サヨクは弱い人の味方ではなく、利用しているに過ぎない

[病理:弱者を反日闘争兵に]

 サヨクを弱い人の味方だと誤解する人は多い。いわいる保守系の人にも。その点を疑わず、奇妙な信頼をサヨクに寄せるいわいる右翼もいる。
サヨク弱い人の味方ではない。本質的にサヨクが味方するのは自分自身のみである。サヨク自身のサヨクアイデンティティの保守やサヨクイデオロギーの宣伝要員するために、弱い人を利用しているにすぎない。はっきり言えば、サヨクは弱い人の敵なのだ。

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1 サヨクは弱者に恐ろしいまでに冷酷

 サヨクはおうおうに、以下のような弱い人々に対して恐ろしいまでに冷酷だ。

@ 支那共産党の圧政下で苦しめられる弱い人々。
@ チベットなど支那政府の侵略に苦しめられている弱い人々。
@ ウイグルでの支那政府による核実験の放射線障害に苦しめられる弱い人々。
@ 支那や北朝鮮などで、「ニホングンのアクジ」とか、「金正日様の偉大さ」などを口を揃えて囀らねばならない言論統制に苦しめられる弱い人々。
@ 学校で、「ニホングンのアクジ」とか、「ヒノマルはセンソーのハタ」などを口を揃えて囀らねばならな状況に、内申書を背景にサヨク教師に追い込まれる弱い学生。
@ 学校で、「自衛官は人殺しの仕事」とかホザくサヨク教師のイジメに苦しめられる自衛官師弟の弱い学生。
@ 学校で、ボーリョクハンタイサヨク教師の無能のために、陰湿なイジメにさらされる弱い学生。
@ サヨクマスコミに冤罪を押し付けられる元日本軍兵士の弱い老人。
@ 犯罪被害に苦しむ弱い人々。
@ 北朝鮮に拉致された弱い人々。
@ 北朝鮮から出るに出られない日本人妻となった弱い人々。

 何か弱い人間に恨みでもあるのかと問いたくなるような有り様。サヨクは弱い人の味方なる言い草は完全な嘘なのだ。

2 サヨクのセンソーハンタイに見る弱者に対する底無しの冷酷さ

 時折、「外国の侵略があったら逃げればいいのだ。僕はそうする。」などとぬけぬけと言うサヨクがいる。恐ろしく冷酷極まりない言い草である。弱者に対して。
仮に日本が支那や北朝鮮の侵略にさらされた場合、一体誰が被害を受けるのか。真っ先に被害を受けるのが、逃げられないかたわや老人、強姦対象となる女など、社会的弱者である。
そういった逃げられない、めくら、いざりなどのかたわを捨てて、真っ先に逃げることをサヨクは得々と自慢する。外国侵略軍に女を強姦させておいて、これ幸いと我先に逃げるサヨク。これが、サヨクの言う「ブリョクの放棄」、「平和憲法の理念」の実態である。

 サヨクの得意フレーズ「センソーハンタイ」。これを翻訳すると、「日本及びその軍事力補完を行っているアメリカの軍事力充実ハンタイ。支那や北朝鮮の軍事力に思考停止。」というものだ。要は「支那や北朝鮮の相対的軍事力増強賛成。」ということだ。今更言うまでもないが。

 我らの祖国に暮らす社会的弱者をも含む人々を守ること。それは政府の義務である。その義務を代行する存在であるがゆえ、自衛隊で働く軍人は尊い。逆にサヨクが愚劣なのは、その外国侵略などから日本国内の社会的弱者を守る自衛官を軽視する点にある。

 もちろん、弱者を困らせること事体がサヨクのヘーワウンドーの最終目的なのではない。しかし、その「ヘーワウンドー」と称する日本軍事力弱体化運動の結果、真っ先にひどいめにあうのが社会的弱者であるのはまぎれもない事実だ。サヨクによる「ヘーワウンドー」と称する日本危機管理能力弱体化運動の結果、自衛隊の行動は法的に制限され続け、阪神淡路大震災による膨大な追加犠牲者を生み出した。サヨクは今後も「ヘーワウンドー」により間接的に人々を殺しつづけるだろう。

 外国侵略により日本の社会的弱者がどういう目にあうのか全く思考しないサヨク。社会的弱者に対する恐るべき冷酷さ。「一体どこが日本を侵略するというのか」、「外交努力が大切です」などというセリフを放って外国侵略について思考停止するサヨク。
サヨクの本性は例えばこういう所に見え隠れするのだ。

3 サヨクは弱者をサヨクウンドーの前線兵士に消耗利用する

 サヨクは子供を思想運動の先兵に消耗利用することはよく知られている。支那の紅衛兵のように。日教組教師が子供を国旗国歌ハンタイの手先に用いる例などはなんら珍しくない。学生運動の昔から、サヨクは子供を思想運動の前線に立たせる兵隊として消耗利用してきた。

 サヨクは子供のみならず、日本語以前に日本の政治的情勢に詳しくない外国人、かたわ、女などをも、思想運動の手駒にすることを得意とする。彼らを、ジンケイニシキの高い人などとおだて、政治利用するわけだ。

@ なぜかハンカクウンドーのデモ行進に加わる車椅子に乗ったかたわ。
@ 石原都知事吊し上げデモ行進に加わる不法入国外国人。

 サヨクが企画し、その企画をリークされたテレビ媒体などが撮影し放映するデモ行進などの映像には、↑こういうものが多い。

 結局サヨクにとり重要なことは社会的弱者云々ではない。自分の政治運動や政治思想、すなわち自分の思想的アイデンティティのみが重要なのだ。つまり自分が重要なのだ。
その自分の思想的アイデンティティの前には、サヨク全体主義体制で殺される数知れない弱者の命など、サヨクにとりなんら重要ではない。

 この日本で、サヨク以上に社会的弱者を踏みにじる存在はない。サヨクは弱者の味方ではない。弱者を自らの楯や槍に消耗利用しているにすぎないのだ。

余談:あらゆるニュース映像には必ずリークし、かつされた人間がいる [執筆対象:マスコミ][病理:弱者を反日闘争兵に] デモ行進などのニュースなどのテレビ映像を見る場合、心得ておくべきことがある。それは、

1:そのデモ行進などを企画し、テレビ会社にリークした存在がいること。
2:そのリークを受け、撮影に出向き放映するべきだと判断した存在がテレビ会社にいること。

テレビ会社の人間は予言者ではない。いつどこでデモ行進をするというリーク情報があって初めて撮影が可能になる。当然のことだ。
サヨクがデモ行進を企画しサヨクテレビにリーク。リークを受けたサヨクテレビが「ハンタイの声」などを撮影し放映。ほとんどヤラセである。

<ナントカハンターイというテレビ映像が放映されていた>→<ううむ、ナントカはワルイコトなんだなあ。>などと考えるのなら馬鹿同然だ。

ニュース報道を盲信してうんうんうなずくことは、ニュースの楽しみかたとしては未熟だ。このように、それを放映するに至った背景や、そういう言い回しをする理由などを推察することにより、テレビや新聞のニュースを真に楽しむことができる。
ニュース報道における興味の対象はニュースの内容そのものになどない。

@ 誰がそのニュースソースをリークしたのか。
@ テレビ屋のどの部署がリーク情報を受けて、誰が撮影し放映するべきだと判断したのか。
@ そのように判断した背景は何か。

を推察しあばきたてることこそ、真のニュース報道の面白味があるのだ。

余談:日本を男女差別国家ということに、したくてしょうがない欧米マスコミ [執筆日:H12/10/29][病理:人種差別] 欧米マスコミは「日本は男女差別国家」というイメージを広める。日本では、女はゲイシャガール扱いされているかのような思い込み。連中にこんなイメージをプロパカンダしているのは誰だ?いかにもサヨクがやりそうなコトではあるが。

シドニーオリンピックで高橋尚子選手がマラソンで優勝した。これについて、あるシドニー地元マスコミは、オーストラリア原住民のフリーマン選手と同一視し、両者を差別からの解放のシンボルであるかのような言い回しをしていたという。

根本的に勘違いをしている。シドニー五輪においてなぜ日本女子選手が活躍できたのか。それは日本で女子選手が男子同様に訓練する機会を与えられている結果に他ならない。学校教育においても、女子運動部の存在などなんら珍しくない。スポーツを行う環境が男女平等であるから、あれだけ大量の女子の実力者が育ち、またオリンピックに派遣できたのだ。
虐殺されてきたオーストラリア原住民の立場とは、全然違うのだ。
例えば中東の国では、女子選手の参加のほとんどない国も多い。とはいえ、オリンピックに参加できるから平等とも言えないのだが。

なぜ、欧米マスコミは、男女差別国家という構図をあてはめたがるのか。
それはアジア諸国特に日本は、前近代的であって欲しいという希望的な願望から来ると考えられる。なぜそういう願望をもつのか。
要するに日本はアジア人国家でありながら、超先進国となったからであろう。桁外れの経済力、圧倒的な科学技術力工業力、戦前においては軍事力、しかも犯罪発生率が恐ろしく低く、失業率も不景気といわれる現在ですら5%程度だ。これは好景気と言われるアメリカの数字と同じである。先進国では10%を超えるのが普通だ。
しかもせっかくアジアに持っていた植民地を、日本が大東亜戦争でほとんど全部解放させてしまった。

要するに欧米、特にヨーロッパには自慢するものが残っていないのだ。
ただ、確かに欧米の文化には魅力的なものが多い。町並みなどは美しくおいしい料理も多い。教会音楽は荘厳で優れた絵画彫刻が多い。
しかし文化の価値とは相対的なものだ。興味のない人間には何一つ価値はない。例えばHipHopとバスケットボールの好きな若者にとっては、欧州の教会音楽などゴミクズほどの価値もあるまい。文化価値とは数値的客観的に表されるものでないため、絵画の善し悪しがわかりやすい例だが「とにかくステキだ」と言い張ることも可能だ。
そもそも文化のみを自慢する有り様には、ある種非常に情けないモノを感じさせる。祖先の残した骨董品を自慢する没落貴族のように。

そこで社会風土として日本はオクレテイル、我々はススンデイルという構図を持ち出す。「日本にはダンジョサベツがありゼンキダイテキだあ」というわけだ。

ドイツの教科書にある設問「日本女性の多くがゲイシャガールになりたがる背景を推論せよ。」

いねえよ。そんなやつわ。馬鹿なことをホざいていると、ニンジャを派遣するぞ。

アメリカのテレビ番組「神社において赤ん坊の額に書かれる文字が、男子は『大』であり女子は『小』だ。日本の神には男女平等はない。」

小さいことがなぜ劣っていることになるんだ?というか、小さい人間への差別感情の持ち主であることの自白同然だ。
しかもこの番組では、気持ち悪い放送局側作成のイメージ映像(ゲンシャガールがかしずく姿が影となってふすまに映る映像)付きだった。おそらくは、日本で男女差別をわかりやすく表現する映像を撮れなかったため、わざわざ制作したのだろう。

シドニーの新聞「皇后は天皇より背を高く見せないように配慮するお国柄。」

そんな配慮なんかしてねえよ。どっからそんないかがわしい情報を仕入れるんだ?日本のサヨクが撒き散らしている可能性が極めて高いのだが。
というか、仮にそういう配慮をしたところで差別とは無関係なんだが。

議会や政治家に女が少ないから、ダンジョサベツという指摘をする人間もいる。
結果として政治家になる女が少ないことは、全く男女差別の根拠にならない。立候補権選挙権に男女差があるのなら話は別だが。
なぜ女子政治家が少ないのか。それは女の立候補者には、土井タカ子氏とか、女の有権者も嫌悪するろくでもない立候補者が多すぎるためだろう。サッチャー氏の百分の一程度の能力も気概もない、ヘンチクリンが多すぎる。マスメディアがプロパカンダするダサい聞き飽きたスローガンを連呼するのみの、ただの土井タカ子のファンの立候補者。ヒマ主婦が共産党に入り、共産党から吹き込まれたスローガンをひたすら再生するだけの立候補者。こういうガラクタの山。
とはいえ、中には高市早苗氏とか小池百合子氏のような有能な政治家もいる。逆にガラクタ政治家は男にもいる。社民党田辺氏、自民党野中氏みたいな。

女であることをウリにするやり口は、幾分かの支持が得られ土井タカ子及びその亜種のいくつかを当選させる効果はある。フェミニズム馬鹿女及びフェミニズム馬鹿男の票は集まる。しかし、そのやり口では広い国民の支持にはならない。女も男も嫌悪するやり口だからだ。そもそも投票数は男より女のほうがはるかに多い。にもかかわらずガラクタ女のほとんどが落選している。女の有権者自身が明瞭に有能無能を男女に関係なく選び、有能な女を見抜く一方、ガラクタ女の政界進出を拒んでいる。
サヨク立候補者が思うより、北鮮拉致協力政党党首土井たか子に投票するような一部の馬鹿を除いて我が国の男女は賢明ということだ。

というか賢明な女は政治家になどならぬのかも知れない。男女共に馬鹿のみが政治家になるような感じがする。とすると、政治家に女が少ないということは女が賢明である証拠に他ならないのかも知れない。

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