このページを読んでくれた読者氏はサヨクがいかに腐った連中であるのかを十分に理解してくれたはずだ。ところがサヨクを馬鹿な奴等だと笑いながら、知らず知らずのうちにサヨクの雰囲気プロパに飲まれていたりする場合がある。
我々は知らず知らずサヨクの手の内に落ちていることが多い。サヨクの雰囲気プロパはマヌケでベタだが、何しろ物量が凄い。マスコミ、官僚、政治家などによる大量のプロパを受け続け、何となくそうなのかなと思ってしまう程に。
以下にサヨクの意見とまでは言い切れないが、サヨクの雰囲気プロパにのまれ、その術中に落ちている例を列記する。かつ、その意見のどこがアブないのかを記す。
サヨクの術中に落ちている例1:「旧ニホングンのアクジが事実なら誠実にシャザイするべき。」という主張
そもそも我々戦後の日本人には、「祖先の罪」なるものを祖先に成り代わって外国に謝罪したり、ましてや吊し上げたりする資格などない。我々戦後の日本人は以下の罪を犯してきたクズである。
@ 戦争中はさんざん日本軍兵士をおだてておきながら、占領軍の支配が始まると突如として寝返り、占領軍の手先となって旧日本軍のアクジなるものを吊し上げる行為に積極的加担した罪。
@ 占領軍による、奇怪な関係者吊し上げ裁判による占領軍による日本人虐殺に、日本人自身が協力し加担してきた罪。
@ 占領軍による公職追放などに積極的に加担してきた罪。
@ 占領軍による悪辣な言論弾圧支配を、さも言論の自由に満ちた結構なものであるかのようにプロパカンダした罪。
@ つまり積極的に外国占領軍の腰巾着となった罪。
@ 占領軍からチョコレートと共に投げ与えられた憲法を喜んで拝領し、戦後五十年以上崇めたて続けた罪。憲法は自国民で造られるべきであるにもかかわらず、そういった責務を怠り続けた罪。更にそういった占領憲法を子孫にすら押し付けている罪。
@ こういった戦後の歴史を正当化しひたすら弁明し何一つ反省してこなかった罪。
@ サヨク日本人が日本軍の冤罪捏造を行ってきた罪。また支那による冤罪捏造に加担してきた罪。
@ こういった嘘を教科書にすら記してきた罪。
@ こういったサヨクの冤罪捏造を看過してきた罪。
@ 日本軍兵士を徴兵し戦場に送り出した当の政府の関係者などが、靖国神社参拝を怠り旧日本軍兵士への感謝や哀悼をしてこなかった罪。
見ての通り我々戦後の日本人は、ほとんどクズである。そのクズの分際で、自分様に「祖先の罪」なるものを祖先に成り代わって外国に謝罪したり、ましてや吊し上げたりする資格があるなどと、よもや考えるべきでない。
「歴史の汚辱を見つめる勇気」とか言うサヨクによる嫌らしいコピーを口写す人が時折いる。サヨクによる「ボクはニホングンのアクジをハンセイする勇気の無いワルイヒトオオ」みたいな気分にさせる雰囲気プロパに流された人だ。考え違いをするべきではない。歴史の汚辱とは上記@に記した戦後史のことなのだ。他人様の「汚辱」なるものを盲信してそれを吊し上げる行為を「勇気」などと陶酔する底無しの阿呆になってはならない。我々戦後の日本人に必要なのは、我々自身の汚辱である@を見つめる勇気なのだ。他人様の「汚辱」などではなく。
また、「ニホングンのアクジなるものが事実なら、我々日本人や政府の関係者はシャザイするべきだ。」という主張はサヨク以外からも時折聞く。自分を何様だと思っているのか。事実であろうがなかろうが、戦後の日本国民や政府ごときに謝罪する資格など到底ない。それがあるのは、当の日本軍兵士本人のみである。日本人であるという理由だけで、自分様にシャザイする資格ありなどととんでもない思い上がりだ。
祖先の善し悪しなどどうでもいい。我々戦後の日本人は、我々自身の罪を見つめる必要があるのだ。
いかに思い上がった言い草かというのは、謝罪対象にされた側の身になれば解る。何かをしたり言ったりする場合に、やられたり言われた側の立場になること。これができないものは人間として下級に属する。特に支那政府及びその代弁者の「立場」のみに執着し、そういった社会体制で苦しむチベット人や元日本兵の立場には全く立てない所にまで退化した者は、冷戦の汚物=サヨク以外の何者でもない。
もちろんここまで退化している人間は読者諸氏の中でも少ないだろう。しかしニホングンのアクジなるものを謝罪したり政府に謝罪を要求したりする資格が自分様にあると思い込んでるのであるなら、いくらかサヨクベクトルに退化しているとしか言いようがない。
詭弁、法螺吹き、冤罪捏造、人権侵害などといった悪行や体質は、サヨクの表面的な病理に過ぎない。サヨクにある根本的な病理とは、こういった表面的な病理を生み出した要因、すなわち「自分様には祖先など他人を批判したり吊し上げたりする資格アリなど信じ込む、思い上がった根性」にあるのだ。
根本的な病理においてサヨクと同じであるなら、サヨクを笑う資格などない。
サヨクの術中に落ちている例2:ひたすらサヨクによる日本軍冤罪捏造議論の相手になってやり、サヨクそのものへの批判に至らない
サヨクが旧日本軍冤罪捏造に精を出す目的は、日本の軍事力弱体状態の保守と共に、支那や日本のサヨク自身にある大量の罪の歴史を誤魔化すことにもある。
かつてサヨクが賛美したそして賛美している社会主義(体制)は、両大戦をはるかに凌駕した人類史上最悪の厄災を全人類にもたらした。文革毛沢東(犠牲者数千万人以上)、スターリンソ連(犠牲者数千万人以上)、ポルポトカンボジア(犠牲者数百万人以上)などの社会主義体制をサヨクは徹底して賛美しきた。更に社民党は今現在賛美している。侵略虐殺宗教弾圧奴隷労働国家、共産支那を。
良識ある人々を日本軍冤罪捏造という逆ギレでひるませ、それへの対処にのみ泥濘させれば、サヨクにある膨大な罪科への批判に及ばない。現に各種メディアは「旧日本軍の罪?」とやらの膨大な宣伝と、それへの反論をごくわずかに紹介する一方、人類史上最悪の厄災を生み出した社会主義体制の罪やそれを賛美したサヨクの罪は完全に隠蔽したままだ。
サヨクによる冤罪捏造を看破するのみでは、サヨクは何一つ損傷を受けない。それどころか、サヨクの論争趣味を満たす結果にすらなる。サヨクは単に看破された事例に思考停止して、別の冤罪捏造にはげむだけの話だ。更に嘘だと証明されたところでその嘘はおうおうに一人歩きし、嘘を盲信する下級サヨクが嘘だと証明された内容を随所で宣伝流布する。真偽にかかわらず、いずれにせよ冤罪捏造プロパの効果はある。
良識派がひたすらサヨクによる日本軍冤罪捏造の看破にのみ終始し、サヨクに対する批判に全く及ばないのであるなら、それは既にサヨクの術中にあると言いうるのだ。
こういった腐った繰り返しを抑止するには単にサヨクによる冤罪捏造を看破するのみではだめだ。これから必要なのは、徹底したサヨク批判である。サヨクが捏造プロパを行えば行う程サヨクが批判され疲弊していく状態を作り出す必要がある。
こういう状況にならない限り、サヨクは今後とも何度でもあらゆる嘘の捏造を行い、また支那政府当局から直輸入した嘘宣伝を垂れ流すだろう。そしてそれはますます巧妙化し看破されにくいように対処した嘘になるだろう。もちろん、この犠牲となるのは元日本軍兵士の方々である。
こういったやり口への怒りが多少なりともあるのなら単なる嘘の看破にのみ終われないはずである。
忘れてはならない。「ナンキンダイギャクサツ」などは嘘八百だが、「『ナンキンダイギャクサツ』の偽写真を作り上げ喧伝した輩が存在すること」は、紛れも無く歴史的事実なのだ。この日本史に残る汚点、戦後日本国民の原罪から目をそらしてはならない。
サヨクの術中に落ちている例3:「共産党を支持しないが、共産党の主張に賛同できる」と共産党に投票
↑こういう主張をする人を時折見かける。表面的なソフト路線に誤魔化されてはならない。共産党の「主張」など全く無意味なのだ。
公共媒体は、共産党の根本的な問題点である以下二点を完全に隠蔽している。
1:共産党は普通の民主政党と異なり、民主集中制という旧ソ連共産党同様の制度を採用する党幹部独裁政党であること。
2:共産党は戦前、査問殺人を繰り返し銀行強盗も行うテロ政党であったこと。
読者氏は、時折もっともな事を話してみせる能弁な人殺しを信用するだろうか。反省し謝罪し刑に服した人殺しは別にして。共産党の最高権力者である宮本は人殺しである。共産党はこの一件について誤魔化しを繰り返し、謝罪も反省もしていない。
独裁政党共産党が発する「主張」など全く無意味だ。独裁政党である共産党は、最高幹部の方針転換により、何度もころころ「主張」が代わっている。そして党員はひたすら盲従する。民主集中制という完全な上意下達制度を採用しているからだ。
普通の民主政党では党員による民主的な選挙などにより党幹部や党の方針は決まり、その結果党の方針もころころ代わる事はない。
あ:時折「失言」を煽られる普通の人
い:時折もっともな事を話す独裁者&人殺し
読者は上記のどちらを支持するだろうか。
共産党に投票するなど、普段食べているものがまずいからと言って、大便を食べるようなマネなのだ。
くわしくは「日本共産党が普通の民主政党と異なる点」で記している。
サヨクの術中に落ちている例4:「日本人が自分で国防を何をするか解らないから国防をするべきでない。『あの悲惨な戦争』をしでかした実績があるのだ。」という主張
ようするに占領政策の目的は日本人に↑こう思い込ませることにある。そしてそれは大成功している。↑これがあってこそ日本人は軍事的に萎縮し続け、日本の軍事力弱体状態は保持され、アメリカの軍事力に頼らざるえなくなり、アメリカの軍事植民地支配の永続ができるわけだ。
これは自民族を劣等民族だと規定する狂人の発想である。自民族を軍隊管理能力なしとみなす狂人。こういう狂人が戦後、マスメディアや政界官界に増えまくった。
こういう狂気を洗い落とすには、まずは大東亜戦争について正しく把握するべきだ。
1:大東亜戦争の要因を正しく認識する
支那事変は支那人による日本人虐殺事件から生まれていること。
対米戦争は欧米や支那による経済封鎖やハルノートが直接原因であること。(経済封鎖に追い込まれれば資源は枯渇し日本は壊滅する。)遠因は欧米による世界侵略にあること。それが経済封鎖やハルノートという形で、日本にも及んできたこと。
要するに日本側が望んで起こした戦争ではないこと。欧米の侵略と支那の虐殺から発生した戦争であること。日本外務省のボケから対米開戦不意打ちの汚名を着させられる結果になったこと。
2:大東亜戦争の結果を正しく認識する
数百年続いた欧米列強によるアジア植民地支配から日本軍が解放させたこと。日本軍が全アジア人に軍備を教え欧米列強と戦う気概を教えたこと。それが全有色人種を植民地支配から解放する道しるべになったこと。
キング牧師(アメリカ黒人に公民権をもたらす)やガンジー(インドをイギリスから独立)よりはるかに大きな人種解放をもたらしたこと。
自民族を劣等民族だと規定するから、無条件降伏などとポツダム宣言に記されていないにも関わらず、簡単に占領軍に政体を明け渡すようなマネができる。自民族を劣等民族だと規定するから、ありがたく外国から憲法を頂戴できる。自民族を劣等民族だと規定するから、外国のお裁き(東京裁判)に喜んでかしずく。
こういう、身震いするほど気持ちの悪いチンケで病的な戦後倒錯を練り固めたものがサヨクなのだ。
総括
いかがだろう。サヨクを笑う読者氏は、いつのまにやら以上のようなサヨクの術中に落ちていないだろうか。
我々戦後の日本人は、戦後日本でのみ通用する異常な事柄を異常と思わないように洗脳されている。例えば下記のような。
% 外国による憲法下付を異常と思わない
% それを崇め奉る勢力を異常と思わない
% 民主制国家であるはずの日本国の官僚(日教組)が、政府の代表者に従わずにいられる状態を異常と思わない
% 日本国の官僚(日教組、全教など)が国旗や国歌を毀損する状態を異常と思わない
% 外国による軍隊の駐屯を異常と思わない
% 有事立法などを怠っている現状(つまり国民の生命財産を守る法整備を怠っている現状)を異常と思わない
% スパイ活動を抑止する法律の無い現状を異常と思わない
↑読者氏がこういう状況ならば、それは既にサヨクの術中に落ちているとしか言いようがない。
%に列記した状況は、全て普通の諸外国では、ありえない異常で狂った状況である。全て、普通の常識感のある誰しもが一見して異常であることを理解できるような状況が、なんとなく異常でないかのような雰囲気になってしまっている。
%に記した内容全てがサヨクのプロパによるものというわけではない。ただ、サヨクによる雰囲気プロパもまた多い。
事例や根拠を示さず、あるいは特定の事例のみをデフォルメあるいは歪曲して「イシハラはナントナクワルイヤツー」とか、「センゼンはナントナクワルイジダイー」とかの雰囲気熟成プロパは、サヨクが最も得意とするところだ。特に朝日新聞とか毎日新聞あたりは、そういう宣伝を占領時代から繰り返し続けた。
もういいかげん我々国民は、サヨクによる雰囲気プロパに、いつのまにやら流されるようなことのないようにするべきだ。我々は、ごく当たり前の普通の常識感を見失わず、サヨクの雰囲気プロパに流されない強靭な意志をもつようにしなければならない。
追記:災害時の治安維持の重要性を訴えた石原都知事を支持した都民、国民 [執筆日:H12/5/2]
石原都知事が行った、災害時における不法入国外国人による犯罪を防ぐ治安維持の重要性を訴えた自衛隊での演説。それに対して朝日毎日を含むマスコミやサヨクは、一斉に石原都知事を紙面で誹謗中傷を開始した。発言内容を意図的にカットしたり、「三国人という言葉は差別するために用いられた」などと歪曲するなどして。果ては「イシハラはファシストだあ」などと共産党まがいの罵倒を連呼する者すら出現した。
それに対して、石原都知事は毅然とした態度で再び自分の主張の正当性を訴えた。従来は、マスコミ様のお怒りに平身低頭をするケースだ。「ジューグンイアンフキョーセーレンコー」を謝罪した自民党の河野外務大臣のように。その時も河野外務大臣は、マスコミのご意向を汲んで石原都知事非難に加担した。
しかし都民は騙されなかった。都庁に寄せられた声のほとんどが、石原都知事の発言を支持するものだった。逆に多くの人々は、インターネット掲示板などでマスコミ&サヨクの嘘歪曲ぶり非難した。マスコミの嘘歪曲情報を利用して石原氏吊し上げキャンペーンを行う市議会議員などは、徹底して批判された。
@ 理路整然と訴えればマスコミの雰囲気プロパに踊ることはないはずと都民を信頼し、石原都知事が毅然と自分の主張の正当性を訴えたこと。
@ 多くの都民がそれを理解し、マスコミやサヨクの妄言に踊らなかったこと。
これは従来にない感動的な出来事だった。
従来通り人々がマスコミの手の平で踊る時代では無くなりつつある。マスコミの記す自称「民意」ではなく、インターネットの普及などによる真の民意が響く時代に代わりつつある。
もちろん中には河野外務大臣みたいに、従来通りマスコミ様支那様韓国北朝鮮様のお怒りに震え上がって平身低頭、あるいは積極的に走狗となる汚物も今なお存在する。こういう汚物は新しいネットワークによるウルトラ民主主義時代の荒波でもみくちゃにして潰す必要がある。
政治家がひたすらマスコミ様のお怒りを恐れマスコミ様の気に入る発言に終始した時代は終らせる必要がある。ネットワーク時代は、政治家がマスコミでなく国民の気に入る発言をする時代、つまり真の民主主義の時代となるべきだ。かつ、間違いなくそうなるだろう。
この流れに対して、旧来大衆操作権を一手にしてきた最高権力者とでも言うべき公的媒体は、有形無形のアンチネットキャンペーンを行うだろう。既得権力を手放すまいと、マスメディアに対し批判的な国民の発言を妨害するため、様々な圧力や言論弾圧をネットワーク界に対して行うだろう。我々国民は、決してこれに屈することがあってはならない。
サヨク市議会議員による石原都知事への罵倒中傷→「批判」と呼称。
国民による掲示板などにおける石原都知事罵倒議員への批判→「攻撃」、「嫌がらせ」、「セクハラ」と呼称。
↑これが朝日毎日の言い草だ。我々国民は、こういった悪質な宣伝には何ら屈する事無く、むしろサヨク批判する良いネタを貰ったとばかりに更なる徹底した批判で応じる必要がある。その悪質な偏向を克明に詳細に満天下に知らしめて。
国民のレベルは明らかに向上している。筆者ごときがこのページで口から泡を飛ばして「サヨクの雰囲気プロパに呑まれるな」などと訴えるまでもなく。