バレンタインである。私の本番は、15日、16日だ。スーパー等で、ちょっと良さげなチョコレートが半額セールになる。資本主義に毒された甘党としては、狙うのは14日ではない。
ほぼ国民的な行事となっているが、これは「人造文化」である。市民権を得て行くにあたって、メディアとスポンサーが如何にブームを作っていったか、非常にわかりやすい好例でもある。
楽しんでいる方もいる、ゆえに批判したり水を指す意図はない。
一人の甘党として、むしろ甘党に所属する政治家として私自身も楽しんできた一人だ。
政治に興味をもつ方は、どのような流れでバレンタインがチョコレートの日になってきたのか。
この流れは是非、知っておいて頂きたい。
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(OGP画像)
物を売るためなら、なんでもあり!
と批判的に論じるのみではない。
これがビジネスであるし、これがマーケティングなのである。
ただし、購買力には限界があり、一強が生ずれば、他弱は衰退する。
例えば、行政主導の大きな祭りが産まれた影には、土着の伝統行事の衰退があるように。
全てを「否」とすることは、資本主義の否定でもある。
ゆえに、全否定はしない。
新自由主義に対しては批判的であるが、物を売るためのマーケティングが、文化のような形をとったことまで否定することは、私にはできない。
ただ、そこに影があることは主張したい。
その影とは、商業的理由により発生した「人造」文化の発する強い光により
何かが失われていく、ということだ。
クリスマスは天長節のブラックバス。
雛祭り・端午の節句は、バレンタインとホワイトデーに敗れた。
この例えの意味、比較した意味も伝わるのではないか。
日本古来の伝承、祭りがある。
例えば天長節。
外来のクリスマスと比較すれば、圧倒されている実態にあり、まるでブラックバスに駆逐されるかのようだ。
雛祭り・端午の節句は、バレンタインとホワイトデーにやられた。
勝負するものではないのだろうが、負けていると思う。
日の丸よりも、クリスマスツリーのほうが多いという現実。
ようこそ、謎の国へ。
保守として、忸怩たる思いでそれを見つめる。
この原因が何かを考えてみると、メディアとスポンサーという解を得た。
バレンタインは、そもそもチョコは関係ない日のようだが、「チョコを売りたい」スポンサーの意向に従い、そういうアプローチを擦りこんでいく。
当事者たち、参加者たちが「自らそうありたい」と願うようになり、それが自然である状態になるまで。
まとまっているサイトがあったため、引用する。
日本におけるバレンタインデーの歴史
1930年代 バレンタインデー誕生期
・1932年:モロゾフが日本でチョコレートを販売し始めました。
・1936年:モロゾフが日本で初めてバレンタインデーにチョコレートを贈ろう、という新聞広告を英字新聞「ザ・ジャパン・アドバタイザー」掲載しました。
1950年代 バレンタインデー初期
・1958年:メリーチョコレートが伊勢丹新宿本店でバレンタインセールをしました。ただ、3日間開催されセール中に売れたのは30円の板チョコ5枚と4円のカード5枚だけとのこと。
1960年代 バレンタインデー黎明期
・1960年:森永製菓が新聞広告によるバレンタイン企画を展開し、徐々にバレンタインデーの認知を広めていきます。
・1965年:伊勢丹がバレンタインフェアーを行いました。
・1968年:ソニープラザがバレンタインフェアーを行いました。
1970年代 バレンタインデー成熟期
・1977年:石村萬盛堂がバレンタインデーのお返しにマシュマロを贈ろという企画「マシュマロデー」を初めました。これがきっかけで、ホワイトデーが誕生します。(ここかぁーー)
1970年台は、女子中高生の間で好きな人にチョコレートをあげる、という文化が広まった時期です。
1980年代 バレンタインデー派生期
・1980年:明治製菓・不二家・篠崎製菓・宮川製菓・サクマ製菓・佐久間製菓・マルエ製菓・金太郎飴本店・カンロ・ホームラン製菓・みやこ飴本舗・二葉製菓・メリーチョコレートが加盟する全飴協・関東地区部会が、「ホワイトデー企画委員会」をたちあげて、「ホワイトデーキャンペーン(バレンタインデーのお返しにはマシュマロやキャンディー)」というものを提唱していきます。(ここもだぁーー)
・1984年:第5回ホワイトデーキャンペーンでは、お返し用のキャンディーが品不足になりました。ちなみに売上は55億円だったそうです。
このあたりから、「好きな人にチョコレートをあげる」から「感謝を伝えたい人にチョコレートをあげる」という義理チョコも生まれてきました。(ここでもかぁーー)
もう、お菓子メーカーやりたい放題です。
また歌などを習っていないことには、日教組の影を指摘することは間違いではないと思います。
ただし、クリスマスがここまで流行した背景は、それだけでは説明がつきません。
ここは敢えて、GHQ・日教組は排除して考察させてください。
主たる要因とは思えないものに思考を囚われたままでは、本質的な部分を見落としてしまうからです。
日本古来の、本当に伝統に根差した日を復活させていくためには、現実を正しく認識する必要がある。
「クリスマス」という外来イベントがこれほどに流行している。
対して、保守のイベント(祝日や国旗掲揚)は廃れていく。
「この野郎!」と、悔しがるのは自由だが(私も悔しがっているうちの一人だが)クリスマスが市民権を得てきた過程を学ぶことで、私たち保守も学ぶことはできないだろうか。
本当の要因
それは新自由主義的な考え方や、利己的な思いの横行、と述べることができると思います。
具体的には、バレンタインがお菓子メーカーの仕掛けであったように、クリスマスも「実態とは異なる」流行となっている点を指摘したい。
クリスマスで大騒ぎする日本人だが、これが逆であったらどうか。
異常性がよくわかると思う。
クリスチャンが天長節を祝った場合、キリスト教徒が、天長節を祝った場合、それは何か不思議な気がする。
悪いことではないしありがたい話なのだが、置き換えてみると大層ヘンテコなことになっている。
イメージして欲しい。
お洒落なニューヨーカーたちが、デパートで【奉祝】と書いた板を買い漁る。
CNNにて「とぅでぃ、TENCHOUSETU!!!OH!」とか言っている感じである。
白人カップルを想定してみよう。
恋人たちが、天長節デートを行い、ディナーの予約をする。
菊の花と菊花紋章を前に、「KI-MI-GA-YAHHHH!」とか歌って愛を語らうのだ。
海外のおまいらの場合、ネットユーザーたちの動向を考えてみる。
素晴らしいデザインスキルを無駄に投下し「天長節、中止のお知らせ」が毎年作成される。
そしてリア充、爆発しろ!と叫ぶのだ。
家族の場合を考えてみたい。
良い子にしてたら、陛下が玩具を持ってきてくれるのよ?と。
親が子供に諭すのである。
陛下に行ってもらうと、ちょっと構図が崩れるか。。。
じゃ、こうだ。
「いい子にしてたら、ヤタガラスが玩具を持ってきてくれるのよ。」
子供は不安そうな顔で言うのだ。
「ちゃんとヤタガラス、迷子にならずに来てくれるかなぁ」と。
もうちょっと年をとって生意気盛りになった頃。
「本当は八咫烏って、親が買ってきてるんだよ!」と叫ぶ、空気を読めない子が出てくるのだ。
そして
「いるもん!八咫烏はいるもん!」
「私、見たもん!ちゃんと足が三本あったもん!」
って泣き出す子が出てくるのだ。
不毛なる、八咫烏、実在論争を繰り返す子供を横目に。
オモチャメーカーは・・・。
「ここで一年の売上を絶対に立てるのだ!!」
「我が社の荒廃、この一戦にあり!!!」である。
スポンサーについているアニメにおいては、
ここぞとばかりに新キャラ、新メカが登場。
工場も生産拡大で、掻き入れ時である。
経済波及効果もバカにならない。
九州ウォーカー(本州の方はわかるのかな)などの場合。
いわゆる外戸本みたいな、地域版の雑誌である。
「天長節にお勧めの夜景デート特集」とか組むのである。
デパートでは、
「今年の天長節は、肉じゃがでお祝い!」
「日本本国、直輸入!高野豆腐!」とかポップが躍る。
コンビニでバイトしている人なんかは
「あー、今年の天長節、ケーキのノルマがきっついわー」とか言ってるのである。
疲れたサラリーマンたちは
「あぁ、今年の天長節も仕事だったな」とか、
駅のホームで舞う雪を見て「ホワイト天長節か」などと、しみじみとつぶやくのだ。
そしてそれが、なんとも言えぬ風情をもって、しみじみと疲れた大人の共感を呼ぶ。
これが外国人が、天長節を(日本のクリスマスと同様の)祝った場合のイメージ図である。
クリスマスを祝う日本人を、(敬虔なるクリスチャンをはじめ)海外はこのように見ているのではないだろうか。
私は、天長節の記憶が、ほとんどない。
だから、どう祝っていいか、感じていいかわからない。
20年後、30年後、雛祭り・端午の節句を知らぬ子供も出てくるのだろう。
それを知る「私たち」しか、伝えることはできぬし、感じることはできぬし、守ることはできない。
憂うだけでは、これからの日本人に笑われる。
憂うだけでは、頼りない。
いまを生きる日本人しか、できにこともあるはずだ。
なぜ、保守の伝統行事が廃れていくのか。
はっきり言う、楽しくないからだ。
「人造」文化は、メディアの大きなクローズアップもある、ドラマで素敵なエピソードにされている場合もある。
そうやって浸透していく。
だが、結果として「楽しそう」なのだ。
やりたいと思ってしまうのだ、参加者は。
一旦、「スポンサーの意向」や「保守側の意向」は捨てて頂きたい。
参加する者は、どちらが楽しいか。
必要性からのみ催事を論じることは難しく、
そこに楽しい記憶とエピソードがあって初めて、祭りとして成立する。
あの日の縁日がそうであったように。
私は理系で、ややドライすぎる考え方をする。
ただし、縁日の屋台で食べた、白くて甘いものは、
砂糖を熱して液化させたのち、回転運動をもって遠心力により射出され、
細い糸状になった糖分を、割り箸等の棒状のもので巻き取ったものではない。
それぐらいはわかる。
綿菓子は、綿菓子で、あの日、あの場所で食べたからおいしいのだ。
そこには思い出が、共に在るからだ。
バレンタインを楽しむ若者は、楽しげである。
そこには甘酸っぱい思い出もあったりするのだ。
これを単に批判することは容易だが、それだけでは頼りないと思う。
そこに記憶があり、エピソードがあり、人々の中に浸透していく。
もし、保守が復活を望む伝統行事が、あの光景であったならば、と。
怒号と政治主張の中、大量の日の丸がたなびく光景ではなく
人々の笑顔と共に、それがあったのならば、と。
バレンタインに思う。
私たちに足りぬものは何か。
笑顔と、エピソード、記憶である。
バレンタインが「チョコの日」として市民権を得て行くまで。
スポンサーの意図、メディアの動き、その流れを是非、知って頂きたい。
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政治的な話にもなってしまって小坪氏の主旨とは離れてしまうかも知れませんが
「人造」って、非常に強いと思います。
「商業」「マーケティング」「PR」「宣伝」「広告」「刷り込み」「洗脳」どのような言い方でも当てはまると思いますが
自然は人工に駆逐される
または
自然は人工に駆逐されやすい
「PR」「宣伝」「刷り込み」「洗脳」とは、従来あったものを駆逐する為の
または上書きする為の方法でもあるからだと思います。
クリスマス、バレンタイン、ハロウィン
韓流ドラマ、Kポップ
脱炭素、LGBT、夫婦別姓、同性婚
新興宗教、共産主義、NPO活動
他
「商業」「マーケティング」「PR」「宣伝」「広告」「刷り込み」「洗脳」は
ひとりひとり、個人の内面へのアタックであり、一種の「攻撃」だと思えますので
防衛体制の無い、無防備な個人にはひとたまりもありません。
もちろんほとんどが正当な商業活動や正当な活動でありましょうけれども
そこに悪意や作為があった場合には、非常に巧妙で恐ろしいことだと
私は思います。
何かズレた投稿になってしまいました。すいません。
以上 文責 BLACK
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共産党は2016年9月13日からの警告を無視し続けましたね。
ならば、下記は決定事項と承諾したものと見做します。
・『テロを利用する共産党』
・『テロリストの味方である共産党』
・『テロに屈する共産党』
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肉じゃがの主役と言えば、何と言ってもジャガイモですが、この様な記述がある事からも、すっかり我が国に定着して居る事が分かります。
ジャガイモは南米発祥の植物で、15世紀頃に我が国に伝来し、細々と飼料として栽培され、江戸時代の一時期に救荒作物として広がるも次第に衰退、明治に入り欧米で品種改良されたものが再上陸し、北海道や東北地方を中心にやはり救荒作物的な位置付けで定着して言った、実は外来植物だったりします。
元々が在来植物ではありませんので、必然的にジャガイモを使った料理は伝統的なものと言えるのかどうかも疑問ですし、肉じゃがとして一般家庭に定着したのは、戦後1970年代に入ってからの様です。
これは戦後の食糧難が、少なからず作用した結果なのかも知れません。
因みに肉じゃがを考察した場合、御当地グルメとして居るのは広島の呉と、京都の舞鶴で、海軍絡みであったりします。
更に肉じゃがに近い料理としては、陸海軍共にレシピに掲載されたのは昭和に入ってからの事で、やはり近代に入ってから我が国では活用され始めた事が窺えます。
確かに考えてみると魚じゃがの様な、魚とジャガイモを合わせ、醤油や味醂で味付けした料理は思い浮かばない事からも、どちらかと言えば洋食の食材として定着して行ったのでは無いかと思われる節はあります。
歴史的には欧米に於いても、ジャガイモは救荒作物的な位置付けであった様ですし、日本でも田舎者の意味合いで芋と表現したりしますが、欧米でもやはり近しい表現が存在する様です。
一方でジャガイモは世界的に見て、これ程迄に人類を餓死から救った作物はないのでは無いかと思われる程、人間に貢献しまくった作物でもあります。
バレンタインのチョコレートとジャガイモとでは、意図したマーケティングによるものか否かの違いはありますが、成立ちから言えば並行して居ます。
豆腐にしても、節句にしても支那から伝来したもので、それが日本で育まれた結果、アレンジされたりしつつ定着して行った事からも、案外バレンタインのチョコレートも同じ経緯を辿るのかも知れません。
これらを鑑みるに、我が国の懐の大きさを逆に感じる事も出来るのかなとも思います。
【肉じゃが】…御存知と思いますが、この料理の誕生には、日本海海戦の英雄、東郷平八郎提督が関係していますね。英國海軍伝習留学より帰国後、東郷さん『ビーフシチューを食べたか。』と専属シェフに口頭で伝えたら…【肉じゃが】が出来上がったそうな…
小坪市議…ぶっ飛んだ明後日の書き込みを御容赦下さい…
【熊本市紛糾の自治基本条例】…遂に【千葉県】に飛び火して仕舞いました…
今日、令和5年=皇暦(紀)2683=基督暦2023年2月14日火曜日付の
【NHK総合TV data放送 千葉のニュース】より一部引用…
千葉県「多様性尊重の新たな条例」の制定…
〜熊谷千葉県知事…「年齢や性別、【国籍】、障害の有無、性的指向、性自認…等、多様性を尊重する事の重要性を人々が理解し〜
千葉県民各位は元より、全國の自由民主主義者の國民各位に御願いします。
【自治基本条例】の戦い、千葉県の陣に加勢を!何卒宜しく、伏して御願い申し上げます。
選挙区の國会議員、地方議員に、この条例の危険性を伝え、千葉県の様な事にならない様に備えて下さい。
このブログの読者の千葉県民各位には、選挙区の国会議員、県議会議員、市町村議会議員各位に周知し、反対の声を上げて、この
【危険極まり無い条例案】を潰しましょう。
小坪市議、この場を借りて、又再びの支援を、伏して御願い申し上げます。
此方も、知り合いの国会議員事務所等に、この悲報を伝え、隠密裏に調査・対策を練る様に御願いしました。
厳密に保守ジャンルでないかもしれませんが、イベントに合わせて上手く再浸透したものもありますよ
それは「八咫烏」 サッカー日本代表がワールドカップに行くたびにサッカー好き中心に刷り込まれます
楽しめるイベントとセットになると浸透しやすいのでしょう
過去小坪先生が今回と同じテーマのブログ記事を上げられた時に私が思いついたのは
「新嘗祭の献上米で作る新米おにぎり」ですね
既に「建国記念日におにぎり」をしている方もいるようなので、その派生イメージです
全国チェーンのコンビニあたりで「新嘗祭の時期に献上米の新米を食べると1年間幸せになる」と、献上米地域で作られた米の白おにぎりを期間限定で販売してもらうのです
↓コンビニはおにぎりが一つ売れればおかずなど買ってもらえて売上アップ
↓白おにぎりでカンタンにご利益にあずかれる日本人もニッコリ
↓イベントきっかけで新嘗祭の認知度も定期的にアップ~からの、皇室のイメージアップ
といった流れです
数年でイベント化に定着すれば昨今の流れで
「献上米の新米を食べる」→「豪華な献上米」に発展
恵方巻のようにデコラティブなおにぎりに発展し、他スーパーなども追随していきます
夕飯を作らなくていい主婦もニッコリです
流通が増えれば令和の新嘗祭の米で足りなくなるでしょうが、そこは「過去選ばれた米全てがご利益」と言い風に解釈が変わっていくと思います
おにぎりの食べ比べもできますし
本当は令和初めての新嘗祭のタイミングが一番始めやすかったのだと思いますが…なんて考えていたのをこのブログで思い出しました
一応コメ欄で思い付きの供養をしておきます
面白いアイデアですね。参考になります。頭の中の倉庫に入れて置きますね。