小坪慎也<こつぼしんや> プロフィール
昭和53(1978)年11月16日福岡県生まれ。
行橋市立蓑島小学校、行橋市立今元中学、福岡県立豊津高等学校を経て、国立九州工業大学工学部を卒業。
卒業後は、自動車部品メーカーにおいて開発の現場に携わり、新車設計等の事業部に従事。品質保証、基礎設計の重要性を学んだ。入社の前後に派遣社員が製造現場に拡充され、同世代の派遣さんたちを前に苦悩する。
また、ホワイトカラーエグゼプションの先行導入にも大きな迷い、苛立ちを覚えた。
在学中より自動車が大好きであり、好きのレベルは、単純にドライブなどではなかった。ディーラーで5年ほど丁稚を行い、ロータリーエンジンのOHなどを通して機械部品の美しさを知る。また自ら図面を引き、強度計算を行い、かつ旋盤を操作していく。部品加工の面白み、それらを数万点集めた「自動車」という技術者・設計者の集大成に惹かれていく。
その中で、工業立国「日本」というものの歴史、深淵が刻まれていた車種も多い。私の愛したロータリー、またスカイライン、フェアレディZ。これらには戦後日本が「世界に再度挑戦する」という気概に溢れたエピソードがあった。
愛してやまない自動車。望んで入社した「自動車部品メーカー」であったが、開発の現場は夢と希望には、溢れていなかった。「製造派遣との格差」の問題、そしてサービス残業の問題、同世代間の賃金格差の問題。私は世間一般で言う「勝ち組」であったことは間違いない。しかし、自動車を愛する同好の士たちは、決してそうばかりではなかったのが実態だ。
若くして、派遣を部下として、年上を役職上の部下として扱う。また賃率なども確認できる立場であった。深く深く悩み、政治に恨み節を吐いた時期もある。
「グラスに吐いた愚痴」は、消えてなくなるだけだ。
本気であれば、本当に大事な思いがあれば、ただの酒の上での愚痴にしてはならない。
幸いにして、自動車産業全般の知識、そして大量の書類等の処理能力。
「当時の大人たち」が私たち若者に用意してくださった「いわゆるブラック企業の現場」は、私のスキルを大幅に高めてくださっていた。
私なら、やれる。
私なら、戦える。
即戦力として、一線を支えてみせたい。
全国区の保守活動家として活躍。
最大値で年間アクセス2億PVを稼ぎだす。
麻生政権末期より民主党政権の危険性を訴え、落選中であった自民党支部長(元国会議員)たちと各種の戦線を渡り歩く。
最大時で、国会議員陳情が70事務所以上。
地方議決200自治体以上。
国会法に基づく請願、単年度実績で日本会議を上回る。
持ち前のフットワークの軽さと実行力から、全国に活動家仲間・地方議員仲間が多い。
平成24年度、行橋市議会議員に初当選。
追記)
29歳で初出馬、ベテラン勢を抑えるものの僅差で落選。
のち浪人中に政治活動に特化。
公職に就く前に作成した請願一覧、リンク先に紹介議員あり。