サヨクの罵倒中傷癖(昔「ファシスト」今「よしりん教徒」)


[執筆日:H12/8/5][病理:罵倒中傷癖]

 よしりん教徒。
御多分に漏れず、インターネット掲示板などで筆者は時折こう記される。最初は何のことか解らなかったが、インターネット掲示板などで頻繁に話題に上る「戦争論」、「コーマニズム宣言」という漫画を読んでなるほどと思った。その漫画の著者がよしりんという愛称で呼ばれる小林よしのり氏で、その内容に強烈なサヨク批判があるのだ。筆者は はやり物には静観する気質なので、フィーバーが落ち着くまで読まなかったのだ。

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 驚愕するのは、サヨクによる小林氏罵倒にむける恐るべき情熱である。
そもそも筆者が小林氏の上記著作を知ったのは、インターネット掲示板上でのサヨクによる狂気のような小林氏罵倒によってである。また雑誌や著作などでも、サヨクは狂ったような小林氏への中傷と罵倒に終始している。(サヨクがヒステリックに狂的に中傷する人間というのは、石原都知事のようにおおむね正論を主張している場合が多い。そこで興味を持って読んでみたわけだ。)

 毎度おなじみサヨクによるヒステリックで狂的な中傷。
政敵や外国への憎しみと罵倒中傷を繰り返す独裁国家支那を思わせる。思想に狂って政策的に人々を殺し、人々からの怒りを逆切れで応じる独裁者の強迫観念そのものである。

1 サヨクの小林氏罵倒にみる狂態

 小林氏罵倒は、サヨクの罵倒中傷癖が最もわかりやすく現れた例である。以下にその内容を列記する。

サヨクの小林氏批判1:「誇張した絵でイメージを刷り込むのが良くない」

 ↑漫画というものを根本的に理解していないことの自白そのものである。

 そもそも漫画とは伝統的な意味では風刺画のことだ。主に政治や世相について誇張し滑稽にし風刺した絵のことを、そもそもは漫画と言った。(新聞に掲載されているヒトコマ漫画みたいなもの)
戦後少年誌を中心に絵物語形式の漫画が広く読まれるようになったが、もともとは風刺画のことである。手塚治虫氏の作品など昔からの漫画には強い風刺色が残っている。

 風刺漫画は、間違いなくイメージを刷り込むものだ。むしろ朝日あたりにありがちな支那共産党御用達の超絶くだらない反日風刺漫画のように、むしろイメージの刷り込みが目的の主眼となっているかのような例もある。
感覚に訴えるイメージの刷り込みは、むしろサヨクの得意とするところだ。NHKのドキュメンタリーで日本の戦時中のシーンになると、それが勇ましく行進しているシーンであっても必ずおどろおどろしい音楽になる。12率音階の現代音楽風背景音で、なんとなく不安な気分をかもしだす。一方支那の軍事パレードの映像には、全くそういう音楽が出てこない。

 つまり「絵でイメージを刷り込むのが良くない」という言い草は、漫画そのものを否定に他ならないのだ。
誇張し滑稽にし風刺する絵を、最も伝統的で正確な意味から漫画という。よって小林氏の近年の作品は最も正統的で正確な意味の漫画と呼ぶにふさわしいわけだ。

サヨクの小林氏批判2:(風刺画での表現内容ついて国会議員が)「そんなことをしていないから謝罪しろ」

 ある国会議員がアダルト雑誌で強姦という言葉を話した事を、社民党の辻本国会議員がヒステリックに騒ぎ立てた辻本きよみ強姦騒動。小林氏は作品の中でこの騒動を風刺し、政治家辻本議員が国会でその議員を強姦をする有り様を描いた。
すると辻本議員から小林氏に「強姦をしていない」などと抗議が来たらしい。アホなやっちゃで。お笑いを理解するはずの関西人の恥やで。
大平首相が死亡したとき、朝日新聞は大平首相が天使の羽を生やして飛んでいる漫画を掲載した。大平氏の親族が「大平には羽もないし、ましてや飛んでもない。嘘を掲載したことを朝日は謝罪せよ。」などと言っていない。当然のことだ。大平氏の親族には普通の常識があったからに違いない。

 自分を批判的に風刺する漫画を禁じる政治家、辻本きよみ。

 言論の自由が保障されているはずの日本で、こんなキ印政治家がいることに愕然とする。
女には一般にナルシーな部分があり、自分への批判的な言い草に過剰な反応をする体質がある。そういう女のろくでもない部分が実に顕著に現れている。
大阪人がこういうキ印を議員にする目的は、その狂態をお笑いとして楽しむことなのかも知れぬ。もしそうなら大成功である。横山ノック以来のバカウケと言える。
しかし、こういうキ印がまかり間違って政権を握った場合のことを考えるべきだ。それは、政権を批判的に風刺する漫画が禁止される社会体制、(強姦など)特定の言葉を話す事自体が禁止される社会体制である。つまりサヨクが愛する支那のような社会体制だ。おもろい状態とは全く逆の世の中である。

2 小林氏罵倒に逃避するサヨクは、共産主義国家の小心な独裁者と同じ

 サヨクによる小林氏へのヒステリーじみた言論弾圧。サヨクが結局何をいいたいのかと言うと「自分及び自分の考えが風刺対象になってムカついた。自分及び自分の考えを風刺するな。」ということだ。
つまりは共産主義国家の小心な独裁者の強迫観念と同じなのだ。

 共産主義国家の小心な独裁者や独裁体制は、おおむね以下のような泥沼の経緯をたどる。

 共産主義国家の小心な独裁者が思い込みの思想に狂って、実状を考慮しない政策を開始。

政策的失敗から膨大な餓死者、失業者、貧困者、党幹部と民衆間の膨大な不平等など、おそるべき社会問題が発生する。(支那でいう大躍進政策)

政策的失敗を怒る人々や、そういった人々の怒りを利用する政敵から、独裁者への批判が高まる。

人々からの批判への恐怖(吊し上げ裁判などによる死の予感)や、自分の失敗がもたらした人々への苦痛への罪悪感などに狂った独裁者は、自分に対して批判的な人々やそれらしいそぶりの人々を全部殺す。(支那でいう文化大革命)
罪悪感をもたないため、諸問題の要因が自分にないかのように思い込んで他者を攻撃する。

 そしてサヨクもまた以下のような泥沼の経緯をたどっている。

 サヨクが社会主義などの思い込みの思想に狂って、反日宣伝やジンケン運動やヘーワ運動を開始。

その影響から膨大な災害犠牲者、犯罪者の野放しによる人々の死、学級崩壊、道徳の欠如による援助交際娘などの発生、旧日本軍冤罪捏造など、おそるべき社会問題が発生する。

そういった失敗を怒る人々(小林氏など)から、サヨクへの批判が高まる。

人々からの批判への恐怖や、自分の失敗がもたらした人々への苦痛への罪悪感などに狂ったサヨクは、自分に対して批判的な人々やそれらしいそぶりの人々に対して狂気的な罵倒中傷。
罪悪感をもたないため、諸問題の要因が自分にないかのように思い込んで他者を攻撃する。

 共産主義独裁国家の逆切れ体質とのおそるべき類似。要するに人々からの批判を逆ギレで封じようとするやり口だ。

3 高い娯楽性とわかりやすさと論理的な説得力

 小林氏の作品には、とにかくものすごいわかりやすさ説得力がある。ギャグマンガを書くにあたって、サヨクという現代日本のピエロを題材に用いたのはあまりに賢明である。題材不足に悩むことはない。サヨクによる天然ボケはあまりに豊富だ。むろん、表現をするには技術が必要なので、単にサヨクを取り上げていれば優れた表現になるというわけではないが。
さぞかしサヨク連中は腹が立つだろうなと同情する。今まではあらゆるメディアが、サヨクを甘やかしてきた。世間のサヨク的な風潮の中、なんとなく許してきたのだ。そんな中、小林氏の著作では強力なサヨク批判がなされ、しかもサヨクが最もヒステリックに断罪する大東亜戦争にある功績にも光を当てた内容。それが大ヒットしているのだ。サヨク諸氏が目を血走らせてイライラしている有り様が目に浮かぶ。良か良か。
本文で記している内容を読んでもらえば解ると思うが、筆者は内心、文章の論理性やわかりやすさや説得力では最強に部類されると自負していた。その筆者ですら脱帽する。特に娯楽性では、筆者よりはるかに上である。さすがはプロである。

4 日本の社会問題に取り組めば最後にはサヨク問題にいきつく

 様々な社会問題に取り組んできた小林氏は、最後には現代日本にある諸悪の元凶であるサヨクに行き着いた。つきつめれば結局こうならざるえない。戦後日本の社会問題とは結局ほとんどがサヨク問題なのだ。
サヨクが引き起こす社会問題については、「5.3 サヨクが引き起こす凄惨な社会問題」に記している。

 筆者と小林氏に同じ主張が多いという点は興味深い。結局小林氏も筆者もただの常識人だということだ。現代日本において普通の常識に照らしあわせて社会問題に取り組んだ時、誰しも最後にはサヨクという病理集団の奇怪さ卑劣さ愚鈍さに行き着く以外に無いのだ。
社会問題に対して今までは奇怪なサヨク小児病にアタマを侵された人間が取り組む場合が多かった。その結果、おうおうに「ヘーワケンポーをマモレー」、「セーフはシャザイシロー」とかトンチキな結論になだれ込み、国民にとって何一つ有意義な解決にはならなかった。歪んだ思い込みのない普通人、常識人が戦後の社会問題に取り組んだ瞬間、最後にはどうしてもサヨクという戦後の汚物に行き着く以外にないのだ。

5 小林氏の極めて大きな功績は、戦後の病理を人々に知らしめたこと

 小林氏が指摘する戦後病理の問題提起自体は昔からあったものである。多くの良識ある人々が著作などで主張してきた内容だ。小林氏はそれを娯楽性のある形で表現し、若者を中心に広く知らせることに成功した。
言うまでもなく「小林氏の指摘は昔からあったもの→小林氏の著作は価値がない。」という言い草は間違っている。彼の功績は、戦後病理を広く人々に知れ渡らせたことにある。この意味、価値はあまりに圧倒的に大きい。

 正しいだけのつまらない内容の本など、誰も買わない。ある程度の娯楽性があってこそ、人々はお金を出して買う。戦後数々出版された多くの戦後問題を提起した著作のほとんどは、娯楽性の欠如したものだった。
同様にサヨクの著作も何一つ読者の立場を考えない娯楽性の欠如したものが多かった。ただ、サヨクは情報を強制的に喧伝できる構造的な権力を掌握していた。
サヨク官公労による教育界の掌握により、サヨク情報にあふれた教科書を押し付ける構造。宅配制度という寡占的な流通経路の掌握により、サヨク情報にあふれた新聞を押し付ける構造。大学関係者をも掌握し、サヨク新聞の記述を試験問題とすることで強制的に購読させる構造。
こういった権力構造があるため、著作物そのものに何一つ娯楽性がなく一人よがりであってもサヨク情報はいくらでも知れ渡った。

 小林氏は、サヨクのように寡占的な情報の喧伝を行う権力構造を用いず、著作物そのものの魅力により人々にサヨク問題を知れ渡らせた。

 「サヨク問題(戦後問題)を人々に広く知れ渡らせたこと。」

 これは圧倒的に意味深く価値のあることだ。情報は人々に知られることにより政治的な力となるからだ。返品され出版社の倉庫の片隅で埃をかぶっている本に、いかに正しい内容が書かれていても無意味なのだ。

 戦後、あらゆる人間がサヨク問題の解決を夢見て取り組み、サヨクの圧倒的な権力(日教組など官僚権力)と物量(サヨクマスコミ)の前に挫折してきた。誰もが夢見てきたサヨク問題を解決できたなら、それは戦後問題そのものが解決したということだ。筆者の夢もそこにある。

6 小林氏の著作の気になる点

 小林氏の著作にいくつか気になる点がある。例えば筆者は以下の点で小林氏と考えが異なることを記しておく。

@ 小林氏は大東亜戦争を日本人の原罪と呼称しているが、筆者は全くそうは思わない。大東亜戦争を戦われた兵士を、戦後全否定し吊し上げてきたことが戦後日本人の原罪だと考えている。

@ 小林氏は署名する価値のある記事が少ないことを理由に、新聞記事における記者による署名に反対しているが、筆者はそうは思わない。いかなる愚劣な記事であっても、いや愚劣だからこそ記者による署名は必要だと考える。

@ 小林氏は本多勝一氏を弱い人の味方と持ち上げているが、筆者は全くそうは思わない。本多氏は社会主義国において弾圧、迫害、虐殺される弱い人々の敵である。

@ 小林氏は第三世界での紛争の要因が、先進国による武器売却(小林氏の言うクソ)にあるかのように描写しているが、筆者は全くそうは思わない。責任は間違いなく武器販売業者にあるのではなく戦う主体にある。武器があっても戦わなければいいのだ。庖丁を用いた刺殺事件が起きても、庖丁屋に責任はない。あくまで責任は刺した人間にある。
更に言えば、例えば日本は米国などから武器を買っているが紛争など起こしていない。

@ 小林氏は政治的な運動を否定している。「運動→あさましい→やめるべき」という原則論には賛成だ。だが、その一方サヨク(つまり運動屋)を潰すもしくは抑制する目的の運動に限って筆者は肯定する。毒を持って毒を制すことは時に必要だ。
原則論には「風刺漫画→風刺された相手に失礼→やめるべき」とか、「風刺する文章→風刺された相手に失礼→やめるべき」というものがある。単純に原則論を振りかざせば、もちろんこれらの言い草は正しい。しかしこれらも馬鹿げた原則論だ。小林氏の作品も含む風刺漫画というものがあってもいいし、筆者の文章のように批判したり風刺したりする文章があってもいい。記す者の裁量で記していけばいい。
原則論では「運動→あさましい→やめるべき」だが、筆者は「新しい歴史教科書を作る会」の運動を高く評価し、肯定する。今、日本各地で腐った教科書が用いられているという腐った結果がある。この深刻な結果の前には、前記の原則論は消し飛ぶ。まともな教科書が用いられるようにするという結果をもたらすべきだ。運動と言う手段を用いてでも。

補足:某読者様のご投稿により、小林氏による上記見解が古い情報に基づくものであるとのご指摘いただいきました。以下のように補足いたします。
平成十一年の時点ですでに小林氏は、
(1)本多氏を「極左」と批判している
(2)新聞記事における記者による署名には賛成の意向に傾いている。

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