障がい者専用枠の職業訓練及び求人募集への応募並びに交通費・通信費の減免等)並びに日常における年金及び重度心身障害者等医療費の支給)による養護対象から除外すべきです。
一方で,ワーキングプアーへの生活・雇用支援制度の整備拡充並びに膠原病及び免疫不全者をはじめとする難病患者の障がい者待遇への編入も,併せて早急に実現すべきであります。
これらの不平等是正こそが,結果として,私ども真の障がい者の人権確立につながり,共生社会の実現にもなるのです。
介護ロボットの開発・導入や、ビッグデータ活用やユニバーサルデザインの普及などによる合理化など、有望そうな取組みは何でも積極的に取り入れていくしかないのでは。精密機器のメーカーで、センサー開発によって介護分野で一旗上げたいというところもあります。それから、医療ももっと合理化できます。親を入院させたまま見舞いにも行かない家族が多いのは、私も家族の入院を通して見聞きしています。すると何が起こるかといえば、医者が薬漬けにしてやりたい放題します。密室化は無駄やモラルハザードの温床になるので、その対策としても、医療情報の共有・システム化やベストプラクティス推進など、できることはたくさんあると思います。
ところで、うちの県では学生の就職内定率が過去最高になったとのニュースがありました。特に高卒女子では100%に達したそうです。インターンシップの活用や、販売など需要がある職種に積極的に応募したのが幸いしたそうです。こうした前向きのニュースを聞くと、嬉しいものです。これからの若者の公共意識を高めるためにも、税金や自治体の予算や負債についての知識を普及させるというのはどうでしょうか。自分たちの生活を見る目も変わっていくだろうし、地域をより身近に感じられるのでは。全体像を知るということは、大事です(自分のことは、棚に上げております)。人口も、そのうち適度なところでバランスするのではないかという気がします。なので、下手に外国人を入れるなど、かえって福祉のコスト増大を招くような余計な施策はしないでほしいと思っています。
私が生まれた地方都市もまた、人口減少にさらされています。
それに対して、官制の地域興しなど組まれましたが、どれもヘドが出るほどの無駄遣いばかり。
そもそも、その土地に無いものを他所から持ってきても、根付かないのです。そんな当たり前の事すら分からない。中途半端に「都会」の真似事をしていただけでした。
全身ブランド品を身にまとった市の担当者を見て「地産地消型おのぼりさん」と揶揄しておりました。
あれから数年がたった現在、地域の特色を生かした特産品がいくつか出てきました。また、子育てのしやすさを市が押し出しており、それに見合った政策を行っています。低予算で、着実に効果が見込める政策です。
「間に合わない」と言及される層ですが、私は生活コストの低減を目指していくべきと考えています。特に通信コスト、エネルギーコストの低減は、まだまだできる事がたくさんあります。
[…] 私の政治家としての原風景 【政治家の目線】子供の日に思う、私たちは福祉財源ではない。 […]
確かに生活保護は大きな問題です。そして、そのうちの半数が高齢者を占めています。ただ、同じ福祉と言っても企業が受け取る補助金に関しては言及されていません。中小企業は国や地方自治体から補助金という名のお金をもらい、会社を維持しています。企業目線からみれば補助金こそが生活保護であり、福祉です。
また、公共事業もゼネコンから見れば一種の生活保護です。福祉を削減すべきだというのであれば、企業への補助金や公共事業にもメスを入れてほしいです。
生活保護や医療だけを削るのは不公平です。
(企業への補助金は雇用を維持するために重要だというのであれば、生活保護も治安の維持や物乞いの防止に貢献しているというすべき理由があります)
さびねこにゃ 様
コメントありがとうございます。
私は不公平だとは思っておりません。
企業には雇用を支えるという機能があり
そこに働く者がおります。
働く者が頑張って、納税し、福祉を支えております。
形態としては似ているとのご指摘ですが、私は同じ土俵で考えるつもりがありません。
よって不公平でもなんでもないと考えています。
むしろ、不正な生活保護を削減していき
浮いた予算で、中小企業に頑張ってもらうための原資とすべきだと考えています。
補助金のひとつでもあれば、残れた企業もあるかも知れない。
そして、守れた雇用もあったかもしれない。
生活弱者を悪しざまに言うつもりはありませんが
優先すべきは「支えている者たち」です。
ワーキングプアの問題に光をあて、彼ら、労働者が頑張ってくれることで、福祉もなにもかもがあるのだということを、重ねて主張したく思います。
その中で、多くの雇用を支える中小企業には冷たく
大企業に補助が集中している現状については、思うところはございます。
繰り返しにはなりますが、結論を書いておきます。
生活保護と同じ土俵ではないため、不公平ではないこと。
不正については糺し、浮いた予算で中小企業を助けたい。
補助金の偏重については、思うところはある、でございます。
以上が私の主張です。
貴方に押し付けるつもりはありませんので、貴方は好きに考えて良いと思います。(貴方の自由であり権利です。)
その上で、私は上記の考えを曲げるつもりはありませんし、今後も発信していきます。
これは私の自由であり、権利です。
返答ありがと瓦当ございます。
確かに企業にはそういう役割がありますし、昔は企業が頑張ったおかげで福祉に金を回さずに済みました。でも、ニュースを見ると雇用を支えるという役割を放棄し、使い物にならないものは国がどうにかすべきだと言わんばかりの行動をしています。
企業が障碍者や高齢者を雇えば生活保護費が減りますし、必要な時だけ雇って必要なくなったらぽいなんてことをしなければ生活保護世帯のその他世帯が増えるなんてこともないんですがねえ
(不正な生活保護の意味が分かりませんが、高齢者や精神障碍者の生活保護世帯のことを指すのであれば、受け皿を作れば自然と減っていきます。彼らが生活保護を受け続けるのはいくら努力しても雇ってくれるところが見つからないからです。)
さびねこにゃ 様
横からコメント失礼いたします。
>不正な生活保護の意味が分かりませんが、
上記載の内容は、
インターネットのでも良いので、
検索して、
色々と、調べて頂く事を お勧め致しますよ。
こちらの
「小坪市議のHP」のエントリー記事でも、
書かれておられると思います。
それらを 見て頂いたら、
小坪市議が、この様な内容の記事を記載したのか、
理解して頂けると思いますよ。
弱者を守るのは、大事です。
…しかし、
その、守る立場の方々を「ないがしろ」にしたら、
弱者共々、「共倒れ」…に、なってしまいます。
私個人としては、
この順位・順番は、間違えない様に
…と、いう考え方です。
弱者を守る為に、
それを支える方々を 大切に考えて行く、
…と、いう事ですね。
コメントを残すのは初めてですが、いつもブログを拝見しております。
私自身、30代になってからというもの、これから先の生活(老後)について
色々考え始め、自分なりに調べています。
ですが、年金がいつから(何歳から)もらえるようになるのか、どれくらいの額
なのか、老後までにいくらぐらい貯めればいいのかなどを考えると、暗澹たる気持ちになります。
数年前にうつに罹り、長い間療養していたのですが、現在は障害者雇用で働いています。
普通の正社員の方と比べると賃金はかなり少なめです。でも今は何とか貯金もしつつ生活しています。(障害年金があるので何とかやっていけてます。)
色々と考えた末、遠回りに見えた政治についてよく調べ、考え、選挙に行くということが、一番現状を改善していくための近道ではないかと思い始めました。
岡山に住んでいますが、影ながら応援していきたいと思います。
小坪さんのように、日本の若者のために頑張って下さる方が、今後も増えていくことを願ってやみません。長文失礼致しました。