1 サヨクという汚物を描写する意味
このページを読まれた読者は、楽しい気分になられただろうか。おそらくは、どちらかというと嫌な気分になるに違いない。読者がサヨクである場合はもちろん、そうでなくとも。
それは、サヨクという誰も見たくもない気持ち悪いシロモノを、これでもかと克明に描写しているからだ(もちろん、読者がサヨクである場合は、自分が批判されているからだが)。いわば、大便の形状や臭いをこれでもかと克明に描写しているようなものだ。異常な趣味の持ち主は除いて、普通は嫌になるものだ。その意味で、サヨクマニアとは、ほとんどスカトロマニアに似ている。
好き好んで道楽で汚物(サヨク)掃除をする馬鹿は、筆者くらいのものだ。でも、誰かがやらなければならない。
サヨクという現代日本の汚物から、目をそらしてはならない。便所の汚れから目をそらし便所掃除をしない有り様を、清潔とは言わない。清潔とは、汚れを直視し、きちんと便所掃除をすることをいう。
@ ボクチン、アジア様に謝りたいいいいん。イジメテイジメテ。
@ イジメテもらうためだったら、ウソだって、捏造しちゃううん。
@ ほうら支那政府様が おいかりじゃああああ。ひれ伏せええええ。頭が高いいい。
ああもう気持ち悪い。
このサヨクという不愉快なシロモノは、戦後日本が生み出した最も汚らしい垢である。それが何一つ処理されず、五十年以上延々と溜まり続けたのだ。もう冷戦は終わっている。新しい日本の生成には、まず徹底した汚物掃除から始めなければならない。
2 サヨク問題は我々国民が取り組むべき課題
汚物掃除をするといっても、筆者のみでなしうるものではない。また、朝日新聞などサヨクによるでっちあげ報道の被害者にのみ、サヨク問題を押し付けるのは酷である。もう、元日本兵など報道被害者は疲れきっている。あまりにひどい捏造や、それを正すための長い裁判闘争により、御病気になられた御老人もいらっしゃる。
あらゆる場所に、サヨク思想を吹き込むヤツらがいる。学校にマスコミに議会に。国民にとっての真の標的は、こういう下級サヨクの脳みそに汚物を流し込む上級サヨクだ。上級サヨクの兵隊となって働く下級サヨクもまた、こういった上級サヨクによる犯罪の被害者である。
上級サヨクを学校から、マスコミから、議会から駆逐しなければならない。それは決して国民一人の力でみではできない。あらゆる国民の協力が必要だ。
日本に巣食うサヨクとは、
@ 朝日など巨大マスコミ
@ 日教組など官僚
@ 共産党、社民党などの議員、政治家
である。
今の日本でこれほど強大な存在はないと言ってもいい連中だ。おまけに支那政府など外国政府の後ろ盾のある連中(つまりは売国奴)もいる。これほどまでに強大であるからこそ、教科書に嘘記述をできたのであり、さんざん嘘報道を垂れ流すなどという大スキャンダルを犯してきても誰も手出しができなかったのだ。
かつては、大東亜戦争の利点を述べただけで戦争愛好者のような言われかたをした。サヨクの言論統制により、日本の国そのものが異様なサヨク硬直にあったのだ。
しかしもう時代は変わった。我々国民が協力すれば、恐れることはない。一人一人の力が小さくとも、我々国民が協力して以下の対処を行えば、サヨクを日本から駆逐できる。
@ サヨクを学校から駆逐する方法→サヨク教育をやらせない監視を父母が協力して行う
@ サヨクをマスコミから駆逐する方法→サヨク新聞やサヨク雑誌は買わない。(テレビについては即時対処なし)
@ サヨクを議会から駆逐する方法→いうまでもない。落選させる。共産党や社民党などサヨクを。
あきらめる必要など全くないのだ。現に朝日など、権威の仮面の下にある正体を国民に見抜かれ出し、順調に年々売り上げ部数を減らしている。憲法論議もあらゆる場所で開始された。国民の協力があれば、サヨクの駆除は決して不可能ではない。日本における本当の意味での冷戦の終了は、そんなに遠くないはずである。
3 まだまだ不足しているサヨク批判の声(単なる論争趣味に陥ってはならない) [執筆日:H12/1/13]
昨今サヨク批判の声が増えている。当然のことであり結構なことである。しかしながら、まだまだ不足していると言わざるえない。
サヨクを潰していくためには、少なくともサヨクが行うニホングンギャクサツゴーカン捏造プロパ以上の量のサヨク批判が行なわれねばならない。しかしながら現状は全くそうなっていない。
現状は、
1: サヨクによる日本軍冤罪捏造プロパ
2: 捏造被害を受けた元日本兵や関係者が嘘プロパの看破
の繰り返しに終始している。
無論2:は重要である。(というより元日本兵は、狂人からの捏造攻撃の相手を無理矢理させられる羽目になっていると言うべきだが。)またサヨクを相手にした言論の多くが、2:である。
しかしながら、2:に終始するだけではダメである。2:のみをいくら繰り返しても、サヨウはびくともしない。サヨクは2:に思考停止し、既に嘘だと証明された1:を繰り返したり、新たな1:の捏造を繰り返すのみである。
これから必要なのは、2:に加えて
3:徹底したサヨク批判(少なくとも1:以上の量の)
が必要なのだ。
サヨクが1:を行う程、サヨクが批判され疲弊していく状態を作り出す必要がある。こういう状況が生まれて始めて1:の発生が抑止され多くの元日本兵の人権が守られる結果となる。本当に元日本兵の無念や苦しみに目を向けるのであるなら2:の繰り返しだけに終始できないはずだ。
2:のみの繰り返しを行う有り様は、ある意味言論ゲームを楽しむ有り様を思わせる。サヨクの1:に積極的に相手になってやり、論争ごっこを楽しんでるかのように感じる場合がある。つまりサヨクの卑劣な捏造プロパへの怒りが全く無く、オトモダチライバル化しているわけだ。こういう論争趣味人間は結構多いように思う。我々はこうならないように自戒するべきだ。
1:の相手になってやることは、ある意味サヨクに1:のやり甲斐を与える結果となる。相手にしてやりサヨクの論争趣味を満たすだけという結果となる場合がある。1:をシカトし徹底した批判のみが返るとなると1:のやり甲斐が消滅する。
これからは、サヨクによる捏造の看破以上に徹底したサヨク批判が必要だ。またサヨクによる捏造の看破もまたサヨク批判という結論になるべきなのだ。決してサヨクの論争趣味を満たすだけの結果に終わってはならない。
サヨクは多くの媒体により捏造プロパを行っている。テレビ、新聞雑誌など強大なメディアや公教育により。
それに対して我々国民は指を咥えているだけではだめだ。積極的に教育、映画、マスコミ、インターネット、著作その他多くの媒体により、サヨクが犯したあるいは犯している罪の歴史を流布し、戦後の過ちを反省し抑止する必要があるのだ。