爆破予告、差し向かう心は清き水鏡。新選組の生き様【刺し違えるという覚悟】

 

 

維新・佐幕派、両陣営に素晴らしい者がいたことに触れた上で、新選組について述べたい。私とは立場の異なる国会議員が、新撰組を党名に入れたことが悔しくてならないことを付記しつつ、私なりの新撰組への思いを書く。

彼らは、決して「所謂おりこうさん」ではなかったと思う。
今でいうところのヤンキーとか番長みたいな存在であったのではないか、と思う。腕っぷしは強いが、それだけ、という扱い。そして、腕っぷしの強さは評価されない時代であった(江戸幕府の時代)はずだった。

そんな自分たちが、なんと侍になれた。
嬉しくてたまらなかっただろう。

高学歴というわけでもないが、地方公務員に採用された、的な。
実際にはもっと重たい覚悟があったと思うけれど、彼らの不屈の忠誠心とはここにあるように思う。
というのは、元々は士族ではなかったわけで、歴代に渡って家として江戸幕府に世話になっていた者とは立場が違うからだ。

真剣に国家を憂い、燃える思いがあったけれども、
ここまで戦い抜くだけの、ある意味では、「謎の忠誠心」みたいなものが、新撰組の魅力だと思う。
何世代にもわたって江戸幕府にお世話になったわけではない。たった何年かだけ、である。

そこに誇りがあるのであれば、それは侍として生きることが許されたという、そこにあるのではないか、と。
そして、その感性というのは、結果的に地方議員とも似通ってくるのではないか?と感じてしまうのだ、今夜は。

明日、爆破予告についての一般質問を行う。
それなりの事態の進捗があった、ということだ。

 

 

 

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(OGP画像)

 

 

 

 

 

土方歳三、辞世の句

天保6年5月5日(1835年)
武蔵国多摩郡石田村(現在の東京都日野市石田)の農家土方隼人と恵津の間に生まれる。父は歳三が生まれる3ヶ月前に結核で亡くなっており、母も歳三が6歳のとき同じく結核で亡くなっている。

(中略)

 

「よしや身は蝦夷の島辺に朽ちぬとも魂は東(あずま)の君やまもらむ」
また、
「たとえ身は蝦夷の島辺に朽ちぬとも魂は東(あずま)の君やまもらん」
さらに、
「鉾(ほこ)とりて月見るごとにおもふ哉(かな)あすはかばねの上に照かと」
が土方歳三の辞世の句とされる。

 

 

鉾とりて、という句には、思う部分がある。
似た心境で議会に臨んだことが私にもあるからだ。

私は、ある意味では雑兵。
雑兵は言い過ぎかも知れないが、政治的にはいつ抹殺されても仕方ないと思っている。
それだけリスクのある案件を抱えている、ということだ。
戦艦や巡洋艦は、基本的には沈めない運用を心がけるが、駆逐艦などの動きはそうではない。

国会議員や県議ではできない、つまり政治的なリスクを伴う(左派から攻撃対象になるであろう)案件を取り上げることが、ある意味では宿命づけられている。
その上で、私が市議をひかないのは、誰か別の者に、リスクのある政策を託すことが嫌だからだ。自らが安全地帯に退き、穏便な言葉使いにし、安全運転を心がけるだけの偉い人にはなりたくない。

”あすはかばねの上に照かと”という部分は、なんとなく思うことがある。

 

その上で、下記の句を紹介しておきたい。
本投稿のタイトルに用いたもの。

「差し向かう心は清き水鏡」

 

解説は色々あるけれども、新撰組の隊士同士で語り合うときの心境、という説のようだ。
それらの解説は私はよくわからないのだけれど、綺麗な言葉だなと思いました。

隠しても仕方ないので正直に書くと、この句を実際に知ったのは動画サイトでの歌です。
そして、この歌があまりに綺麗なため、とても好きになったのです。

 

Hijikata Toshizō themed song 『心は清き水かがみ』

 

 

歌の中にもネタバレが入っておりますが、鬼百合という表現が誰を示しているかも触れて聴くと、ちょっと涙が出そうになる。

孤立した友軍のため、それでも身体を張る、
それが死地であるとわかっていても、身を投じた理由は何か。

自らの、本来の指揮官(先輩)であれば、どう判断したか、
「あの人ならどうしたかな」って思って、だから行ったんだみたいなストーリー。
ちなみに、私の(政治だけではないけれど)、お師匠さんというか先輩は、亡くなっています。

私も時々、思う、
「あの人(先輩)だったら、どう判断するかな」って。

いくつか覚えているエピソードがあって、いっつもフォローしてもらってて
「どうすれば先輩に恩が返せるか?」って話をしたところ、結構、怒られた。
「俺(私から見て先輩)に、おまえが恩を返せるわけはないだろう?」「俺も努力を続けるわけで、俺が失脚したときだけだ」と。
「目上の人間には、恩なんて返さなくていいんだ。上の者であるという誇りにおいて、後輩とか年下には、一方的に尽くすのが先輩の仕事だ。」みたいな。

で、
「どうしても返したくなったならば、次の世代に、おまえも俺と同じように返せ」と。
「同じ人に返すものではなくて、次の者に尽くしていくのが俺らの流儀」みたいな。
そんな人でした。

 

勝手に、新撰組になぞらえて聴いていました。

維新勢力は、国家のお家騒動に天皇陛下を巻き込み、官軍を名乗りました。
そして佐幕派には「賊軍」と宣伝を行い、それもあってでしょう、この国内内戦で戦死した兵は、靖国神社に祀られていません。

 

私は、それが、私の恩人を愚弄する行為に思えてならなかったのです。
この部分は、極めて私的なエピソード。

言うほど新撰組に詳しいわけでもありませんが、勝手に先輩に投影していただけ、です。

 

 

今日、述べたいこと。

『人が命を賭すにあたって、名誉はとても大切なことなのです。』ということ。
そして、奪った者には、奪われる者がそれをどの程度の価値と考えていたかは、分からぬのでしょう、ということ。

私は、議場におけるサムライなのでありましょう。
ゆえに、名誉を重んじます。少々のことは良い。だいたい笑って終わらせる。

けれども、度し難いことというものはある。

 

 

かつて、磐梯山の近くで働いておりました。

「ならぬことは、ならぬのです」ではありませんが、私は九州人の血だけではなく、東北の思いも含め、”賊軍”とされた悲しみも知る政治家です。

 

 

 

 

ですから、明日の一般質問は、議場においてそれなりのことを述べるように思うのです。

抑えきれない思いというものがある。

爆破予告の一般質問、少し荒れてしまうかもしれない。

 

佐幕派をきどるつもりはない。反維新という意味で述べたBlogでもない。
新撰組は、それでも抜刀した。そのことのみを、ただ触れたい。

我慢してたのに、いっつもポカポカやられる。
私が抜いたとして、それは(私にとっては)普通のことだと思っています。

差し向かう心は清き水鏡。
全ての政治家が弱腰だとは、思わないほうがいい。

新撰組が持っていたのは、滅びの美学として語られるものではない。
それは、刺し違える覚悟。

 

 

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コメント (頂いたご意見は、他SNSに比較し最優先で目を通しております。)

  1. BLACK より:

    場合によっては簡単に使い捨てにされる
    場合によっては味方から邪魔者扱いにされる
    使い勝手が良い時には重宝されるが
    不利益・不名誉を押し付けられ矢面に立たされる。

    それを
    世の中がわかっていないからだ、とか
    立場(権力)が無いからだ、とか
    単純・熱血・英雄気取り、とか
    いくらでも悪く言うことは出来るでしょう

    でも、そう言う人達の心の中は、ではどれ程のものでしようか
    と私は思います。

    新選組が好きかどうか、維新の志士が好きかどうか
    これはどちらにも是非があり、
    是非でも無く単純に感性・好み・相性の問題だとも思いますし
    両方大好き、ってのももちろんあると思います。
    どちらのお気持ちも、理解出来ますし尊重します。

    ただ
    某党が「新選組」を名乗るのだけは個人的に許せません。
    たぶん、党首が昔演じた、ってだけの理由に思えます。
    もし名乗る理由がある、と思っておられるなら新選組を誤解しておられます。
    「変革」「革命」を目指すなら、党名が違います。
    (その意味では「維新」は正直なのだとは思います。)
    だって、新選組って保守だし、治安維持部隊だし、警察だし、対テロ部隊だし
    国家を護る側だし、現状維持だし、非革命だし、基本的には非暴力です。
    (新選組の第一目的は暴力行為阻止・容疑者実行犯の捕縛確保です。抵抗されれば戦います。)

    こう書いていて初めて気づきました。
    新選組を「暴力集団」「殺人集団」と言うのは、自衛隊をそう批判する精神と
    非常に似ていると私は感じます。

    新選組、自衛隊、小坪氏のお心・姿勢・覚悟を嗤い貶めることは、言うだけならば簡単でしょう。
    では、そう言う人たちの心根はどれ程のものかと、私は問いたいと思います。

    以上 文責 BLACK

  2. 琵琶鯉 より:

    こんな事が許されていいのでしょうか?
    立民の蓮舫議員が別人になりすまして国会で質問しております。最初は、そんなバナナと思ったのですが、蓮舫の最近の公式Twitterの蓮舫と人物が違いすぎ。国会では、マスクをしていますが、私の見る限りでは、顔の骨格、目元が違うように見えます。入室する時には、マスクを外してのチェックはしているのでしょうか?
    https://youtu.be/931WxMNgedI
    参考動画。皆様のご意見をお聞かせ下さい。

    • 常磐本線 より:

      琵琶鯉様

      二重・三重国籍持ちと噂される、特定外来種の襟立て噛み付き亀でrすから、何でも有りなんでしょうね。
      こやつを含めて、外患罪で纏めて処分したいですよね。

  3. 北九州人 より:

    「差し違える」という表現がありましたが、是非菅さんにはマスゴミを道連れにしてほしいです。

    菅政権が短命に終わるのは間違いないでしょうし、マスゴミ+総務省幹部と「差し違える」には最高のタイミングだと思います。もしそれができれば大仕事をやってのけた総理として名を残すし、保守側の評価も急上昇でしょう。

  4. 琵琶鯉 より:

    皆様、近い内に選挙が、あり自民党でも誰に投票して良いかんからない方々がいると思います。そこで、自民党の夫婦別姓に反対票を提示した議員の名簿が手に入りました。50名です。この方々をしっかりと応援していきましょう。そしてこの中から総理大臣を選ぶべきです。わたしの推しは、高市早苗さんです。
    https://youtu.be/kM9DD-4u8oY

  5. RGM-79 より:

    ホームページアドレスに「samurai」とありますが、侍とは?
    私的には中世の軍事独裁政権「幕府」の構成員で、支配者層の一角を担う存在という理解ですが、所属するお家がお取り潰しになれば、たちまち浪人になって悲哀を味わうとか、良いことばかりでもないような。
    アニメ、ベルサイユのばらのオープニング曲「薔薇は美しく散る」の歌詞にある、私はそこら辺の雑草の皆さんとは、ちょっとばかり違うのよみたいな、思い上がった、鼻持ちならない、上から目線の憎むべき存在というのもあるかな?
    こいつらに、はたしてノブレスオブリージュ(身分の高い者はそれに応じて果たさねばならぬ社会的責任と義務があるという、欧米社会における基本的な道徳感)は、あったのだろうか?
    小坪議員の場合、弱きを助け強きを挫くヒーロー的存在とか、切腹とか滅びの美学といったプラスの憧憬が、samuraiを名乗らせるのであろうなと勝手に解釈していますが、そんなに間違ってないよね。
    あっ、新撰組は違うとの事ですが。
    散り際の潔さは褒められたものではなく、軍歌「父よあなたは強かった」の歌詞
    泥水すすり草を噛み、荒れた山河を幾千里、よくこそ撃って下さった
    のしぶとさがあってもいいんじゃね、と。
    生きてりゃ捲土重来を期す可能性もあるし、そのまま天寿を全うするのもいいし、どちらにしろ死に急ぐことは無いと思うけどね。
    韓国人をバカにする人は多いけど、連中の生への執着は日本人の比じゃない。あっさり自決するよりは、何としても生き延びる事を模索する彼らのしぶとさを見習うのも有りだと、よかれさんが言ってました。
    いよいよ追い詰められたら、刺し違える覚悟も必要だろうけど、そこまで追い込まれたくないなぁ。
    本日は不倶戴天の敵、徳永克子とのバトルが見られないのは残念ですが、一般質問、頑張って下さい。

  6. 櫻盛居士 より:

    **********************************************************************
    共産党は2016年9月13日からの警告を無視し続けましたね。
    ならば、下記は決定事項と承諾したものと見做します。

     ・『テロを利用する共産党』
     ・『テロリストの味方である共産党』
     ・『テロに屈する共産党』

    **********************************************************************
     
     
    江戸時代も歴史を紐解いて行くと面白いもので、我々がイメージする身分制度とは大きく異なります。
    現在の軍でも内部は大きく分けて少尉以上の士官以上と、兵に別れます。
    士官と兵の間には下士官と呼ばれる中間管理職もありますが、ここでは詳しく述べる必要も無いでしょう。

    江戸時代の幕藩体制は基本的に軍による軍事政権であって、基本編成は軍隊に則したものです。
    歴史教科書では徳川将軍家直参を例に、御目見得以上の旗本(後の士族)、御目見得以下の御家人(後の卒族)と習いましたが、要は呼び方が異なるだけで、士官か兵との違いです。
    坂本龍馬ものの話ですと、上士、下士ですね。
    因みに現在我々は取敢えず背広を着て居れば失礼が無い訳ですが、江戸時代ではこの一般的な背広に当たるものが裃と袴です。
    ノータイの背広姿みたいな感じで黒紋付の羽織に袴も使われて来ました。

    その中で、面白い特権が御目見得以下の御家人の一部に認められて居まして、昔はテレビでよく放映されて居た「○○捕物帖」なんて時代劇で御馴染みの、巻羽織に着流しです。
    巻羽織とは羽織の裾を帯の下側に巻込む様にして古い言い方ですが、短ランの状態にする事です。
    おまけに着流しですから、略装の略装も良い所で、はっきり言えば公式の場ではかなりの不敬な服装です。
    この巻羽織に着流しで、将軍家の行列の前を横切っても良いと言う特権が、一代限り召抱えできかない御家人である町奉行所の町廻り同心に職務柄認められて居たりしました。

    何かと厳しい制限に縛られて居た時代の様に思われがちですが、この様案外柔軟な時代であったのが実態の様です。
    さらに面白い事には、一人の人が複数の名前を持って使い分けて居る例も少なくはありませんでした。
    これは改名したとかペンネームとかでは無く、社会的な公式の名前として武士としての名前、百姓としての名前を持つ事が少なくなかったのです。
    どういう事かと言うと、武士として働く時の名前、百姓としての名前を持ち、服装も武士の時は帯刀し、百姓の時は野良着と言う、副業を持つ人が少なく無かったのです。

    実際に大名家の分限帳や家人帳等を見てみると、士分なのに無給とかが普通に記録されて居ます。
    足軽ともなると、それは当り前の様に存在します。
    郷士と言えば土佐藩の旧蜂須賀家家臣を思い浮かべる人が多いでしょうが、藩によっては今で言う非常勤公務員である消防団の様な位置付けで郷士が居たりもします。

    これは何も武士に関する事だけでは無く、当時の社会全体に言える事です。
    其の様な事が分かって来た事から、最近の教科書には士農工商の文字が消えて居る様です。
    要は江戸時代の身分制と言うものが、かなり流動的であった訳です。

    こう言った社会背景を紐解いて行くと、新撰組なども面白い一面が見えて来るでしょう。
    つまり、当時の武士の誇りや武士へ対する敬意と言うものは、戦いすら辞さずに守る者に対するものであると言うのが根底だった様です。

    因みにこれらの史実は、表向きは終了したとされつつも、今も尚余韻が残る行政のとある事業の根底を覆し兼ねないものだったりします。

  7. 狸沼(北極茶釜ブログ) より:

    軽くスマホから八つ当たりと冷やかしに罵詈雑言しようと思ったら、長文打っている最中にデータ消えました。
    先輩(お師匠)のおっしゃったことは至極もっともながら、むしろ「高邁な例外」でしかないように思います。それに私にしたところで日本も日本人も、もう信じておりません(笑)。

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