サヨク教師に関する皆様のご意見:2


 このホームページを読んで肩の重荷がが少し降りたような気がしました。
自分は現在、受験生でありますが最近、某有名予備校で受けている夏期講習の小論文の授業での講師の方や採点者の考え方や教え方、採点基準について疑問を呈さざるを得ないことがあり、投稿するに至りました。というのも、これが言論の自由や教育の問題に関わってくると思ったからです。
例えば、先日提出した有事法制についての賛否を書かせた小論文の原稿で自分が東アジアの情勢に鑑みて(中華帝国、北朝鮮の軍拡と脅威及び彼らの国内問題解消のための対外戦争に日本が巻き込まれる可能性、また日本国民の安全保障など)有事立法を成立させるべきと書いたことに対してのコメントに信じられないような採点者(しかも社会科学系)の不勉強がありました。以下引用します。「中国の武力侵攻は有り得ない、大中華主義の台頭はない、北朝鮮を独裁国家としての固定観念で見過ぎ、反日を国是にしているというのは誇張しすぎ」などなど最近の領事館侵入事件や警備艇の銃撃戦、さらには工作船などの事件がここ半年近くの間に続出しているにもかかわらずこのノー天気な考えに呆れました。たしかに自分としては原稿に不備があったり、うまく書いていなかったので、全部人のせいにはできませんが、先の2,3件の事件ぐらい知っていて常識と思っていました。せめて採点者の方がそれなりの資格(準講師級)を有しているならば現在のアジア情勢くらい知っていて欲しいですよね。
最近では左翼マスコミでも北朝鮮を独裁国家と言わざるを得ないご時世に独裁国家と見るな!と言わんばかりコメントでした。さらに最後にはコメントが感情的になってきて、(事実として書いたモノを)宣伝だの実証性に乏しいだの、「段落を変えて書け!こんなモノ!」などの完全な命令口調になっていました。
また、2つ目の小論文(住民運動について)を書くときに講師から補助プリが配られたのですがそこに「近代における人権の根本は市民対国家であるから対立構造を強調して書け」とか「なるべく市民と機動隊がぶつかり合う場面を重要視し、市民と警察が協力し合ってる場面はいかんのだ」という指示が出され、自分が例示しようとしたオウムに対する住民運動は市民が警察と協力しているという理由で却下されました。問題文にはあなたの考えを自由に論じなさいとあるのに映画監督でもないのにこういう場面を作れとか言う制約はどうかと思います。
自分は近代を論じ、将来を考える場合にいつも日本の明治維新の時のような無血革命に誇りを持ち、公のことを真っ先に考えた幕府や新政府に敬意を表し、フランス革命に代表されるようなヨーロッパの近代の思想とはひと味違う日本の良さ(君民同治)を使った将来を小論文で論じたいと思っているので残念でなりません。しかるに講師の方がおっしゃられるような二極構造(マルクス史観に通ずる)で一方的に善悪を分けたような一神教の価値観(ユダヤ、キリスト教史観)で書けと言うのは、ともすれば相手を悪魔と信じ、常に自分を正義に仕立て上げる独善性を含んでいます。これでは課題に対する根本的解決にはたどり着けなくなってしまいます。(要するに国か市民のどちらかが痛みを我慢する解決方法)ここには相手に対する感謝や持ちつ持たれつ(お互い様)の観念など無く、ただ憎しみがあるだけという不毛な解決方法だと思います。まあヨーロッパの方では個人主義と公共心を両方兼ね備えた人が多いのである程度抑制が利くと思うのですが・・・。日本の場合は今、私利私欲がむき出しになっているのでやばいなあと思います。
以上のような長々とした文になってしまって恐縮ですが、受験生たちにこのような授業で受験に影響がでないか心配です。たしかにこの講師の方が言われるように書いていれば授業ではいい点もらえるかもしれないけれど、いざ本番になってまともな文が書けなくなってしまうかもと心配しています。また一回一回、小論文を書くことがとても大事な練習なのでなるべく練習の段階で自分の構想を偽らずに表現できるようにしておかないと受験で行き詰まってしまうので自分の考え優先か講師の考え優先か悩んでいます。制作者の方は先の講師の考えがサヨクの影響有りと見ますか?教育界の汚染はここまで進んだのでしょうか?自分の受ける大学がそうであって欲しくないものです。
ただ、自分にとって一つの救いは同じ小論文担当の先生でも公共心を大切にし、世界の情勢を真剣に考えている講師の先生に夏期講習以外の授業では教えてもらっていることです。

◇筆者コメント:

 サヨクの影響ありというかその予備校教師はサヨクそのものだと考えます。
そういう連中をまともに相手にしても時間の無駄でしょう。しょせん予備校の教師であり大学受験の採点者ではないので、とにかく相手にしないことが一番だと思います。受験期間という貴重な時間を異常者の相手に費やすのは損です。異常者でない教師の方から学び、後は自分で論文記述方法を記した文献などから学ぶのがいいと思います。ただ、そういう異常者がいるという事実は広い意味での勉強になりますので、異常者の言い草のどこが間違っているか、またそういう異常性を持ち始めた社会的個人的ないきさつを推察するなどをし、小論文にまとめる練習をするのもいいでしょう。

筆者が論文と称するものを評価する基準はこんな感じでしょうか。
@ 結論と提起と根拠または事例が閉じていること(論理性)
@ 論点が一貫し明瞭であること(一貫性)
@ 誤字脱字がないなど正しい日本語の規則で記されていること(文法)
@ 安直な代名詞の使用や省略などで晦渋にならないように配慮され「てにおは」が閉じていること(文章の整合性)
@ 読み手に平易に論点が伝わること(解りやすさ)
@ 内容が独創的で面白いこと(独創性など)

「文章を評価する」のは困難です。誤字脱字だらけのドシャメシャな悪文でも面白い内容の場合があり、理路整然と退屈な内容が記されている場合もあります。「小論文の採点」とはどうやるのでしょうか。誤字脱字や整合性の欠如をあら捜しする減点方式なら比較的客観的な評価が可能でしょうが、それでは本当の意味でのいい文章は残らないでしょう。とすると、結局採点者の好みの問題となるのかも知れません。
人々に広く読ませる文章の場合、最も重要なのは最後の独創性や面白さです。これはまさに好みとしか言いようの無い部分であり、サヨクからするとサヨク的でない文章が最も嫌な文章ということになるのでしょう。

「近代における人権の根本は市民対国家であるから対立構造を強調して書け」との要望には、共産支那の弾圧とそれと戦う「市民」を書けばどうでしょう。共産支那の人権弾圧を徹底して非難し、それと戦う日本の石原都知事などを人権派とし徹底して賛美する内容を書くと、予備校教師からのリアクションが楽しめるでしょう。そのリアクションにこそ、小論文のネタがあると考えます。

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 左翼教師の欄を見て自分は幸せに思いました。自分は私立の高校に通っているので、日教組かぶれの反日教師はいません。逆に戦争経験者の社会教師の方はいます。自分の学校の教師は南京大虐殺を否定したり朝鮮併合を良かったとか言っています。(理論的な解説有り逆に朝鮮の人に恨まれるのは筋違いだとも言っています。この教師達(複数)がすべて正しいとは限りませんが、戦前の日本絶対悪に取り付かれた公立の教師が減ってほしいとは願います。

 左翼教育を受けてきました。今考えると恐ろしいような左翼的思想を小学生でかなりもってました。今になってみると、その頃は教師から「頭の良い子」と言われたし、左翼活動に利用されそうになってた事も。しかしだんだんと疑問をかんじるようになり、反発するようになると一転して問題児扱いでした。将来、子供ができた時には同じ環境で教育を絶対にうけさせたくない!

 サヨクは論争をするときに、相手の主張を一切聞こうとせず、もって回った表現・主張のみを繰り返し、祖先を侮辱し、名誉を毀損し、犯罪者の烙印を押す。私は学生で、所属している部活の顧問がサヨクである。サヨクであるという部分以外は普通の、とてもよい先生なのだが、こと安全保障や歴史の問題になると、「平和憲法を死守せよ」「自衛隊はいらない」などの妄言を繰り返している。私は「それは違う」と声を上げて主張するのだが、彼らは平然と論理のすり替えやおためごかしを使い、それを何とも思わない。

  もうすぐ大学入試が近いのでこの間、(筆者隠蔽)塾の小論文の先生に採点をしてもらったのですが慶応大学の問題で戦争責任に関するものが出ていて、それについて得意の世界史の知識を生かして論理的に書いたつもりだったのですが、その先生とは歴史認識があまりに違いすぎ、評価はかなり低く、後に交渉は決裂しました。その先生は個人的には非常に穏やかでいい人なのですが、サヨクであったので、こちらの論証は全く無駄でした。
自分:先生は自分のナルシシズムで日本が悪かったと言っているとしか思えない。自分は当時の日本人の立場や主張を一方的に侵略、悪だと断罪し、加害責任を教えろだの、「過去を克服」すべきなどと解答させられるのは学問的立場からも公正中立な立場からも納得できない。先生:君の主張の元になっている保守派の言論人の発言は非常に卑しい。日本が不況だからそのような言論がまかり通るんだ。彼らのような発言のせいでアジアの国々との平和な関係が保てにくくなっている。君は彼らのような歴史認識は改めるべき。とまあ、こんなやりとりが2時間近く続き結局、折り合いがつかず決裂しました。
やはり、現在、社会科学系小論文の世界では「科学的」な論述よりも「政治的」な論述の方が好まれているのでしょうか・・・・?

◇筆者コメント:

 おそらく現状はそういう「好み」がはびこっている点もあるのでしょう。
しかし社会科学がご専攻とのこと。まさにその実態自体を分析し論考することが「社会科学」の分野なのではないでしょうか。「社会科学」の正確な定義は知りませんが。
それを考察しつくすことができれば、「社会科学」そのものが「好み」でなく論証によって結論づけるまっとうな学問分野に昇華することとなるでしょう。あたかも宗教的常識で学問体系が組まれていた中世に科学的弁証法的な学問体系により研究結果を発表した科学者のように、社会主義共産主義という宗教的常識で組まれていた学問分野に新風を吹きこむこととなるでしょう。もちろん「教会関係者」による「宗教裁判」などの迫害はあるでしょうが。
しかしその弾圧自体ですら社会科学の研究素材となるはずです。

 左翼系の教職員組合員による反日教育に憤りを感じています。彼らは日本国民の血税である禄を食みながら、堂々と反日教育に精を出しています。なんとか・・・・ならないものでしょうか。
息子は小学校6年の最後に担任の教師から執拗とも思われる反日教育を受けました。もう、小学校ともおさらば=子供は人質ではなくなる・・・・と思い、教育委員会へ校長へと抗議の電話をしました。が、当時いた川崎市は管理職以外は全て川崎市教職員組合員であることを知り、愕然としました。教育委員会にしろ校長にしろ、もとの出所は同じだったのです。

◇筆者コメント:

 川崎の教育界は最悪としか言いようがありませんね。

  このページはすべて印刷して、暇なときに読ませてもらっています。如何わしいとしか思えない詭弁を駆使した文章より、遥かに読む価値があると思いました。
私の通っている大学では、サヨク教授の方々が大量に跋扈しており、又学生も、奇麗事ばかり言っているような内なるサヨクだらけで新学期早々呆れています。ひょっとしたら、私が社会福祉学科なんて言う学科に属しているからこそ、以上のように感じるのかも知れません。ついこの間の授業では、人間の尊厳は、誰にも拘束されず、自由に生きる事だ等と言っている学生がいたので、社会主義国家に行ってくれと学生の主張に大笑いしながら思いました。管理人さんは知っているかもしれませんが、私の行っている大学は「東の都立、西の立命」と揶揄されるほどに、サヨクの牙城となっております。小林よしのり氏は、著書「公と個論」の中で、大学はオウムのサティアン化していると述べましたが、誠にそのとうりだと実感しています。私の冗長な話に付き合って頂き有難うございました。管理人さんもお体を大切に。

◇筆者コメント:

 大学でのそれも含めて授業とはそもそも膨大なまでの拘束を前提として成り立っています。例えば講義とは受講者に私語を発する自由等を奪うことによって成り立ちます。というか大学自体が国民の自由を奪い拘束することを前提に成り立っています。納税者の収入の一部は自由に使うことができず徴税され国家権力の統制下におかれ、大学などの運営費用(=いかがわしい教授の給料)になります。

 最近、戦後問題についての史料や著書を探していて知ったのですが東大教授の藤原帰一氏のダブスタというか変節ぶりはすさまじいっスよ! 以前、氏は講談社から『戦争を記憶する』という著書を出し、その中で「米軍による占領なしには日本の民主化はなかった。」と熱心にGHQ=「解放軍」説を力説(ただし、論理的説明はなし。自明の理と考えているようだ。)しておりました。
しかし、いざイラク戦争が始まってみるとテレビ番組のインタビューで「アメリカによる武力行使はイラクの解放や民主化を進めるものではなく、目的は親米国家を増やすためであり、今回の行動はアメリカ帝国主義の拡張だ。」と述べていました。 この変節ぶり!!彼は自分の著書の内容を忘れてしまったのでしょうか?それとも、知っていてもひた隠しにしているのでしょうか?こういうご都合主義な体質はサヨクの特権ですね。

◇筆者コメント:

 日本の現憲法擁護派は「アメリカはイラクに『平和憲法』を与えるべき。アメリカによる憲法制定に反対するイラク人がいなたら、それは偏狭なナショナリズムというものだ。」と訴えるべきかと考えます。まさしくその理屈で連中は現憲法を擁護してきたわけですから。

 僕は大学生の一回生ですけど、憲法が「押し付け」であることは中学校で習いました。先生がアメリカのGHQが作ったと教えてくれました。高校でさらに詳しくそのことを習いました。ちなみに先生たちは極東軍事裁判もかなり不公平であったことも教えてくれました。先生たちは戦争を「美化」はしていませんでしたが、ある程度「自衛のための戦争」だったと言っていました。
この前大学で「憲法9条を改正するか否か」の討論を行いました。ちなみに「護憲派」の連中が主張したことはなんと「非武装中立論」でした。一瞬耳を疑いました。今もこんな連中いるんだなあ。僕が「攻められたらどうするのか」と聞くと「降伏して武力に頼らない手段で抵抗する。抵抗って言うのは市民的連携で行うものです」とかわけの分かんない事を言っていました。この人たち新聞を読んでいるのだろうか?歴史をちゃんと学習したのだろうか?ニュースみてるの?とか、ついつっこみを入れたくなりました。
だいたい「市民的連携」って何だ?どうやって形成するのだろうか?まったく意味不明。
ちなみに連中は「今戦争中の国は話し合いで解決できます。日本がその架け橋となるべきです。」とか、相変わらず寝ぼけたことを繰り返していました。一回イラクやユーゴ、ルワンダ、イスラエル・パレスチナに行ってみろと言いたくなりました。いかに自分たちの考えが「妄想的」であるかが分かるからです。
僕は「改憲派」の班にいましたが、同じ班の連中とも意見が対立しました。僕は「自衛隊を国防軍に」「集団的自衛権も認める」という立場でしたが、「軍はダーティーなイメージがある。」「集団的自衛権を認めるとアメリカの戦争に巻き込まれる。」と、反論されました。イメージだけで決め付けてどうするの?
話は変わりますが僕は中国の友人がいます。この友人の親父は中国共産党の幹部ですけど彼がこう言っていました。「日本ってまるでATMだね。なぜちょっとケチをつけたぐらいでお金を出してくるの?日本の政治家って、あれって政治家なの。特に田中真紀子とか土井たか子とか・・。なぜあんなに卑屈な態度をとるの?別に僕の国が期待しているわけでもないのに。まあ僕の国にとっては利用しやすい連中だけど、君たち日本人からしたら実に不愉快な連中じゃないの?あれって日本人の立場から見ると売国奴に等しいよ。」 と、言われました。かなり恥ずかしかったことをお伝えしたいと思います。まさか中国の友人にこんなことを言われるなんて思いませんでした。

◇筆者コメント:

 その討論は誰が企画したものなのでしょうか。仮に「朝まで生テレビ」のような人選段階からヤラセのサヨクによる討論会でなく、公正な討論会であったとしたら、まだまだ状況は深刻なようです。ネット世論(つまり若者世論)では既におおむねサヨクは物笑いのタネとなっている中で、少々意外な気がします。
支那の人権問題をとりあげる反体制活動家が靖国神社で公演をしていました。「明治維新をなしとげた日本に多くの支那人が留学し、近代国家の何たるかを学んだ。靖国神社はそういう維新志士が眠る場所だ。」という感じの論旨でした。こういう人権派の支那人からすれば、人民弾圧と虐殺を繰り返す支那共産党への日本の政治家による媚態は、もはや支那人への虐殺弾圧行為への加担と映るでしょう。

 最近、愛国心のことが話題になっておりますが、サヨクの愛国心を否定する論理があまりにも矛盾しているので思わず吹き出すことがよくあります。
彼らは政治体制は民主主義でなくてはいけないと言うくせに同時に愛国心はいらんと言っていますが、そもそも民主制は主権者がその国の国民なわけですから、愛国心がなければ成り立ちません。国民がその国に対して、プライドなり責任感を持っていないと専制君主にお任せか外国に逃げてっちゃうはずなんですけどね。
サヨクは国というとすぐ政府、政権と結びつけて愛国心があると操られるーなんてタワケたことをコイておりますが日本が民主国家であることも自分が主権者としての自負心もないのかーって言いたくなります。
まあ所詮彼らは自分たちの気に入る政党や議員が政権の座に着かなきゃ日本の世論と認めたくないんでしょうな。(笑)そんでもって、彼らはこの論が論破されると、ホントは日本を愛したいのだけれど、今は強欲な政治家のジジイがいるからイヤだとか国が提供するメシ(公共サービス)がマズイから日本が嫌い(井の中の蛙だね。)などと、とにかく何だかんだ理由をつけて逃げ続けるんですよね。子供が宿題をしない言い訳をしているのと同じようで滑稽ですね。彼らは「たとえ強欲な政治家のジジイがいたとしても敢えて今、俺が国のために何かしよう。」という考えがまったくないようです。興味があるのは自分のことだけなのかも。
もっとヒドいのは「愛国心はいらん!地球人としての愛が必要だ」なんて言って。SFの世界に飛んでいって、座礁してるやつもいましたね。

◇筆者コメント:

 民主国家が民主国家として成り立つには国民に愛国心があることが不可欠です。
サヨクによる「愛国心教育」反対論は、まるごと「平和教育」反対論になりうるものです。
「愛国心は心の内面に関わるものであり教育という形で公権力が『押し付ける』べきでない」→「平和を愛する心は心の内面に関わるものであり公教育とい形で公権力が『押し付ける』べきでない」
「日本が愛される国になれば、愛国心は自然に身につく。『押し付ける』べきでない」→「日本が平和であれば、平和を愛好する心は自然に身につく。『押し付ける』べきでない」
「心の内面の問題」だの「洗脳」だの「押し付け」だのの言葉を使って愛国心教育に反対する連中は、まず今現在行われている「平和教育」に反対するべきかと考えます。連中の論理からすれば、まさに「平和教育」は「心の内面の問題」、「洗脳」、「押し付け」にあたるはずです。

 学校の教官のほとんどがサヨクなので彼らの周波数に合わせたレポートを作らなければいけないこともあり大変疲れます。共産主義・社会主義を唱える教官はさすがに存在しませんが、「国民国家はフィクションに過ぎない。」とか、「これからの時代は国境を越えるべきである。」などという主張をする教官が多いです。そして最近流行の言葉に“異文化共生社会”というものがあります。「在日外国人に参政権を与えましょう。」などというものです。
また、ラモスさん(サッカー選手)のように、日本を愛しているがため帰化した人について、「帰化しなければ参政権をもつ普通の人として扱われない、かわいそう。帰化という言葉は問題だ。」また、ラモスさんや、サントスさん(サッカー選手)が帰化する際、ご自身の名前を漢字に変えたことについても、「漢字に変えさせられてかわいそう。」などといった具合です。
「これからの時代は、国家にこだわる必要はない。」と言っておきながら来年度からの国立大学独立行政法人化には反対のようで、法人化されても国から補助金をもらうのは当然だと考えているらしいのです。「行政法人化がなれば、国には金を出させるだけで口は出させない。」などとのたまう教官もいます。
私の父はかつて自衛官でしたが、若い折、自衛隊は税金泥棒と、主に左側の人間に言われていたそうです。しかし、どちらが税金泥棒であるかということが最近はっきりしてきております。

 右翼、左翼についての根本的な知識が足りないので何とも言えませんがやはり、私たち(少なくとも私の周りの人たち)は日本人であることに引け目を感じてると思います。そういった引け目はたとえナンキンダイギャクサツがでっち上げだったとしても、たとえ原爆投下が許され難い大量虐殺だったと習ったとしてもそうそうぬぐえるようにはなりません。そんな自分はもしかしたら右翼なのか?と言いたくもなるのですが…

◇筆者コメント:

 洗脳とはそういうものです。拉致被害者の方々も最初は洗脳完了の状態だった方もいらっしゃり、蓮池さんはその洗脳解除にかなり苦労なさったようです。
まずは自分が洗脳されていることそのものを理解することが洗脳脱却の第一歩となるかと存じます。

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