この言葉は、弁護士がよく使っている気がする。
行政にも格言のような、基本的な言葉はある。私が属する立法権においても、例えば”市民の声に耳を傾け”など、使い古された言葉はあるのだ。
誰も彼もが同じ言葉を口にする。
それぞれの者は言い過ぎて、もはや言ったことすら記憶に残らぬほどに。
言われたほうも、そんなことを議員が言ったことを忘れるのだろう。
例えば、市議候補であれ県議候補であれ、はたまた国会議員候補であれ、「市民の声に耳を傾けて~」というフレーズは、ほとんどの候補が口にしたことがあるのではないか?
有権者も、一度ぐらいは聴いたことがあるだろう。というか、聴いたことがある者は100%なのではないか。
けれども、本当に市民の声に耳を傾けようと、腹を括って動く者は極僅かだ。
そして、使い古された言葉、「社会正義の実現」を体現する弁護士など極僅か。
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何の話かと言えば押し紙の件なのだけれど、あの訴訟にも波があった。
司法業会で盛り上がった時期だってあるし、いまのようにネット保守で取り上げられたこともある。私が手掛けるようになって10年ぐらいなんだけど、かつてネットで盛り上がったこともあるわけで、いまは第二波みたいな状態。
成果があがらねば、人は興味を失っていく。
動きがなければ、その案件を忘れる。
はっきり言えば、徐々に人は離れる。
それでも、バカみたいに”社会正義の実現”を掲げて戦った弁護士がいる。
弁護士というものは、だいたい左寄りのことも多く、私のイデオロギーとは真逆だ。だから、それを「敵側」と呼ぶことも簡単なのだろうけれどさ。
結局のところ、最後の最後まで、馬鹿正直に”社会正義の実現”を掲げた弁護団がいたんだ。
社会正義という言葉は、もはや使われ過ぎてしまった結果、誰もその定義なんてできないのだけれども、
ただただ愚直に、その言葉を体現しようとした姿勢は、私はもっと評価されていいと思う。
誰もが口にするけれども、口にすることだけが簡単で、そして体現することは難しい言葉だ。
一度は盛り上がった案件が、徐々に興味も失われ、苦しい時期だってあったろうに。
司法権の、また異なるイデオロギーの立場の先生たちを私が触れることには慎重できあるべきなのだけれど。それは、私が「評価する」とか上から目線で言ったと感じられては困るし、実際、そんなことはできない。だって、この言葉をちゃんと体現しようとした者は、その言葉を口にする者に比較すれば、何万分の一ぐらいの数値になるのだから。その偉業に対し、異なる権能の若輩者が「評価」なんて言えるわけもない。
同じことは、立法権にも言えることだし、
おそらく行政権にも言えることなのだけれど。
このBlogは、私が個人的にファンの押し紙を戦い抜いた先生たちに捧げるためだけのエントリー。
市議とはいえ政治家が言及する以上は、何がしかのプレゼントはしたいなって思っています。どういうものかは、今は言えないけれど。
NO!残紙キャンペーンのサイト、最下部において弁護団と議員団の名が連なる。
弁護団は結構えらい人たちが多い気がする。(よく分からないけど。)
立法側で、対メディアの業界全体にメスを入れたのが、まさか小さな街の市議だったなんて!というのは一部に驚きの声はある。私自身だって、最初はそんなこと思わなかった。驚いてる、なんでこんなことしてるんだろう、って。
いま振り返れば、弁護士も議員も、国内でも最強クラスの人間ばかり。
見ようによっては、国内随一の戦闘狂と言われても、まぁ、仕方ないのかなと思う。
だって何も得がないはずなのに、リスクのみを背負って戦い抜いてしまったのだから。
特に。
具体的な支援やサポートがない中で、10年以上も戦い抜いてしまったことについては、「継続戦闘能力」については確かに国内一の戦闘集団と言えるのかもしれない。モチベーションというか、戦意が強かったという意味で。
その根源は、きっと社会正義の実現という言葉に集約されるのだろうし、
そして、その言葉に集約されて欲しいと私は願っている。
社会正義の実現、
このフレーズを口にする者は星の数ほどいる。けれども、体現しようとした者は極僅かだ。評価されるべきだと思うのだけれど、つまり立法側はこの司法権における偉業について、敬意を評するために具体的なアクションをとらねばならない。
つまり、奇跡を見せて頂いた恩返しを。
具体的に何を恩返しするかは決めきれてないのだけど、弁護団が数十人規模でいる以上は、「押し紙に関する議員団」がいたほうが恰好がいいかなぁ、ぐらいは考えてる。
前回もかなりの数の議員を集めているし、あそこまで歴史的な判決を得ているのだから、規模を増やしやすい環境を整えて頂いている。それは私の力ではないけれど、地方議員を主軸とした議員団の結成は考えているし、また国会議員にも顧問就任などを打診したい。
うん、
これは、延期になった国会での勉強会のときに発言する予定だったし、結成もしちゃおうと思っていたのだけれど。これは、弁護士や原告へのプレゼントではない。
議員団を作るならば、議員がひな壇にいっぱいいれば舞台が華やぐ程度の効果も期待できるのだろうけれども、それは厳密に言えば議員の仕事ではないわけで。
ようは、議員団として何をするか、だ。
そこまで示せて、はじめて恩返しというか、司法権に対する敬意だと思っている。
社会正義の実現って陳腐な言葉だと思ってた。
この言葉は可哀想な言葉で、もはや詐欺師が使うぐらいのフレーズに成り下がってしまっていた。
もう一度、この言葉を噛み締めてみたいと思う。
だから、何かする。
何をするのかは、まだ言えない。
正確に言えば、決まってないし。
そして、私が決めるべき内容ではない。
最後の一行には含みがあると思って頂いて結構です。
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共産党は2016年9月13日からの警告を無視し続けましたね。
ならば、下記は決定事項と承諾したものと見做します。
・『テロを利用する共産党』
・『テロリストの味方である共産党』
・『テロに屈する共産党』
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この裁判の原告である元新聞販売店は、もう本当にどうにもならなくなる迄、我慢に我慢を重ねた上で裁判に踏切ったのであろう事は誰しもが予想出来るでしょう。
裁判に踏切るのは一般人の場合、相当な覚悟を要します。
ですので起訴に至る人は、首が回ら無くなる程に追い詰められて居るか、若しくは他に収入があって経済的に余裕があるかのどちらかが殆どでしょう。
こう言った場合、多くは泣寝入りでしょう。
逆の見方をすれば、新聞販売店でしかやって行けない、苦しくても今の所は何とか繋いで行けると言った人は、新聞社にとっては良いカモで、搾取され続ける対象であろうと推測出来る訳です。
正直な所、押し紙裁判は弁護士にとっては然程美味しい仕事とは言えなかったのではないでしょうか。
それでも戦い続けて来たのですから、信念を優先して来たのでしょう。
その弁護団へのプレゼントと言えば、”新聞社による新聞販売店搾取の撲滅”が一番なのではないでしょうか。
とあるので、第一波攻勢防御を砲撃で行うのか、ミサイル攻撃で行うのか、はたまたいきなり潜入部隊が占拠するのかを言えない。そして正確に言えば、(どれを選択するかが)決まってないっと含みを持たせてあるのではないでしょうか。
”新聞社による新聞販売店搾取の撲滅”が、一刻も早く達成される事をお祈り申し上げます。
政府が今、始めようとしているGo TO キャンペーンは今は不可能です。
感染拡大に対する東京都知事の会見
ttps://youtu.be/usTpVAoLppc
水間条項TVによる解説
ttps://youtu.be/b7TWOEW1yV4
この様な状態に至ったけえいつまと証拠
ttps://youtu.be/PCQWFLjPEYM
ttps://youtu.be/oAZJiyic5ZY
ttps://youtu.be/k96zGNP1Ai4
ttps://youtu.be/w56kQAEQrQ4
ttps://youtu.be/sFuVVKgxwE4
ttps://youtu.be/OBp9lDc-ojI
これらが、解決出来ない以上はGo Tnキャンペーンなど不可能です。
修正
けいえいつまと❌
経過と⭕️
弁護士の皆さん社会正義の実現のため、押し紙分広告代の過払い請求はよ。
あと過払い請求で問題を起こした弁護士や弁護士事務所への厳しい処分はよ。
司法に対する信頼が揺らぐ根本的な問題なので、高度な自治を発揮して是非願いまーす。
社会には優越した立場を利用した明らかな理不尽がまかり通ってる業界がまだまだあるじゃないですか。コンビニとかさ。
そーゆうのをやってほしいわけですよ。
某民族の無関係な後世の人間にまで因縁をつける世界や社会の進歩に対する反動勢力としか言いようがないイカれた言い分の代弁者になるんじゃなくて。
個人でも、庶民でも、政治家でも、弁護士でも、誰でも
綺麗ごとはいくらでも言えます。
政治家の、特に選挙時の公約、「やります」「国民の為に」
弁護士の「みなさまの暮らしに」「法がみなさまの為に」等々
行動で示せる方々、まして長い日々もくもくとそれを実行出来る方々
そんな方々が、左右・保革を問わず、
共に世の中をリードしていただける社会
そのような方々をしっかり評価出来る社会
そのような時代が来ることを望み、願っています。
NO!残紙キャンペーンにご参加の方々は
その先陣を走っておられる方々であられると
期待し、感謝しています。
「社会正義の実現」
この、使い古された詐欺言葉のようになってしまった言葉に
今一度、本来の意味を持たせていただきたい
今一度、本来の意味を見せていただきたいと
それを実現させようと活動しておられる方々に
期待し、感謝しています。
ありがとうございます。
以上 文責 BLACK
押し紙問題の行き着くところは、大手新聞社の倒産か刷新なのでしょう。
偏向、印象、捏造、隠蔽などを行い、国民の生活に関わる判断情報を正しく伝える役目を放棄し、裏の勢力に屈している状況は、民主主義とは真逆の姿ですのですからしかたが有りません。
これは、世界中の大手メディアが同じ方向ですので、世界のメディアを牛耳る存在が有るのでしょうね。
牛耳る存在と報道内容で戦うことは大変なリスクが有りますが、押し紙問題は詐欺行為ですので司法で裁けます。
後は立法で、新聞社に対し購読者数の正しい報告を義務付け、厳しい罰則を設ければよいのでしょうね。
第四権力の謳歌も、そろそろ終わりにして頂ければ、まともな野党が育ち、議会制民主主義が正しい方向に向かえそうです。
陰ながら応援します。
.
我が家は数年前から新聞をとっていません。
購読をやめる前の数年は、産経をとっていました。
それ以前のお花畑時代(10年前位まで)は、おぞましくも朝日でした。
覚醒して、産経にかえましたが、新聞をかえても目覚めない夫に呆れ果て、馬鹿馬鹿しいので購読をやめました。
何より、産経新聞の立ち位置も今一つな気がして、歯痒く思ったのが、応援する気を無くした一番の理由です。
前置きが長くなりました。
先週末、読売新聞の販売店から電話がありました。
『本社からの命令で、「無料配布キャンペーン」をやるので、ポストに読売新聞が入るけれど、無料だし、押し売りする気もないし、捨ててくれても良いから…』と言うのです。
更に
『前にも一度、入れたことあるけれど(確かに入ってた)、黙って入れると驚くでしょ?だから、この地域の家に一軒一軒電話してるんです。』
とのことでした。
何度も何度も、
『捨てて良いから…。』
『ゴミになったら申し訳無いけど…。』
『とってくれなくても構わないので…。』
【本社の命令だから…。】
と繰り返していました。
とても気の毒に思いました。
「電話代のが高くなっちゃうじゃない?!」
としか言えませんでした。
これがどういう事なのか、私には厳密には判断出来ませんが、やっぱり、まだまだ新聞社の販売店虐め?は続いているのですよね?
ご報告まで。
無料で配られたら販売店さん、一軒一軒配布されてる従業員さんの負担が増えるではないですか?(電話までさせて)
押し紙数を誤魔化すため?
ウチも残飯を包む以外に新聞は必要ないです。
10年後には無くなっているであろう最古のオールドメディアである新聞
今のうちに過払い分を取り返さないと
新聞社が倒産してからじゃ泣き寝入り
そう言う事ね?
嘘新聞の検索で朝日新聞がトップに表示され、変態新聞で毎日新聞がトップに表示される事は知られた事実ですが、個人的には読売新聞が嫌いです。
故中川昭一氏を追い詰めた主犯だからです。読売のドンは何故か政界を牛耳る存在です。
第四権力の元締めみたいなものでしょうか?
読売ジャイアンツのイメージで上手く隠していますが、怖い存在です。
それだけに、朝日と違って賢いのでしょう。
多くの方に、マスコミが主張する逆が正しい事に気付いてほしいものですね。
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このコロナ禍において、全ての価値観は変わざるを得ないのかと考えます。
日本の報道の自由は世界60位。ネットでの情報も既存メディアの真意を精査するぐらい。世界中の情勢を報じて、独自の視点で俯瞰し、未来を予測する日本のメディアは皆無です。それは、産経にも言えます。保守系と呼ばれるネット報道番組の方々には、(政権よりばかりでなく、たまには、政局を作ってしまう位のスクープを揚げて下さい。)国益を優先した報道をお願いします。野党があんな調子だから、安倍政権や与党に切れが無くなるのです。
政府とか、為政者は、日本の領土、領海、領空を護り、国体である皇室が永遠(とわ)に八千代に永続するように護る事。そして、大御宝である国民を愛する事でしょう。
社会正義…社会科学と同じにおいを感じてしまいます。
サンデルに依れば正義は普遍的ではないと主張しているものはあるとしても社会科学を喧伝する山口某みたいな教授も自らのプロパガンダを利用しているだけでしかないこともありますし社会正義なるものもうさんくさい表現のようにしか取れません。
押し紙に関しても一般企業であれば売上予測や在庫管理(といっても新聞なので当日限りにはなりますが)などのこともあるためそこを見込んで無駄に作りすぎたりすることはしませんが何故このようなことをしているのかとしかいいようがありません。
某教授のように経済成長等のためならじゃぶじゃぶ使え、みたいな発想をする御人もいるわけですが上級国民でない小生としてはそうもいかないため無駄や非効率に対しては斬り捨てたほうがいいように思えるばかりです。