[病理:吊るし上げ]
結局、サヨクという存在のどこに問題があるのか。
それは、
「他人様(例えば元日本軍兵士や日本政府)をつるし上げて、イイことした気分に浸ろうとする根性」
にある。
これがそもそも鬼畜なのである。
他人の良し悪しなどどうでもいい。まず、人は自分自身が身近な他人にはた迷惑なことをしていないかどうかを、考えるべきなのだ。他人様の問題性などでなく、自分自身の問題性こそ眼中に入れるべきなのだ。
世のため人と為になりたいなら、人はいったい何をするべきか。どこかのだれそれを救う前に、まず、人はこういった所から救うべきなのだ。
1 まず自分自身を救え
他人(保護者や政府)のお金を使って学校に通う存在、すなわち学生はごくつぶしである。もし、読者氏が学生なら、まず自分自身が他人の利益を吸い取っているだけのクズであることを知るべきだ。
学生は、中学あるいは高校を卒業し地道に働き納税する若者に感謝するべきだ。自分自身の学費がそういう若者の納める税金から成ることを知るべきだ。たとえ私学であっても、税金は投入されているのだ。
学生はまず、こういったはた迷惑なことをしなければならない自分自身を救うべきだ。一刻も早く卒業し、自分自身を救える人間を目指せ。自分の衣食住の代金すら他人に拠出させ(すなわち、他人の利益を吸い取る、はた迷惑極まり無い問題性の権化のくせして)、他人様を救おうとか、ましてや他人様の問題性を指摘しようなど、思い上がりもはなはだしい。
まず、自分自身を救うことを考えるべきだ。
2 次に両親を救え
自分自身を救う、すなわち自分の衣食住の代金を自分でまかなえるようになったら、次は両親を救うべきだ。自分の両親すら救えぬ者が、他人様を救うとか、ましてや他人様の問題性を指摘しようなど、思い上がりもはなはだしい。
具体的には、まず仕送りをすることだ。そのための経済力を身につけることだ。もし、両親が何かに不自由になったらとにかく両親の力になることだ。
3 家族を救え
両親と同様に家族をも救うべきだ。
連れ合いに尽くすこと。祖父母をいたわること。兄姉を敬うこと。弟や妹の面倒を見ること。まず、こういったことができているかを考えるべきだ。特に夫や妻へは、損得を越え一方的に献身的に尽くす気構えが重要だ。自分の家族すら救えぬ者が、他人様を救うとか、ましてや他人様の問題性を指摘しようなど、思い上がりもはなはだしい。
4 近所の人を救え
救えと言っても、実は別に何かの救済活動をしろという訳ではない。自分が隣近所にはた迷惑なことをしていないか考慮しろということだ。
具体的には、夜中に騒ぐな。ごみを決められた日に出せ。きちんと挨拶をしろ。町内の決めごとを守れ。などである。つまり、普通の常識を身につけろということだ。
隣近所にはた迷惑な者が、他人様を救うとか、ましてや他人様の問題性を指摘しようなど、思い上がりもはなはだしいのだ。
5 職場や学校の友人を救え
救えと言っても、これも実は別に何かの救済活動をしろという訳ではない。友人が困っていたら、力になれということだ。
友人すら救えぬ者が、どこぞの他人様を救うとか、ましてや他人様の問題性を指摘しようなど、思い上がりもはなはだしいのだ。
6 地元に住まう神や祖先を救え
救えと言っても、やはりこれも実は別に何かの救済活動をしろという訳ではない。祖先や郷土神を敬えということだ。
少なくとも墓参り位は、年に一度はするべきし、自分が住んでいる自然や土地にも感謝するべきだ。人にとって最も重要なのは、まさにこの、自分を生かしてくれるさまざまな存在への感謝の気持ちなのだ。
自分自身の祖先や自分が住む土地に感謝すらできない者が、どこぞの他人様を救うとか、ましてや他人様の問題性を指摘しようなど、思い上がりもはなはだしいのだ。
つまり、他人様のモンダイセーなどどうでもいいから、自分の問題性を考えるべきなのだ。
サヨクの問題性は、自分自身にある問題性を棚上げにし、他人様のモンダイセーを指摘してイイコトした気分に浸る鬼畜ぶりにあるのだ。