行橋市長選挙(及び市議補欠選挙)の結果が出ました。
<市長選挙>
田中純、勝利です。
新市長の誕生を、新たな市政への期待という側面から喜ばしく思うと共に善政をしいて頂けると確信しております。
<市議補欠選挙>
井上新市議が誕生しました。30という若さであり、これで名実ともに『最年少市議会議員』という肩書きは使えなくなりましたね。(画像バナー、どうしましょう汗)
井上くん、今後ともよろしくお願いします。
田中新市長は、八回目の市長選の挑戦です。
県議選を入れれば九回の選挙を経ての、初めての市長選勝利。
国家一種公務員、また30前半で日本大使館一等書記官を拝命するというエリート中のエリートでした。
その安定を辞して、地元の首長を狙うこと28年。
婦人からの挨拶にもありましたが、子供さんが二歳の時に選挙開始。
その子がもうすぐ30になるそうです。
田中純候補が国家中枢のエリートという道を捨て、地元を愛する戦いに挑戦したとき。
私は、当時小学校低学年でありました。
その私が市内最年少の議員としてお支えしているのですから時代を感じます。
長い、長い戦いでした。
あまりに長い戦いでした。
毎度毎度の接戦。
前回に至っては79票差。
私も末席ながら市議団の一員として支援させて頂きました。
嬉しいは嬉しいのですが、(もちろん本心から喜んでおります)
勝利の喜びを噛みしめる、という気分にはなれず。
なんというか、私の喜ぶべきことではないというか。
もっと正確に言えば、祝うことであって私が主として喜んではいけないのだと思う。
(伝わりにくいと思います。)
この勝利は、ほぼ30年近くにわたり候補を支え続けた後援会。
8回もたすき掛けをした奥様のもの。
「やっと」という思いと、その笑顔を見て「やって良かった」というのが偽らざる本心。
私はたったの半年程度です。
30年近い重みとは、同列に語る気分にはなれなかったということです。
この伝えきれない微妙なニュアンスが、きっと私らしさなのだと思う。
選対本部長であった城戸議長。
38歳より、市長選挙を田中純で戦い続けてきました。
つまり今の私とほぼ同じ年から戦い続けてきました。
お疲れ様でした。
支え続けてきた後援会に、お疲れ様でした。
8回目のたすき掛けが叶った奥様に、おめでとうございます。
末席を暖めることができ、そして政治の深淵を学ばせて頂くことができ本当に嬉しく思います。
さて。
他の皆様には、「お疲れ様でした!」でありますが・・・
田中純新市長には、お疲れ様とはいえません。
お疲れかと思いますが、市長として市民のため粉骨砕身、さらに働いて頂かねば。
通常であれば「田中市政をお支えし」と結びたいところでありますが、私は政策論争が滅法好きであります。
胸を借りるつもりで、全力での政策論争、びりびりした一般質問をしかると思います。
よろしくお願いします。
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2期目突入を期待いたします。
頑張ってください!