朝日新聞報道年表

[執筆日:H24/02/25][執筆対象:朝日新聞]

 朝日新聞は日本におけるサヨク報道の牙城である。アカイアサヒなどと言われる程、サヨク偏向はもとより、でっちあげぶりは日本新聞界最悪に部類される。

 朝日新聞が行った犯罪的な嘘、でっちあげ、歪曲、人権侵害報道は多すぎるため、全てを詳細に記述できない。以下に朝日報道年表を作成した。とにかく、年がら年中嘘ばかり書いていることが解る。それぞれのくわしい内容については、関係書籍にくわしく記述されているので興味があれば参考にされたい。

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 朝日を論じる資料として、この年表を活用していただければ幸いである。

 なお、この年表は事象別に分けているため、多少年代が前後している所がある。

 年表の内容については随時追加していく予定である。

ノーモア朝日宣言

 我々戦後の日本国民は、朝日などマスコミ各社による旧日本軍冤罪捏造などあらゆる捏造を看過し、人権侵害を放置してきました。本当に悲しく悲惨なことです。この過ちは決して許されるものではありません。

 二度とこういう悲惨な過ちが起きないようにするため、以下の事柄を宣言いたします。

* 朝日による過ちを看過した罪を反省し、心から謝罪いたします。

* 朝日による捏造と人権侵害の歴史を子々孫々に語り、決して忘れません。

 朝日がもたらした悲惨な過去の過ちを風化させないため、ここに朝日による捏造と人権侵害の戦後史を記述し、子々孫々に伝えます。

朝日新聞報道年表
 年月日  朝日新聞史及び朝日関係の時事  関係書籍
 大阪朝日新聞創刊
戦前 積極的な戦争協力報道
 満州事変以降から大東亜戦争戦争終結まで、朝日は積極的に戦争に加担し協力した。 村山龍平社長自ら1千万円の軍への慰問金寄付など、朝日は慰問袋や慰問文の募集、軍歌の懸賞募集や軍用機献納運動、写真展覧会やニュース映画会などを行った。一面コラムの天声人語を神風賦に変更もしている。
これら戦争協力報道は、当局などによる干渉のみからのものではない。近衛新体制のイデオローグ、昭和研究会の中心幹部に朝日の佐々弘雄論説委員が参加するなど、朝日は極めて積極的に戦争に加担しているのだ。
終戦後の朝日は、朝日が戦争協力報道を行った原因を当局による干渉や社会状況などに矮小化して宣伝する。本末転倒もいいかげんにしてもらいたいものだ。朝日がプロパカンダを行ったから、いつまでも終戦に持ち込めない社会状況が生まれたのだ。
それとも朝日は、支那の文化大革命の礼賛報道を、支那当局による強制のみが原因と逃げ口上をうつ下準備をしているのか。

終戦後、朝日は占領軍による戦犯狩りを恐れて写真資料を焼却。朝日はこれらの歴史的事実を全て隠蔽し、軍部の積極的協力者からアメリカ占領軍の積極的協力者に豹変した。

 朝日新聞の調査研究室にいた稲垣武氏はこの事実を論文で明らかにしようとした。しかし、竹田室長の手により朝日の戦争協力を論じた部分などをズタズタに削除された。おまけに朝日が戦争協力した原因を「シャカイジョーキョーが悪い」と責任転化する内容にされた。不本意に歪曲された掲載を望まない稲垣氏は、ボツにせざるえなくなった。

 「朝日新聞血風録」 稲垣武著 文芸春秋
検証朝日新聞報道朝日新聞の戦争責任に、朝日新聞の戦争協力報道の一部が画像で掲載されている。
「国際派日本人養成講座」「地球史探訪:終戦後の戦い」に、占領軍による業務停止命令を契機に朝日新聞が占領軍の犬に寝返った瞬間がレポートされている
昭和二五年九月二十七日付け 伊藤律単独記者会見捏造報道
 日本新聞史上最も有名な大虚報事件。潜伏中の日本共産党幹部の伊藤律氏との単独記者会見を、捏造報道した。この部分は、新聞記録では白面になっている。
 「朝日新聞に内部崩壊が始まった」 堀本和博著 第一企画出版
昭和三五年二月二十六日付け 北朝鮮礼賛帰国報道
 朝日は労働党と朝鮮総連が行った北朝鮮帰国事業にあわせ北朝鮮を賛美する報道を行った。この時朝鮮人と共に北朝鮮に渡った日本人妻の消息は、今なおほとんどが不明である。
大日本史番外編朝鮮の巻北朝鮮帰国事業の罪
当時、朝日新聞以外に大江健三郎氏や当時の現職東京都知事美濃部亮吉氏などが北朝鮮をどのように賛美したかも記されている。
昭和四十二年から昭和四十五年 支那政府当局が朝日を除くあらゆる報道関係者を追放
 文化大革命とは、毛沢東などが行った、文化の政府統制を強化する革命をいう。実質的には政治闘争である。これにより支那政府当局は、数千万人以上の支那国民を殺したと言われる。この恐怖政治下では、国民は完全に思想言論の自由を奪われていた。後に毛沢東婦人などがこれの責任をおわされ、吊し上げ裁判により死刑に処された。 文化大革命で狂乱状態にあった支那政府当局は、支那政府提灯記事以外の記事を書くあらゆる報道関係者を「外国反動分子」と決めつけ支那から追放する。
昭和四十二年 九月:産経、毎日の記者が追放される
昭和四十二年 十月:読売記者が追放される
昭和四十三年 六月:日経記者鮫島特派員がスパイ容疑で逮捕・拘留される
昭和四十三年十一月:滞在期間が切れて帰国したNHK記者が入国不許可となる
昭和四十五年 九月:共同通信特派員が追放される

そして、北京に駐留している日本マスコミは朝日の記者のみとなる。文革支那政府の提灯記事を地道に書いて奉仕してきた実績をかわれてのことだろう。
今も相変わらずだが、この無茶苦茶な処置に日本政府はなんら抗議していない。自国の報道機関を擁護するのは国策としてきわめて重要である。結果として朝日みたいな文革支那政府の提灯マスコミのみとなってしまい、正確な報道がされなくなってしまった。結局政府は、報道の自由とか言論の自由とか、どうでもいいのであろう。

 そして朝日は、唯一の支那特派員をもつ立場を保持するため、あらゆる支那政府当局の捏造加担とおべんちゃらを開始する。
なお昭和四十五年以降、こういった狂気のような文革支那政府おべんちゃら記事掲載は、毎日や読売も大量に行っている。朝日は支那現地特派員が支那政府当局により追放にならないためにおべんちゃらに終始し、毎日や読売は追放になった支那現地特派員を再び置きたいがためにおべんちゃらに終始したわけだ。
ひたすら自社の利益のために、社会主義政府が行う虐殺やその隠蔽に加担するこの有り様。文革礼賛は、戦後日本の大新聞各社にある最も重大な罪の一つである。

 「朝日新聞血風録」 稲垣武著 文芸春秋
国際派日本人養成講座中国の友人に、本事件にふれながら「中国の友人」を作り上げる支那の権謀術策に関する論考が記されている。
TAKA’S Page日本の中国報道に本事件のさらにくわしい経緯が掲載。支那による検閲受け入れ協定とも呼ぶべき「日中常駐記者交換に関する覚書(日中記者交換協定)」が結ばれた経緯なども。
昭和四十五年四月二十二日付け朝刊一面 広岡社長自ら支那の文化大革命礼賛報道(文革支那政府子飼い時代その1)
 朝日が唯一の支那特派員をもつ立場を保持するため、あらゆる支那政府当局の捏造加担とおべんちゃらに終始した時代を、文革支那政府子飼い時代と筆者は呼称する。 自民党の訪中使節団に参加し、一カ月も支那に滞在した広岡社長(当時)が、顔写真つきで一面トップに「中国訪問を終えて」と題する文化大革命礼賛記事を掲載した。
広岡氏は、文革礼賛をはじめとして、朝日における異様な迄の支那政府当局礼賛報道を推し進めた中核的人物と言われる。
 「朝日新聞血風録」 稲垣武著 文芸春秋
昭和四十六年四月一七日から五月一六日 文化大革命礼賛コラム掲載(文革支那政府子飼い時代その2)
 「中国を訪ねて」と題する文化大革命礼賛コラムを計6回連載。著者は毛沢東とも親しく「中国の赤い星」という著作があり、共産主義者と言われたエドガー・スノー。
その内容は、文革支那政府のおべんちゃら一色である。
いわく支那では工業や農業の高い生産数字をあげ、自給体制も整い、鉄道建設も進んでいる。いわく市民生活においては豊富な物資が出回っている。他には、人民解放軍が人民に奉仕する有り様や、人民公社の素晴らしさなどを喧伝。
もちろん、政策的失敗による人口推移にすら影響を及ぼす程の大量の餓死者に関する報告など微塵もない。
記事の内容は、支那政府当局の関係者におぜんだてされた場所に行き、支那政府からの報告を丸写ししたものと断じていいだろう。
 「新聞報道への疑問」 鈴木宣重著 世界日報社
昭和四十六年八月二十六日から十一月二十六日 「日本軍虐殺」捏造コラム掲載(文革支那政府子飼い時代その3)
 「中国の旅」と題する「日本軍虐殺」捏造コラムを計三十一回連載。著者は本多勝一氏。いわいる「南京大虐殺」が知られるきっかけとなったもの。
それは、「旅」という言葉から連想される紀行物とはかけ離れた内容である。文革支那政府当局やその恐怖政治の影響下にある人間による「日本軍の蛮行」に関する「証言」を丸写ししたものだ。
いわく「万人鉱」で大量の支那人が殺された、いわく南京で何十万人もの支那人が殺された、そして「暴虐」、「殺戮」、「血塗られた」、「悲鳴」、「地獄」などプロレスまがいのスプラッタ表現の嵐である。
これも記事の内容は、支那政府当局の関係者におぜんだてされた場所に行き、支那政府からの報告を丸写ししたものと断じていい。後年大量の嘘写真や捏造事例などがあばかれ、本多氏自身、文革支那政府当局やその恐怖政治の影響下にある人間による「証言」を丸写ししたものでることを認めている。
 この捏造の許し難い点の一つは、「文化大革命」という本当の大虐殺の隠蔽効果があるという点だ。もちろん支那政府当局は、それも目的の一つとして本多氏に偽情報をリークしたのだろうが。
文化大革命により殺された人々は無念極まりないに違いない。支那政府に殺されたあげく、その白骨死体ですら支那政府の反日プロパカンダのネタにされるのだ。そしてそれに加担した本多氏。
本多氏は、支那政府など社会主義体制での虐殺の隠蔽に加担し、一貫して殺す側の論理に立ち続けた。その本多氏は現在、大量の文革犠牲者など社会主義体制で虐殺された人々の白骨を踏みつぶし蹴散らした数々の著作により、大量の印税を得て悠々自適だ。
 「新聞報道への疑問」 鈴木宣重著 世界日報社
昭和五十一年五月十九日 朝日記者が国会で女子小学生のスカートめくり
 別に重大な内容ではないが、笑えるので記しておく。 国会担当で三木番をつとめていた朝日記者T氏が、国会見学に来ていた小学生の女生徒のスカートめくりをした。この事件がもとで五月二十一日に朝日を退職。ワシントンポストに再就職した。
面白いのは、このT氏、後に宇野総理による色がらみの醜聞をワシントンポスト誌に掲載し、事件を国際問題にした人物なのだ。
T氏は手記で「御自身の問題に関する危機管理能力が、国政の危機管理能力に通じるものがあるのかもしれない。」などと威張っている。

 スカートめくりハレンチ記者が、他人のピンクスキャンダルを大騒ぎ。いやはや、このT記者御自身の危機管理能力も備えてもらいたいものだ。

 「朝日新聞に内部崩壊が始まった」 堀本和博著 第一企画出版
昭和五十五年十一月二十八日から十二月三十日 コラム「ソ連は脅威か」を掲載
 ソ連が軍事的脅威にならないという主旨の宣伝コラムを連載。最終回で「西側からの軍事的圧力を緩めることが賢明だ。」と結論ずけている。
アメリカ政府は全くこれと逆のことを行い、ソ連への軍事的圧力を強化した。その結果、軍事予算をまかないきれなくなったソ連は崩壊、ソ連民衆は社会主義の恐怖から解放された。ちなみに、日本の軍事力もこのソ連崩壊に一役買っている。
万一日本やアメリカが朝日の言う通りにしていたなら、今にもソ連は存在していた可能性もある。とにかく朝日の主張と逆をやれば、世の中が良くなるようだ。
 「朝日新聞血風録」 稲垣武著 文芸春秋
昭和五十六年二月十六日 朝日記者ホテル盗聴機設置事件
 大手建設会社トップが集まる懇談会「経友会」が、東京・千代田のホテル・ニューオータニ十六階「雲居の間」で行われた。この会合で朝日新聞編集委員(当時)A氏が、盗聴機を設置する事件がおきた。 同会に見慣れない男がいるため、鹿島建設副社長(当時)前田忠治氏が「どこのものか」と尋ねると、男は「朝日新聞記者で、社会部のものだ。飛鳥建設の会長に会いたい」という。名刺を求めると「車の中にあるので取ってくる。」などと言い姿を消す。
ややあって大成建設の岡田正三氏が「さっきの男の態度が不自然だ。盗聴機でも仕掛けたのではないか。」などと発言。この勘が当たる。はたして男が始めに座っていたテーブル裏に、セロハンテープで貼り付けた盗聴機が見つかる。FM発信式でFMラジオで受信できる仕組みのもの。
翌々日十八日になって、朝日の伊藤邦男編集局長(当時)が記者会見し、朝日記者の盗聴を認めた。記者会見によると、十八日午前に編集委員A氏から盗聴機を仕掛けたのは自分だと電話連絡が入ったらしい。麹町署が建造物進入の疑いで捜査を開始し、逃げおおせないと判断してかもしれない。
この事件が発覚した後、各紙が朝日記者と明確な報道をしているのに、朝日のみが「不信な男が朝日新聞社会部の記者だと名乗っているため調べている」、という記事を掲載。更に翌日になって、ようやく「お詫び」を掲載し責任者を厳重処分にしたと報じた。しかし、処分の内容までは掲載しなかった。とにかく朝日は悪あがきをし、隠蔽したがる。
A氏は退社処分、監督責任者である中江局長や秦正流専務が減給処分だったらしい。この中江氏、後にサンゴ捏造記事の事件で減給処分となったあと、一柳氏の辞任を受けて、社長になる人物なのだ。中江局長は、この盗聴事件やサンゴ捏造記事などの影響など全くなしに、出世街道をひた走っていたことが、サンゴ事件により発覚してしまったわけだ。
後のサンゴ事件により、部下に盗聴、捏造など、どんなにひどい失態があっても、なんら出世には影響しないとんでもない無責任体制が明らかになってしまった。これなら、確かに記者はでっち上げ、捏造やり放題だろう。いかなる失態にも、上長は一時的な減給ですむのだから。

 警察による共産党への盗聴事件にはやたら執着する朝日がおこした盗聴機設置事件。なんとも皮肉な話だ。
とにかく、朝日の記者が読者の職場や自宅を訪れた後は、気を付けたほうがいい。テーブルの裏あたりに何かあるかもしれない。

 「朝日新聞に内部崩壊が始まった」 堀本和博著 第一企画出版
昭和五十七年六月二十六日 侵略進出書き替え誤報
 昭和五十六年度の教科書検定において、高校歴史の記述に関し、「中国侵略」を「進出」書き替えさせたなどという報道が新聞各紙によりなされた。これにより、支那政府当局が日本政府に抗議するなど、問題は外交問題に発展した。韓国では日本人へのタクシー乗車拒否など、人種差別事件にまで発展。しかし、後にこの報道が全くの事実無根だと判明する。 こんなことを問題視する新聞各紙の発想が腐っている。それをネタに外圧をかける支那政府もまた腐っている。それにあわてふためく日本政府は最も腐っている。支那の教科書のトンデモぶりを逆に批判する位でなくてどうする。
現在の教科書では日本の軍事行動のみが「侵略」になっており、外国の軍事行動は「進出」「侵攻」などになっている。むしろ書き換えるべきなのだ。こっそりやるのではなく、堂々と大々的に宣言して。
 「朝日新聞に内部崩壊が始まった」 堀本和博著 第一企画出版
昭和五十七年九月七日付け朝刊 侵略進出書き替え誤報の責任転嫁コラムを掲載
 関係者の調査により侵略進出書き替えが全くの事実無根と判明した後、朝日は「読者と朝日新聞」というコーナーで読者の疑問に答える形で小さく「侵略→進出今回はなし」などと記す。その中で、外交問題に発展したのは検定制度を行う政府にあるかのような責任転化をする。
一方、産経新聞は誤報だと判明後、誤報だと素直に認め大々的に謝罪し、誤報の経路を綿密に読者に報告し、詫びた。朝日はこの大誤報事件について、今なお釈明も謝罪も行っていない。このあたりに、最も朝日らしさがでている。
 「朝日新聞に内部崩壊が始まった」 堀本和博著 第一企画出版
昭和五十七年、昭和五十八年 雑誌「諸君」の広告内容を勝手に変造。また、広告掲載を拒否する。
 侵略進出書き替えが誤報であることの調査に尽力した雑誌「諸君」。この「諸君」の広告が朝日に掲載されていた。なんと朝日は、五十八年三月号の広告コピーを、「朝日新聞の虚報」から「朝日新聞への疑問」に勝手に変えてしまった。更に翌四月号の広告では「朝日は日本のプラウダか?」は「朝日はなぜ回答しないのか。」に変えてしまう。
また、同年五月から「諸君の広告掲載はご遠慮願う」として、広告掲載を拒否。それ以降、諸君の広告は、朝日には掲載されていない。
朝日は、自社を批判する「言論の自由」などないと考えているのか。
これについて、朝日は「自社に批判的な雑誌の広告掲載をしなければならないオプリケーション(義務)はない。」などと嘘ぶいている。
 「朝日新聞に内部崩壊が始まった」 堀本和博著 第一企画出版
香山健一マルチメディアライブラリー朝日新聞の戦後責任に詳しく掲載
また新聞批判:「社会の木鐸」を斬る「諸君!」廣告事件に画像ファイルがある
昭和五十九年八月四日付け夕刊(大阪本社版) 「南京大虐殺」でっちあげ報道
 朝日は、生首のごろごろ転がる写真を「南京大虐殺の証拠写真」とし、南京に入城した元歩兵二十三連隊の上等兵が記したという「日記」を併記して掲載した。
それに対して、なんと元歩兵二十三連隊の有志からなる「都城二十三連隊会」が立ち上がった。覚えのないでっちあげ記事をネタに、孫から非難される御老人もいらしたという。とにかく、命を捨てて祖国のために戦った戦友の汚名を晴らしたいという一心からだったに違いない。
元兵士の懸命の調査により、一年四カ月後になって、この写真が全く別の場所の写真であることが判明する。
 「朝日新聞社最新事情」 世界日報社編 世界日報社
南京大虐殺はウソだ!朝日新聞の犯罪に詳しく掲載。
昭和六十年一月二十二日付け夕刊(全国版) 「南京大虐殺」についてのおわび記事を掲載
 写真の嘘が明らかになったことをうけ、「都城二十三連隊会」は記事取り消しや謝罪文掲載の要求を朝日につきつけた。それに対して朝日は、このような数行のおわび文を掲載した。
「(前略)日記は現存しますが、記事で触れられている写真三枚は南京事件当時のものでないことが解りました。(後略)」
全く、元歩兵二十三連隊が南京大虐殺をしていないという記述はどこにもない。これに、都城二十三連隊会が更に朝日に対して不信感をつのらせるのは当然というものだ。
写真の嘘が明らかになったのなら、あとは日記の真偽が焦点となる。やはり例によって朝日は、取材情報源の秘匿を主張し、さんざゴネた上に朗読まではしぶしぶ行ったが、筆跡鑑定のための開示をこばんだ。
昭和六十一年十二月二十七日 「南京大虐殺」の日記開示を命令する判決が下る
 都城二十三連隊会は、日記の開示を求め昭和六十一年八月二十二日小倉簡易裁判所に日記保全の申し立てをした。やがて全て開示し写真に取らせよという判決が、十二月二十七日におりる。
これで、長い闘いが終了し全てが解決するかと思えば、そうはならなかった。朝日は、取材情報源の秘匿を理由に、福岡地裁小倉支部に抗告したのだ。
朝日は生い先短い老人を相手に、裁判引き伸ばし戦術に出たのだ。豊富な資金を持つ朝日にとり裁判などどうということはないが、資金の乏しい側にはたまったものではない。
 朝日の誤報→報道被害者が情報源開示要求→取材情報源の秘匿を理由にした拒否→真相は朝日に隠される→報道被害のみが残る。という朝日お得意の典型パターンだ。
最年長の老人は心労のため入院した。今なお朝日は真相を隠蔽している。
昭和六十年十二月三十一日付け三面トップ 元ポーランド大使インタビュー捏造報道
 スパイ防止法を「国家機密法」改称して大々的に反対キャンペーンを張った朝日。その朝日の村上吉男アメリカ総局長(当時)が、元ポータンド大使ズジスワフ=ルラシュ氏とインタビューを行う。「対談、スパイ防止法より監視の強化が効果」という記事だ。実際に書いたのは同行した岩村特派員である。この記事のなかで、ルラシュ氏が日本がスパイ防止法により全体主義的な社会になり、スパイ防止法に反対しているかのように記されている。 ところがこれが、とんでもない捏造だと解る。
村上氏は、日本には既にスパイ防止法があるという偽情報をルラシュ氏に与え、その前提の下に語られた同氏の対談を一部歪曲し、でっちあげたのだ
村上氏からの日本には既にスパイ防止法があるという偽情報をうけてルラシュ氏が、「スパイ防止法が、いかにその国に存在したとしても、それを十分に活用してスパイ活動と闘わねばならない。」と答え、「法自身によりスパイ活動と闘うことはできない。闘うことは法の効果的な適用によって可能だ。」と答えた内容を、「スパイ防止法より監視の強化が効果」と全く逆に歪曲したのだ。
また、全体主義についても、「あなたは全体主義社会から亡命したが、日本が全体主義的な閉鎖社会となって全体主義国と闘うことにどう思うか。」という誘導質問に、「ある国家が全体主義国家と闘うには全体主義国家とならないように闘うんべきだ。」と答えただけなのである。つまり、スパイ防止法により全体主義国家となるなどと、全く主張していないのである。当然であろう。こんな論法がまかり通れば、世界中の国が全体主義国になっていることになる。世界中のほとんどの国にスパイを防止する法律は存在するからだ。国内のスパイ活動を防止するなど、当然のことだ。

 ルラシュ氏は村上氏に抗議文を出し、対談の録音テープ提出を求めている。それに対し村上氏はルラシュ氏の誤解だと強弁しながらも、対談の録音テープをルラシュ氏に提出するのを拒んでいる。

 「朝日新聞に内部崩壊が始まった」 堀本和博著 第一企画出版
朝日新聞を購読しましょうにある元ポーランド大使インタビュー捏造に本記事の画像ファイルが掲載。
昭和六十一年十一月二十五日付け朝刊、 スパイ防止法反対キャンペーン報道
 昭和六十一年十一月二十六日、スパイ防止法制定特別委員会でスパイ防止法が再提出される前日、朝日は「国家機密法」改称して大々的に反対キャンペーン記事をかく。一面トップ、第一第二社会面トップでとりあげ、更に見開きで「本社全国実態調査」と称する地方議会でのスパイ防止法に関する決議の割合を取り上げる。
その中で「増える反対議会」、「スパイ防止法促進議決は小さな町村に偏っている」など、あたかも防止法反対決議が多いかのような宣伝を行う。
 ところがこの記事が嘘、歪曲だらけと解る。実態は、スパイ防止法促進決議は、二十七都道府県、百四十五市区、千百四十六町、四百七町でなされている。一方、スパイ防止法反対決議は都道府県なし、八十二市区、九十三町、三十五村(朝日新聞調査)といった有り様。
更に宮城県議会については嘘疑惑の漂う記事が掲載。「促進議決に目立つ論議不足」、「促進?反対?当の議員も忘れている。」などの見出しのあと、「当時賛成した議決の趣旨をほとんど覚えていない(宮城)」などといった記事が出る。
反対者の登壇四回、やりとりが三十一回なされ、おまけにスパイ防止法反対派労組(共産党系、旧日本社会党系)が議員の入場を妨害してすわりこんだ。さらに、堀ノ内議長が「このような意見書、決議文で、賛成反対と激しく討論された経験はない。スパイ防止法が初めてである。」と語っている。これを「ほどんど覚えていない」などと言う議員がいるわけがない。
こうなると、「当時賛成した議決の趣旨をほとんど覚えていない。」などと言ったのはどの議員かということになる。これを問われた朝日の記者は、誰かが言ったが誰が言ったのかは覚えていないと強弁している。この裏をとることを放棄した言い草は、プロの新聞記者の言い草ではない。
筆者もこの手段で嘘宣伝をばらまきたい。「築地にある朝日新聞の地下には、北朝鮮の対日攻撃用細菌兵器がある。」などとでっちあげ、誰から聞いたと問われれば、「誰かが言ったが誰が言ったのかは覚えていない」と強弁すればいいのだ。
 こういった朝日の努力は功を奏し、スパイ防止法は廃案となる。こういった朝日の熱心な配慮により、北朝鮮のスパイはのびのびと日本人拉致を行うことができた。その拉致された人々のほとんどが、今なお消息不明である。
 「朝日新聞社最新事情」 世界日報社編 世界日報社
昭和五十九年十月三十一日付け 毒ガス戦でっちあげ報道
 朝日は、煙がもうもうと立ち上る写真を一面三段抜きに掲載し、「これが毒ガス作戦。と元将校。当時の日本軍内部写真を公表」と報道する。
ほどなく、これが写真も取材源もデッチあげであることが、朝日の稲垣武氏や各種報道機関によりあばかれる。
 「朝日新聞血風録」 稲垣武著 文芸春秋
昭和五十九年十月三十一日付け 毒ガス戦でっちあげ報道へのいい加減な釈明記事掲載
 その後、各種報道機関が行った調べにより、これは単なる煙幕の写真であることが判明する。
嘘をあばかれた朝日は、「化学戦の写真は南昌でなく、新ショ河における化学戦の写真と判明。」などと小さく報じる。唐突に「化学戦」などと言い換え、毒ガスでなかったことには一切触れず、あたかも位置の誤認であったかのような記事を掲載する。
これもまた、朝日の誤報→報道被害者が情報源開示要求→取材情報源の秘匿を理由にした拒否→真相は朝日に隠される→報道被害のみが残る。という朝日お得意の典型パターンだ。
「朝日新聞に内部崩壊が始まった」の著者、堀本和博氏はこの朝日の有り様を「まさ『毒ガス』で読者を痺れさせておき、違法な作戦がばれると『煙幕』をはって誤魔化してしまったようなものである。」と絶妙に表現している。むろん、今なお朝日はこの誤報について謝罪も反省もしていない。
平成元年四月二十日付け夕刊 サンゴ落書き自作自演報道
 有名な朝日の自作自演報道。
朝日記者が沖縄の海にいるサンゴにKYなどと落書きをし、地元ダイバーに責任をなすりつける自作自演報道をする。その記事には、例によって「八〇年代の日本人の記念碑になるに違いない。百年単位で育ってきたものを、瞬時に傷付けて恥じない、精神の貧しさの、すさんだ心の。にしても、いったいK・Yってだれだ。」という日本人への説教までついていた。
 「朝日新聞に内部崩壊が始まった」 堀本和博著 第一企画出版
朝日珊瑚事件を語り継ぐサイト
平成元年五月一六日付け朝刊 サンゴ自作自演報道への釈明報道
 広報担当の青山昌史取締役(当時)は、既にあったKYの文字の上をなぞっただけの、「行き過ぎ取材」と釈明。謝罪する。しかし、これがまた嘘であることが後に判明する。
平成元年五月二十日付け朝刊 サンゴ自作自演報道への再釈明記事掲載
 ぬれぎぬを着せられた沖縄地元ダイバーの誇りをかけた綿密な調査により、朝日記者は既にあったものをなぞったのでなく、記者自らストロボの柄で傷を付けたことが判明。ダイバーからの抗議に「朝日に限ってそんなことするわけがない」などと無下もなかった朝日は、動かし難い証拠を突きつけられようやくこの件で真実を報道し、謝罪する。
これは、朝日の誤報→報道被害者が情報源開示要求→取材情報源の秘匿を理由にした拒否→真相は朝日に隠される→報道被害のみが残る。という朝日の得意技をやろうとしたが、ダイバーの供述があまりに信憑性の高いものだったため、朝日の得意技に持ち込めなかった例だ。
 まさに、このサンゴの傷は朝日新聞の記念碑になった。百年単位で育ってきたものを、瞬時に傷付けて恥じない、精神の貧しさの、すさんだ心の。
アサヒイブニングニュース平成十一年二月十九日付け 「レイプ・オブ・南京」の発売延期の原因を右翼からの脅迫と謀略報道
 アメリカで発売された「南京大虐殺」本、「レイプ・オブ・南京」。これが捏造写真展覧会であり、ホラ話の集大成であることは既に知られている。アメリカで50万部も売れ、日本人差別意識の熟成に大貢献した人種差別本だ。
これの日本語訳が日本で発売されようとしたが、著者であるアイリス・チャン氏からの要望により発売中止となった。あまりにひどい嘘記述の嵐に手を焼いた同本の出版社である柏書房が、発売するにあたり解説書を同時に出版することにしたのだ。著者であるチャン氏にしてみれば頭に来て当然だろう。自分の本を出版するにあたり、どこが嘘なのかを解説した本が同じ出版社から発売されるのだから。
ところがこの一件についてアサヒイブニングニュース(朝日の英語版)が以下のような報道をする。
 「消息筋が木曜日[二月十八日]に語ったところによれば、東京の出版社が電話や手紙による脅迫を受けて、『ザ・レイプ・オブ・南京』の日本語版の出版を延期した。(筆者補足:この後、右翼からの脅迫があった旨の文章が続く。)」

出た出た。朝日お得意の謀略&捏造報道。海外での対日偏見熟成に大忙しだ。
月刊誌『創』四月号では、同社の芳賀啓編集長が「右翼よりも一般の人から間違いのまま出版していいのかという電話が多かった。しかし、困ったのはその後、出版延期が右翼の脅しがあったからだと報道されたこと。実際は著者による出版妨害だったのです」と語っているという。
この件ついての詳細は右記ページに記してある。

 外国人を相手に進んで日本人偏見熟成嘘宣伝をする朝日。アサヒイブニングニュースの記者は再度日系人収容所に日本人を送り込みたがっているのか。送り込まれるのが朝日の記者のみなら大歓迎なのだが。

教科書が教えない歴史の、〈連載〉アイリス・チャン『ザ・レイプ・オブ・南京』の研究〈第1回〉からの抜粋。
平成十二年二月十一日付け朝刊
天声人語、社説「どうしたものか」、第二社会面
朝日が扇動した自警団の警戒を理由に石原知事を非難
 ●平成十二年四月十二日執筆
●平成二十四年二月二十五日修正
石原都知事が平成十二年四月九日自衛隊練馬駐屯地で行われた記念式典でのあいさつにおいて、災害時における治安維持の重要性を語る折りに第三国人(朝鮮人などのこと。大東亜戦争終結時、朝鮮は日本に併合されていた。当時の朝鮮人が敗戦国民扱いを逃れるためなどから、第三者をもじってこのように称した。)という言葉を話した。
この一件に、朝日が関東大震災時の様子を引き合いに出したトンでもない記事を掲載した。
天声人語(抜粋)
 「社会主義者や朝鮮人が放火、来襲し、井戸に毒を入れた」などのデマが広がった。(中略)多くの人が流言にとらわれた。混乱の中で、推定約六千人もの朝鮮人が虐殺された。殺したのは日本の軍隊、警察、それに自警団などの民間人である。(中略)石原都知事は「第三国人、外国人が凶悪な犯罪を繰り返している。大きな災害では騒擾事件すら想定される。」とあいさつしたそうだ。「想定」というより「流言」に近いのではないか。

この記事こそが流言であることが、同月十二日の石原知事の記者会見で明らかになった。記事の配信元である共同通信が「不法入国した三国人」から「不法入国した」の部分をカットし、あたかも石原知事が第三国人一般が犯罪を繰り返していると話したように流言報道をしたのだ。
おまけに、軍隊、警察が朝鮮人を殺した例などない。むしろ軍隊や警察が自警団の暴動から朝鮮人を守っている例が数多くあった。ただ、これは<ニホングン=アク>の宣伝のためには、なりふり構わず嘘撒き散らす毎度おなじみ朝日節にすぎない。実は胸が悪くなるほど許しがたいことは別にある。
人々に朝鮮人の蜂起を伝え、広めたのは一体誰か。

大正十二年九月四日朝日新聞見出し:不逞鮮人の一派は随所に蜂起せんとする模様

それは朝日なのだ。朝日などあらゆる新聞が朝鮮人の蜂起を報道し、自警団を煽ったのだ。
筆者は、捏造体質、外患体質など、いかに朝日が腐っているのかをある程度知っているつもりだった。この記事は、筆者のこれまでの朝日観をくつがえすものだ。むろん更に腐った認識にだ。

社説「どうしたものか」(抜粋)
 (前略) 一九二三年(大正十二年)に起きた関東大震災のときのことは、日本の近代史に残る最大の汚点の一つだ。「朝鮮人が井戸に毒を投げ込んだ」などのデマがあっと言う間に広まって、六千人以上が殺害された。
石原都知事はこの史実から、何の教訓も学んでいないらしい。
一人よがりな狭量な愛国心は、逆にその国の信用を落とす。日本を代表する都市の知事にはそれが解らない。どうしたものか。

よくもここまでぬけぬけと威張って知事に説教できるものだ。類を見ない厚顔無恥な図々しさに胸が悪くなる。
もし仮に朝日が大正時代に報じた朝鮮人による蜂起や放火が嘘報道なら、朝日は正式に謝罪記事を載せ訂正をするべきである。かつ、朝日自身が石原都知事に発した説教社説は、丸ごと朝日に対して該当する。その「日本の近代史に残る最大の汚点」「六千人以上の殺害」発生をデマ報道で煽ったのが、他ならぬ朝日ということになる。
逆に朝日が大正時代に報じた朝鮮人による蜂起や放火が事実なら、デマと断じた今回の社説が嘘報道ということになる。この場合も、朝日は正式に謝罪記事を載せ訂正をするべきである。「朝鮮人による蜂起や放火は事実であるにもかかわらず、デマと報道したこと」を正式表明し、謝罪するべきである。

ここまで終始一貫嘘で練り固める朝日が、知事に「何の教訓も学んでいないらしい」と説教。
「日本の軍隊、警察が殺した」などと捏造しながら、知事に「信用を落とす」と説教。

 朝日が原因となった事件を引き合いに、朝日が威張って知事に説教するこの有り様。文章の最後に、「一人よがりなこの朝日の有り様、どうしたものか」などと揶揄して締めくくるのが筆者の従来の手法だ。こういう揶揄をするには、この朝日の有り様はあまりに陰惨すぎる。やりきれなさすぎる。
読者諸氏はこの朝日新聞という存在をどのように考えるだろうか。筆者はこの記事を見て沸き上がってきたのは怒りではない。やりきれなさ、ただ底無しのやりきれなさである。人がどこまで人としての誠意を投げ捨てることができるのかを挑戦したかのような内容。もうどうでもいい。こんな新聞。
朝鮮人による蜂起や放火をデマと断じた以前の記述が、正確なものではないために修正しました。訂正し謝罪いたします。

朝日新聞を購読しましょうにある関東大震災での朝日新聞の人道的報道に、当時の朝日の記者が目撃したという「朝鮮人による放火」記事の画像ファイルが。?歴史資料集/関東大震災には当時の多量の記事が。
平成十三年四月二十六日付け朝刊 つくる会教科書への嘘歪曲指摘を垂れ流す
 ●平成十三年五月三日執筆
新しい歴教科書を作る会作成の教科書に対して、朝日が狂的な反対キャンペーンを張ったのは記憶に新しい。おなじみの支那韓国へのマッチポンプ御注進報道。
その朝日は、新しい歴教科書を作る会作成の教科書検定合格本に対して批判的な学者による同教科書への「間違い指摘」を丸ごと掲載した。ところがその「間違い指摘」そのものが、とんでもない間違いだらけだった。
朝日掲載学者の指摘1:つくる会の合格本は明治憲法はアジアで最初の近代憲法としているが、オスマントルコ帝国が西暦千八百七十六年に制定したミドハド憲法が先

↑この指摘は、つくる会教科書の記述を捏造している。つくる会はの記述は「アジアで最初の議会を持つ立憲国家として出発した」である。トルコには議会は無かった。おまけに学習指導要領には「大日本帝国憲法により、アジアで唯一の議会政治が始まったことの意義について気付かせるようにすること」という主旨が記されている。

朝日掲載学者の指摘2:つくる会の合格本は伊藤博文が初代韓国総監になった年を西暦千九百六年としているが、西暦千九百五年である

↑この指摘が間違い。伊藤博文の人事は千九百五年に発令されているものの、総督府が開庁したのは翌年二月であり、伊藤の着任は三月である。韓国総監になった年は紛れも無く西暦千九百六年である。

とにかく筆者の主張は「嘘をつくな」ということだ。新聞社が嘘情報(つまりは不良品)を垂れ流しながら、なんら問題視されず営業を続けていける現状。見てのとおり新聞界とは普通の企業の常識が通用しない場所だ。こういう不良品の販売に対して回収を要求することはできないものだろうか。

更に残念なことに、こういう下劣な嘘歪曲プロパは時に極めて高い効果をあげる。こういうプロパの成果と思われるが例えば、田中外務大臣は「(新しい教科書を作る会に対して)歴史を捻じ曲げる人って未だにいるんですね。」などという恥ずかしいサヨクボキャ発言をしている。しかも教科書の内容を読みもせずにである。軽率と言う以外に無い。そもそも教科書作成は外務省の管轄ではない。何を考え違いしているのか。捻じ曲がっているのは、読まずに安直に論評するおまえの頭だろう。

 本質的な問題は教科書などにあるのではない。こういう嘘情報の垂れ流しや、それが時に効果をあげてしまう腐った現状にこそメスを入れあばきたて改めていく必要があるのだ。
要するに朝日の情報は信憑性ナシだという事実を皆が承知すればいいわけだ。

産経新聞平成十三年四月二十七日「朝日新聞の教科書報道」

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