サヨク教師の「暴力教育ハンタイ」は、教師自らの怠慢と無能の言い訳


[執筆対象:官公労][病理:職務怠慢]

 暴力教育ハンタイは、サヨク教師の間で累々と受け継がれるスローガンの一つだ。これは教師自らの怠慢と無能の言い訳にすぎないのだ。

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 教師の能力とは何か。
様々な意見があろうが、教師にまず必要な能力とはとにかく授業を成立させることであろう。授業を成り立たたせることができないなら、何も始まらない。ところがこの段階で既にダメな教師が多い。
昨今の教室を覗くとこんな場面は全く珍しくない。

@ 授業中、授業内容に無関係な理由により立ち歩くやつがいる。
@ 授業中、私語を頻繁に発するやつがいる。
@ 陰湿なイジメから学生が登校拒否をしている。

 本来、@に記したような有り様はごく自然な有様だ。義務教育の学生は来たくて来ていない。国家権力により無理やり集められているだけだ。そんな連中が学校に入学したとたん、即座に統制の取れた行動をするはずがない。人間もまた動物であり、放置すればこうなるのは当然だ。
そこで教育の出番となる。自然な状態から人為的に改造するのだ。授業中立ち歩かない人間に、授業中静かにする人間に、陰湿なイジメをしない人間に。つまり動物から文化的な行動をする人間に。こういった文化性社会性を身につけた人間に改造することが教育である。

 しかしこういう改造は往々に不完全で、@のような有り様になる。こういう結果になるのは、教師が無能だからだ。教室内部で発生する事柄の全責任は教師にある。教育能力が欠如しているとしか言いようがない。

 @のような結果を回避するには、暴力を使わざるえない場合がある。子供だろうが大人だろうが、人間は口で言うだけでは従わない。利害や目的なしに動くものではない。
暴力を使うには、それなりの肉体能力とそれなりの度胸が必要だ。ところが昨今教師になるのは優等生のオボッチャンオジョーチャンである。教師になる試験がべらぼうに難しい上、教員免許が取れても働く学校が見つかるとは限らない。その結果、殴り合いの喧嘩すらしたことのないお勉強優等生のみが教師になることになる。

 そんなオジョーチャンにとても暴力などふるえない。野獣のような中学生に反撃されるのがオチだ。その結果当然のことながら@のような結果になる。しかし自尊心だけは一人前の優等生オボッチャンオジョーチャンとしては、自分の無能さは認めたくない。そこで、オボッチャンオジョーチャンは夢の世界に理論武装する。その夢とは、

 「暴力を振るえない」を「暴力を振るわない」にスリカエることだ。

 「暴力をふるえない」→「その結果授業が成り立たない」→「暴力を振るえない自分は無能」

 という事実を誤魔化すため、

 「暴力をふるわない」→「その結果授業が成り立たない」→「暴力をふるわない自分はヒボーリョクを貫く立派な人間だが、生徒に通じないのは残念。全部親と対策をとらないモンブショーがワルイ。」

 などと自慰にふけるというわけだ。授業を成り立たせる能力の欠如を、主義主張にスリカエるわけだ。特に自分自身に対して。この自慰ネタの出所は、言うまでもなく日教組や朝日新聞などだ。こういった連中は「ソーダ、チミは悪くない。悪いのはモンブショーだあ。」と勇気づけてくれる。それにより責任転嫁教師は、ますます夢想世界に確信を深めて逃避することになるのだ。
こんな馬鹿な自慰の犠牲になるのは、もちろんその教師に教わる羽目になった学生である。

 とはいえ、こういった暴力行使能力の欠如を単純に批判するのは酷というものだ。
この世の中に、いきなり殴り掛かるやつのいる職場があるだろうか。中学とはまさにそんな職場なのだ。動物みたいな連中を相手にしなければならない先生方の苦労は相当なものだ。刑務所の看守の方がまだしも安全な職種と言えるかもしれない。しかも、昨今特に親や社会による教育能力は低下しており、教師のこういった負担は更に増大している。
おまけに身勝手な学生の親は、おおむね身勝手だ。そういうエゴの権化でしかないような馬鹿親をも相手にしなければならない。

 しかしいかなる職業にも困難はある。例えばサービス業の人間は、往々にわがままな客や乱暴な客を相手にしなければならない。鳶職など危険な職種もある。警官は切りかかるやつや鉄砲を打つ連中を相手にする。更に自衛官は時に機関銃や大砲やミサイルを打つ連中すら相手にする。それが仕事というものだ。こういった恐怖や困難に真正面から取り組む人々の誠実な働きがあって、はじめて社会は成り立つ。困難なのは教師に限ったことではないのだ。
厳しいようだが、結果として授業を成立できなのであるならそれは教師として完全に無能ということであり、教師を辞めていただく以外にない。自分に向いている仕事を探していただく以外にない。教師を志望した時点で人生の選択を誤ったのだ。

 授業が成り立たない→教師の無能が原因。責任が問われる。
教師が無能→先輩教師や校長など監督者の無能が原因。責任が問われる。

 これは他の職業では当たり前のことである。こういう当たり前の責任問題にならない有り様だから、延々と@が続く。

 自分の無能をモンブショーがワルイなどと監督官庁の責任に転化する人間は世の中でサヨク教師のみである。

* 事故を起こした運転手「ウンユショーがワルイ」
* 治療ミスをした医者「コーセーショーがワルイ」
* 失敗した実業家「ケーザイキカクチョーがワルイ」

 こんな馬鹿は世の中にいない。ただし、

* 破綻した銀行関係者「オークラショーがワルイ」

 ↑残念ながらこういう馬鹿はいる。

 ダメサヨク教師は自衛官や警官並みとまではいかなくとも、それに準じる程度でいいから仕事への誠実さをもってもらいたいものだ。でないとこういう教師に学ぶ学生が、あまりに気の毒である。

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サヨク教師の「暴力教育ハンタイ」は、教師自らの怠慢と無能の言い訳 への1件のフィードバック

  1. 通りすがり のコメント:

    暴力教育反対が教師自らの怠慢と無能の言い訳にすぎないというのには共感します。
    学校は基本、無知蒙昧な輩が集まる無秩序な刑務所と同じ。学校教育の基本は秩序を構築しそれを維持することであり、そのためには教師が生徒を支配する構造を作らないといけません。私はこうした構造の構築には体罰的暴力による生徒の従順化が最も効率的かつ効果的だと考えます。古代ローマの繁栄は奴隷の従順さに支えられていたのであり、そのことを現代でも応用し学ぶべきでしょう。教科の知識など、極端な話、人としての従順さの前にはどうでもいいことです。
    文科省がしきりに言う「自分で課題を見つけ、自ら学び、自ら考え、主体的に判断し、行動し、よりよく問題を解決する資質や能力」の育成という方針は、学校教育をダメにしていると考えます。こんなことを身に着けた人が世に出れば、船頭多くして船山に登るというもの、つまり小生意気な輩ばかりが増えるということです。自ら考える前に、人の言うことに素直に従属することを身に着けてもらうほうがよっぽど良いと思います。自ら学び、自ら考え、主体的に判断し、行動し、よりよく問題を解決する資質や能力などというのは、限られた人が身に着けていれば良い能力であり、万人には必要ありません。

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