本日、福岡では筥崎宮において「憂国忌」が挙行されます。
主催団体は福岡黎明舎、先輩らに可愛がって頂くと共に、私も名を連ねております。私の、毎年の恒例になっております。昨今の世界情勢、そして国内の政治情勢を鑑みても振り返って頂きたい一日。
宮中祭祀のひとつで収穫祭にあたります。
陛下が五穀の新穀を天神地祇(てんじんちぎ)に進め、また、自らもこれを食して、その年の収穫に感謝する日です。
今回で第五十五回。
昭和45年11月25日、東京・市ヶ谷の自衛隊駐屯地で国を憂いて割腹されました。
敗戦の大きな十字架のひとつとして、政治的にも中途半端、違憲状態に置かれた「自衛隊」の存在がありました。
”檄”という、凄まじい名文を残している。
毎年、この文章に触れる度、様々なことを考えてしまう。
是非、皆様にもお読み頂きたい。
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憂国忌
非常に乱暴な言い方をすれば「三島由紀夫先生の法事」になります。
福岡の憂国忌は非常に大きな規模であり、筥崎宮で挙行されます。
楯の會隊長、三島由紀夫先生は、昭和45年11月25日、東京・市ヶ谷の自衛隊駐屯地で国を憂いて割腹されました。
敗戦の大きな十字架のひとつとして、政治的にも中途半端、違憲状態に置かれた「自衛隊」の存在がありました。
これを、軍という適法な状態に戻すための動き、つまり憲法改正の契機として注目されたのは、左翼デモ隊に対しての治安出動、つまり警察力をもって鎮圧不可な状況に陥って自衛隊が出動することでありました。
「檄」のすべてが秀逸な言葉でありますが、その中において「国体を守るのは軍隊であり、政体を守るのは警察である。」とあります。
三島先生は、続けて「政体を警察力を以て守りきれない段階に来て、はじめて軍隊の出動によって国体が明らかになり、軍は建軍の本義を回復するであろう。」と述べられています。
その「憲法改正の機運、チャンス」は失われてしまう。
自衛隊の、いや存在せぬ幻の日本軍、その名誉のため割腹されたのだと思う。
三島由紀夫先生の遺志を学ぶと共に、森田必勝烈士ともどもに魂を鎮めるのが憂国忌である。
いまの世においても、しっかり通用する問題を強く指摘されておられます。
もし読んだことのない方がおられたら、是非、じっくりと読み込んでください。
非常に重要なこと、失われつつある日本が、そして日本への愛が語られています。
われわれ楯の会は、自衛隊によって育てられ、いわば自衛隊はわれわれの父でもあり、兄でもある。その恩義に報いるに、このような忘恩的行為に出たのは何故であるか。
かえりみれば、私は四年、学生は三年、隊内で準自衛官としての待遇を受け、一片の打算もない教育を受け、又われわれも心から自衛隊を愛し、もはや隊の柵外の日本にはない「真の日本」をここに夢み、ここでこそ終戦後ついに知らなかった男の涙を知った。ここで流したわれわれの汗は純一であり、憂国の精神を相共にする同志として共に富士の原野を馳駆した。このことには一点の疑いもない。われわれにとって自衛隊は故郷であり、生ぬるい現代日本で凛冽の気を呼吸できる唯一の場所であった。教官、助教諸氏から受けた愛情は測り知れない。しかもなお、敢えてこの挙に出たのは何故であるか。たとえ強弁と云われようとも、自衛隊を愛するが故であると私は断言する。
われわれは戦後の日本が、経済的繁栄にうつつを抜かし、国の大本を忘れ、国民精神を失い、本を正さずして末に走り、その場しのぎと偽善に陥り、自ら魂の空白状態へ落ち込んでゆくのを見た。政治は矛盾の糊塗、自己の保身、権力欲、偽善にのみ捧げられ、国家百年の大計は外国に委ね、敗戦の汚辱は払拭されずにただごまかされ、日本人自ら日本の歴史と伝統を涜してゆくのを、歯噛みをしながら見ていなければならなかった。
われわれは今や自衛隊にのみ、真の日本、真の日本人、真の武士の魂が残されているのを夢みた。しかも法理論的には、自衛隊は違憲であることは明白であり、国の根本問題である防衛が、御都合主義の法的解釈によってごまかされ、軍の名を用いない軍として、日本人の魂の腐敗、道義の頽廃の根本原因を、なしてきているのを見た。もっとも名誉を重んずべき軍が、もっとも悪質の欺瞞の下に放置されて来たのである。自衛隊は敗戦後の国家の不名誉な十字架を負いつづけて来た。自衛隊は国軍たりえず、建軍の本義を与えられず、警察の物理的に巨大なものとしての地位しか与えられず、その忠誠の対象も明確にされなかった。われわれは戦後のあまりに永い日本の眠りに憤った。自衛隊が目ざめる時こそ、日本が目ざめる時だと信じた。自衛隊が自ら目ざめることなしに、この眠れる日本が目ざめることはないのを信じた。憲法改正によって、自衛隊が建軍の本義に立ち、真の国軍となる日のために、国民として微力の限りを尽すこと以上に大いなる責務はない、と信じた。
四年前、私はひとり志を抱いて自衛隊に入り、その翌年には楯の会を結成した。楯の会の根本理念は、ひとえに自衛隊が目ざめる時、自衛隊を国軍、名誉ある国軍とするために、命を捨てようという決心にあつた。憲法改正がもはや議会制度下ではむずかしければ、治安出動こそその唯一の好機であり、われわれは治安出動の前衛となって命を捨て、国軍の礎石たらんとした。国体を守るのは軍隊であり、政体を守るのは警察である。政体を警察力を以て守りきれない段階に来て、はじめて軍隊の出動によって国体が明らかになり、軍は建軍の本義を回復するであろう。日本の軍隊の建軍の本義とは、「天皇を中心とする日本の歴史・文化・伝統を守る」ことにしか存在しないのである。国のねじ曲った大本を正すという使命のため、われわれは少数乍ら訓練を受け、挺身しようとしていたのである。
しかるに昨昭和四十四年十月二十一日に何が起ったか。総理訪米前の大詰ともいうべきこのデモは、圧倒的な警察力の下に不発に終った。その状況を新宿で見て、私は、「これで憲法は変らない」と痛恨した。その日に何が起ったか。政府は極左勢力の限界を見極め、戒厳令にも等しい警察の規制に対する一般民衆の反応を見極め、敢えて「憲法改正」という火中の栗を拾はずとも、事態を収拾しうる自信を得たのである。治安出動は不用になった。政府は政体維持のためには、何ら憲法と抵触しない警察力だけで乗り切る自信を得、国の根本問題に対して頬かぶりをつづける自信を得た。これで、左派勢力には憲法護持の飴玉をしやぶらせつづけ、名を捨てて実をとる方策を固め、自ら、護憲を標榜することの利点を得たのである。名を捨てて、実をとる! 政治家たちにとってはそれでよかろう。しかし自衛隊にとっては、致命傷であることに、政治家は気づかない筈はない。そこでふたたび、前にもまさる偽善と隠蔽、うれしがらせとごまかしがはじまった。
銘記せよ! 実はこの昭和四十四年十月二十一日という日は、自衛隊にとっては悲劇の日だった。創立以来二十年に亘って、憲法改正を待ちこがれてきた自衛隊にとって、決定的にその希望が裏切られ、憲法改正は政治的プログラムから除外され、相共に議会主義政党を主張する自民党と共産党が、非議会主義的方法の可能性を晴れ晴れと払拭した日だった。論理的に正に、この日を境にして、それまで憲法の私生児であつた自衛隊は、「護憲の軍隊」として認知されたのである。これ以上のパラドックスがあろうか。
われわれはこの日以後の自衛隊に一刻一刻注視した。われわれが夢みていたように、もし自衛隊に武士の魂が残っているならば、どうしてこの事態を黙視しえよう。自らを否定するものを守るとは、何たる論理的矛盾であろう。男であれば、男の衿がどうしてこれを容認しえよう。我慢に我慢を重ねても、守るべき最後の一線をこえれば、決然起ち上るのが男であり武士である。われわれはひたすら耳をすました。しかし自衛隊のどこからも、「自らを否定する憲法を守れ」という屈辱的な命令に対する、男子の声はきこえては来なかった。かくなる上は、自らの力を自覚して、国の論理の歪みを正すほかに道はないことがわかっているのに、自衛隊は声を奪われたカナリヤのように黙ったままだった。
われわれは悲しみ、怒り、ついには憤激した。諸官は任務を与えられなければ何もできぬという。しかし諸官に与えられる任務は、悲しいかな、最終的には日本からは来ないのだ。シヴィリアン・コントロールが民主的軍隊の本姿である、という。しかし英米のシヴィリアン・コントロールは、軍政に関する財政上のコントロールである。日本のように人事権まで奪はれて去勢され、変節常なき政治家に操られ、党利党略に利用されることではない。
この上、政治家のうれしがらせに乗り、より深い自己欺瞞と自己冒涜の道を歩もうとする自衛隊は魂が腐ったのか。武士の魂はどこへ行ったのだ。魂の死んだ巨大な武器庫になって、どこかへ行こうとするのか。繊維交渉に当っては自民党を売国奴呼ばはりした繊維業者もあったのに、国家百年の大計にかかわる核停条約は、あたかもかつての五・五・三の不平等条約の再現であることが明らかであるにもかかわらず、抗議して腹を切るジエネラル一人、自衛隊からは出なかった。
沖縄返還とは何か? 本土の防衛責任とは何か? アメリカは真の日本の自主的軍隊が日本の国土を守ることを喜ばないのは自明である。あと二年の内に自主性を回復せねば、左派のいう如く、自衛隊は永遠にアメリカの傭兵として終るであらう。
われわれは四年待った。最後の一年は熱烈に待った。もう待てぬ。自ら冒涜する者を待つわけには行かぬ。しかしあと三十分、最後の三十分待とう。共に起って義のために共に死ぬのだ。日本を日本の真姿に戻して、そこで死ぬのだ。生命尊重のみで、魂は死んでもよいのか。生命以上の価値なくして何の軍隊だ。今こそわれわれは生命尊重以上の価値の所在を諸君の目に見せてやる。それは自由でも民主主義でもない。日本だ。われわれの愛する歴史と伝統の国、日本だ。これを骨抜きにしてしまった憲法に体をぶつけて死ぬ奴はいないのか。もしいれば、今からでも共に起ち、共に死のう。われわれは至純の魂を持つ諸君が、一個の男子、真の武士として蘇えることを熱望するあまり、この挙に出たのである。
三島由紀夫
三島由紀夫先生の最後の演説
三島先生、森田烈士の辞世の句を紹介します。
意味についてはここでは解説いたしません。
まずご自身でお読み頂き、その意味を知ろうとしてみてください。
それが国を思うこと、憂うことを知ることになると思います。
三島由紀夫・辞世の句
益荒男が たばさむ 太刀の 鞘鳴りに
幾とせ耐えて 今日の初霜
散るをいとふ 世にも人にも さきがけて
散るこそ花と 吹く 小夜嵐
森田必勝・辞世の句
今日にかけて かねて誓ひし 我が胸の
思ひを知るは 野分のみかは
昭和5年の作曲です。
青年日本の歌 映画 『2・26』 より
皆様は、この歌を聴いてどのように感じますか?
古臭い過去の出来事でしょうか。私はそうは思いません。
作詞・作曲:三上 卓
著作権:無信託
一、
汨羅(べきら)の渕に波騒ぎ
巫山(ふざん)の雲は乱れ飛ぶ
混濁(こんだく)の世に我れ立てば
義憤に燃えて血潮湧く
二、
権門(けんもん)上(かみ)に傲(おご)れども
国を憂うる誠なし
財閥富を誇れども
社稷(しゃしょく)を思う心なし
三、
ああ人栄え国亡ぶ
盲(めしい)たる民世に踊る
治乱興亡夢に似て
世は一局の碁なりけり
四、
昭和維新の春の空
正義に結ぶ丈夫(ますらお)が
胸裡(きょうり)百万兵足りて
散るや万朶(ばんだ)の桜花
五、
古びし死骸(むくろ)乗り越えて
雲漂揺(ひょうよう)の身は一つ
国を憂いて立つからは
丈夫の歌なからめや
六、
天の怒りか地の声か
そもただならぬ響あり
民永劫(えいごう)の眠りより
醒めよ日本の朝ぼらけ
七、
見よ九天の雲は垂れ
四海の水は雄叫(おたけ)びて
革新の機(とき)到りぬと
吹くや日本の夕嵐
八、
ああうらぶれし天地(あめつち)の
迷いの道を人はゆく
栄華を誇る塵の世に
誰(た)が高楼の眺めぞや
九、
功名何ぞ夢の跡
消えざるものはただ誠
人生意気に感じては
成否を誰かあげつらう
十、
やめよ離騒(りそう)の一悲曲
悲歌慷慨(こうがい)の日は去りぬ
われらが剣(つるぎ)今こそは
廓清(かくせい)の血に躍るかな
昭和五年
……作詞者の三上卓は海軍少尉で、昭和5年5月24才の時佐世保でこの歌を発表した。以来、昭和7年の5.15事件、昭和11年の2.26事件に連座した青年将校などが歌い継いだ。
紀元前3?4世紀頃、中国は戦国時代にあった。当時揚子江流域一体を領土としていた楚に、屈原という人物がいた。詩人であり政治家でもあった屈原は、王への進言をことごとく側近に邪魔され、遂には失脚させられて追放される。しかし屈原は他の国に仕えることをせず、祖国の滅亡の危機を憂いながら洞庭湖畔汨羅の川に身を投げた。楚はやがて秦に滅ぼされ、以来屈原は「不運の愛国者」の代名詞となった。
この歌はこの故事を冒頭に引いている。ちなみに、端午の節句の「ちまき」は彼に由来する。
今年も所縁のある講師です。
楯の会初代学生長・持丸博と同特別会員・松浦芳子(元杉並区議)の子供、元職ですが地方議員です。
日時:令和7年11月23日(祝・日)13時半より
場所:筥崎宮 参集殿
内容:神事、式典、記念講演、直会
テーマ:「三島由紀夫の大義 –生きるという意味を問う–」
講師:松浦威明先生(元杉並区議会議員)
昭和46年生まれ。楯の会初代学生長・持丸博と同特別会員・松浦芳子(元杉並区議)の間に生まれる。三島由紀夫の本名である「公威」の一字を本人から拝名。平成16年~天津日嗣の保守活動を経て、平成31年、杉並区議会議員当選。林英臣政経塾10期生。
会費:3,000円(学生1,000円)
請願を主軸とした、保守系ロビイスト集団の長として戦った民間人時代。
ネットでは異色とされた、行政手段を連打する手法は、
左派の手段を研究し尽くした結果であるとともに、
古くからの「リアル保守」が得意とした手法です。
その原風景は、保守王国福岡県において、
最も激しく(私の知る限りでは)歴史の長い、福岡黎明社の先輩方の教育によるものです。
もっと言えば、亡くなった辻幸男先生の後姿。
名前を出して良いかはわかりませんが、藤井守人さんの生き様にある。
同期の本山くん、大島くん。
それぞれが保守団体の幹部として活躍しております。
藤井さんは、いまは救う会福岡の代表に。
そして、黎明社の代表代行。
時代の変化を感じます。
私の、議員としての手法は、実は”非常に古臭い”と言われることもある。
若さに力点を置いた”速さ”ではなく、緻密さや段取りなどについては「まるで古参」という評価。
昨今では絶えた、いわゆる議会での「筋」の話、通し方などが、まるで「年配の議員と接しているよう」というもの。
理由はシンプルだ。
私を政治家として形作った者たちは、ネットを発祥とした者ではない。
あまたの鞍馬天狗たちが、相当に名のある活動家たちが、
共に戦線を駆け抜ける中、後姿をもって、
結果的には「英才教育を施し続けてきた」ようなもの、だからだ。
私の喧嘩は、決して新しくはない。
だが、それが弱いとは思わない。
ほぼ絶えてしまった、古き時代の保守の”覚悟”を伴う斬り結び方。
今でも、通用するものだと証明してみせたい。
私たちは、基本的に「乗り込む」し、リスクを背負って前線に立つ。
こちらもリスクは背負うが、目の前に立った者には「同じリスク」を背負って頂く。
自爆覚悟で、常に、前に。
居合いの速さで正面突破、
撃った者は、決して無事では済ませない。
これが先人たちの後姿より学んだこと。
GHQが悪い、戦後教育が悪い。
それはそうなのだろう、私も同意する。
けれども少し厳しいことも言わせて頂く。
などと言って、何もせぬ日本人が悪いと思います。
憲法が悪い?
家族を拉致された、被害者である家族会が憲法改正までせねばならないのか?
教育が悪い?
家族を拉致された、被害者である家族会が教育改革までせねばならないのか?
貴方は、あれが悪い、これが悪いと言うだけなのか。
悪いものを指摘するだけでは、それでは不信をもたれる政治と同じなのだと、
それがどうしてわからないのか。
政治は民意の集合体であるならば、
どうしても自分も悪いと思えないのか。
どことなく他人行儀の、そんな日本人が一番悪いと思う。
この言葉は、私自身に、自らに返ってくるとわかって書いている。
そう、力もなく、何の動きもできぬ私が悪い。
皆様は、市議になって以降の私しか知らないと思います。
政治活動・戦い方の原型は、活動家として鍛えて頂いた結果です。
インフルエンサーという言葉が浸透する以前より、正確に言えばネットが発祥する以前から、数十年スパンで動いてきた保守団体。
雨の日も風の日も、拉致被害者と共に立ち続けてきた先輩方に育てて頂きました。
(福岡県を相手取り、朝鮮学校の支出金に対して最高裁まで戦い抜いた方々と言ったほうが伝わるかも知れません。)
今日は、今日だけは、元活動家としてBlogを書かせて頂きたかった。
拉致被害者の全員奪還を。
この国が、国家としての責務を果たし、
我が国が国家である矜持を持つために。
何よりも離れ離れにされた家族が、ひとつに戻れるように。
三島由紀夫烈士の言葉を、今日、振り返りたい。
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※ 本稿は2018年の記事を再編集したものになります。そう、この記事自体も少し古いものになるのです。
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国家は国語なり
三島由紀夫
7年前のご自身の発信から、今のご自身が誇れる状態なら、それを継続されれば良いでしょうし、そうでないのであれば、今一度よく振り返り、軌道修正されていけば良いと感じます。
私にとって三島由紀夫を偲ぶには学生の頃に浸った美麗で華麗な文章の数々の文学ですが、多分全部読んだと思っていたのが何年か前に文学全集の中にだけ入っていたのと廃版になってたのが文庫本で復刻されて、文学だけでなくこんな大衆小説も書ける人だったと驚きました。今ネットから知識や情報を得てる時代の若者層は果たして三島を読んだりするのかしらとネットをやり出してから本が読めなくなった私は思います。三島由紀夫の市ヶ谷での国を憂いての檄と命を絶ってまでの激しい憤りの事は大人になってから随分色々考えました。三島由紀夫は生きて強烈なインパクトを与え続ける言論人として生きて行く事も出来た筈なのに何故死ななくてはならなかったのか。三島由紀夫の美学では老いさらばえて生きるのを潔(よ)しとしなかったのも背景にあるのではないか。三島が「肉体の悪魔」と「ドルジェル伯の舞踏会」の二冊だけを書いて強烈な印象を遺したまま二十歳で夭折したレイモン・ラディゲに憧れていた事は良く知られていて題名は忘れたけど「ドルジェル伯の舞踏会」を元にしたあらすじの物語も書いています。それとノーベル文学賞に川端康成が選ばれてしまった絶望もあったのではないか。大江健三郎(の好きな人御免なさい)が貰えたのに、何で三島由紀夫は受賞出来なかったのか酷くないですか。三島が受賞しなかったのは残念で堪らない。以上、感想です
三島由紀夫を国粋主義で憂国の士としての記憶だけではなく日本語の粋を極めた、洗練された美しい日本語で著した文学にも是非関心を持って上げて下さい。
旧敵国条項は、1995年の国連総会決議により「死文化」していると、オールドメディアも報じています。
それは、敵国を封じ込める意味の「憲法9条」も、同じく死文化しているとの解釈でよろしいかと。
ある意味、国連が日本に軍隊を持つことを容認(曖昧)しているかと。
日本が提唱した「自由で開かれたインド太平洋」を始め、インド洋と太平洋の地域を結びつけ、法の支配や市場経済を重視する国々が協力して、平和と繁栄を目指す構想からすれば、日本に正式な軍が無ければ、各国との連携がスッキリしません。
また、中華人民共和国は、ナンチャッテ戦勝国ですからね。
憲法改正が叶えば、三島由紀夫氏の想いも・・・
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神無月様、各位
然しながら、GHQ(WIGP)戦勝国俱楽部国連の「敵国条項」は活きているのでは?
横田管制は雨子のままでしょ。
現在の中共が「戦勝国気取り」しているのは、虫酸が走りますね。
台湾が正当なんだけどね。
常磐本線さま
第二次世界大戦の戦勝国連合は、主に’’アメリカ合衆国、イギリス、ソ連、フランス、中国’’などですね。
ソ連は崩壊して、中国は戦後に生まれた国ですので、日本に関係するのはアメリカ合衆国だけ?
ご存知のとおり、アメリカは日本に対して民間人の大量虐殺なる戦争犯罪を行い、それを正当化する手段が東京裁判なわけで。
ドイツ、イタリアには戦後も軍を持たせ、NATOのコマに。
日本に対しては、アメリカに二発の原爆を落とす権利を持つ日本を恐れて、軍を放棄させる思惑が当時のWIGPなのでしょう。
朝鮮戦争時に、吉田茂首相はアメリカから憲法改正(再軍備)の強い要請を受けましたが、国内世論の反発や、日本の経済復興を最優先する自身の政治構想に基づき、改正を拒否しました。(AI検索)
アメリカは後悔しているのかも知れません。9条が今だに守ら続けている事に(日本を守らなければならない?)
まあ、専守防衛としながら、アメリカ軍需産業に貢献しているのですから、既に敵国とは・・・
さて、戦勝国?の中国からの嫌がらせを、オールドメディアが盛り上げていますね。
個人的には、新型コロナウイルスは武漢のウイルス研究所からのものとされていますので、日本は中国に被害額を請求する権利があるはずで、匂わせてみれば?
(元のウイルスは、アメリカからなので公には・・・)
高市政権は、女性陣が各々活躍されていて目立つので、男性陣は実務に専念出来そうですね。
以前から書こうと思っていたことですが、高市早苗女史は、「白狐」に見えるんです。
お顔の雰囲気と、妖気を感じさせるオーラです。
※白狐は稲荷神の神使(神様のお使い)であり、命婦専女神(みょうぶとうめのかみ)という神様自身としても扱われることがあります。人々は、五穀豊穣や商売繁盛などを司る稲荷神の使いである白狐に、開運や守護を願って信仰を寄せていると。
因みに、片山さつき女史は「フクロウ」でしょうか。
夜目(裏の仕組)が利くことや、知恵の象徴と。
新しい風が、日増しに強くなっているようですね。
.
中津城の入り口に福沢諭吉先生の言葉を刻んだ大きな碑塔があります。
「独立自尊」
この言葉は諭吉先生の言われた深い意味合いが勿論ありますが、
そうでなくてもこの言葉から受ける衝撃は大きいと私は思いますね。
ひとりたつことで初めて自らの尊厳を獲得し得る。
本来の人間の生き方の基本、根源的なものをまた、諭吉先生から
教わった気がします。
ここ暫く更新が止まってるという事は、きっと多忙なのだと推察して居ります。
まぁ、闇クマさんがちょくちょく触れるので、更新出来無いのも然もあらんと言った感じですが。
扨て、最近は政治的話題をAIから得るなんて事も増えて居るのではないでしょうか。
10年前なら考えられもしなかったですし、精度の向上も目まぐるしいものがあります。
所がこのAI、精度は上がって居るのは事実ですが、人間の言う「結構です」を人によって捉え方が変わってしまう様に、AIも意図した質問と異なる解釈で回答したりして、中々面白い回答をよこしたり、回答が表面的なものに終始したりと、欲しい回答が得られなかったりする事があります。
そこで、少々実験してみました。
■ 使用AI
Google Gemini 思考モード
■ お題
韓国ソウルの旧日本大使館跡地を手放したらどうなるか?
■ プロンプト①
ソウルにある旧日本大使館跡地(鍾路区中学洞)は、2015年の建物解体から10年以上が経過した現在も更地のままとなっており、日韓関係の象徴的な場所となっています。
もしこの土地を「返還(譲渡)」あるいは「売却」した場合、以下のような外交・法的・実務的な影響が考えられます。
1. 「返還(譲渡)」した場合の影響
ここで言う「返還」は、日本政府が土地所有権を韓国政府に譲渡、あるいは無償提供するケースを指します。
政治的・象徴的意味: 日本側が「少女像(平和の少女像)問題」や「水曜集会」による建替えの困難さを認め、事実上その場所での外交活動を断念したと見なされます。韓国の市民団体からは「市民の勝利」と歓迎される一方、日本の国内世論では「外交的敗北」との批判が強まる可能性があります。
跡地の利用: 韓国政府が買い取る、あるいは寄付を受ける形になれば、その場所が「歴史記念公園」や「慰任婦問題の資料館」として整備される可能性が高いです。これは、日本政府にとってはさらなる外交的プレッシャーになる恐れがあります。
2. 「売却」した場合の影響
民間企業や第三者に売却する場合、より実務的なハードルが生じます。
外交特権(ウィーン条約)の消失: 現在、跡地は「外交公館の敷地」としてウィーン条約に基づき保護されています(不可侵性など)。売却して民間地になればこの保護はなくなり、韓国の国内法が全面的に適用されます。
資産価値と買い手のリスク: 跡地はソウル中心部の超一等地にあり、資産価値は極めて高いです。しかし、目の前に「少女像」があり、毎週大規模な抗議集会が開かれる場所に、多額の投資をしてビルを建てようとする民間企業は現れにくいのが実情です。
「少女像」問題の移転: 所有者が日本政府から民間(あるいは韓国政府)に移ったとしても、像の撤去や移転に関する合意がない限り、像はそのまま残ります。新しい所有者は、このデリケートな政治的問題を直接抱え込むことになります。
3. 共通する課題と制約
返還・売却のいずれにおいても、以下の制限が障壁となります。
文化財保護法による高さ制限: 跡地は景福宮(キョンボックン)に近いため、韓国の文化財庁による厳しい高さ制限(歴史文化環境保存地域)がかかっています。過去には、日本政府が計画した高層の建替え案がこの規制を理由に難航した経緯があります。
建築許可の再取得: 2019年に日本政府の建築許可は一度取り消されています。新たな持ち主が何かを建てる場合、ゼロから許可を得る必要がありますが、政治的な注目度が高いため、行政手続きがスムーズに進まないリスクがあります。
まとめ:現在の展望
2025年現在、日韓関係はシャトル外交の定着や国交正常化60周年を迎え、改善傾向にあります。しかし、この「跡地」については以下の3つの理由から、**現状維持(更地のまま日本政府が保有し続ける)**が続く可能性が高いと考えられます。
外交的レバレッジ: 土地を手放すことは、将来的な大使館再建の選択肢を失うことを意味します。
代替地の不在: セキュリティと利便性を兼ね備えた、現在と同等以上の公館用地をソウル市内で確保するのは極めて困難です。
政治的リスク: 売却や譲渡に動くこと自体が、両国で新たな政治的論争を呼び起こす火種になりかねません。
現在は、近くの民間ビル(ツインツリータワー)を賃借して大使館業務を行っていますが、この「仮住まい」の状態が常態化しています。
次はどのような点について詳しくお知りになりたいですか? 例えば、「現在の大使館が入居しているビルの賃料」や、「2025年の日韓関係における最新の懸案事項」など、特定のトピックについて深掘りすることも可能です。
■ プロンプト②
国際政治の専門家として、ソウルの旧日本大使館跡地の「返還(韓国政府への譲渡)」あるいは「第三者への売却」というシナリオが現実化した場合の政治的意味合いについて解説します。
この土地は単なる不動産ではなく、日韓外交の**「最も敏感な神経」**が集中する場所です。現在、日本大使館は近くのビルに入居しており、跡地は更地のまま放置されています。この土地を手放すという行為は、外交上極めて重大なシグナルとなります。
ご提示いただいた5つの視点に基づき、分析を展開します。
1. 旧日本大使館跡地返還・売却による「メッセージ」
このアクションが発するメッセージは、**「関係改善への諦め」と「究極の抗議」**の二面性を持ちます。
「対話拒否」の意思表示: 大使館を元の場所に再建しないことは、「慰安婦像(少女像)が撤去されない限り、そこには戻らない」という日本の意志が、最終的な**「撤退」**へと変わったことを意味します。これは、「韓国政府には公館の安寧を守る意思も能力もない」という強烈な不信感の表明となります。
歴史問題の「封印」ではなく「断絶」: 通常、大使館の移転は実務的な理由で行われますが、このケースでは「物理的に共存不可能」という政治的メッセージとなります。日本側が「これ以上、この場所での泥仕合には付き合わない」と宣言するに等しく、日韓関係が修復困難なフェーズに入ったことを象徴します。
2. 国際的印象(International Impression)
国際社会、特に西側諸国や外交コミュニティには、以下のような印象を与えます。
ウィーン条約違反の常態化に対する認識: 外交関係に関するウィーン条約第22条(公館の安寧の保護)が守られなかった実例として記憶されます。「ホスト国(韓国)が外交使節団の尊厳を守れなかったため、G7の一国が大使館敷地を放棄せざるを得なかった」という事実は、韓国の法治や外交保護能力に対するネガティブな印象を残す可能性があります。
日韓の「冷戦」構造の可視化: 同盟国(米国)を共通とする隣国同士でありながら、首都の核心地で大使館を維持できないという事実は、両国の溝が埋めがたい深さであることを国際社会に視覚的に印象づけます。
3. 国際的インパクト(International Impact)
短期的な衝撃(インパクト)としては、以下の点が挙げられます。
日米韓連携への亀裂: 米国にとって、日韓の物理的な外交拠点の喪失は頭の痛い問題です。ソウル中心部における日本のプレゼンス低下は、有事の際の緊密な連携(インテリジェンスの共有や邦人保護など)における心理的・実務的なハードルとなり得ます。
外交プロトコルの異例事態: 主要国が国交のある国の首都、しかも一等地にある自国所有地を、政治的理由で放棄・売却するのは極めて異例です。これは外交史に残る事例となり、他国間の類似した紛争(公館前のデモやハラスメント)における「悪しき前例」として参照されるリスクがあります。
4. 伴う国際的影響(International Influence / Consequences)
長期的な影響や波及効果についてです。
韓国の「外交的信頼度」への影響: 他国の外交団に対し、「韓国では世論が沸騰すれば、ウィーン条約よりも国内感情が優先される」という懸念を抱かせます。これは、韓国が目指す「グローバル・ピボット国家」としてのブランドイメージを損なう要因となり得ます。
日本の対韓姿勢の硬直化: 土地を手放すことは「不可逆的」な措置です。一度手放せば、将来的に関係が改善しても、同じ場所に戻ることはほぼ不可能です。これは、日本側の対韓外交が「戦略的放置」から「恒久的な距離感の維持」へとシフトしたことを確定させ、次世代にわたり心理的な距離を固定化させます。
5. 韓国側の影響(Domestic Impact in South Korea)
韓国国内においては、世論の分断と実務的なジレンマを引き起こします。
ナショナリズムの勝利と実利の損失: 一部の革新系市民団体や強硬派は、「日本を追い出した」として勝利宣言を行う可能性があります。しかし、穏健派や経済界、外交当局にとっては、「外交的敗北(日本を繋ぎ止めることに失敗した)」と受け止められ、深刻な懸念材料となります。
跡地利用のジレンマ: 仮に民間や韓国政府に売却された場合、その土地の利用方法が新たな火種になります。
商業開発: 像の目の前で商業ビルが建てば、「歴史の冒涜」と批判されるリスクがある。
公園化/記念館化: 「反日の聖地」として固定化され、日韓関係の恒久的なトゲとなる。
少女像の恒久化: 日本大使館がその場から消滅することで、逆説的に「像を撤去・移転させる外交的・法的根拠(公館の安寧保持)」が弱まります。結果として、像はその場所に永遠に残り続けることになり、韓国政府としても解決の糸口を完全に失うことになります。
専門家としての総括
旧日本大使館跡地の売却・放棄は、外交用語で言えば**「ルビコン川を渡る(後戻りできない決断)」**行為です。
日本側にとっては「これ以上の侮辱には耐えない」という主権国家としての強い意思表示ですが、同時に日韓関係を「管理可能な隣国関係」から「他人的な隣国関係」へと質的に変化させる決定打となります。土地があるうちは「再建の可能性(=関係修復の余地)」が残されていますが、手放した瞬間、その象徴的な「余地」は消滅します。
今後の対応について、さらに掘り下げたい点はありますか?
もし日本が売却に動いた場合の、米国の具体的な反応予測について知りたい。
このシナリオが実行された場合の、経済的・民間交流への波及効果について知りたい。
過去に他国間で同様に「大使館敷地を放棄した」事例があるか知りたい。
同じ事をAIに解説させるにしても、プロンプト次第で回答内容の深さが異なりますね。
AIを活用される際は、参考になさって下さい。